WOLF and SHEEP

おおかみとひつじはそらにほえる

コロンコロンと、鈴の音が森の中に響きます。

灰色狼達は、その音を追いかけて森の中を走りました。

傷を負った狼から、三匹の狼達は冬悟がどうやら羊と仲良くなっているらしいという話を聞き、とうとう姿だけではなく心まで羊になってしまったんだと大笑いしました。

そして裏切り者の冬悟を捕まえ、一緒に居た羊を食べてしまおうと考えたのです。

鈴の音は、灰色狼達が近づくと遠くなり、音を見失いそうになると近づいてきました。

森の中を苛々しながら散々走り回された後、音は丘の頂上で止まりました。

そして灰色狼達は、そこに一匹で立っている冬悟を見つけました。

どれだけ辺りを見回しても羊の姿はありません。

冬悟は、咥えていた首輪をポトリと落としました。

それは姫乃が首にしていた首輪です。

コロンと、鈴が乾いた音を鳴らしました。

灰色狼達は、羊と冬悟を追いかけているとばかり思い込んでいました。

全身に、まんまと騙された恥と怒りが駆け巡ります。

してやったりと冬悟が微笑むと、それが合図になり三匹は冬悟に飛び掛りました。

三対一で戦う事は、精神力と体力を一瞬にして奪われます。

もともと勝ち目の無い戦いを冬悟は必死になって続けました。

傷が痛み、息があがって頭がくらくらします。

それでも、まだ立てる、まだ立てると自分に言い聞かせ、大きな声を出し、冬悟は戦い続けました。

絶望的な戦いの中、冬悟が怯まずにいられるのは何も先が無いから自棄になった訳ではありません。

冬悟は決めたのです。

最初からこうする事が一番なんだと信じて。

あの羊との約束。

お互いに何かあったら、お互いが出来る形で相手を助ける事。

命をかけて、助ける事。

姫乃はその約束を守ろうとしてくれました。

だから冬悟も、そうするのです。

冬悟は、他のどの狼とも違う、たった一匹の白い狼として生きようと決めました。

最期の一瞬まで、そうしようと決めました。

傷が痛む事も、息が苦しい事も、今生きている一瞬一瞬の命の色。

そう思うと、今苦しい事も、全てが生きている証拠に思えて冬悟は震えました。

灰色狼達は、どれだけ牙で噛み付いても、どれだけ爪で切り付けても冬悟が立ち上がる事に怯みました。

何故冬悟がそこまで奮い立つ事が出来るのか、一体冬悟にとってあの羊が何だったのか、狼に生まれた灰色狼達にはどうしても理解する事が出来ません。

何故そこまで出来るのか、灰色狼達は冬悟に訪ねました。

冬悟は笑って「そんなの、オレにしかわかんねぇよ」と答えました。

大事なものなんて、それぞれ違うに決まっていると、冬悟は笑いました。




あの時、冬悟は姫乃の首輪を噛み千切ると素早く辺りを見回しました。

近くにあのエージという犬が来ているのを察知していたからです。

軽く吠えてエージを呼ぶと、慌てて走ってきたエージに目を閉じたままだった姫乃を突き飛ばし、冬悟は走りました。

どれだけ追いかけられても追いつかない様、目一杯走って逃げました。

後ろで姫乃が大きな声で泣くのが聞こえましたが、それも無視して走りました。

約束を守る為、冬悟は嘘を吐きました。

真っ白だった冬悟の毛並みは、血と泥ですっかり汚れてしまっています。

ふらつきながら冬悟は低く構え、もう体を支えるだけで精一杯の足に力を込めました。

そして空を見上げ、息を吸い、今出る一番大きな声で遠吠えをしました。

嘘吐いてごめんな。

ありがとう。

言えなかった言葉を言葉にならない叫び声に全て託して。

それが丘に響いて、森を渡って、今頃牧場に逃げ帰っているだろう姫乃に届く様に。

そしてその瞬間、冬悟は初めて自分が真っ白に生まれた事に感謝しました。

たった一週間程の短い間、一体どれだけ幸せだったんだろう。

冬悟は笑いました。

とても清々しい気持ちでした。

生まれ変わるというのは、こういう事なのかも知れないと思いました。

考えれば、自分は人間の罠にかかった時既に死んでいたのかもしれないと思いました。

