知らないふりはもうできない

姫乃が学校に着き下駄箱を開けると、靴に触れる前に「カサリ」と何かが音を立てた。

慣れない感触に驚いて一度手を引っ込める。

「あれ?」

普段意識して中を見ない靴箱の中には、白い封筒が一つ。

「えっと…これは…。」

つまり、ラブレターなるものが入っていた。




ただいま、と姫乃が帰ってきた。

いつもより少し遅めの帰宅で気にはなったけれど、まさか毎日帰ってくる時間をチェックしているなんて言えないし、オレは「おかえり」とだけ返しておく。

姫乃はこちらを向くと、何か言いたげな顔をしていたけれど、困ったように笑って頷くと二階の自分の部屋に戻って行った。

今日の「仕事」は夕方までにカタがついたのでこれから出かける用事はない。

「ひめのん、オレ今日は仕事ないし晩飯ゆっくりでいいよ〜。」

階下から声をかけてみる。

「わかった。」

一言だけ返ってきた。

今日は何かあったのだろうか。

普段はいつも学校から帰ってくるとにこにこしながら今日あった事なんかをよく話す。

何も言わずに部屋にこもるなんて事はあまりない。

こういう日は、大体後で聞いてみると嫌な事や辛い事があったとぽつぽつと話してくれる。

きっと本当は聞いて欲しいんだろうな、と考えながら階段を上った。

コンコン、とノックをすると中でガサガサと音がする。

あれ…?

「は、はい!いいですよ。」

「ひめのん、お邪魔。今いいか?」

「う、うん。何?ご飯?」

こういう返事が返ってくると何だか情けない。

「いやご飯じゃなくてね。ひめのん今日何かあった?元気ないみたいだけど。」

「え?」

え?じゃないっての。

そんな顔してりゃ誰でも気付くよひめのん。

「オレで良かったら聞くけど。何かあった?」

こういうやりとりはもう何回目かになる。

意識はしていなくても、多分こう言ってくるのもわかってるだろうし、待ってるんだろうとも思う。

こういう時は「相談できる年上の男性」をしっかり演じて、普段の汚名を挽回しよう。

「えっと…。」

下を向いて、モジモジと手の指を何度も組み直す。

これもいつものしぐさ。

そのうち、「えっとね。」と口を開く。

「…なんでもない。」

あれ。

「え?」

思わず、間抜けな声を出してしまった。

出会って間もない頃はこう言われてかわされる事もあったけど、最近は百発百中の確立だったのに。

というか、オレに言えない悩みって何!?

「うん。ありがとう。大丈夫だから。」

そう言ってこの話を切ろうとする。

待って待って。

逆に気になるっての!

