知らない横顔

「おはよう!エッちゃん!」

「おはようじゃない、この不良娘。この二日間何してた?」

悶々とした二日間が終わり、次の日には何事もなかったかのように友人は現れた。

友人、姫乃は私を追いかける様に後ろから現れて、眠たそうに目を擦っている。

最近、良く眠そうにしているのは一体どうした事か。

教室へと続く廊下を並んで歩く。

教室へ続く廊下は、沢山の笑い声や話し声で溢れていた。

「で?どこで何してたの?」

「えへへ。」

「笑って誤魔化さない。ホントは聞いて欲しくて喉まで出掛かってんじゃないの?」

そう突っ込むと、姫乃はパカと口を開いた。

「う〜。エッちゃんだから言うんだからね。コレ、秘密ね秘密!」

人差し指を口に当て、姫乃の口が、あのねの「あ」の口になった途端、チャイムの音が響き渡る。

ああ、そういや私達、遅刻間際だっけ。

「走るよ!」

「わ、わかった!」

教室はすぐ目の前に見えている。

私達が教室に滑り込むのと、チャイムが鳴り終わるのはほぼ同時だった。

自分の席へと走る途中、クラスメイトが姫乃に「どうしたの?」と声をかけ、それに対して姫乃は「風邪ひいて…。」とかウソ見え見えの台詞を吐いていた。

だから、あんた嘘が顔に出るタイプなんだってば。

ふー、とため息吐きながら椅子に座る。

ギリギリセーフで先生が教室に現れ、出席を取り出した。

姫乃の席は、私の斜め前。

長く髪が、さらっと揺れて、姫乃がこちらをチラリと見た。

『危なかったね。』

声に出さず、姫乃がそう言い、私は『前見ろ。』と答えた。

姫乃が手を振って前を向くと、目の前に、先生がズンと立っている。

「桶川、いるなら返事しろ。」

「うはっ!す、すみません!!」

二日間無断で学校を休んだ、一見優等生な姫乃に先生のきびしー視線が突き刺さる。

放課後職員室に来る様に、と念押しして言いつけられ、姫乃は椅子の上で小さくなっていた。

……だから前向けって言ったんだって。





長くてつまんない授業が終わって、やっとこ昼休み。

実のトコ、姫乃の話が気になって授業どころじゃなかったんだけど。

話を聞くにしても十分の休憩じゃ足りないと思ったんで、休み時間に姫乃の話を聞くのはやめにしておいた。

話を聞き終わらずに途中途中聞かされる方がかえって気になるし。

昼休みになった途端、私は誰にも話を聞かれない様、屋上へと姫乃を連れてダッシュした。

ほらほら、と手を引っ張って。

初夏の昼休み、日差しの厳しい屋上でご飯を食べようなんて物好きはそうそう居ない。

日が高い今は、アスファルトの熱と日差しから身を隠す日陰も本当に小さいものしかない。

私達は、とりあえずその日陰に身を縮こませて避難すると、お互いそれぞれ弁当を開いた。

姫乃は自分の弁当を自分で作ってくるらしいんだけど、私には到底真似出来ないなと感心する。

それをウチのお母さんに言ったら、ちょっとは見習えって言われたけど、こんな素敵弁当私には作れない。

私は箸を滑らかに動かすと、姫乃の弁当箱からおかずを奪い取った。

「あ!」

「ノートの貸しは、これでチャラね。」

「も〜…いいけどさ。」

もぐもぐと口を動かす私。

うん、美味しい。

「それで?何があったの?」

「えっとね…。」

姫乃が、ちょっと信じられない二日間の話をしてくれた。

タイトルを付けるなら 「うたかた荘危機一髪」

ハセって名前の悪い幽霊が明神さんを狙ってやって来た事。

その明神さんが、昔の事を話してくれた事(個人的な事だから、何があったかはかいつまんでしか教えてくれなかった。まあそれはいい。)

