「切ない」

深夜、月明かりだけが部屋を照らしている薄闇の中、毛布をかぶって寄せる頭が三つあった。

二人はそれぞれクマの柄と無地のピンク色のパジャマを着た女の子。

一人はジャージにシャツという姿。

トイレに起きたアゲハは「女の子部屋」でまだ起きていたフレデリカとマリー(どちらかと言えばフレデリカ)につかまってしまった。

ちょっとこっちに来て話に参加しろと言われ、訳もわからず一緒の布団にもぐりこむと、マリーが遠慮がちに体を縮め、それを見てフレデリカがにやりと笑う。

……声を殺してこそこそと話をしていると思い出すのは修学旅行。

修学旅行の女子部屋と言えば、恒例の「コイバナ」だった。

「カイルは馬鹿でしょ? 単細胞で、単純馬鹿。ヴァンも対象外ね。お菓子の事しか頭にないし……。シャオも論外! 冗談も通用しない堅物なんだから。あーあ、どっかにカッコ良くて知的でお金持ちないいヒトいないかしら。出来たらPSI使いがいいわよね! こないだ来てた背の高い男の人は結構カッコよかったわよね〜」

「見た目はな」

「何それ、自分がチビで顔がよくないからって僻み?」

「違うわい!」

髪を軽く二つに結い、クマ柄のパジャマを着たフレデリカが鼻で笑った。

笑われた夜科アゲハは「彼女いない歴〜〜年」という暗黒歴史がバックグラウンドにある為それ以上強くは言えず、フレデリカをじとりと睨みつける。

一触即発な二人を交互に見ながら、ピンク色のパジャマを着たマリーがおずおずと口を開いた。

「で、でも……。カイルもヴァンもシャオも……皆頼りになるよ? 優しいし」

「そりゃ、ドジなマリーから見たら誰でも頼りになるでしょうよ」

「ご、ごめんフーちゃん……」

「そこ、謝るとこじゃねーんじゃねェの?」

「アンタはいちいち口挟まないでよね」

「へーへー。ホントこんくらいのガキってこういう話好きだよなァ」

エルモア邸にお邪魔して数日目。

女の子達(主にフレデリカ)の恋話に巻き込まれながら、夜科アゲハは自分が小学生の頃の修学旅行を思い出していた。

夜になって枕投げが大体落ち着くと、いつの間にか「誰が誰を好きか」みたいな話題になっていたものだった。

過去を振り返りつつフレデリカを眺めると、ああ、マセてんなというか小学生の時分の恋愛など「こんなものかな」という感想を抱く。

恋に恋するお年頃。

そんなフレデリカをどこか上からの目線で暖かく見下ろす感覚だ。

ああ、オレ大人になったんだなと妙な感覚をアゲハは噛み締めていた……が、こんくらいのガキという単語にフレデリカが怒りを覚え、顔を引きつらせた事には気付かなかった。

「……そう言うアンタは彼女とかいないの? 前一緒に来てた女とか……それはないか」

思い切り嫌味な口調で言うと、フレデリカがフッと鼻で笑った。

その笑いがひっかかり、身を乗り出すアゲハ。

「何でそれはナイとか言うか、オマエは

「だあって、ないでしょ、普通考えて。アンタがここに残るってのにあの人さっさと帰っちゃうし。付き合ってたら普通一緒に残るんじゃない?」

「そ、それは……アイツ替えのパンツ持ってなかったんだよ。それにだな、他の奴の訓練も見てやんなきゃなんなかったし……世話の焼けるうすらデカい馬鹿がいるんだよ」

「じゃあ、あの女の人はその人と付き合ってんだ」

「んな訳あるかあああああ!!!!」

「うるさいわね、図星?」

「ちがァう!! ヒリューは関係ねェ!!! マツリ先生もアッチに残ってる訳だしな……そう。マツリ先生に心配かけるから、雨宮は仕方なく帰ったんだよ!」

「じゃあアンタはその先生以下なのね」

「そう取るかてめえええええ!!!」

「あ、あの……声が大きいですよ? オババ様に見つかったら怒られちゃうよ」

「マリーは黙ってて」

「ご、ごめんフーちゃん」

「だからそこで謝るなって。オマエは悪くねぇだろ?」

「は、はい……でも」

「もう! それで実際どうなのよ? 付き合ってないんでしょ? まあ一方的に片思いしてるけど、相手にされてないって感じかしら。あんな知的美人があんたみたいなガキ相手する訳ないわよね〜 」

