忘レマスヨウニ
酷く懐かしい夢を見た。
それは、とっくの昔に忘れていた出来事で、夢を見た事で思い出したという位、奥深くに沈められていた記憶だった。
目が覚めた時、体がだるくて気分もあまりすぐれなかった。
それはあまりいい夢ではなかったから。
ベッドの上で半回転してうつ伏せになり、オレは両手で両の目を押さえた。
窓から入る陽の光が眩しい。
枕元に置いてあるサングラスに手を伸ばし、目をこすりながらそれをかける。
「ああ、今まで何で忘れてたんだろう」
完全な独り言は、口から発した直後、宙に消えていく。
もう、何年も前の記憶だった。
ずっとずっと昔、まだ修行中の身だった頃の話。
襟足を残して真っ白な髪は、その頃真っ黒に染められていた。
長い前髪で顔を隠し、湟神澪という暴力的な女の子を好きだと自覚してしまった頃の事。
その日、湟神澪は修行場を抜け出してどこかへ消えてしまっていた。
これはその頃頻繁に起こっていた事で、何か嫌な事があったのか想いのままにならない事があったのかオレには良くわからなかったけど、ただ一つわかっていたのは、その逃げて行った澪ちゃんを一番上手く見つけられるのが、明神勇一郎だったという事だ。
豪快で、熊みたいな大柄な男。
連れられて帰ってきた澪ちゃんは、いつも拗ねた顔をしながらそれでも一応、勇一郎さんの言う事は聞いていた。
目を逸らしながら「うっとおしい。構うな。いちいち探しに来るな子供じゃあるまいし……」言った後、むくれたフリして背中を向けた勇一郎さんを窺う様に見上げていた。
そして、勇一郎さんが振り返ると目をそらす。
何と言うか、澪ちゃんの行動は腹が立つ程「解りやす」かった。
「真面目に修行すんだぞ〜」
笑いながら手を振って去って行く大男に対して澪ちゃんは五月蝿いなと悪態を吐き、その背中が見えなくなるまで二度と来るなと叫び続ける。
そんな姿を見ながら、身長だけならきっと直ぐに追いつける。
なんて事を考えてもみた。
ただ、その日。
オレは本当に腹がたっていたから、ついつい口にしてしまった。
「澪ちゃんって、勇一郎さんの事好きなの?」
言ってみて、飛んで来たのは物凄い「ガン」と拳と頭突きだった。
「オマエ、今何て言った?」
胸倉を、女とは思えない力強さで締め上げられて、息が苦しくて声が引っくり返った。
「い、や゛あ゛。ぞの、みお゛ぢゃんぐるじ……」
「わ、私があんなオッサン……むさくるしい、うっとおしい、腹立たしい、ああ、あんなのす、好きな訳あるか!!」
力いっぱい首を締め上げられた後、ポイと床に捨てられ更に蹴りつけられる。
オレは、やはり藪蛇だったと後悔した。
ゲホゲホと咳き込みながら、とりあえずごめんなさいそうですねと謝り続ける事数分、やっと怒りが落ち着いた澪ちゃんは、暫くブツブツ呟いた後、何やら口をもごもごさせだした。
「……まあ、何だ……。き、嫌い……という訳ではないけど。それに私だって、もう少し性格が……その、素直になれたらな、と考える事も、ある」
オレは息苦しいのを一瞬忘れ、口をポカッと開けて呆気に取られた。
いきなりの展開に、頭がついていかない。
ただ、目の前の湟神澪は、今まで見た事が無い位視線を泳がせながら、必死で言葉を選んでいる。
「じ、自分でも自分が、こんなんじゃ駄目だなってのはわかってるんだ。だけど、そんな上手く出来ないし。む、無理だとも思ってるんだけどな。はは。ホラ、私は昔からこんなだろう?その、何だ……。恋とかそんなのは無縁だ。だろ?べ、別に明神がどうとかじゃなくてだな!その……なんだ。お、女として、だな……」
