ポジティブ・シンキング・マン

今オレが何をしているかと言うと、待ち伏せ…じゃなくて、玄関に座ってひめのんが帰って来るのを待っている。

夕方、学校から帰って来るとひめのんは大きな袋を抱えて友人の家に出かけて行った。

今でちょうど一時間。

暇なもんだと自分で思うけれど、ここから移動する事がどうしてもできない。

忠犬何とかっていたよなあ。

ふう、とため息を吐くと息が白い。

…寒いと思った。

2月もまだ14日。

春はもうちょっと先だ。

オレは玄関先に意識を置いたまま、管理人室からコートを引っ張り出す。

「なあ、お前さっきから何やってんの?」

エージがバット片手にやって来る。

「ひめのん帰ってくんの待ってる。」

なるべく顔を合わせない様、そっけなく答えた。

こう答えたら突っついて来るのは解ってるけど、嘘を吐いても直ぐバレルのも解ってる。

「いや、そりゃ見たら解るけど。何で玄関で待ってんだよ。部屋にいりゃいいだろ?」

「そうなんだけどね。部屋にいても落ち着かないし。かと言って外に出たらもし居ない内に帰って来たらって考えちまうからまた落ち着かないし。」

エージの視線が痛い。

とても可哀想な物を見る目で見てやがる。

畜生め。

「…まあ、とやかく言わねーけど。」

エージが遠ざかる。

ちょっとホッとするオレ。

けど、アイツはフェイントかまして廊下の向こうから声をかけてきた。

「まあ、確かにヒメノはお前にチョコ作ってるかもしれねーけどな。」

「…だろ?」

「明神、義理チョコって知ってっか?」

「…知ってます。」

「グッドラック。」

振り返ると、ニヤケ顔のエージが丁度壁に消える所だった。

…解ってる、知ってる。

義理チョコという奴は、いつもお世話になっている相手に贈る物で、いわゆる本命のチョコとは同じチョコでもその存在感は天と地程の差がある。

その位の常識は理解している。

だから、エージはその事をオレに言ってオレの気持ちを弄ぼうとしたのだろうけれど、甘い。

今日のオレはとてつもなくポジティブ・シンキングだ。

この位の揺さぶりではオレの心は折れたりはしない…筈。

オレが今こんなに余裕がある(とは言え、玄関からは離れられねーんだけど)のには理由がある。

別に、理由なくバレンタインだからひめのんがオレにチョコをくれるだろうしかも本命で、と、唯楽観視している訳じゃあない。

ついでに言うと、オレ、ひめのんに愛されてるから!という勝手な自信や確信がある訳でもない。

…ただ、ひめのんが学校から帰って来て。

ギシギシいう床を避ける事も忘れる位大慌てで部屋に戻って、着替えて、荷物抱えて。

管理人室から出てきたオレとすれ違った時。

「あれ、ひめのんどっか行くの?」

「うん。ちょっとね…。エッちゃん家にお邪魔してくる。」

「荷物スゲーな。途中まで運ぼうか?」

「いい!大丈夫だよ。これボウルとか泡だて器とか、かさばるけど軽い物ばっかりだから。」

「…料理?」

「えっと、一応、バレンタインだから、お菓子作って来ようと思って。」

お菓子。

「ああ、チョコ?」

「うん、まあ、そうかな?」

「へえ。…誰かにあげたりすんの?」

その時。

ひめのんは顔を伏せて、ちょっと目を泳がせて。

一度開きかけた口を閉じて。

人差し指を口元に当てると。

「内緒。」

ニコリと笑うと慌ててオレの横を通り過ぎた。

…言っちまえばそれだけ。

ただそんだけだから、ひめのんがオレにチョコを一生懸命作ってるだろうなんて事を考えるのはただの自惚れとも言えるけど。

「内緒。」って言って微笑んだあの顔がびっくりする位可愛くて、それでいて見たことの無い顔をしていて。

もし本当にそうならって考えたら待ちきれなくて、早く会いたくて、玄関から離れられない。

オレはそわそわと足や手を動かす。

