スロースタート

ヒメノの村に、雪が降ります。

村は、深い山間にある小さな村です。

冬の間はしんしんと雪が降り積もり、地面も、家の屋根も、道も全て真っ白な絨毯を敷き詰めた様。

冬は長く、春はまだ先。

ヒメノは最近編み物を始めました。

森を抜けた先にある、大きなお屋敷に一人で住んでいるトーゴにマフラーをあげようと思ったのです。

毛糸の色は、冬の空の色。

雪を降らす薄曇り空の灰色ではなくて、その雲の隙間から見える淡い青色。

少し遠出をして、街に出た時にお店で偶然見つけ、すぐにヒメノはトーゴの事を考えました。

そしてそれを思い切って買ったのです。

それから一週間、母親のユキノに編み方を習いながら、ゆっくりゆっくりではありますがマフラーを編んでいます。

暖炉の前に椅子を置き、毛糸を指に絡め、編み針と毛糸を睨みつけ、一目一目数を数えながら…。

「あ、またどんどん細くなってる…!!」

ヒメノがそう言って手を止めました。

力を入れすぎると目が詰まってマフラーの幅が変わってしまいます。

今まで編んでいた部分をしゅるしゅると解いて編み直し。

ため息を吐いて毛糸をくるくると巻き直していると、ユキノがヒメノの頭を優しく撫でました。

「あんまり根詰めたら駄目よ?トーゴさんにあげるんでしょう?ちゃんと気持ちを込めないとね。」

春はまだまだ先なんだからね、とユキノは続けます。

ヒメノは肩の力を抜き、母の方を振り返りお礼を言いました。

「そうだよね。カリカリして作った物より、ゆっくりでもちゃんと気持ちを込めて作った物の方がいいよね。ありがとう、お母さん。」

ユキノは優しく笑うと、暖かいココアを淹れてくれました。

ヒメノはトーゴの為にマフラーを編んでいる事を、皆に内緒にしています。

照れくさいのもあります。

けれどそれより、トーゴをびっくりさせようと思って。

ありがとう、上手だね、と言われたくて。

それから、ヒメノは家に居る事が多くなりました。

いつも元気に村の中を走り回るヒメノが外に出なくなった事を、仲の良い人達は心配します。

どこか悪いのかな?

風邪をひいたんじゃあないだろうか?

