台風一過
何でこんな面倒臭い事になったかなあと、白金は考えた。
考えなくてもわかる事は、これは己のせいでは無いという事だけだった。
自分は被害者である。
どうしてこんな修羅場に付き合わなければならないのか、ため息が出た。
事の始まりは昨日の晩からで、仕事を終えて帰ったら家の中に人が居たのだ。
まあ見知った顔だからいいのだけど、勝手に家に入られるのは頂けない。
というか、鍵はどうしたのだと聞くと「閉まってたけど開けた」と、言う。
鍵がかけられていた玄関の扉は、変にへしゃげていた。
弁償させたいところだけれど、相手が文無しなのも知っている。
またその相手、明神冬悟はやけに機嫌が悪く、あまりいじると噛み付かれそうな雰囲気だったので「後で元に戻しておくように」とだけ伝えておいた。
部屋に居座る冬悟は「おう」とだけ答えると、いつの間にか勝手にレトルトのカレーを開けて食べだした。
やあ面倒臭い事に巻き込まれたぞと、その時嫌な予感がした。
とりあえず開いている部屋に一晩泊めてやるという約束で、夜を明かし次の日。
白金はベッドから起き上がって服を着替えた。
流石にもう出て行っているだろうと思いながら寝室から出ようとすると、扉が開かない。
「?」
少し力を込めて強くドアノブを押すと、かなり重いその扉が少しだけ開いた。
開いた隙間に、何かがつっかえているのが見える。
それが冬悟の背中だと気付いた時、こめかみに少々痛みを感じた。
頭痛なんて久しぶりだった。
そういえば寝相がとてつもなく悪いと、誰かからか聞いたことがある気がしたが、まさかここまでとは。
多分、姫乃からだったと思うけれど、記憶が定かではないという事は、相当飲んでいた時に聞いたのだろう。
だとすれば、冬悟の誕生日を祝いにうたかた荘に集まった時か……。
考えながら、白金は寝汚い冬悟の背中を扉の隙間から蹴飛ばした。
ごろりと転がって冬悟が逃げる。
扉を開けて広めのリビングに出ると、冬悟を泊めてやった部屋の扉が開きっぱなしになっていた。
いつか澪が部屋に来た時の為、と思ってわざわざ余分の部屋を一つ準備していた事が災いした。
澪より先に、男を泊める破目になるとは思いもしなかった。
その部屋も、眠りながら抜け出した様で意味もなかったが……。
「どうやって寝ながら閉まってる扉を開けたんだ」
ひとりごちて、なおも眠り続ける冬悟を起こそうと、白金は冬悟の側にしゃがみ込んだ。
「おーい、冬悟クン。約束通り一日泊めてあげたんだし、そろそろ出ていきたまへ。男を泊める趣味は元々ないんだよね」
やや強めに頬を打つと、目をしかめて冬悟が転がった。
「う……ひめのん、痛てぇ」
寝ぼけた冬悟の幸せな寝言に、白金は正直むかっ腹が立った。
ので、かなり強引に叩き起こし、目覚めた後も自宅に帰る気配を見せない冬悟に、白金は少々キツく理由を話す様に促した。
冬悟は始め、部屋の隅っこで三角座りのまま、拗ねた子供みたいにぶちぶち何か言っていたけれど、言わなければ即追い出すとやや語調を強めて言うと、ぽつぽつと「理由」を語りだした。
聞きながら白金は、こいつ殴っちゃおうかな〜とか考えた。
「……で、姫乃ちゃんと喧嘩して、家出したんだ」
「家出って。オレは不良少年か」
「え、だって家出でしょ?」
「うるせぇ」
「うるせぇじゃない。謝れ。オレに謝れ」
白い頭を捕まえて、拳でグリグリする。
じたばた暴れて逃げようとするのを、白金は目一杯力を入れて押さえ込んだ。
夫婦喧嘩も痴話喧嘩も勝手にしてくれと、白金は思う。
小学生レベルの恋愛のお手伝いをしている暇など、白金にはこれっぽっちも無いのだ。
「いいってぇなあ!!そんなに目一杯力入れなくてもいいだろ!?」
「五月蝿いなァ。とっとと姫乃ちゃんに泣いて土下座して額床にこすり付けて謝って許してもらって、膝枕でも何でもして貰ったらいいだろ?全く、勝手に家に上がりこむわ、扉は壊すわ大迷惑☆」
「オレは悪くねえもん。謝らない」