「えっと、オレには言えない…かな?」

オレはだんだん弱気になる。

姫乃はまた下を向いてしまい、口を噤んでしまう。

やべえ。変な汗出てきた…。

信頼されているのが当たり前で、それに慣れすぎていた。

拒絶されるのがこんなに堪えるなんて。

…姫乃も黙っているけれど、こっちも言葉が出てこない。

どれくらいこうやって黙ったまま突っ立ってたか忘れてしまう。

姫乃がちらりと時計を見た。

「どうかした?」

今はどんな小さなきっかけも何かが動き出す合図になる。

「…。」

姫乃はこちらを見て、もう一度下を見て、大きなため息をついた。

「やっぱり、明神さんには黙ってられないね。」

そう言うと、鞄からガサガサと何か取り出す。

手渡されたそれは、四角い封筒。

特に何の変哲もない白くてタダの封筒だけど、あまり綺麗とは言えない字で、

「桶川姫乃様」

と書かれている。

「えっと、何コレ?」

姫乃が何か伝えようとしてくれた事で少し「大人の」余裕が戻ってくる。

情けない話だが、この小さな女の子が相手だとどうも調子が狂ってしまう。

「今日ね、学校に行ったら靴箱に入ってたの。」

「…読んでいい?」

「あ、それは駄目!」

ぱっと手紙を取り上げられる。

恥ずかしそうに、顔を真っ赤にして。

ドキリとする。

さっきとは違う汗が出てきた。

「えっと…つまり。ラブレタア?」

こくりと頷く。

…これは予想していなかった。

というか、精神的ダメージがでかい。

どこの誰だコンニャロウと思うけれど、姫乃がどうしたいかが一番気になる。

何だコレ。

やたら喉が渇く。

「…それで、何を悩んでるの?もしかして、こう付き合ったりとかすんの?」

「そ、それはないよ!隣のクラスの人で、顔は知ってるけどあんまり話した事もないし…。よく知らないもん。」

一応、ホッとするけれどそれでは何故こんなに何か思いつめた様な顔で帰ってきたのか。

「断ったの?」

「まだ…。今日公園で待ってるって。行ってないんだ、何か会うの怖くて。」

ああ、それであんな顔して戻ってきて、時計気にしたりなんかして…。

「でも、無視しちゃうのも失礼かなって思って。どうしたらいいかわかんないの。」

「そっか…。」

ああオレ、これ以上いい言葉が浮かばねえ。

頭の中が少々混乱している。

「でも、やっぱりちゃんと会って断った方がいいよね。」

「駄目。」

…考える前に、口がこう言っていた。

「え?」

「駄目、絶対駄目。待たせとけ待たせとけ。変に情かけない方がいいって。」

「え、でも…。」

一番恐れる事は。

押しに弱い姫乃が土下座されて泣かれたりして「じゃあ、とりあえず友達から…。」とか言ってしまう事だ。

そのままずるずると結局付き合う事になってしまったりしたらたまらない。

というか、何故かその「土下座して泣かれる」の図が頭の中でオレと姫乃に変換されたんだがコレはどういう事だ。

ってか何モンだこの手紙の野郎。

だんだん腹が立ってくる。

「ひめのんが好きじゃないんだったら行かなくていい。」

そう断言する。

「でも。」

それでも食い下がる姫乃。

気持ちはわからなくもない。

きっと心配なんだろう。

大して知らない相手だろうが、公園でぽつんと自分が来るのを待っているのかと思うとそりゃ悪いな、とは誰でも思う。

だけど。

「行くな。」

右手が勝手に姫乃の腕を掴む。

「…明神さん、痛い。」

「行かないで。」

あ、お願いになってんじゃねーか!

つくづく、情けない。

どーしたコレ!どーしたオレ!何かあんだろ!!

「明神さん、どうして?」

どうして?

どうしてだって?コンニャロウ。

「嫌だから。オレが。」

「い、嫌って…。どーゆー…。」

だから、もっとマシな事言えねェの、オレェ!!

何かフォローを入れようと思っても、これ以上何も言葉が出てこない。

そのまままた二人で黙ってしまう。

姫乃の手を掴んだまま、ゆっくりと時間が流れる。

沈黙は二度目。

姫乃が、またチラリと時計を見る。

…だからそんなもん気にすんな!!

「もうこんな時間。」

ぽつりと姫乃が呟く。

「私、ご飯作るね。」

「えっ?」

気が緩んだオレの手をするりと逃れて、姫乃は部屋を出た。

トントンと階段を下りる音がする。

時間を気にした原因があの手紙の相手ではないというのはよかったけれど、姫乃の今の行動をどうとっていいのかわからない。

「とりあえず、公園には行かないって事だよな…。」

姫乃の部屋に一人残されてぽつんと佇むオレ。

まだ早かったか。

そうは言っても今止めないで、後悔するのだけは絶対に嫌だ。

今がギリギリのライン。

知らないふりはもうできない。

ふと、足元に、さっきの手紙が落ちていた。

姫乃の腕を強く握った時に取り落としたのか。

思わず踏みつけてビリビリに引き裂いてやろうかと思ったけど、やめた。

こいつも今頃公園でどうしたらいいのかわからなくなっているだろう。

「同士よ。お互いがんばろうぜ。…譲らんけど。」

そう言って、手紙を拾うと机の上に置いた。

だけどどうしても、姫乃の気持ちだけがわからなくて。

飯の支度が出来るまで姫乃の部屋から出る事ができなかった。




姫乃の気持ちが何となくわかったのが飯を食う時。

いつもよりこんもりと盛られた白飯。

いつもより沢山皿に盛り付けられた肉。

そして野菜。

目の前の席に座って、「作りすぎちゃいマシタ。」

真っ赤な顔。

悪いな同士よ。

飯を食って、片付けが終わる頃を見計らって、オレは姫乃に正式にお付き合いを申し込んだ。


あとがき
お題七つ制覇です。
何か初めてタイトルがちゃんと文の中に出てきましたよ(汗)
カッコいい大人を演じようとして無理な明神(ザックバラン…)思う存分甘くなりました。
2006.10.19

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