時々、村の人達がヒメノの元へお見舞いに来る様になりました。

誰かが家を訪れる度、ヒメノはさっと編みかけのマフラーを隠します。

ヒメノは編み物に夢中で皆が自分を心配している事に全く気が付きませんでした。

それにヒメノ自身はとても元気で、村の人達もヒメノが元気な姿を見ると何も言わずに安心して帰っていったからです。

ですので、ヒメノは最近お客様が多いな、という位にしか考えていませんでした。

毎日トーゴの家に行っていたのが、二日置き、三日置きになっていた事もあまり深く考えていませんでした。

けれどトーゴはそれをとても心配していました。

そしてある日、トーゴはどうしてもヒメノの事が気になって、缶に入ったクッキーと紅茶の葉を持って、ヒメノの家まで向かったのです。

コンコン。

入り口のドアをノックする音が聞こえて、ヒメノは慌てて毛糸と編み掛けのマフラーを紙袋に入れると、それをテーブルの下に隠しました。

「はあい!」

返事をすると、トーゴが扉を開けて入ってきました。

ヒメノはびっくりしました。

今までトーゴの家に沢山行きましたが、トーゴがヒメノの家に来るのはいつもお祭りの時や、何かがある時だけです。

「どうしたの?トーゴさん。」

ヒメノが聞くと、トーゴは心配そうにヒメノを見つめます。

「最近、ヒメノが来ないから、もしかしたら風邪でもひいたんじゃないかと思って…。」

ヒメノはその言葉を聞いて、目をまん丸にしました。

編み物に夢中になって家に篭りがちになっていましたが、まさか風邪をひいたと思われていたなんて。

それと同時に、最近皆がヒメノを訊ねてくる理由をやっと理解したのでした。

「それでかあ!最近ガクさんや、エージ君までお菓子や果物を持ってきてくれて変だなって思ってたの。皆私が風邪をひいたと思ってたんだね。」

理由が解ると、ヒメノはとても申し訳ない気持ちになりました。

けれど、早く編み上げてしまいたくて…。

「ごめんなさい。心配かけちゃって。でも私は元気だよ。」

笑ってみせると、トーゴはホッとした顔をしました。

持ってきたクッキーと紅茶を受け取ると、ヒメノはお茶の準備をしました。

その間も、咄嗟に隠したマフラーをトーゴが見つけてしまうのではないかと気が気ではありません。

楽しく話をしていたのですが、どこか気持ちは上の空。

トーゴは、それに気付くととても不安になりました。

何かヒメノは自分に隠し事をしているのではないのだろうか。

本当はどこか悪いのに、無理をしているのではないのだろうか。

トーゴは思いきってヒメノに聞いてみました。

「ヒメノ、本当にどこも悪くない?」

「本当に元気だよ?どうして?」

トーゴは考え込みます。

本当に、体は何ともなさそうです。

顔色も良く、ちゃんと向き合えばいつも通りに微笑みます。

「何か、心配事とか。…オレに何か隠してない?」

「そ、そんな事ないよ。何も隠したりなんかしてないよ!」

ヒメノはサッと視線を逸らしました。

…ヒメノは元々嘘が苦手です。

トーゴは、ヒメノをじーっと見つめます。

その視線をヒメノは避けます。

避けたヒメノの顔を、トーゴは追います。

追われたヒメノは逆向きに顔を避けます。

トーゴはさらにそれを追います。

机を挟んで二人の追いかけっこは2、3分続きました。

「…ヒメノ!」

まるで子供を叱る様に、トーゴが言いました。

今までトーゴに叱られた事のないヒメノは、驚いてトーゴを見ます。

すると、怒っていると思っていたトーゴの顔がとても心配そうで、ヒメノはとうとう観念しました。

机の下から紙袋を取り出すと、トーゴに差し出します。

「…これは?」

中を覗いて、それが毛糸の塊だと気付くとトーゴはそれをそっと取り出しました。

「…トーゴさんに、マフラーを編もうと思ったの。でも私、編むのが遅くて。」

今度はトーゴが驚きます。

まさかこんな理由でヒメノが家に篭りっきりになっていたなんて。

まだ短いマフラーは、首に巻くことは出来ません。

けれど、いつか完成する事を思うととても楽しみで、とても嬉しい気持ちになりました。

「…楽しみだな。」

トーゴがぽつりと言いました。

それを聞いて、ヒメノは自分が何て馬鹿なんだろうと思いました。

隠さずに、作るから楽しみにしていてね、と言えば良かったと。

そうすれば、出来上がるまでの間、このトーゴの「楽しみだ」という言葉を沢山聞く事が出来たのに。

「まだ上手じゃないけど、きっと素敵なマフラーになるから!」

身を乗り出してヒメノは言いました。

トーゴは笑って、ゆっくりと頷きました。

(ああ、素敵だ。)