見下ろしていると思っていた相手に、アゲハは見下ろされた。

というか見下された。

相手がカイルだったらきっと手が出ていた。

……ここで負けたら男が廃る。

アゲハは、手段を選ばない事にした。

嘘を吐く事にした。

後で雨宮に確認されたら直ぐにばれる事だとわかっていたけれど、今この場は勝っておかなければ気がすまなかった。

「付き合ってる」

「え?」

「付き合ってる。オレと雨宮付き合ってる」

「嘘ね」

「本当だっつってんだろ」

「そんな風に見えなかったわ! 今だってあんた目が泳いでるし!」

「ううううるせー! オレはこういう、恋愛とかの話は苦手なんだよ!! アイツは……雨宮は人前じゃいつもあんな感じなんだよ。どっこい二人っきりになるとこう……色々すごいんだよ」

「い……色々って何よ」

「色々っつったら色々だ! て、手を握ったり……色々……お、お子様に言える内容じゃねーんだよ。こちとら行き着くとこまでゴールしてんだよ」

雨宮が自分に対して色々と……想像を膨らまそうとしても出てきたのは「その程度」だった。

あまりに甘えてくる雨宮という情報が少なすぎて、妄想の世界は広がらせようにも広がらない。

肩に手を回そうもんならきっと殴られる。

雨宮の方から、なんて100%ありえない。

あったとして、きっとよっぽど弱っているか裏があるかだ。

アゲハはそんな事を考えながらも腕を組み、引きつった笑いを無理矢理作ってみせた。

さあどうだと二人の顔色を窺うと、まんまと子供達の顔に動揺の色がさしている。

お、これはいける。

アゲハは悪戯が成功した時の面白さを思い出す。

アゲハもそうだが、この二人にも恋愛経験など微塵もない。

吐く嘘が下手でも、吐かれる方に免疫がなければこんなものかと嘘を吐いているという動揺が少しやわらぎ、物を考える余裕がアゲハの中に生まれてきた。

「き……キスとかもうしたの?」

フレデリカが恐る恐る聞いた。

嘘に嘘を重ねると、いつかはボロが出るものだが、ここまで来たら引き下がる事は出来ない。

アゲハは得意げに胸を張った。

「とっくにしてるに決まってんだろ。小学生の頃からの付き合いだからな」

「小学生!?」

「そ、そうなんですか……」

マリーが顔を上げ、その後すぐに俯むいたけれどアゲハはその意味には気付かない。

「そ、それも嘘じゃないの!? そうよ……き……キスは何回くらいしてんのよ。付き合ってるなら覚えてるでしょ?」

「お、おおお? 覚えてるに決まってんだろ! ご、五回くらい……違う。十回だ」

まず、付き合ってるなら覚えているというフレデリカの感覚は現実というよりはどちらかと言えばフレデリカの「理想」だ。

そして、小学生から付き合っていて行き着くところまで……というアゲハの言い分に比べ、十という数字は微妙だった。

そしてキリが良過ぎた。

だが、その知識のない物同士のズレた感覚は見事に共鳴し、妙なリアリティーがこの三人の中にだけ生まれていた。

「あ……アタシは信じないからねっ」

それでもフレデリカは必死で虚勢を張った。

「へーへー好きにしろよ。でもさっきも雨宮からメールが来たもんね〜。いつ帰ってくるの?ってな」

「み、見せなさいよ!!」

「いいぞ、ほれ」

「……!!!!」

アゲハが見せた雨宮のメールには確かに「いつ帰ってくるの?」と書かれていた。

この後のやり取りで「収穫なしで帰ってきたらぶっ飛ばすわよ?」と送られてきた事は黙っておく。

「あ〜早くメール返信して安心させてやんなきゃ。オレがいないと寂しくて暴れちゃうからな〜〜」

「あの……私、もう寝るね?」

マリーは静かに自分の布団へともぐり込んだ。

「お、おう。おやすみ」

「そんな……そんな馬鹿な……」

「そんなに信じられねーのかよ」

「世の中には物好きがいるものね……」

「うるせェよ!!」

フレデリカが弱々しく自分の布団にもぐり込んだ。

アゲハは立ち上がり、自分が本当に寝るべきカイル達が寝る部屋へと足を向ける。

トイレに起きたばっかりに、変な会話に巻き込まれてしまった。

アゲハの携帯のディスプレイが光った。

メールの着信、雨宮桜子。

『ちょっと、あれから返事がないけどどういう事?』

