Stigmatized

放課後、友人に誘われて遊びに行った帰りの事だった。

女友達と放課後を過ごすのは何だか久しぶりな気がする。

ショートカットの友人、裕子と二人で買い物に行き、ファーストフード店で時間を忘れてのおしゃべり。

気が付くと日がどんどん傾き今日はお開き、帰る事となった。

「あ、そうだ。」

裕子が何かを思い出した様に言った。

「ねえ姫乃、知ってる?この先の廃ビル、最近出るんだって〜。」

「出る?って何が?」

「そりゃ、お化け?何人もの人がそこで気味の悪い笑い声を聞いたり、人影を見たりしたんだって!」

「へ、へー…。」

何だか嫌な予感がした。

「ねえ姫乃!行ってみない?ちょうど帰り道だしさ!」

「嫌!」

即答で答えると裕子は「えー。」と不満気な声を出した。

「いいじゃん。姫乃って霊感とかある方?」

「え?うん、まあ強い方だと多分思う…。」

まさか「ばっちり見えます!」とは言えない。

「ほんとに!ならなおさら行こうよ!」

「強いから嫌なんだって!」

「姫乃おばけとか信じてるの?」

「何かさっきと言ってる事違う事ない??」

「何かいたら面白いって話をしてるのよ私。」

「面白くないよ!!」

「あ、でも。」

裕子が夕日の方を指差した。

目を細めながらそちらを見ると、二つ道路を挟んだ向こうに夕日に赤く染められたボロボロのビルが建っていた。

「雰囲気あるよね〜。」

裕子は何を感心してるのかうんうんと頷く。

…あれ?

姫乃はそのビルの窓に、人影がちらりと見えた気がした。

「どうかした?」

言われて振り返る。

「え…っと、人影が見えた気がして…。」

「…マジで?」

「や…、やっぱり気のせいかも!ね、帰ろ。」

慌てて否定する。

今の裕子に何かが見えたなんて、好奇心の炎に油を注ぐ様なものだ。

「確かめてみようよ!」

裕子はパン、と手を叩くと姫乃の手を掴んでずんずん歩いていく。

「や、やめとこうよ!よくないって。」

「大丈夫だって!あそこ壁とか殆どとっぱらわれてだだっ広い部屋と階段しか残ってないしさ。何かあったらすぐ逃げれるよ。…怖い?」

「怖い!!」

またも即答する姫乃にあきれた顔をする裕子。

「ユーレイなんかいないって。」

言い切って、立ち止まる。

目の前には黄色いロープと立ち入り禁止の札。

裕子はそれをくぐって中へと進む。

「ねえ!裕ちゃん、やめとこう!」

「姫乃の怖がり〜!じゃあ私ちらっと中見てくるよ?」

「駄目だって!」

びゅう、と風が吹く。

生暖かい、湿って重たい澱んだ風。

「う…わ。」

息苦しさに思わず両肩を抱く。

そうこうしている内にも裕子はビルの中へと進んでいく。

「ああもう!待って!」

放っておくわけにもいかない。

慌てて後を追って中へ入った。

しん、と静まり返ったビルの中。

裕子が言っていた様にビルの中を仕切っていた壁は取り払われ、打ちっぱなしのコンクリートと柱だけが広い空間に残されていた。

電気も通っていない室内に夕日が差し込んでコンクリートが赤く染まる。

「ねえ姫乃〜、人影見たのって何階?」

あっけらかんとして中を見渡す裕子。

「裕ちゃん、かえろ。帰ろう。」

姫乃は裕子の腕を掴むと必死で促す。

「…もう。姫乃怖がりすぎだって。何にもいないじゃん。」

次の瞬間。

上の方の階でドオン、という何か大きな音がした。

「…え?」

ドオン!

もう一度。今度はもっと近くの階で。

どんどんその音は近づいてくる。

ドオン!!

