ラベンダー
すっかり寒くなってきた今日この頃。
いつもの様に食事を済ませて風呂を沸かす。
日替わりで風呂に入る順番を変えて、後に入った方が洗濯機にお湯を入れると後掃除をする事になっている。
今日は、姫乃が先の日。
姫乃はいつもどちらかというと長風呂な方なので、明神はその間テレビを見たり、部屋に山の様にある剄に関する資料なんかを読んで時間を潰す。
それにしても今日は遅いと思い、時計を見ながら資料をめくる手を止めた。
「…寝てる、だと、風邪ひくかもしれないし…まさか溺れてないよな。」
あまり遅いといらない心配をしてしまう。
一度悪い方へ思考がいってしまうと、なかなか元へは戻らない。
資料を棚に戻すと、部屋の中でそわそわと動き出した。
「いや、でも覗く訳にもいかないし。声でもかけてみるか。」
のっそりと起き上がると、風呂の方へと足を向ける。
入り口の前で足を止めると、突然ドアが開いた。
「わ!びっくりした!」
ドアに手を添えたまま、姫乃が目をまん丸にする。
慌てて、明神は言い訳を始める。
「いや!ひめのんが風呂いつもより遅いから、もしかしたら寝てるんじゃねーかと心配になって来てみたら、ホント、今丁度ドアが開いて!ずっとここにいた訳じゃないからね!!」
一気にまくしたてると姫乃が笑う。
「ごめんね明神さん。遅くなっちゃって。」
「いえ…って、何かひめのんいい匂いすんな?」
ホカホカの姫乃から、フワリと花の様な匂いがする。
「ああ、これ?」
姫乃が洗面所に戻ると、箱を一つ取って明神に見せた。
「入浴剤。今日商店街で買い物したら福引で当たったの。さっそく使ってみたんだけど気持ちよかったよ〜。」
ああ、それで風呂が遅かったのかと納得する明神。
「ラベンダーの香りだって。」
「ふーん。」
姫乃から手渡された箱には、紫色の綺麗な花が描かれていた。
「じゃあ交代。明神さん終わったら洗濯機に残り湯入れて、お掃除お願いします。」
「はい。ああそうだ、ひめのん、冷蔵庫にあるジュース飲んでもいいからな。」
「はーい!」
トトト、と走っていく姫乃。
なびく髪も、その花のにおいがした。
気を取り直して管理人室に戻り、着替えを持って洗面所へ向かう。
服を脱いで、戸をガラリと開けて。
「げ。」
第一声が、それだった。
むせ返るラベンダーの香り。
…先ほど嗅いだ姫乃の香り。
「…これは、ヤベぇ。」
なんて事もない入浴剤の香りなのだが、先に姫乃の香りとして認識してしまったのがまずかった。
明神にとって、この浴室全体が、姫乃の香りで充満している様なもので。
綺麗な透明の紫色したお湯が、おいでおいでしている様で。
頭の中で、善からぬ変換が起きそうになる。
「だああああ!!」
明神はこの寒い中、換気扇を回し小窓をあけた。
風呂に浸かっていないのに大急ぎで湯を洗濯機に移して先に掃除を済ませ、自分は後でシャワーを浴びる。
寒いけれど仕方がない。
一度悪い方へ思考がいってしまうと、なかなか元へは戻らない。
赤く染まった頬とか、サラサラの黒い髪とか、あの笑顔とか。
連想ゲームの様に思い出す。
それだけなら、まだいいけれど。
こんな所でまるで包まれる様にあの匂いに囲まれてしまっては、駄目だ駄目だ。
よろりと浴室から出ると服を着替え、入浴剤の箱を掴むと憎々しげに眺め、背の低い姫乃では手の届かない高い位置にある棚の奥の方へとそれを隠した。
ガクリと膝をつく。
「これで…明日からは大丈夫…。」
げっそりと、安堵のため息をつく明神。
次の日、明神の次に風呂に入ろうとした姫乃が、あれがないと大騒ぎした事は言うまでもなく、更に次の日、姫乃がどうしても気に入ったからと言って薬局で入浴剤を買って帰って来た時には明神も心臓が止まる思いをした。
これから暫く、明神は姫乃の後に風呂に入る日はシャワーのみという生活を余儀なくされた。
あとがき
昨日冬至でゆず風呂に入ったので思いついた突発的なネタです。
明神が唯の変態に…。
2006.12.23