嬉しそうに微笑むトーゴを、ヒメノはとても素敵だと思います。

この笑顔を思い出せば、マフラーを編む時だってきっと幸せな気持ちで編む事が出来ます。

ヒメノは何度も何度も頑張るね、と言ってトーゴに笑いかけてもらおうとしました。

沢山微笑んでもらい、それをしっかり覚えておこうと思ったのです。

トーゴも嬉しくて、何度も何度もヒメノに笑いかけました。







お茶の時間も終わり、まだ明るい内にトーゴは家路に着きました。

今日はランプを持って来ていないので、暗くなる前に屋敷に戻ってしまわなければなりません。

村の入り口でヒメノと別れ、トーゴは細い雪道を歩きます。

自分の吐く息も、足元も周りの木々も真っ白です。

トーゴは、森を抜けて坂道を登ったところで村を見下ろしました。

幾つかの家が並ぶ小さな村。

遠くから見えるその姿はオモチャの様。

あの中にヒメノがいるんだ。

トーゴは自然と微笑み、気持ちがまた暖かくなりました。

そして、ふと目を空にやると、雲間から光が差し込みキラキラと輝いています。

トーゴはハッとしました。

その空の色が、さっきヒメノが見せてくれた編みかけのマフラーと良く似た色だったのです。

トーゴは冷たい空気を胸一杯に吸いました。

まるでその空の色さえも吸い込んでしまう様に。

それをゆっくりと吐き出すと、顔を上げもう一度微笑みました。







屋敷の近くまで来た時、見慣れない馬車が近づいて来るのが見えました。

二頭の綺麗な馬に引かせた、立派な馬車です。

こんな所に馬車が通るなんて珍しいと思い、トーゴはその馬車をじっと眺めます。

そして、トーゴの目がその馬車のある部分でピタリと止まりました。

そしてそれを見ると、トーゴは勢い良く踵を返すと、来た道を転がる様に走り出しました。

「ヒメノ、ヒメノ。」

走りながら、トーゴはうわ言の様にヒメノの名前を呼びます。

足がもつれ、転びそうになりながらも懸命に坂道を下ります。

トーゴが見て驚いた物は、馬車に掲げられていた立派な家紋です。

それは、トーゴがいつも親戚の叔父さんに贈り物を貰う時、その荷物にいつも印されている物と全く同じでした。

トーゴは、春までまだまだ先だと思っていました。

叔父さんがもしやって来るとしても、きっと春になってからだろう。

いや、もしかしたら来ないかもしれない。

…来なくてもいいかもしれない。

そう考えていたのです。

目の前に突然現れた現実から、トーゴは必死で逃げました。

一人では恐ろしくて会う事が出来ない。

そう思ったのです。

馬車が追ってくる気配はありません。

ですがトーゴは何かに追われる様に走り続けました。

日が傾きます。

走るトーゴの影が長く伸びます。

村に辿り着くと、トーゴはぜいぜいと肩で息をしながらヒメノの家の扉を開けます。

「わっ!びっくりした!」

ノックもなく扉が開かれ、ヒメノが驚いて入り口を見ました。

すると、帰った筈のトーゴが顔を真っ青にしてそこに立っています。

編みかけのマフラーを机に置き、ヒメノは慌ててトーゴの元へと走りました。

「どうかしたの?大丈夫?」

ヒメノが心配そうに声をかけました。

トーゴは、息も絶え絶えに言葉を紡ぎます。

「お、じさんが…来た。」

「え?」

トーゴは、自分でも自分の声が震えているのがわかりました。

それが寒いからだとか、走ってきたからという理由でない事もわかっていました。

「家の、前に…馬車が…。叔父さんの家の家紋がついてた。」

ヒメノが大きく息を吸い込みます。

そして口に手を当て、信じられないという様な顔をすると、次の瞬間目を細め、口を大きく開くとこう言いました。

「素敵!叔父様本当に来て下さったんだわ!それもまだ冬だっていうのに!」

この言葉を、ヒメノなら言ってくれるとトーゴは信じていました。

そしてその言葉は、トーゴには「もう大丈夫、怖くないよ」と聞こえるのです。

トーゴは胸の中から熱い熱い感情が湧き上がって来るのを感じました。

恐ろしいと思っていた気持ちが消え、とても良い事が起こったと思える様になりました。

…一人で会う勇気はないけれど、それでも走って逃げ出した時の様な、言い様のない恐怖はもうありません。

トーゴはヒメノを抱きしめました。

喉が震え、目の前が歪みました。

ヒメノは、震えるトーゴを優しく抱きしめ返します。

「良かったねえ、トーゴさん。今から会いに行って挨拶しないとね。」

トーゴは返事をしませんでした。

ただ、何度も首を縦に振り、ヒメノを強く抱きしめました。





二人は手を繋ぎ、ゆっくりと雪道を歩きます。

「叔父さん」が一体どんな人なのか、会った時に何を言うのか、言われるのか。

とても緊張して繋いだ手が震えます。

けれど、もう恐ろしいとは思いません。

トーゴは真っ直ぐ、細く白い道の先を見つめました。


あとがき
大変遅くなりました…!!「パラレルで明神に手編みのマフラー(もしくは手袋等)を編む姫乃」です!
こちらのシリーズ、初めは続きを書くつもりではなかったのですが、気が付けばリクなどを頂いてどんどん続いているなんだか幸せなシリーズです(嬉)
今回はどうだったでしょうか…。こちらはリク下さった綾麻さんへ!!ありがとうございましたー!!
2007.02.17

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