男がプイっと拗ねてみせても可愛くも何ともない。
澪や姫乃が同じ仕草をしたら、もう仕方ないなあ〜となるだろうけれど、白金にとって、男が拗ねたところで殺意が湧くだけだった。
大体、あんなに可愛い娘を独占しておいて、喧嘩して家出しただの本当に贅沢極まりない。
もし白金が澪と喧嘩をしたら、白金は先ず真っ先に謝って関係を元に戻す。
せっかく心が通いあったのなら、死ぬまでの時間を一時でも無駄にはしたくないと、白金は考えている。
ぶつくさ言う冬悟にテレビを与えると、白金は姫乃に電話をかけた。
冬悟が家にいるよと教えてあげると、姫乃は一瞬怒った様な、悲しい様な複雑な声色で何か言い、けれど電話の相手は冬悟ではないので直ぐに感情を抑え「迎えに行きます」と一言。
「姫乃ちゃん達でも喧嘩する事あるんだね。仲はいいと思ってたけど」
「そりゃ、たまには喧嘩もします。でも、今日と言う今日は、許しません」
そう言って、電話は切れた。
こりゃ、面白い事になりそうだなと考えて、ふと白金は我に返った。
姫乃がここへ来るという事は、ここが台風の目になると言う事だ。
出来の悪い駄犬は、部屋でもうすぐ飼い主が来る事も知らずにだらだらとテレビを眺めている。
いっそ血祭りにして姫乃に同情させ、引き取って貰おうかとも考えた。
その方が時間もかからなさそうだし、何より姫乃が冬悟と喧嘩をするというストレスから開放される。
まあそのせいで、姫乃から酷い奴だと思われるのも御免なのでその案は却下した。
電話をしてから数十分。
駅まで迎えに行った方がいいのかな、と考えだした頃に、チャイムが鳴った。
扉を開けると口をへの字にした姫乃が立っている。
首をぐいと上へ向けて白金を見ると、行儀良くぺこりと頭を下げた。
つられて、白金も頭を下げる。
「誰か来たのか……あ」
「あ、じゃないです。何やってるんですか明神さん。白金さんに迷惑ですよ」
ごもっとも。
「って、何でひめのんが来るんだよ。白金、お前何時の間に」
「白金さんにあたらなくてもいいでしょ?いつまで拗ねてる気ですか」
「出てけって言ったのはひめのんだろ?」
「私の部屋から出て行って、って言ったんです。家出しろなんて言ってません」
「ええと、場外乱闘は困るので、とりあえず姫乃ちゃん入って入って。ね?」
「じゃあ、オレは出る」
「出るな」
白金は冬悟の頭をガシと捕まえた。
「いやいやいや、冬悟君も落ち着いて。せっかく姫乃ちゃんが迎えに来たんだしね、とにかく話し合おう、ね?」
殆ど力尽くで、白金は冬悟を部屋に押し込み、その部屋に姫乃も投入した。
それからお茶だけ置いて、さっさと逃げる。
始め白金は、二人を入れた部屋の扉に背中を預けてボソボソと話す二人の会話に耳を澄ませた。
けれどそのうち、耳を澄ませなくったていいくらい声が大きくなってきたのでその場から逃げた。
「おおお……白熱してるね」
壁際に背をもたれかけさせながら、白金は中の様子を窺った。
自分には関係ないとは思うけれど、気になるものは気になるのだ。
しばらく、冬悟と姫乃は大声で何かを言い合い、それが暫くすると少しづつ小声になりだした。
聞き辛くなったので、壁に耳を当ててみる。
『勝手にいなくなって……皆心配したよ。私だって、心配した。探したよ、あっちこっち。でもいなくて、不安だった』
『そんで、寝てねーのかよ。目、真っ赤にして……馬鹿じゃねーの。ホント、オレがどうかなる訳ねーだろ』
『わかってるけど……』
それから、すすり泣く声。
泣き声は紛れもなく姫乃のもので、流石に白金もそわそわした。
もやもやするけれど、これ以上はと思い耳を壁から放し、テーブルの周りをうろうろした。
二人が部屋に入ってから、45分位経っただろうか。
そっと、部屋の扉が開かれた。
「あ、終った?解決?」
背中を壁から離し、白金は何も知らないフリをして声をかけた。
目を赤くした姫乃がにっこり笑って頷き、冬悟は申し訳なさそうに、というかバツが悪そうに頭を下げた。