朝方までかかった戦いと、その結末と。

「でね、明神さん凄いんだよ!何かブワーッとなって、ピカーって光って、そしたらゴーってなって。」

「姫乃、擬音で話さない。訳わかんないよ。」

「ああうん。うんと…とにかく凄かった!」

なんじゃそりゃ。

「ふうん。」

その辺りの詳しい描写は、聞いても良くわからなそうだったので聞くのも止めておく事にした。

曖昧に相槌打つ私と、ちょっと興奮気味の姫乃と。

全て話し終えると、姫乃は一息吐いて、ジュースを飲んだ。

「それで寝不足で、昨日も休んだから二日お休み、という訳か。」

「ハイ…。昨日は完全に寝過ごして…。明神さんも大怪我してたし、看病したり、色々ね。」

それで眠そうな訳だ。

「あ、明神さんはいいから寝ろって言ったんだよ?でも私が心配して、起きてただけだからね。」

「…なんでそこで姫乃が明神さんのフォローをするかな?」

「だってエッちゃん、明神さんにみょーに厳しいんだもん。」

プウと頬を膨らます姫乃。

これだから、鈍いと思わせといて、姫乃は。

「そう〜?別にそんな気ないけど。ただちょっと頼んないなと思ってるだけで。」

「ほら、厳しいじゃん。」

拗ねる様に言うと、姫乃は日陰になってくれている壁に、どっかともたれかかった。

私は、ちょっとだけ笑って、同じ様に壁にもたれて一緒に空を見た。

「…明神さんがね、痛いって言ったの。」

「ん?」

「看病してる時ね。初めて。痛いとか。苦しいとか。ごめんとか。ありがとうとか。弱音聞いたの、初めて。」

私は姫乃を見た。

同じ風景を見ている筈の姫乃は、ここじゃない何かを見ていた。

多分、姫乃が聞いた明神さんの過去を見てるんだろう。

「びっくりしちゃった。でも、嬉しかった。」

姫乃が空を見上げたまま笑った。

その横顔は、私の知らない横顔だった。

私は、私の姫乃に対する認識不足を自覚した。

二日前、姫乃が明神さんの事を好きだとからかった時、姫乃は必死で否定した。

あれは本当だったんだ。

あの時はまだ、姫乃は明神さんの事が「好き」じゃなかったんだ。

憧れはあった。

だから、好きだったのは間違いないけど、多分恋したのは昨日だ。

「姫乃、明神さんの事、好き?」

「え?」

姫乃は二日前と同じ様に顔を赤くして、手をパタパタと振って、ついでに首も振って。

「いや、あの、何でそんな…………う、うん。すき…かな。」

「そっかあ。」

こちらを見ない様にしながら頷いた姫乃の顔を、私は不思議な気持ちで見つめていた。

姫乃が幸せになればいいと心底思いながら、あの白髪頭を殴りたいなと考えた。

くそう。

せめてアイツが申し分ない位完膚なきまでに隙の無い奴だったら良かったのに。

例えば大金持ちで、真面目で、働き者で、嘘吐かなくて…って、こんな人間いないか。

でもさ、やっぱ心配でしょ?

娘持った親の気持ちに近いのか?コレ。

膝を抱えてため息吐く姫乃の頬が赤い。

うう。

明神さんに何があったのか、何に姫乃がそんなに心を動かされたのか、一番聞きたいトコが聞けないんじゃ気になるじゃないか。

何となくその頭をぐりぐりと撫でてやると、コロンと転がってもたれてきた。

「姫乃、暑い。」

「そう言わず。エッちゃん、私どうしよっか。」

「とりあえず。……定職についてもらえば?」

「もう。そんな事聞いてません。」

「案内屋って儲からないの?」

「さあ。危険な仕事だし、報酬がないのは可哀想なんだけどね。」

可哀想ときた。

カッコいい、頼りになる。

生活習慣がだらしないのは聞いてたけど、姫乃が語る明神さん像はどっちかというとコッチだった。

「…明日から、ご飯作ってあげようかな。体もまだ治ってないみたいだし。」

恐るべし、母性本能。

ちらっと見せられた弱さに落とされたのか!?