やばい、ぶっ飛ばすわよと書かれたメールの返事を返しそびれていた。

アゲハは慌てて言い訳のメールを打つ。

『悪い。週末には帰る。心配かけてゴメン』

『別に心配はしてないわ』

……自分が吐いた嘘と現実とのギャップに眩暈がした。

本当の意味での勝者がいない戦いは、静かに幕を下ろした。








家に帰った日の夜、アゲハは想像を絶する体罰を受け部屋に宙吊りになっていた。

「いい加減……慣れたとは言え、やはり無断外泊の罪は重かったか……」

伊豆で何をしていたかの説明はあやふやにしか出来ず、学校も何日も休んだとあっては弁解のしようもない。

まあこのくらいですんで良かったと逆に自分を励まして、簀巻きのままぶらりぶらりと左右に揺れる。

その時机の上で携帯が鳴った。

アゲハは光るディスプレイに目を凝らした。

着信・雨宮桜子。

コールは既に五回鳴っている。

アゲハは慌てて身を捩り、ロープから脱出する。

多少ライズを使ってズルしているとは言え、縄抜けの技術という不思議な特技を会得してしまった自分にエールを送る。

コール七回目、もう切れてしまうかもしれないという瀬戸際で携帯を開いた。

「もしもし!」

『…………もしもし?』

「連絡遅くなって悪い! こっちには一時間前くらいにこっち戻ったんだけどよ……ちょっと連絡できる状態じゃなくって」

『お姉さん?』

「そういう事。悪い、後でメールしようと思ってたんだけど、今もちょっと出れそうに……」

そっと部屋のドアからリビングを窺うと、姉はテレビをつけてそれをぼんやりと見ている。

ここを突破して玄関に向かうのは困難と思われた。

「ねぇな。明日学校行った時説明するから……」

受話器の向こうからため息が聞こえる。

『切るわね』

「あ、ちょ!」

『何?』

雨宮を呼び止めておいて、アゲハは言葉に詰まった。

受話器を耳に当てたまま、部屋の中をぐるぐると歩く。

「あええっと、雨宮。その、電話ありがとな」

『……別に。マツリ先生からアイツはどうしてるって聞かれただけだし』

「そっか。その……心配かけた」

『かかってないわ』

さらりと言う言葉に、アゲハは「嘘付け」と心の中で呟いた。

気にしてないならあんなに毎日、大体決まった時間……休み時間や夜寝る前にあれだけ細かくメールを送ってくるはずがない。

はずがないと思うのは、少々思い上がりかもしれないが。

今だってこうやって電話をかけてきた。

帰宅時間を伝えておいたのに連絡がないからだ。

「雨宮」

『何?』

「キス……しよっか」

『……死ねば?』

一刀両断だった。

自分でも馬鹿だなと思った。

別に吐いてしまった嘘を本当にしてしまえばバレた時カッコ悪い思いをしなくて済む、なんて考えた訳でも嘘はいけないから本当にしなくちゃと思った訳でもない。

声を聞いていたら、無性にそんな気持ちになっただけ。

それを実現しようとするのは馬鹿のする事だ。

だけど馬鹿なんだから仕方がない。

「……まあ、そうだよな」

『切るわね』

「ちょ、ちょっと待って!」

『何よ。死にたいの?』

「いやそうじゃなくて」

『……キスって、何よ。馬鹿じゃない? 何であんたと』

「何でって」

『そういうのは……好きな人同士がするものでしょ?』

雨宮の声のトーンの変化を感じながら、アゲハは次に言うべき言葉を探す。

「じゃあ、雨宮はオレの事、好きじゃねーの?」

『そう言うアンタは、私の事…………やめましょ。馬鹿みたい』

「あまみ」

『じゃあね、なるべく早く顔出しなさいよ。祭先生怒ってるんだから』

「雨宮」

『夜科。……学校で待ってるわね』

「……おう」

電話が切れた。

「あーー……オレ!! オレの馬鹿……!!」

バサっとベッドに倒れて、携帯を眺めた。

もう一度雨宮から電話がかかって来たら……なんて甘い夢を抱く事三秒、すぐにそんな物は儚い夢だと諦め目を閉じる。

重くなった気分を抱えながら起き上がり、空気を入れ替えようと窓を開けた。

窓を開け、ただ何となくなめた四角い視界の中に、欲しい背中が見えた。

長い髪と小さな肩が、少し俯きながらひょこひょこ通りを遠ざかっていく。