何というか、これは。
今多分オレは、精一杯ギリギリの恋の相談をされている状態だった。
慌てて、口を手で押さえた。
このまま口をあけていると、多分間違いなく「澪ちゃんのバーカ」と言ってしまいそうだったし、実際言いかけていた。
この時、どんな気持ちだったか思い出せないけど、何となく酷く惨めだった事は思いだせる。
過去の出来事だ。
辛かったと今更誰かに言う事はないだろう。
今後澪ちゃんと付き合う事になって結婚して子供が生まれて一緒に歳をとったとしても、澪ちゃんに言わないと思う。
その時がどうであろうと今、勝てばいいのだし、今まで忘れていたのだって今後の人生にそこまで大した影響を与える過去ではないからだ。
ただその時のオレは、色んな想いで頭をクラクラさせながら、精一杯あがいていた。
「あのさ、澪ちゃん」
「な、何だ」
「今、ボク好きな人いるんだよね」
「え?」
「だから、ボクはボクの事で精一杯で……誰かの相談に乗ったりとか、そういう余裕がないんだよね」
「そ。……そ、うか」
「うん。だから、ゴメン」
「……ああ」
言った後、ああ情けないと本気で自分で自分を殴りたくなった。
こんな惨めな気持ちになって、更に自分から、それに拍車をかける様な事言って……。
オレは黙って床を見つめ、澪ちゃんも暫くオレに背中を向けて、黙って突っ立っていた。
暫く経って、ふうとため息を吐くと、やけにすっきりした顔をしてこちらを振り返った。
夢は、そこで終った。
それからどうなったか、思い出そうとするとヤケに胸が痛くなったのでオレはそれ以上思いだそうとするのを止めた。
どうせあまりいい事じゃないだろうし、こういう風に拒絶反応が出るって事は、何かしらのトラウマになっている可能性もある。
どうせ忘れていた事だ。
なら、もう一度忘れてしまえばいいだろう。
暫く黙ったままだった澪は、ふうとため息を吐くと、やけにすっきりとした顔をして白金の方へ振り返った。
あれ、顔が変わったなと白金が思うのと同時に、澪の手が伸びる。
「じゃあ、この会話は全部無しな。全部忘れてくれ」
「あ、う、うん。わかった」
「オマエに好きな女がいるっていうのも黙っててやるから、私が言った事全て、総ざらい忘れろ。今直ぐだ」
「えっと、わかった。頑張る……けど、ホラ、記憶ってそんなに自在に扱えるワケじゃないし。あれれれ。澪ちゃんどうしてボクの襟首掴んでるの?」
「何、記憶の方は私に任せろ。オマエはただ、歯を食いしばれ」
「あ、ちょ、何で拳がグー?あっ、ちょ、あっ、あ゛」
ぐっと振り上げられた澪の拳は、容赦なく白金に振り下ろされた。
「忘れます様に!!全部忘れます様に!!」
「ガッ! ゲッ! グッ! グゲッ!」
「白金が余計な事を全部忘れます様に!!忘れます様に!!」
「み゛! お゛! ぢゃ! んッ!! いだ、いだ、いだだ、いだ」
「忘れます様に!!全部忘れます様に!!どうかどうか、忘れます様に――!!!」
ガン、ゴン、ガンと定期的に、一方的な暴力が振るわれる。
白金が、ああもういいやと意識を手放す最後の一瞬、澪の目に涙が浮かんでいるのを白金は見た様な気がしたが、白金はその事を永遠に忘れたまま思い出す事はなかった。
あとがき
ふっと思いついたネタです。
プラ澪はどうしても一方通行な感じになってしまいます…。
わかりにくいですが、澪が少しだけ白金に心を許しかけて、でもその形は白金には受け入れられない形だった、という話ですが(わからんわー!!)初めての歩み寄りとすれ違い、という雰囲気がちょっとでも伝われば(汗)
2008.01.30