天井が砕け、その穴から瓦礫と共に黒い塊が落ちてくる。

バラバラと散らばる瓦礫を慌てて避ける姫乃と裕子。

「…んにゃろ!!」

瓦礫と共に落ちてきた黒い塊は、姫乃にはとても縁の深い人物。

「て、天井から、人が…。」

呆然とする裕子。

どこかで見たことがある気がする。

「明神さん!!」

姫乃が叫ぶ。

黒いコート。夕日を浴びて赤く染まる。

白い髪。

サングラス。

確か入学式の時に来てた姫乃のアパートの「管理人」さん。

しかしこんな所でどうして天井から?一体全体何者かと考える隙もなく、その「明神さん」が目を見開き驚いた顔でこちらを、姫乃を見る。

(どうして)と口が動いた気がした。

ドン、と大きな音がして、気が付くとその「明神さん」が目の前から消えた。

「・・・え?」

反射的に振り返ると、「明神さん」は凄い勢いで宙を舞い、柱に激突して床に転がった。

「え?な、何?何で?」

一体何が起こったのか、さっぱりわからない。

「明神さん!!っ…裕子!!」

姫乃が叫ぶ。

姫乃は裕子の方へ走ると、何かから庇う様に裕子の前に立つ。

「なにすんのよ!!」

叫んで、鞄を大きく振り上げる。

姫乃、何で?そこにはなにもないじゃない!!

バシン!

今度は姫乃が、何かに弾かれる様に吹き飛ぶと裕子の足元を通り越して転がっていく。

うつ伏せの姿勢のまま止まると、そのまま動かなくなる。

「姫乃?姫乃?」

訳がわからない、という恐怖に息が苦しくなる。

体が鉛の様に重く、硬くなる。

よろりと足を姫乃の方へ向けると、「何か」が横をすれ違った。

「…え?」

何も見えない。

けれど確かに何かが裕子のすぐ横を通り過ぎた。

何か、大きな。そして恐ろしいモノが。

冷たい汗が、全身から溢れてくる。

日が傾き部屋が少しづつ暗くなり、柱や窓枠の影が部屋に伸びる。

「…いや。」

姫乃の体が少しづつ持ち上がる。

両手と首はだらんと力なく垂れていて、まるで何かに制服の襟をつかまれている様な体勢で宙に浮かぶ。

日が落ちる。

部屋は闇に包まれた。

その瞬間、裕子の目に信じられないモノが映った。

一階の天井に届きそうな程の大きな体。

胴体と頭が繋がった様な寸胴の体に細長い手足。

そのくせ、その細い手足に繋がれた拳と足は異常に大きい。

その大きく節くれだった指が制服の襟を摘まんで姫乃の体を持ち上げている。

『オイシソウな、魂。』

声が聞こえた。

地の底から聞こえてくる様な、低い、重い声。

姫乃、姫乃が。

頭が混乱して、今起こっている事が理解できない。

化け物が、あ…と口を大きく開け、姫乃を食べようとする。

自分でも聞いた事がない様な甲高い悲鳴が裕子の口から飛び出した。

「姫乃おおおお!!!!」




迂闊だった。

まさか仕事中に姫乃と出くわすなんて全く予想していなかったにしても、隙が出来すぎた。

とっさに腕でガードはしたけれどそのまま体ごと引っこ抜かれる様に吹っ飛ばされた。

背中やら頭やらがギシギシと痛む。

体を起こして立ちあがろうとすると膝がガクンと折れる。

頭を振って目を閉じる。

ガタはきているけれど、ガードに使った右腕は動く。折れてはいない。

少し痺れているけれど大した問題ではない。

両足も動く。

全身の調子を確認するとゆっくりと息を吐いて目を開ける。

この間数秒。

口の中に血の味がしてそれを吐き出す。

少し、頭がすっきりしてきた。

前髪が血に濡れて顔に張り付くのが鬱陶しい。

それをフッと吹いて揺らすとぼやけていた視界も少しづつ戻ってくる。

その目に、明神を殴り飛ばした陰魄と、その陰魄の腕にぶら下げられた姫乃が目に飛び込んだ。

う、わあ!!!