そうしたら、生まれ変わった自分は羊になろうと思いました。

間違っても狼には生まれない様にしよう、そう思いました。

冬悟は真っ直ぐに三匹の狼を見据えました。

そして、もうほんの僅かしか動かないだろう足をじり、じりと動かした時。

森の中から、遠吠えが聞こえました。

一つ、二つ。

遠吠えは少しづつ数を増やし、真っ直ぐに丘へと向かってきています。

その遠吠えは「どこだ?今どこにいる?」と言っています。

遠吠えの中で、最も大きな声に、冬悟は聞き覚えがありました。

何度か敵対する形で会う事があった、エージの物です。

一体何故、エージが自分を探しているのか、冬悟には一瞬わかりませんでした。

けれど、その声は確かに、ちょっと苛立ちを含みながら「テメー、何処にいやがるんだ」と言っているのです。

冬悟は一瞬悩んだ後、大きく遠吠えをしました。

オレならここだ。

そう叫びました。

何度も何度も、空に向かって吠えました。

するとその遠吠えに呼応する様に、犬達も大きく吠えます。

森に、谷に、狼と犬達の遠吠えが響き渡りました。

焦ったのは灰色狼達です。

一対一、狼と犬では確実に狼の方に分がありますが、牧羊犬達は群れで行動し、その連携で狼を追い払うのです。

本気での戦いになり、怪我をしてしまうと暫く餌を獲る事が出来なくなります。

それでは生きていけなくなるのと同じ事なのです。

無理な戦いは、狼は嫌います。

三匹の狼は、冬悟を一睨みすると踵を返して走り出しました。

エージが冬悟の姿を見つけた時、用心深く辺りを観察しましたが、狼達の匂いはもう遠くへ行った後でした。

丘の上には六匹の犬と、一匹の狼。

冬悟は全身の力が抜けるのを感じ、ペタリと地面に伏せました。

「何だ。ボロボロじゃねーか。」

エージが冬悟に近づき、やや遠巻きにですが様子を確認します。

「…遠吠えして、返事返って来たの今日が始めてだ。不思議な気分になるな、これ。」

犬達に囲まれながら、冬悟は笑いました。

「お前、もう死ぬのか?」

冬悟が動けない事を確認すると、エージはもう一歩、冬悟に近づきました。

冬悟は目だけでエージを見上げると、口を開く事も億劫だと言う様に、ゆっくりゆっくり言葉を吐き出しました。

「少し前に、オレは、とっくに死んでたみたいだ。」

「じゃあ今は?」

「…生まれ変わりの、最中だよ。」

そう言って笑うと、エージはそれを見て呆れた顔をしました。

「全く…何でオレが狼なんか助けなきゃなんねーんだ。」

冬悟の首を軽く咥えると、ずるずると引きずりだしました。

「…オレが、聞きたいな。何で…オレを助ける?」

エージは咥えていた口を離し、大声で怒鳴りました。

「お前助けなきゃ、二度と口きかねーって姫乃がわあわあ泣いたからに決まってんだろ!」

「そうか。…そりゃ災難だな。」

「立てるなら立てよ。重てーんだよお前。」

「あー…もうちょっと、運んでくれるか?……少し休む。」

「テメエ…。」

「姫乃に口きいてもらえなくなるぞ。」

「うるせェ。」

何時の間にか、冬悟もエージも笑っていました。

周りの犬達も、一緒になって冬悟を運びました。

冬悟は引きずられながら、少しの間目を閉じました。

本当は犬達は自分をどこかで捨てるんじゃないだろうかという不安が無い訳ではなかったのですが、それはそれで構わないと思っていたからです。

もし可能性があるなら、最後に一度だけでもあの羊に会いたいと思いましたが、叶わないかもしれないと思い、口には出しませんでした。

「おい、死ぬなよ。死んだらオレが酷い目に遭うんだからな。」

エージの言葉に、冬悟は少し笑いました。

「生きてるよ。」

どうやら、エージは本気で冬悟を牧場まで連れて行く様です。

冬悟はごく当たり前の疑問を口にしました。

「…オレが、牧場で暴れるとか、思ったりしないのか?」

「あ?お前もう死んで、生まれ変わるんだろ?」

「信じるのか?」

冬悟は目を開け、エージを見ました。

エージは冬悟と比べると体は一回りは小さい犬です。

