telephone call

『ああ解ってるよ。それでそっちは楽しんでる?』

電話ごしに聞こえる明神の声は、いつも静かで低い。

「うん。楽しくやってるよ。そっちは?皆喧嘩とかしてない?」

『ああ。ひめのんいないから、皆寂しがってるけどまあ何とかね。』

「そっか…。」

気が付くと、もう夕方になっていた。

日が傾いて、影が伸びる。

窓から差し込むオレンジ色の明かりに目を細め、受話器を握り直す。

「明神さんご飯ちゃんと食べた?」

『いや、これから。適当に何か作るつもりだけど、自信ねぇな…。』

「ちゃんとバランス考えて食べてね。体が資本なお仕事なんだから。」

『はいはい。わかってるって。』

受話器ごしに聞こえてくるため息。

今、明神がどんな顔をしているのかが目に浮かび、姫乃は笑った。

「…ふふ。」

『何だよ。』

「ううん。ちょっとね。」

『…今オレ、ひめのんがどんな顔してるか解るぞ。』

「え、何?」

『わかってますよ〜って感じの、アレだ。生意気〜な顔だ。』

「あ!何それ!」

『ひめのん。』

「うん?」

急に、明神の声のトーンが変わった。

先ほどまでの明るい、おどけた感じではなくて、もっと静かで。

『姫乃。』

「はい。」

『…早く、会いたいなあ。』

「…うん。」

『一人で飯食うのって、結構、寂しいな。』

「ゴメンね。」

『…いや、仕方ねぇから。いいんだけどね。』

仕方ないと言いながら、寂しいという事は訴える。

もう、子供じゃないんだからと思うのに、そう言われると早くあの場所に戻らないと、明神を一人にしたくないと気持ちがざわつく。

「明神さん、明神さん。」

『ひめのん。早く会いたい。ひめのん、オレ。』

「あ!…駄目。」

『…何?』

「…あの、直接、聞きたいから。今は、言っちゃ駄目。」

ミシミシ、というかビキッという感じの雑音が姫乃の耳に飛び込んだ。

慌てて受話器を耳から離す。

「わ!な、何?」

『…ゴメン。ちょっと動揺して、受話器握りつぶしかけた。』

「も、もう!駄目だよ壊しちゃ!」

『いや、大丈夫だと思う。うん、大丈夫。聞ーこーえーるーかー?』

「聞こえてるよ。って言うか、声おっきい!」

『ひめのん。』

「何?」

『あの、早く帰ってね。』

「…うん。」

姫乃は「は」と短い息を吐いて受話器を置いた。

日は既に傾ききって、伸びた影が世界を覆う。

窓の外を見ると一面の暗闇。

その闇の向こうに、うたかた荘と、その中で一人食事を摂っているだろう明神を姫乃は想った。

「…で、電話は終わり?」

「うおわっ!?」

声をかけられ振り返ると、曲がり角の先に友人が居た。

「え、え、エッちゃんいつから!?」

「ちゃんとバランス良く食べてね〜って位から。電話貸してくれって言ってから随分長い間戻って来ないんだもん。」

友人の顔は、「うすら笑う」という表現がぴったりな表情をしている。

「な!そ!ずっと聞いてたの!?」

「何?姫乃、何を聞くの?何を直接聞くの!?」

「ちょ、ちょ、ちょ!!!」

ブンブンと手を振りながら、顔を真っ赤にする姫乃。

「大体ね。一泊二日で友人宅に泊まるのに、どうしてアパートの管理人にいちいち電話する訳?」

「だ、だって!明神さんご飯とか言わないとちゃんと食べないし。そ、それに皆がどうしてるか気になるし。」

「あ〜はいはい。帰る?今から帰る?」

「そ、そんな事言わないで!!今日は夜通し喋ろうって約束でしょ!?」

「ふーーーーーん。」

じとりと睨まれ、姫乃はうろたえる。

そう。

今日姫乃は友人エッちゃん宅に泊まりに来ていた。

連休中、エッちゃんの両親は旅行に出かけ、一人で留守番をする事になっていた。

そんな訳で、せっかく家に誰も居ない事だし泊まりに来ないか?という誘いに姫乃は飛びついた。

一晩飲んで騒いで…とは言えジュースとお菓子でだけれど、とにかく楽しく過ごそうと約束をしていた。

姫乃も勿論乗り気で、どの服を着て行こう、お菓子は何を持って行こうと浮かれて準備をしていたら…それを見つめる某管理人の目が、寂しそうだったのだ。

「あ、あの…一泊だからね。」

「うん。」

「で、電話するよ!」

「わかった。」

顔は笑っているのだ。

笑っているのだけれど。

例えるなら、もし明神にフサフサの尻尾が生えていたら。

その尻尾は力なく垂れていて、もし耳がついていたらその耳は両方ともペタリと頭にくっついている。

そういう感じで。

「行って来ますー!」

「いってらっしゃい…。楽しんで来いよ。」

手を振って分かれた時も、何かいけない事をしている様な、酷い事をしている様な気持ちになってしまって居た堪れなかった。