「姫乃おおおおお!!!!」

ちょうど、明神の声と裕子の声が重なった。

明神は床を蹴って陰魄との間合いを一気に縮める。

姫乃を摘まみ高く持ち上げた腕を横から切り落とす。

その手から姫乃をもぎ取ると、左足を高く持ち上げ刈り落とす様な蹴りを叩き込む。

陰魄は地面に一度バウンドするとゴロゴロと転がって柱にぶつかる。

宙に放り出された腕は裕子の足元でバタバタともがいて、止まった。

「ひっ…!!」

喉の奥で音が鳴った。

頭を抱え、蹲る。

こんな事が、あるなんて。

今確かに、ここはきっと自分が今まで生きて、知っている世界ではない。

そう思った。

足音がして、恐る恐る目を開けると目の前に誰かが立っている。

首を持ち上げると姫乃が明神と呼んだ男が、姫乃を抱えて立っていた。

「…立てる?」

低い声。

裕子の目には、黒いコートを羽織り、白い髪を血に染めた明神が悪魔の様に映る。

「むり…。あ、足が震えて、立てない。」

そう言った裕子に、明神はずい、と姫乃を差し出す。

「連れて逃げろ。ここから離れてくれ。」

「嫌…無理よ。」

「頼む。」

「近寄らないで!!」

言ってしまってから、裕子は明神を恐る恐る見上げる。

怒った顔を想像していたけれど、明神は「困ったな」とでも言いたげな顔をしていた。

「大丈夫、オレ一応人間だし…。アイツはちゃんとやっつけるから。」

「な、何でそんな…。あなただって血だらけで。大体、どうしてそんな風になって生きてられるの?」

ポリポリと頬を掻く明神。

こういう事は慣れてはいるけれど久々だ、と何だか他人事の様に思う。

「まあ、人より丈夫だから…かな?」

言いながら、チラリと陰魄の方を伺う明神。

ブルブルと震えながら、残った方の大きな手を床にドン、とつく。

立ち上がる気だ。

「時間がない。頼む。」

無理やり姫乃の体を裕子に預ける明神。

「…姫乃。」

手渡された姫乃を放り出す事はできない。

意識のない姫乃はぐったりと裕子の体にのしかかる。

裕子はしっかりと姫乃を抱きしめる。

明神は緩んだ黄布をスルスルと外すと、意識を失った姫乃に握らせる。

「ひめのん、ごめん。ごめん。ごめん。」

泣きそうな顔をして、何度も謝る。

手を握って、ぐっ…と強く目を瞑る。

裕子はそれを見て、このヒトは、人ではないかもしれないけれど、恐ろしいものではないと感じた。

明神は「ハッ!」と鋭く息を吐くと陰魄の方へ向き直る。

陰魄はブリッジの様な体勢で起き上がるとゆっくりと顔を明神達の方へと向ける。

明神は腰にぶら下げた鞄から新しい黄布を取り出すと、しっかりと右拳に巻き直す。

「まぐれが一発当たったくらいでいい気になんなよ。」

ぐるん、と腕を回しながら陰魄との距離を詰める。

一見、ずかずかと近づいている様に見えるけれど、間合いを計りながら慎重に近づいている。

裕子はその背中を見ながら、姫乃を抱えて移動する。

意識がない人間は普段よりずっと重くなる。

引きずる様な格好で入り口を目指した。

外に出て、入る時にくぐってきた黄色いロープを見つけると、裕子はへなへなとその場に座り込んだ。

「…大丈夫、よね?」

姫乃と、ビルの中を交互に見ながらそう呟いた。




いい加減己の未熟さが身に染みる。

大きく振りかぶった腕を屈んでかわし、床を蹴って陰魄の背後に回りこむ。

何の為に「明神」を名乗っているのか。

本調子ではない右拳を握りこみ、一発、背中に打ち込むと陰魄はそれを飛んでかわし、びたりと天井に張り付く。

もう失くさない様、あれ程強く誓ったのに。

空振りした腕がビリビリと痺れ、一瞬眉をしかめる。陰魄が明神めがけ、大きく口を開け降ってくる。

何の為に流した涙か。

ドン、と音がして床が、部屋全体が大きく揺れる。

陰魄が、押しつぶしたであろう明神を確認しようと床に手をつく。

その時。

「剄櫻。」

陰魄の体の下で、声がする。

陰魄の体がボコボコ、と音を立てていびつに膨らむ。

「い゛い゛い゛…!!!」

「BOMB!」

めり込んだ床に寝そべる形で、明神が右腕を伸ばす。

陰魄は弾けると、幾つかの光の泡となって宙に消えた。

その光は真っ暗なビルを淡く照らす。