「えーと、姫乃。」

「ん?」

「イキナリ、どうしたの?何でそんなにフォーリンラブ?」

姫乃はむ、と腕を組んだ。

その仕草の似合わなさ具合が面白い。

「…明神さんの、ホントを教えてくれて、それで…そう。教えてくれた事も弱いトコ見せてくれた事も嬉しかったんだけどね。」

「うん。」

「その後ね、色々終わった後、こう、にこって。ガツーンって。」

また擬音か。

姫乃は拳を、私の方へと突き出した。

何?殴られたのか?

「何考えてるかわからなかった人がね、急に、わかりやすくなっちゃったの。ちょっとした仕草とかでも、あ、今痛いのかなとか、しんどいのかな、とか。逆にね、こうしたら嬉しいのかなとか、あ、今本当に楽しいんだとか。わかっちゃった。」

むう。

姫乃の背中に後光が見える。

悟りを開いた女の子は、本当に神々しい。

「何というか…開き直ったね。」

「…えへ。」

「いいけどね。放課後、何て言い訳する?」

「う。」

「そんな顔しない。」

「エッちゃんも一緒に謝って?」

「何言ってんの!」

終わるまで待っててあげるから、と言うと、姫乃は拝む様に手を合わせた。

私は、腕組んでウンウンと頷いてみせる。

ずるい話、私はこうやって、姫乃を独り占めしたいのかもしれない。

いつも通り、ちょっと困った顔をする姫乃の顔に、何となく安心してしまった。





放課後。

散々絞られて、職員室から干物になって出てきた姫乃を私は迎えた。

本当、もう、すみませんとうわごとの様に言う姫乃に、暫く大人しくしとけと言っておいた。

その帰り道。

道の向こう側からちょっと足を引きずる様に、あの白い頭が現れた。

先に見つけたのは私。

大怪我をしたと聞いていたけど、パッと見わかる怪我はない。

ちょっと体を庇いながら歩いている気配はあるけれど、それでも話に聞いた怪我をしたとしたら、歩ける筈はない。

やっぱこの人、おかしいわ。

「明神さん!」

一瞬遅れて姫乃が反応する。

子犬みたいに走ってく。

「今日は遅いみたいだから、もしかしたら怒られてんのかな〜って、思って。」

頭を掻きながら何かに言い訳するこの男の印象がいつもと違うのは、あのサングラスをしていないせいだろうか。

むう。

いつもの軽薄な面がちょっとはマシに見える。

サングラスってやつは、見ようによってはカッコいいけど、どうにも軽く見えたりもするもんだ。

…この時の私は、あのサングラスの由縁なんて知りもしないしね。

「えっと、エッちゃんだっけ?」

「あ、はい?」

いきなり話を振るな。

びっくりすんでしょ。

「ごめんなあ、びっくりしただろ。えっと、連絡取れないなんて事、これからはない様に管理人として…。」

「ああ。いいですよ。別に気にしてないですし。無断欠席させるのはどうかと思いますけど。」

意識しなくても、声がツンケンしてしまう。

「そだな。気をつける。」

それでも笑って返す白髪頭。

思わず、怪我大丈夫ですか、何て言ってしまったじゃないか。

ずっとわき腹を押さえてるのが気になってしまったから。

痛いなら無理して出てこなきゃいいのに。

ここから私の家と、姫乃達のアパートは真逆になる。

このポイントを狙ってた訳じゃないだろな。

手を振って分かれて、また明日って。

振り返るとなにやら話をしながら歩いて帰っている二人。

なにやら謝る様な仕草をする明神さんと、その明神さんの体を気遣う素振りを見せる姫乃と。

…て、手ぇとか握るんじゃないでしょね。

昨日の今日のでそこまで進展してたら、私も流石に腰抜かすぞ。

…笑い合う二人の顔も、私の見た事ない顔だ。

それから私は振り返らず、真っ直ぐ家まで走って帰った。

不覚にも、お似合いじゃないかなんて、ちょっとでも思ったのが悔しかったのだ。


あとがき
エッちゃんVS明神(一方的な)第二段。
何もしてないけど明神優勢です。
2007.09.22

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