最強彼氏

「ああ!」

明神は声をあげて走った。

夕方、姫乃との待ち合わせ。

時間通りに待ち合わせ場所へ辿り着くと、姫乃がいるはずの場所に男の背中が見えた。

姫乃はその大きな背中の向こう側に隠れていて、隙間から制服が少し覗く。

大慌てで姫乃を確保し、姫乃をナンパしようとしていた男を威嚇して追い払うと、明神は大きなため息を吐いた。

当の本人である姫乃はのほほんと「よかったあ、明神さんが来てくれて〜。」ときたものだ。

もっと緊張感というか、警戒心を持って欲しいと思う。

まるで何事もなかったかの様に、約束通り買い物に行って、明神は荷物持ち。

帰りにタイヤキを買って、それを食べながらゆっくりと歩く。

姫乃はタイヤキをパクつきながらご満悦。

人通りが少なくなるといつも繋ぐ手を、少し強めに明神は握った。

うたかた荘に帰り、夕食後。

明神は画用紙とペンを取り出し、何やら大きく書くとそれを持って姫乃の部屋へ向かった。

「ひめのん、入るぞ〜。」

ノックをしてドアノブを握る。

開けて中に入ると丁度姫乃は布団を敷こうとしていたところだった。

「あれ、どうかしたの?」

既にお風呂も入り終えて、パジャマ姿の姫乃はすっかり寝る気満々だった。

明神は有無を言わさず手に持っている画用紙をペタリと壁に貼った。

それには「明神の、実戦!ナンパ・痴漢撃退講座」と書かれてある。

「…へ?」

「ひめのんは、隙がありすぎる!!今日はそれを徹底的に直してもらいます。」

どっかと胡坐をかいて、姫乃の目の前に座る明神。

「す、すきって…。」

「いいから正座!」

「はい!」

明神の気迫に圧されて、姫乃は大人敷きかけた布団の上に正座する。

「いいかひめのん、今日はたまたまオレと待ち合わせしてたから良かったものの、もし一人だったらどうする気だったんだ?」

「今日…?ああ、夕方の?」

どうやら姫乃の中では大した事がない出来事の部類に入っていたらしく、言われるまで忘れていた様だった。

明神はふー、と大きくため息を吐いた。

怒られると察した姫乃は慌てて答えた。

「どうって言われても…。ちゃんと断ったんだよ、今日だって。だけどなかなか行ってくれなくて。」

「だまらっしゃい!!」

ピシャリと言われて姫乃が肩を竦める。

「…あのさ、オレ本当に心配性だから、一人でうろうろするのが危ねえ、って思ったらひめのんから離れられなくなっちまうし。そのうち本気で管理人室から出したくなったらひめのんも困るだろ?」