「ごめんね、白金さん。いきなりおしかけちゃって。あ、これ冬悟さんが一泊しちゃったし、お礼にと思って……昨日のご飯の残りなんだけど、よかったらどうぞ」
そう言って、姫乃は白金に包みを手渡した。
開くと、中には里芋とごぼうを炊いた煮物が入っていた。
「わぁお☆嬉しいね!ありがとう姫乃ちゃん。ホントしっかりものの……何かできの悪い息子を引き取りに来たお母さんみたいだね」
「うるせーな」
そう言う冬悟の声は、朝のものと比べると格段に頼りない。
もっと反省しろと、白金は思った。
「ま、何を話したかは聞かないけどさ」
車で送っていこうかと一瞬考えたけれど、野暮な事はやめておこうと考えなおした。
部屋を出て行った二人をマンションの上から見下ろすと、しっかりと手を繋いでいる。
ごめんな、と言う様に、冬悟が姫乃の頭をくしゃりと撫でた。
やあ、良かった良かった……じゃない。
ドアの鍵は壊されているし、一日が丸つぶれになってしまった。
「今日は仕事の予定もないし、澪ちゃん誘ってデート☆とか考えてたのになァ」
ぶつくさ言いながら水を一口。
今まで五月蝿かったせいで、部屋が妙に静かに感じた。
嵐の前の、という言葉があるが、今は嵐の後のである。
何となくテーブルの上に置かれた煮物に手を伸ばすと、何だか懐かしい味がした。
「澪ちゃんも、こういうの作ってくれたらいいなあ」
見せ付けられてしまったからか、どうにも人恋しくなってきた。
白金は携帯に手を伸ばし、電話帳を表示させ「湟神澪」を呼び出してみる。
コール音三回。
不機嫌そうな声の、澪が出た。
『何だ』
明らかに声が起き抜けで、どうも今まで澪は眠っていたらしい事が推測された。
昨日仕事だったのか……頭の片隅でちらりとそんな事を考えたけれど、白金は押しで攻めてみた。
「やっほー!澪ちゃんお久しぶり☆元気してたー?」
『……チッ』
「え、何今舌打ち?澪ちゃんちょっと酷くない?自分が用事ある時は晩だろうが朝方だろうが呼び出すクセに〜」
『で、用事は何だ』
「や、さ。今さっき冬悟クンがウチに来ててさ。で、姫乃ちゃんと喧嘩してたみたいなんだけど、オレの取り成しで見事仲直りしてさ。そのお礼にって姫乃ちゃんが煮物持って来てくれたんだよね。美味しいよ〜。澪ちゃん食べに来ない?あ、持って行ってもいいよ」
『へえ。姫乃の煮物か……冬悟と姫乃が喧嘩したって?』
澪の声が、一トーン下がった。
白金はあれ?と思ったが、その時にはもう遅かった。
『冬悟の奴……姫乃と喧嘩しただと?どうせ子供じみた行動か発言でもして姫乃を怒らせたんだろう。あの馬鹿が』
「や。どうだろ……何で喧嘩したかは、冬悟クンが悪いカナ?まあでも仕方ない事だったんだけどね〜。姫乃ちゃんも多分わかってて怒ったんだと思うよ」
『仕方無いもクソもあるか!冬悟はしっかり謝ったんだろうな』
「多分……」
『多分だと?』
「や!だってさ、そう言ったって……えっと姫乃ちゃん泣いてたしさァ、ちょっと聞き辛かったんだよね。二人の事だしあんまり根ホリ葉ホリって良くないでしょ?まあ、それで。そんなコトを語り合いつつ、飲みに来ない?」
『……姫乃が泣いてただと?』
「あ……」
『もういい!私が直に聞きだして制裁を下す!』
ブツっと携帯が切れた。
「ああ……もう……」
ちょっぴり泣きそうになりながら、白金は大家に電話をかけ鍵を直して貰う様手配すると、大急ぎで車に向かった。
このままだと更に大きな嵐に巻き込まれる事になる。
まずうたかた荘に血の雨が降り、それからとばっちりが絶対自分にも飛んでくる。
去ったはずの台風の目を追いかけるのは実にやりたくない行為だったが、白金は被害を最小限にするべく車を走らせた。
あとがき
明姫と、プラ澪……なのですが、どうも男子劣勢な話です。
だいぶ前途中まで書きかけて止まっていたものを完成させました。
ので、季節感が皆無です…正月関係無し!
2008.01.03