ワイルド・ピッチ

約束の日が今日である事を、オレは半分忘れかけていた。

目が覚め、日差しに目を細めながらほぼ無意識で携帯に手を伸ばし、ディスプレイを覗き込んだ時「着信メール 一件」の文字でああ、と声を出してしまった。

きっと忘れているだろうと気を利かせた奴からのメールが、目が覚めたばかりのオレを待ち構えていたからだ。






住んでいる場所から電車で数時間。

奴が仮住まいにしているマンションに着くと、オレはインターホンで奴を呼び出した。

「はいはい〜☆」という軽い返事と共にオートロックのキーが解除され、中に入るとエレベーターに乗り込む。

奴こと神吹白金が住む部屋がある階のボタンを押し、待つこと数秒。

唸り声を上げて箱が下りてくると、上等なマンションだからだろうか物静かに扉が開いた。

指定の階へ移動し、送られて来たメールの文章を頭の中で蘇らせながら部屋の番号を探そうと思ったが、着いた階に部屋は二つしかなく案外あっさりと目的の場所は見つかった。

チャイムに手をかけようとした時、待ち構えていたかの様に扉が開き、中からプラチナが顔を覗かせた。

「久しぶり☆ 仕事で遅くなるって言ってたけど、思ったより早かったじゃない」

「湟神は?」

「まだ仕事だって。忙しいみたい」

「お前は。暇なのか」

「まっさかあ☆ あっちこっちから引っ張りダコで、右と左に引き裂かれそうなカンジ。そういうマサムネ君は?」

「暇に見えるか?」

「全然。しかめ面は相変わらず。忙しいのはいい事だけどね。オレは澪ちゃんと会う時間がほしーの」

プラチナは言いながら肩をすくめ、手を差し出した。

オレはその手に上着を渡すと、プラチナはその上着を片付けに行く。

適当にソファーに腰をおろして少し待つと、奴は酒とつまみを適当に運んで来てオレの前に座った。

プラチナの「お先にどうぞ」が合図になって、オレは口を開く。

「この集まりは、そろそろ意味が無い気もしてきたんだが……」

「そう? この三人で集まる事自体に意味があると思うなあ。別に目的が当初と変わってもいいんじゃない?」

「この三人」とはつまり、過去のパラノイド・サーカスとの戦いを知っており、かつ一緒に修行した仲間、という事。

お互いを良く理解している為、一番冷静に話し合いが出来る。

無縁断世とパラノイド・サーカスが一緒に暮らすという事に一番意義を唱えたのはオレだった。

オレ達より少し早く姫乃や明神と関っていた為、やや感情に流され判断に窮したのは湟神。

明神と湟神、それからパラノイド・サーカスと姫乃の様子を見ながら冷静に判断したのはプラチナ。

悪く言えば平和ボケ、良く言えば前衛的(いや、動物的・直感的とも言えるだろう)判断をした明神は言っても聞かないのは目に見えている。

刺激するより、舵取りは任せてこっちはサポートに回ろう。

何かあればその時こちらが冷静に判断し、いつでも行動できる様にしておこう、と。

普段は湟神が出来るだけうたかた荘に足を運んでパラノイド・サーカスの様子を観察し……一ヶ月に一度、必要があれば直ぐにでも集まって自分達がどう動くかの方針を決める。

それがこの集まりなのだが、最近湟神は集まったところで目当ての陽魂の話か姫乃の話ばかりしている。

これではただの同窓会になるのだが……。

オレがそんな事を考えている間もプラチナは時々携帯をいじっていたが、湟神と後どの位で着くかのやりとりをしているらしい。

文章を読むときも打つ時も、終始へらへらとしている(元々コイツはへらへらした奴ではあるが)。

オレはため息を吐いた。

「もう来るのか?」

「うん。もうちょっとだってさ☆」

「そうか」

会話が一時中断する。

「ちょっと席外すけど適当に飲んでて。オレ料理仕上げて来るからさ☆」

「従順な事だな」

「やだな〜☆ せめて甲斐甲斐しいって言ってほしいネ」

「メニューは?」

「内緒」

人差し指を口元に当て、プラチナが笑う。

しっしっと手で払う仕草をすると、口を尖らせて何か文句を言いながら部屋を出て行った。

湟神が来たのはその数分後。

仕事帰りに直接来たという割りに疲れた様子は無く、気にもならなかったので依頼内容は聞かなかった。

聞いて欲しい事があるのなら、自分から言い出すのが湟神だ。

オレは湟神に酒を勧めたが、湟神はそれを断って先にプラチナが出してきた飯を食いだした。

「……躾が行き届いてる様で」

阿吽の呼吸で差し出される皿を眺めながらオレが皮肉を言うと、湟神は一瞬眉を潜めてオレを睨んだが、あまり深く考えなかったらしい、直ぐ食事に意識を戻した。

「……で、どうだった?」

「何が?」

「何がじゃないだろ。わざわざ集まった理由を忘れたか?」

「ん? ああ……いつも通り」

「そりゃ結構」

「アズミは愛らしく、姫乃は元気だ」

どこか誇らしげに言い放つ湟神に、オレはため息を吐いた。

「冗談だ。特に異常なし、だ」

堅物め、と言い足して湟神が笑う。

オレはフンと鼻を鳴らしてプラチナが用意したグラスに手をつける。

テーブルの上に料理を全て並べ終ると、やっと三人が椅子に座るかたちになり、いつも通りの食事会が始まった。

プラチナは冗談を混ぜながら話を進め、いつも通り「暫くは様子見で」という結論が出ると、湟神はプラチナが作った料理に点数を付けだした。

話すべき議題が無くなり暇になったオレは(これも毎回の事だが)、二人の様子を観察する。

プラチナは湟神に褒められると素直に喜び、イマイチだと言われるとメモを取る。

