白雪姫
「明神さーん、ちょっと、お願い!」
声がしたのは洗面所から。
「へーい。」と返事をすると明神は足を声のした方へと向けた。
「どした?」
ひょい、と顔を覗きこませると、姫乃が何かを手にしたまま鏡とにらめっこをしている。
「あ、明神さん。ゴメン〜、これ塗って欲しいの。」
「何?」
そう言って、明神は手渡されたそれに目を落とす。
あまり見慣れないそれは、口紅の試供品のパレットと、紅筆だった。
「…何コレ?絵の具?」
「違う!」
明神からすれば、口紅とはリップ状のもので、こんな形はしていない。
「薬局でもらった口紅の試供品。友達に貰ったんだけど、自分で上手く塗れないんだ〜。すぐはみ出しちゃって。」
そう言う姫乃の手元には赤く染まったティッシュがくしゃくしゃに丸められ、転がっている。
「こんなのあんまりしないって言ったんだけど、一度つけてみろって友達が…。」
「ふーん。最近の口紅って変わった形してるんだな。」
まじまじとパレットを見ながら明神が言う。
「試供品だからね。じゃあ、お願いします。」
そう言うと姫乃は顔を明神の方へ向け、首をくい、と持ち上げる。
自然と、目を閉じる。
「あ、色は明神さんが好きなのにしてね。」
言われて、8色の丸い赤が並ぶパレットに目をやる。
明神が選んだのは3番のROSE。
小さな筆を大きな手でつまむと、チョイチョイと色をつける。
それを悪戦苦闘しながら姫乃の唇に塗っていく。
「できた?」
「…もー、ちょい。あ、動くな。」
「ごめん。」
暫くして。
「よし。完成!」
「ありがとう〜!」
ばら色の唇が、笑う。
ペコリと頭を下げると鏡を食い入る様に見る姫乃。
「これ、どの色?」
「三番のやつ。」
「そっか〜。どうかな?似合う?」
「うん。まあ。」
「でもこれ、学校にはつけていけないよねえ。」
「そだなあ。」
「化粧してる子もいるけど、私化粧品買う余裕もないしね〜。」
「そっか〜。」
「出かける時くらいかな。使わないのも、もったいないよね。」
「そりゃそうだよ。」
「でも化粧栄えする顔じゃないしなあ。」
「うーん、困ったな。」
「口紅だけあっても、だしね。」
「そうだね。じゃあ、ひめのん。オレ戻るよ?」
「あ、うん。わかったありがとう。」
スタスタと管理人室に戻る明神。
「…もうちょっと位、褒めてくれてもいいのになあ。」
鏡の前で、姫乃が呟いた。
一方、管理人室。
ドアを閉じた途端に明神はバタリと倒れこむ。
心臓を押さえ、ぶはあ、と大きく息を吸い込む。
今まで、呼吸をする事を忘れていた。
よく耐えた、オレ!
己を激励しながら床を転がる。
何だアレ!何だアレ!
頭から目を閉じ、唇を己に向ける姫乃の顔が焼きついて離れない。
まるで、キスを待つ様な。
ぐああ、と呻いて頭を掻き毟る。
良く我慢したもんだと思う。
筆を持つ手が震えた。
最後の会話、殆ど脊椎反射で答えていた。
まともな会話になっていたかどうかも疑わしい。
「もうやらねー。もう無理!」
叫んで、大きく腕を振ると、本棚にそれがぶち当たる。
「いってえ!!」
明神の上に、バサバサと本や巻き物なんかが大量に落下する。
「…厄日だ。」
落ちてきた物の下で明神が呟く。
「綺麗」だった。
驚いた。
心が震えた。
そのまま、ぼんやりと天井を眺める。
「白雪姫みたいだ。」
髪は漆黒。
白い肌に。
バラの唇。
駄目だ駄目だ!!
「明神さん?」
ビクっと、明神の肩が震える。
やや遠慮がちに、ドアが開く。
「大丈夫?何か物凄く大きな音がしたんだけど…。」
ああもう。
今日は本当に厄日だ。
もう一度、明神の呼吸が止まった。
あとがき
己のネーミングセンスのなさに脱帽しながらも、大人な明神さん内心マダオって、どこが大人!?
すみません。全開でマダオでした。白雪姫がばら色なんは口じゃなくて頬っぺただよ?という突っ込みは受付ませ…。ぐふ。
こちらはリク下さった亜弓さんへ!ありがとうございました〜!!
2006.12.12