困るだろ?と言う事は半分本気なのだろうかと考えながら、姫乃は大人しくコクコク頷く。

明神も満足そうに頷くと、背筋を伸ばして「では。」と話を進める。

それにつられて、姫乃も背筋をピンと伸ばした。

「ひめのんは今、街で見知らぬ男性に声をかけられています。さあ、何て言って追い払いますか?」

至極真面目に話を進める明神に、姫乃は内心笑いながらもちゃんと付き合ってあげる事にした。

「はい。今彼氏と待ち合わせ中だから、いりません。」

「ぐふっ。」

突然明神がむせた。

「え、何!?何でそこでそんな反応!?」

明神は顔を赤くしながら拳で口元を拭う。

「いや、何つーか、「彼氏」って言葉がこう、グッと来て。」

「そ、そこでそんな事言いますか。…だって彼氏だもん。」

つられて姫乃も恥ずかしくなる。

「いやそうだけどね、ちょっと嬉しくなってね。」

「明神さんそれで、次!さっきのでオッケーだよね?」

明神ははっと我に返るとブンブン首を振った。

「駄目ー!!」

明神は腕で大きくバツを作った。

「ええー?」

不満そうな声をあげる姫乃。

明神は腕を組み、背筋を伸ばすと「講師」の顔に戻る。

「そんなんじゃ、しつこい相手は引かないし、嘘だと思われる事がある!もっと般若の形相で、相手を威嚇するんだ。」

「ああ、夕方明神さんがやったみたいに?」

「そうまあなんつーか、そんな感じ。台詞はこうだ。『うるせえ、どっか行け』はいこれ。」

「ええ!?」

「いいからほら!」

促されて。

下手に遠慮すると何度もやり直しを命じられるのは目に見えていたので、姫乃は出来るだけ低い声で、出来るだけ凄みを利かせて、出来るだけ明神を睨みつけて。

「『うるせえ、どっか行け。』」

「…。」

「…どお?」

「…いや、何か、ショックだった…。」

胸元を押さえて崩れ落ちる明神。

「明神さんが言えって言ったんじゃないー!!」

「そうだけどね。何だか自分に言われたみたいで辛くて。」

「もー。」

膝を抱えてジメジメしだした明神の頭を呆れた顔で撫でてやる姫乃。

その姫乃を見上げる明神。

目が合って、姫乃はにこりと笑う。

「…だから、そういうのが隙なんだと思うぞ?」

「へ?」

へ?と言った時にはすでに姫乃の体は明神の腕の中にあって、あれ?と言おうとしたらその口を塞がれた。

「…ぷは。」

姫乃の部屋に来た目的を忘れてしまいそうになるので、悪戯はこの位でやめておく。

「…このように、男というものは油断も隙もへったくれもねえ、という事を肝に銘じてだな…。ひめのん?」

話しかけられた姫乃は暫く機能停止して惚けていた。

「…うはっ!な何、くち、口、今のはどうい、っていうか…隙とかじゃなくて、これは明神さんだから、でしょ!?」

我に返った姫乃は顔を真っ赤にして怒り出す。

「オレだから?」

「だから、明神さん以外の人とキスなんかしないし、させないし、その位はちゃんと出来ます。」

「ほんとか〜?ひめのん優しいからなあ、さっきみたいに相手が落ち込んでみせたら慌ててフォローしようとするだろ?今なんか目ぇ合ったらにっこり笑っちゃって、ホンッと隙だらけでちょっと不安になりマシタ。」

「それは…そうかもしれないけど、キスなんかしません!絶対に!」

腕を組んで宣言する姫乃。

「…じゃあさ。」

ずい、と明神が姫乃に近づく。

ああ、いかんいかんと思っていても、そこはそれ、これはこれ。

「オレとならいいの?」

駄目とは言えない、そういう性格。

「…いいけど。」

明神がにっこりと笑った。

姫乃もつられてにっこり笑う。

「じゃあ、もう一回しとくか。」

やっぱり!!と心の中で叫んだけれど、その言葉が姫乃の口から出る事はなかった。

もう本当に仕方がないなあと思いながら、腕の中で小さくなる。

あんまり上ばかり向いていると、首が痛くなるのだけれど、それがわかっているのか明神は姫乃の首を腕で支える。

頭がぼおっとして、初めは焦ったり困ったりするのにそんな事どうでも良くなってしまいそうになるからいけない。

明神は明神で、ここでこれ以上の事は部屋に来た理由がソレか!と姫乃に思われるのは嫌だし何より教育上(?)良くないと思いながら、理性と本能が拳で殴りあう。

「…んん。」

姫乃の鼻から漏れた小さな音で、明神の理性が本能にボディブローとアッパーを食らって倒れた。

明神の中で、第二ラウンドのゴングが鳴る。

「あ、あれ?ちょっと明神さん?わ、わ、くすぐったいくすぐったい。ちょ、ちょ、ストップうひゃ!冷たい冷たい!!」

明神にしっかと掴まれたまま、姫乃はずるずる移動する。

通学用の鞄に手を伸ばして。

「もう。だから、ストップって!!」

ビー!!!

けたたましい警報が鳴り、明神は姫乃から飛びのいた。

「な、なんだあ!?」

「わ、わ、うるさっ!!」

姫乃は鞄からぶら下げていた小さなマスコットを手にしている。

慌ててそれのお腹を押すと、警報がピタリと鳴り止んだ。

姫乃はほっと胸を撫で下ろす。

「ああ、びっくりしたあ。思ったより音、大きいんだもん。」

落ち着いている姫乃とは正反対に、明神は構えたまま固まっている。

「…ひめのん、ソレ何?」

指さされたそのマスコットを誇らしげに掲げる姫乃。

目の高さに差し出された明神は、そのマスコットと目が合った。

「これねえ、エッちゃんがくれたの!『あんたぼーっとしてるから、こういうの持っときなさい!』って。痴漢撃退用、警報機。」

「痴漢…撃退。」

「うん!」

目のすさんだブタさんのマスコットを明神は手渡される。

明神の内心は非常に複雑かつ、傷付いている。

「コレ、痴漢に合ったらお腹を押すの。そうしたら大きな音がして、びっくりして逃げちゃうんだって!」

「…そうだね。びっくりした。…ホントに。」

またしても膝を抱える明神。

ハッと、自分が何を言ったのか気付く姫乃。

「ああ!違うの、別に明神さんを痴漢だって言ってる訳じゃなくて…ほら!こういう備えはあるんだよって、ちょっと明神さん!?」

「…いい。ひめのんはたくましく生きてクダサイ…。」

膝に頭を埋めてメソメソする明神。

「あ、ホラ、それアレでしょ?また私の隙を誘うって魂胆でしょ?ねえ、違うの?え?本当に?」

プイと顔を背ける明神。

半真半疑で明神の周りをぐるぐる回る姫乃。

十分後。

「もう、仕方ないなあ!」

座り込んだままの明神を抱きしめる姫乃と、その腕の中で笑う明神がいた。


あとがき
強気な明神で〜というリクを頂き、書かせて頂きました!
初め書いてるうちは、強気明神というか強いひめのんだったのですが、意外としたたかな明神になりました。
こちらはリク下さったぺロさんへ。
ありがとうございました〜!
2007.04.03

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