「これは美味しかったでしょ? 自信作☆」

「自信作と言われると貶したくなるな」

「またまた〜。こないだ美味しいって言ってたレシピだからね。更に改良して澪チャン好みの味に仕上がってるんだよね」

「こっちのが美味い。今日の私は薄味の方が口に合う」

「へ〜……。そのココロは」

「疲れている」

「仕事帰りは薄味……ね☆」

「いちいち私の好みに合わせなくてもいいんだぞ」

「こっちはそうはいかないんだよね」

会話はキャッチボールだと誰かが言っていたが、このキャッチボールはなかなか難易度が高い。

何せ相手は湟神澪。

プラチナが投げた球は、全て投げ返すのではなく打ち返してくる。

これでは千本ノックだ。

このスパルタなバッテリーが一応のリズムを保っているのは、プラチナの努力の賜物だろう。

方々に打ち散らされる球をしっかりと拾いに行く。

そして大事に拾うと、湟神が取りやすい様に投げ返してやるのだ。

「オレの手料理が好きになったらさ、ちょくちょくオレの部屋に通いたくなるでしょ?」

オレはワインのボトルを引っこ抜く。

ボン、という音が部屋に響いた。

「お前の言葉はどこか軽い。信憑性が無い」

「澪チャンがちゃんと聞いてないから、そう聞こえるんだよ〜」

「そのチャンとかもやめろ。私を子ども扱いするな」

「子ども扱いじゃないよ。女の子をそう呼んでるだけ。姫乃チャン、アズミちゃん、澪チャン」

「子ども扱いだろ!」

オレは手酌でワインをグラスに注ぎ、一気に飲み干す。

「あ、マサムネ君。ペース早いよ、もうちょっと楽しく飲もうよ」

……オレの存在を忘れていた訳ではなさそうだ。

「今日からチャンは禁止だ。湟神にしろ、湟神に。その内姫乃にも言われるぞ」

「えー……そうかなァ。オレ、口がもう言い慣れちゃって、今から変え」

「変 え ろ」

女王様の命令は絶対。

プラチナはまだモゴモゴと口の中で何か言いながら、それでも仕方ないなあと顔を上げた。

「じゃあ、変えるよ〜」

「ああ」

「澪」

その瞬間、湟神はバッと顔を上げ、プラチナを睨んだ。

プラチナを睨む湟神の顔色がみるみる変わっていく。

口がわなわなと震えている。

「こ、湟神にしろって言っただろ!」

「だ、だって……。澪チャンで言いなれてるから仕方ないじゃん! 譲歩してこっち!」

「譲歩だと!? 私だって聞きなれてないから耳が気持ち悪いわ!」

「気持ち悪いとか何気に非道くない?」

湟神は勢い良く立ち上がると、一直線に扉を目指して歩き出した。

「あ、あれ……。み。澪……チャン、どこ行くの?」

振り返り、ギロリとプラチナを睨みつける湟神。

「トイレだ! ああ、胸がむかむかする」

壊れるんじゃないだろうかという程ドアを強くしめ、湟神が部屋から消えた。

オレは視線をドアからプラチナに移動させる。

「あ〜あ……。またフラれちゃった☆」

テーブルに頬をくっつけ、堪えた様子で言っているプラチナにはまだ余裕が感じられる。

「参ったなあ」

「そうか?」

「そうだよ。結構頑張ったのになあ、今日は。……参ったなあ」

「……」

思うところはあるのだが、オレは黙った。

数秒の沈黙の後、プラチナが口を開く。

「マサムネ君もさあ、恋とかしたら?」

「何故」

「オレのこの甘酸っぱい気持ちをちょっとでも理解してみない?」

「断る」

「姫乃チャンとかどう? 清楚な大和撫子」

「お前、オレを破滅させる気か」

「はーあ。一歩前進、ならずか。いけると思ったのにな〜……」

思わぬ暴投が距離を縮める時もあるものかと、長年この二人のキャッチボールを見守ってきたオレは少しばかり感心した。

プラチナも、仕掛けどころは良く理解しているらしい。

ただ、その効果に気付いていなければ全く意味が無い。

湟神が顔を上げ、プラチナを睨み付けた時。

立ち上がり、部屋を出て行った時。

色眼鏡などしているからわからなくなるのだ。

人の気持ちは、表情だけに表れるものじゃなく、顔色にも表れるという事なのだが。

片目でもわかる事が、わからない時もあるらしい。

あの色さえ見る事が出来たなら、胸がむかむかするといいながら心臓を叩いていた湟神の表情を背中から想像出来そうなものなのだが。

人間は実に不便に出来ている。

「マサムネ君、オレにも一杯くれたまへ」

テーブルにうつぶせたままワイングラスを差し出すプラチナを、オレはちらりと見た。

へらへらと笑った顔が、笑った顔のまましょぼくれている。

グラスにワインを注いでやると、情けない顔のまま口が笑いの形になった。

「……何色だ?」

「ん?」

「ワイン」

「え〜……? 赤?」

「それは、赤ワインだという事を知ってるからだろ? 今見えてる色は?」

「え……? 黒?」

オレはフンと鼻で笑った。

オレが何を言おうとしているのかからず首を傾げるプラチナ。

当たり前だ。

受けられる球を投げたつもりはないのだから。


あとがき
大っ変遅くなりました!!!
「プラ澪 火神楽視点でほのぼのと…」というリクエストでしたっ!
ええと……どこがほのぼのなんだー!!という感じなのですが……ほのぼのと言うより苦甘い感じになりました。
こちらはリクエスト下さった歩様へ。
ありがとうございましたー!!!
2008.05.29

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