それで先ほど、心配して電話をかけていたという所だったのだが。

「もー信じられない。明神さんって幾つよ!」

「24。」

「解ってます!!こないだ誕生日やったとこでしょ!?」

「え、エッちゃんが聞くから答えたんでしょ!?」

「ハイハイそうでしたね!」

「もう!ちゃんと聞いてって!今日はエッちゃんと一晩中騒ぐの!決めたの!お菓子も買ってきたし、ジュースも用意したし!」

ドシドシと移動しながら話をする。

階段をあがり、廊下を曲がった先が彼女の部屋。

扉の前で姫乃の方を振り返り、腰に手を当て。

もう、仕方がない奴らだと。

「もー、別に私はいいのよ?帰ったら喜ぶんじゃない?私と一晩中騒ぐより、大好きな明神さんと一晩中イチャイチャしたらいいじゃない。」

「なっ…!!!」

言葉が止まった。

時間が止まった。

下から上へ、姫乃が赤くなる。

「………姫乃。やっぱり帰らないで。ちょ、ちょ、ちょっと座りなさい。はい座布団。」

「な、な。」

ぐいぐいと引っ張られて部屋に入れられ、正座をさせられる姫乃。

「実際、あの管理人さんとはどこまで?」

「なひゃ!?」

「逃げるなコラ!言え!正直に洗いざらい吐け!!あー、楽しくなりそうだわ今晩ー!!」

「か、帰るー!!家帰るー!!」

捕らえたら逃がさない。

立ち上がる姫乃の両足を掴んで転ばすと、乗っかって抱きついて締め上げる。

ふはははは、と大声で笑う友人。

叫び声を上げる姫乃。

「言えー!!全部言えー!!初めてキスしたのはいつ?何処で!?」

「嫌ー!!おかーさーん!!」

「ここにお母さんなんて者は居ないー!今家は私とお前、二人だけだー!!」

あははははと笑い声が部屋に響く。

「吐けー!!」

「やー!!ひええええ!!!」

…こうして、夜は更けて行った。








次の日。

夕方になると明神が姫乃を迎えに来た。

「ああ、えっと、買い物のついでと散歩のついでと、後そろそろ暗くなるしなと思って。」

そう言って笑う明神を、友人エッちゃんは鼻で笑った。

その友人の影から、姫乃がにょこりと顔を出す。

心なしか、明神の目にはやつれて見えた。

手を振って別れる時も、友人はうすら笑いを浮かべていた。

明神は、どこか落ち着かない様な不気味な気持ちに襲われた。

帰り道をとぼとぼ歩く。

「…な、なあ。今日エッちゃんおかしくねぇか?」

「…そう、だねえ…。」

姫乃の返事はぎこちない。

24時間ぶりの再会で喜んでいい筈なのに、何か心配で落ち着かない。

「何か様子おかしいぞ。ひめのん喧嘩でもしたか?」

「喧嘩はしてないよ…。」

「そ、そうか?何かこう…。」

「明神さん。」

突然呼びかけられ、明神はドキリとした。

「な、何?」

「…ゴメンなさい…。」

「な、何が…?」

「言えないけど…ゴメンね…。」

「え!何!?すっげー不安になる!!」

慌てる明神と、おんおん泣き出す姫乃。

必死であやして、「買い物」で買ってきたお菓子を手渡し、頭を撫で、最後はくすぐってまでして姫乃を笑わせた。

「あの、何かわっかんねーけど。…オレ気にしないから。」

「うん。ゴメンね。」

「そのゴメンって止めてくれ!!聞かないけど!聞かないけど何があったか気になって心臓に悪ィ!!」

胸を押さえ、心底苦しそうな顔をすると姫乃がくすりと笑った。

それを見て安心する明神。

そっと手を伸ばすと小さな掌に触れた。

自然に指を絡める。

「電話で言ったの、覚えてるか?」

「え?…あ。」

その後一晩、拷問を受けた為に記憶が飛びかけていた。

「あの、続きだよね。」

「うん。」

「じゃあ、直にお願いします。」

「おう。」

「…。」

「…。」

「あれ?」

「直接って、照れるな。」

「もう。」

「好きだ。」

「…言えるじゃない。」

「まあね。大人だから。」

「嘘だ。」

「ホント。」

「嘘。」

「いいよ、嘘っつわれても。」

はははと笑う明神。

再会した途端に強気になるから呆れる。

あれだけ「行かないで」というオーラを出したり、寂しいと言ったり。

あの出かける前の、電話の時の弱々しい声が嘘の様。

会いたい寂しいと言っていた台詞が、自分が帰ってくる様に仕向ける為の芝居なんじゃないだろうかと思う位、今の明神は飄々としていて。

「…時々エッちゃん家、泊まろうかな。」

「なぬ?」

姫乃は悔しいので、時々こうやって苛めてやろうと思った。


あとがき
私の中でエッちゃんがどんどん壊れていっています。
弱肉強食の世界の中で、雪乃ママとエッちゃんは明姫の上に居ると思っています…。
2007.06.04

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