睡眠学習
朝、姫乃が学校へ行く為階下へ下りると、いつもの光景が目の前にあった。
人間バリケード・明神冬悟。
白い髪の成人男性が廊下に転がって通せんぼをしている。
明神は、首は少し斜めに曲がり、両手は万歳、両足も放り出した様な体勢で眠りこけている。
姫乃はその明神を踏まない様、壁に背中をくっつけながらぐるっと周りこんで玄関側に辿り着くと、丁度頭の辺りにしゃがみ込んだ。
かあかあといびきをかく明神に、目を覚ます気配はない。
姫乃はそっと、万歳している明神の手に自分の手を添えた。
いつだったか、ぽんと頭に置かれた明神の手は、大きくて筋張っててゴツゴツしている。
上から乗せた姫乃の手から、はみ出して全く隠れない。
姫乃は意識が無い為に重たい明神の腕を両手で掴み、少し屈んでその大きな手のひらを自分の頭の上に乗せた。
そして、いいこいいこと撫でさせる。
「ひめのん、学校頑張れよー。いってらっしゃーい……なんちゃって」
ぼそりと呟くと、ふっと我に返る。
急に恥かしくなって、手を離すと姫乃は勢い良く立ち上がった。
「行って来ます!」
わざと大きな声で言い、大きな音をたてて玄関を開閉すると、明神がうつろな目を少しだけ開けた。
首をもたげて音の発信源を探したら、丁度姫乃の背中が見えなくなる頃だった。
深夜、明神がうたかた荘に戻るとそこに見慣れた光景が広がっていた。
ソファーから覗くぴょんと跳ねたくせっ毛に、毛布からこぼれた小さな手。
そこは小さな地雷原、桶川姫乃。
明神は毎回、そこへ行くと立ち止まってしまうのだ。
「待ってなくていいって言ってんのに」
言いながら、明神の顔は笑っている。
ソファーの側に屈みこむと、眠る姫乃の顔を覗きこんだ。
姫乃の顔に触れようとして、自分の手が薄汚れている事に気が付いて、ごしごしと手を服にこすりつけた。
けれど、そのコートが埃っぽい。
どうやっても綺麗にならない自分の手に、明神はむっとした。
せめて、毛布からはみ出してしまった手を毛布に戻そうと、姫乃のパジャマを汚してしまう事を覚悟して腕を掴んで……。
「……」
その手を、そっと自分の頭に乗せた。
細い姫乃の手首は、たとえ意識が無くても明神は軽々と取り扱える。
撫で撫でと、その手を頭の上で動かした。
「明神さん、おかえりなさい。お仕事頑張ったね……なんちって」
ぼそりと呟くと、ふっと我に返る。
「……変態かオレは」
自分の行為に苦虫を噛み潰した様な顔をして、手を離すと明神は勢い良く立ち上がった。
「ほら、ひめのん。こんなトコで寝ると風邪ひくっていつも言ってんだろー」
「ん……んー。明神さん、帰った……の?」
「おー、帰ったよ。ただいま」
「おかえり」
少しの間、二人の動きが止まった。
姫乃はもしかしたらと明神の手を期待し、明神はひょっとしたらと姫乃の手を期待する。
「え、えへへ……」
「はは……ね、寝る?」
「あ、うん。部屋に戻らないとね」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
ぎこちなく挨拶すると、二人はそれぞれ自分の部屋へと戻っていく。
そして、睡眠学習など全く効果がないものだと、恨めしく自分の手をじっと眺め、ため息を吐いた。
あとがき
四巻の頭ポンを見て、ふっと思いついたネタです。
ひめのんが明神に頭なでられるのをじっと待ってたら可愛いな〜と思ったんですが、同時に明神も待ってたら面白いなと。
2007.01.18