それでも冬悟の牙も爪も、全く恐れない頑固で勇敢そうな目が冬悟を見返します。

「狼は嘘吐きだけど、お前みたいな馬鹿な事は言わねえよ。で、お前何に生まれ変わるんだ?」

「……そうだな。ああ、オレ犬に生まれ変わろうかな。…あの遠吠え、何だか、気持ちよかった。」

「へえ。好きにしたらどうだ?」

「居心地いいかあ?牧場って。」

「お前の心がけ次第じゃね?」

「あ、そ。…なあ、オレみたいに、白い奴もいるんだって?」

「いるよ。元狼だからってヒイキしねーぞ。食う分は働け。」

「了解。」

引きずられて現れた白い狼を一番に迎えたのは姫乃でした。

牧場の入り口で、外へ出ない様他の犬達に見張られながら、ずっとずっと丘に向かって泣いて待っていました。

返って来たエージ達と、運ばれてきた冬悟を見つけると見張りの犬をするりとかわして姫乃は走り出しました。

そして冬悟に体当たりする様にしがみ付きました。

「冬悟の嘘吐き!」

「姫乃。痛い痛い。」

「嫌だ。冬悟そうやって嘘ついて、どっか行っちゃうもん。」

姫乃は怪我の見当たらない冬悟の尻尾をしっかり握りました。

「もう、嘘は吐かないよ。オレ狼やめたから。」

「え?」

泣き続けてうさぎの様に真っ赤になった目で、姫乃は冬悟の顔を見ました。

「…やめたの?」

「うん。だからオレ、生まれ変わって犬になったんだ。ここで暮らす事にした。」

「本当に…?」

「姫乃、約束通り連れてきてやったんだからお前もとっとと中入れ。もう一匹で逃げ出さないって約束、お前も守れよ。」

エージは姫乃の手から冬悟を離すと、またずるずると冬悟を運び出しました。

牧場の動物達は一時大騒ぎになりましたが、冬悟の側に寄り添う姫乃と、その姫乃を優しくなだめる冬悟を見て少しづつ落ち着きを取り戻しました。

過去の恨みを訴える羊もいましたが、冬悟は何も言わず、静かに頭を下げました。

牧場の人間は、大慌てで銃を手に取りましたが、エージ達犬や姫乃が冬悟の周りから離れないのを見て、冬悟を撃つのをやめました。

暫くの間は鎖で繋ぎ様子を見ていましたが、狼の怪我が治っても牧場の動物を一切襲う気配を見せない為離したところ、犬に混じって牧羊犬の仕事を始めた時は一体何があったんだろうと首をかしげたものでした。

それでも冬悟は、なかなか人間には頭を撫でさせようとはしませんでしたが。




それから一ヶ月。

その牧場は、変わった狼と変わった羊がいる事でちょっと有名になりました。

その狼は、頭の先から尻尾まで真っ白で、何故か羊が大好きで犬達と一緒に牧羊犬の仕事をするのです。

その羊は、まだ幼い羊ですが狼が大好きで、いつも一緒に歩き、そして変な鳴き方をするのです。

空に顔を上げ、高く響く声で鳴くのです。

それはまるで、遠吠えの様でした。

中にはこの狼を嫌う様な羊もいましたが、それも少しづつ、少しづつ無くなっていきました。

幼い羊と白い狼はいつも一緒に行動し、時々群れを抜け出して二匹だけで散歩に出かけたりもします。

脱走癖のあるこの羊に、人間は新しい鈴付きの首輪を与えましたが、その鈴の音が気に入っているのか、狼がその鈴を長い鼻に引っ掛けてコロンコロンと遊んでいるのを見て、これは駄目だと苦笑いしました。

いくら鈴の音が鳴っても、隠れるのが上手な二匹の脱走を誰も止められなかったのです。

群れを脱走した二匹は森へ行き、丘の上へ登り、その頂上から牧場に向けて高く吠えるのです。

そして耳を澄まし、牧場から返ってくる遠吠えを聞くのでした。



この二匹の散歩は、それからもずっとずっと続きました。


あとがき
勢いと思いつきで始めたパラレルでしたが、何とか終わりました。
追加すると、エージはボーダーコリーの茶色いイメージだったりします。ちなみに散歩を続けてエージは怒りましたが、約束は「一匹で抜け出さない」だったと冬悟が言いくるめました。
年の功。
ここまで読んで下さった方々に感謝です。
2007.09.25

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