姫乃がうっすらと目を開く。

裕子の腕の中で首をぎこちなく動かし、その柔らかい光をぼんやりと見つめた。




むっくりと、体を起こす明神。

首を傾けるとボキボキと音がなる。

「ひでぇザマ。」

呟いて、前髪をふっと吹いて揺らす。

勢いをつけて立ち上がると、ひょこひょこ足を引きずって入り口へと向かう。

「明神さん!」

声がして、驚いてその声の方を見る。

入り口から姫乃と裕子が走ってくる。

「ばっ!!!ひめのん走るな!!頭ぶつけたんだろ!?」

慌ててがっしりと両肩を掴むと、わしわしと頭を触って傷を探す。

「いたたあたっ!明神さんそこたんこぶできて…イタタ、痛い!」

「何でこんなとこ入ってきた!アブねえだろ!!」

「あの、私が…。」

轟々と姫乃をしかる明神に、裕子が割ってはいる。

「ごめんなさい。私が面白そうだから来てみようって。姫乃は嫌がってたのに無理やり…。」

「む…。」

あまり慣れていない相手、姫乃の友人にして今回に関しては巻き込んだ形になるので裕子には強く言いづらい。

「よかったあ…。」

姫乃がふにゃりと顔を崩す。

「明神さん起きてこなかったから、私もう心配で…。」

「そりゃこっちの台詞だ!…明日病院行って精密検査する様に。」

「ええー!じゃあ明神さんも。」

「オレはいいの!自分で治すから。」

強く押されてブウブウ言う姫乃。

明神ははああ、と大きく息を吐き出す。

「…死ぬほど、心配した。またなくなるかと思った。」

息と一緒に言葉も吐き出すと、ずるずると姫乃によりかかる。

「…ごめんなさい。」

素直に、姫乃は謝った。

明日は大人しく病院に行こう。そう思う。

「あの、私も、ごめんなさい。」

裕子がぺこりと頭を下げる。

「…酷い事言っちゃって。」

その「酷い事」が何か思い出せず暫く悩んだ後、ああ、と手を叩く明神。

「気にすんなって。ひめのんだって初めて会ったとき痴漢呼ばわりしたし。」

「あ!あれは後でちゃんと謝ったでしょ!?」

「あーゆーの、けっこう傷つくんだよ〜?もうなれたけど。」

「なれたとか、言わないでよね!」

姫乃は他人の事で直ぐ怒る。

何だか可笑しくて思わず笑う明神。

つられて笑う裕子。

「ど、どうして二人で笑うかな!?」

暫く怒っていた姫乃も、いつか一緒に笑い出す。

皆無事でよかった。そう言って。

姫乃が笑うと、大きく残った心の傷が少しづつ塞がる、明神はそんな気がした。

こうやって一緒に笑い合っていければ、いつか乗り越えられるのか、そんな事を考えた。




数日後。

放課後の学校。

「やっぱり見えたのあの時だけみたい。あれから墓地とか夜の学校とか行ってみたんだけど…。」

裕子があっけらかんとこう言った。

「…裕ちゃんってさ、懲りないよね…。」

姫乃は病院に行って検査を済まし、何の問題もなかったものの、傷があった為に頭に包帯を巻いている。

「どうして?幽霊が見えるなんて面白そうじゃない!」

目をキラキラ輝かせて拳をぐっとにぎる。

…駄目だ。ちょっとやそっと怖い思いをしたところでびくともしない。

まあそこがいいところでもあるんだけど…。

そんな事を姫乃が考えていると、くるりと裕子が向き直る。

「それにさ、明神さんって結構カッコいいしね。」

その言葉に。姫乃はくらりと眩暈を覚える。

「嘘だって!!姫乃の明神さんを取ったりしないって。」

あっはは、と大きな声で笑う裕子。

「べ、別に私のとかそんなんじゃないもん!」

「何言ってるの。顔真っ青になってたよ姫乃。」

「違うって!!」

…前言撤回。

裕ちゃんって、ほんっとーに意地悪!!

姫乃は、笑いながら逃げていく裕子の後を追いかけた。


あとがき
な…長っ!!
このリクを頂いたとき、これはガッツリとバトルを書きたいと思ったんですが、予想以上に長くなりました。
長い文は書きなれていないのでどんな出来か不安ですが、楽しんでいただければ。ハセ戦前のイメージです。
こちらはリク下さった灯さんへ。有難う御座いました!
2006.11.21

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