思わず窓から身を乗り出した。

「あまみ……! 聞こえねェか!!」

慌てすぎて思わず携帯を地上十数メートルから落としそうになり、それを必死で捕まえる。

着信履歴からコール三回、電話が繋がった。

『……何?』

「家まで送るから! そこ、いろ」

『馬鹿。来たら殴るわよ』

雨宮がアゲハの住むマンションを見上げた。

眼鏡を外し、窓から身を乗り出すアゲハを見つける。

そのアゲハと目が合ったが、合ったと自覚出来るのは雨宮だけだった。

『落ちるわよ、部屋に戻りなさい』

「そっからオレが見える?」

『よく見える。情けない顔、してるわ』

「雨宮は? 今どんな顔してる?」

『……また今度ね』

胸の辺りがギュッとなる感覚があった。

これに似た感覚は以前に数回。

一回目はクラスメイトになった雨宮が過去の記憶と全く変わってしまった事を知った時。

二回目はその雨宮が「助けて」という言葉を残して消えてしまった時。

三回目はサイレンで雨宮の抱える痛みに触れた時。

それから気付けば何度も。

この感覚は「切ない」だ。

早く捕まえて、安全な場所へ綺麗な場所へ移してやりたい。

出来たらその場所が自分の側であって欲しい。

……と言うよりはもう、自分の側にいて欲しい。

「雨宮」

『駄目。やめて。無理よ』

「何で」

『…………後ろ』

「何?」

すっと、雨宮は窓にへばりつくアゲハを、実際にはアゲハの背後を指差した。

雨宮の唇が、ゆっくり動く。

『 お 姉 さ ん 』

アゲハは振り返る。

今まで気付かなかった影に、今になって気付いた。

……時は既に遅かった。

「あえ? お……あぎゃああああああああああ!!!!!!!!!」







アゲハの断末魔を、雨宮は閉じた。

「馬鹿。ホント、馬鹿。馬鹿。馬鹿。馬鹿ね」

繰り返しながら、雨宮は何度も何度も顔を手で拭った。

顔が熱いのがわかる。

それが悔しくて、嫌だった。

「ホントは他意なんかないくせに……ただ興味があるだけ、そう、同情して……勘違いしてる。そうよ、あいつは本当に馬鹿だもん」

違う、違う、違うと思う。

期待するのは恐かった。

気付くと走っていた。

走って逃げて、明日学校で会った時、まるで何もなかったかの様に接する準備を雨宮は始めた。

出来るだけ普段通り冷たく接して……アゲハが少し気まずそうな顔をして、でもそれ以上何か言うのは避けて普段通りの二人に戻る。

そうなる様に仕向けなければ。

胸がギュッと苦しくて、両手を組んで背中を丸めた。

「……切ない」

全部まかせて飛び込んだら楽になれるのかも知れないけれど、今こんな状況じゃなければ夜科アゲハは少し前まで普通の女の子に恋をしていて、どこか遠い世界の……羨ましい存在で。

自分なんかとは違う気がして、どうしても自信がもてない。

見上げるという感覚だった。

雲の上にいるアゲハを見上げて、伸ばされた手を遠くから眺めて本当に安全か確かめている。

守ると言ってくれた、一緒にと約束もしてくれた。

ただ、伸ばしてくれた手がいつまでそこにあるのかわからなかった。

一時の気の迷いだと気付いて、差し出した手を引っ込めてしまうかもしれない。

こちらが掴もうとして、掴んでもし放されたら、多分もう這い上がれない。

いいや放す事なんかしないだろう、いいえそんな事がわかる?

…………。

雨宮は考えるのを止めた。

同時に雨宮の顔から表情が消える。

「さあ、早く帰らなきゃ。無駄な時間を使っちゃった」

晩御飯の買い出しと、読みたかった新刊を買いに本屋へ行って。

今日はゆっくりお風呂に入る。

雨宮は浮かび上がってきた「切ない」を、胸の奥の方へと閉まって固く固く蓋をした。

この蓋を次に開ける時はきっと多分、電話なんかじゃなくて直接アゲハに捕まって、力づくでこじ開けられた時。


あとがき
はじめは日記に小話でアップしようとしていた話があれよあれよと長くなりこの話になりました。
子供達とアゲハがメインだったはずで、しかも笑い話のはずでした。
本当におかしいなあ。
2008.09.12

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