だんだん外が暗くなって、外に出てたガクとツキタケが帰って来た。

すれ違いザマに文句たれやがってぶん殴ってやりたくなったけれど、駄目だ今日のオレはポジティブ・シンキング・マン。

ゴウメイの喧嘩も断って、コクテンに哀れみのこもった言葉を吐きかけられても我慢我慢。

一階の奥の方の部屋から何かが粉砕する音が聞こえてもあれは幻聴。

今日のオレは無敵のポジティブ・シンキング・マンだ。

買い物から帰って来た雪乃さんとすれ違う時は恥ずかしさから身が縮こまる思いをした。

意味深に微笑むのはやめて欲しい…。

ネガティブなオレがポジティブなオレを侵食していく。

…大体、こうやって玄関で待ってる事自体がおかしくねえか?

たとえ本命のチョコを姫乃が作ってるとしてもそれをオレが玄関でずっと待ってるって、ひめのん帰って来たらひくかもしれねえな…。

というか、義理チョコだった場合の事を考えると、オレがここで待ってるのって凄く憐れじゃねえ?

湧き上がる「最悪のケース」

いかんいかん。

オレはあの笑顔を信じた筈。

今更何を恐れる事があんだ。

…そうは言っても不安があるのは当たり前だろ?

別に…ここで待たなくてもいい訳だし…。

いや、帰って来た時一番に、出来るだけ早くって思ったんだろ?

繰り返す自問自答。

ガシャアアン!!!

さっき聞こえた音よりはるかに大きな、何かが派手に壊れる音が響いた。

思わず、オレは腰を浮かす。

「…あいつら。」

その時、玄関の扉が開いて、冷たい風と一緒に姫乃が入ってきた。

「わ、暖かい。さっき凄い音したねえ。外まで聞こえたよ。」

ひめのん!

「あ…おか、えり。」

「うん。ただいま。」

ひめのんはそう言うと、一回り小さくなった鞄の中から小さな箱を取り出した。

「はい!これ明神さんに…。えっと。」

その箱を手渡すと、チラリとオレの背後を確認する。

人が居ないのを確かめると、軽く息を吐いた。

耳まで赤い顔が、上目使いにオレを見る。

「えっと。一応、っていうか。一応じゃなくて。あの、チョコレートね、本命だからね。だから、そう思って受け取ってね。」

そう言うと、黙り込んだ。

…頭の中が、何かスゲー事になった。

ああ、オレ今日ポジティブで良かったんだ!間違ってなかったんだ!!

舞い上がって、声も出ない。

ひめのんが恐る恐るオレを見る。

オレは呆然と立ち尽くしている。

「…へ、返事は!?」

その言葉でハッと我に返る。

「あ…うあ。だ、大好き。」

ぼんやりする頭でやっと声に出した素直な気持ちは、小学生レベルの言葉だった。

あ…最低。

ひめのんがぱちくりしてる。

何とかその場の空気を変えようと、オレは言葉を続ける。

「あ〜。何だ。えっと。ありがとう。じゃなくて、わかった。も、変だよな…ひめのんも好きって言えよ。何て言ったらいいかわっかんねー。」

「ほ、本命ですって言うのが、そういう意味だもん。」

「あ、ずるい。」

「ずるくないもん。」

へへ、と笑い合って。

オレはやっと玄関前から開放される。

幸せな気持ちで管理人室に戻り、もったいないと思いながら渡された箱を開けると、可愛いチョコレートが綺麗に詰められていた。

ど真ん中の一つをつまんで口に入れる。

甘い。

肺の中の空気を全部吐き出して、一気に吸い込むとオレは笑った。







一つだけ、忘れている事があった。

いや、正確には二つ。

夜中上機嫌で戸締り確認をしている時だ。

やけに、寒くて。

というか、風通りが良すぎておかしいなと思って。

それが壁に開けられた穴からの物だって気がついたのは日付が15日に変わる頃だった。


あとがき
滑り込みバレンタイン話です。
ギリギリセーフ!!
2007.02.14

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