おやすみなさい

ふあっくしょん!

豪快なくしゃみがうたかた荘のリビングに響いた。

その発生元はうたかた荘唯一の生きた住人、姫乃である。

「ひめのん、風邪か〜?」

アズミと絵本を読んでいた明神が心配そうに近付く。

「う、うん…。そうかな?」

顔を見れば目は充血してうるんでいて、頬が赤くなっている。

「熱ある?」

自分の額を左手で、姫乃の額を右手で触る。

少し、姫乃の方が熱い感じがした。

「腹だして寝たんじゃねーの?」

と、エージ。

「出してないよ!変な事言わないのっ!」

一応、年頃の女の子である。

明神の前でそういう発言はやめて頂きたい。

「ひめの、病気?」

「大丈夫だよ、アズミちゃん。」

でも少し、ふらふらする気はした。

まずいなあ…。もうすぐテストなのに、と考えていたら明神がぽん、と頭に手を置いた。

「ひめのん、今日夕食の支度いいから寝てな?」

「でも。」

「なんか適当に作るから。」

ぐいぐいと背中を押して部屋から出す。

ほおっておくとすぐ無理をするから、このくらい強引な方がいいと判断した。

引っ張って階段を上り、姫乃の部屋に押し込むと、

「寝てるように。」

と告げて扉を閉めた。

「もう。強引だなあ…。」

文句を言いながらもなんだか嬉しい。

姫乃はさっき明神が触れた自分の額をぴとりと触ると、ふふ、と笑った。




「さて、オレは今から料理を作るぞ」

リビングに戻ってきた明神は、エージとアズミに高らかに宣言した。

おお…と、どよめきが起きる。

「正気か、明神。ヒメノを中毒死させる気かっ!?」

「オレの料理は劇物か!」

「みょーじん、ご飯作るの?」

「ああ、そうだよ。オレもやる時ゃやるよ。…鍋どこだ鍋。包丁どこだ包丁。」

「ゼロからのスタートだな…。」

「うっせ!オレも昔は味噌汁位は作れたんだよ!」

「病人が食えるもんつくれよ…。」

こうして、明神の挑戦が始まった。




何だか寝苦しい気がして目が覚めた。

布団をしいて、一応パジャマに着替えて寝たのだが、熱が上がったのか汗をかいている。

「…あっつい…。」

呟いてごろりと横を向くと、ガクが正座して座っていた。

「うわあ!びっくりした!」

「ひめのん、大丈夫?」

心配そうに姫乃を見下ろしている。

いきなりで驚いたけれど、心配してついていてくれたという事はとても嬉しい。

「うん。寝たから少し良くなったよ。」

よいしょ、と上半身を起こす。

ガクが無理して起き上がらないように姫乃の肩を掴もうとするが、スルリ、とすり抜けてしまう。

「あ…。」

別にどちらが悪いとかないのだが、何と無く、姫乃は申し訳ないと感じてしまう。

「ごめんね、ガクリン。」

少し寂しそうに、笑いながら言った。

「ひめのんは悪くないよ。どうして謝るの?」

「…そうだね、変だね。」

少し笑い合う。

「ひめのん、苦しそうに寝てた。まだ横になってた方がいい。」

「もう大丈夫。ほんとに、良くなってきたんだよ?」

「ひめのん。」

口調も表情も変わらないのに、強制力のある言葉だった。思わず、「はい。」と言ってガクの目を見る。

ガクは手を伸ばし、姫乃の頬に触れようとする。

だが触れられる訳もなく、ガクの指は姫乃をすり抜けた。

「ひめのんに何かあっても、オレは何もしてあげられない。」

「ガクリン。」

「だから、寝てて。」

目が覚めた時、すごく心配そうに自分を見ていたガクを思い出す。

何かしてあげたいのに何もできないというのは、とても辛い事だというのは姫乃もわかる。

一体どんな気持で私をみていてくれたのかと思うと、突然物凄く申し訳ない気持ちで一杯になった。

「ガクリン、ごめんなさい。」

姫乃はおとなしく布団に潜り込む。

それを見て、ガクも優しく微笑んだ。

「あのね、ガクリン。いてくれるのは凄く嬉しいけど、寝顔をずっと見られるのはちょっと恥ずかしいな…。」

布団から少し顔を出して、姫乃が言う。

「わかった。じゃあひめのんが寝たら部屋をでる。」

にこりと笑って頷くと、姫乃は目を閉じた。

「おやすみなさい。」

「おやすみ。」

姫乃が眠ったのを見届けると、ガクはそっと部屋を出た。




次に目を覚ましたら、部屋が真っ暗になっていた。

「あれ…今何時だろ。」

手探りで置き時計を引き寄せる。

時間は夜の十時。

「結構寝てたな…。」

体は少し楽になっている気がした。

見回したけれどガクの姿は見当たらない。

寝るまで側にいてくれたのかと思うとなんだか心が温かい。

…そういえば、明神はどうしただろうか。

「ちゃんとご飯食べたのかな?」

すると、コンコン、と部屋をノックする音がした。

「はあい。」

と答えて部屋の電気をつける。

姫乃の部屋の扉が開き、やや遠慮しがちに明神がひょこっと顔を覗かせた。

「ひめのん起きてた?ご飯つくってみたけど、食う?」

明神が料理を!?という所でまず驚いたが、昼ご飯から何も食べてなく、体調も良くなってきた為にお腹はすいていた。

「明神さん作ったの?おなかペコペコ!」

「おー、顔色良くなってきたな。」

お盆に乗せられた皿から湯気が出ている。

「えっと、お粥と味噌汁。ごめんな〜。結局あんまちゃんとしたもん作れなくて、レトルトのお粥と味噌汁。」

先に白状する。

色々と頑張ってはみた。

だけど「風邪をひいた姫乃に食べさせる」というプレッシャーには勝てなかった。

「そんなのいいよ。ありがとう。」

お粥をすすって、味噌汁を飲む。

その様子を明神は何だか試されている様な気持ちで見ていた。

「このお味噌汁は明神さんが作ったの?」

「ん?おお。これだけ何とかまともに作れてさ。ほら、オッサンと住んでた時はオレが飯無理やり作ってたから。」

「へえ〜。何だか貴重なもの食べれたね。」

「貴重?」

「うん。貴重。」

そう言って、本当に嬉しそうにご飯を食べる。

この数時間の格闘が報われてホッとした。

「また作ってよ。」

「ん?そうだなあ。ひめのんが喜んでくれるなら、頑張ってみっかな。」

うんうん、と、腕組をしながら思案する明神。

その様子が何だか可笑しくて笑ってしまう。

「何で笑うの。」

「だって、何だか可愛くて。」

何だか乗せられてるか?

そう思って明神は姫乃をじとりと見る。

悪気のない姫乃は肩を竦めて笑いをこらえている。

「じゃあ今度、もっとすげーの作ってびっくりさせてやるからな!」

ムキになってそう言う明神がまた可笑しい。これじゃあ子供だ。

「うん。楽しみにしてる。」

そう言ってまた笑う。

自分は何て幸せなんだろうと、うたかた荘に来てからよく思う。

一人ではないって、何て心強いんだろう。

ガクや明神には甘やかされている気もするけれど、こんな日くらい、と開き直る。

「ね、明神さん。」

「んん?なんですか?」

「私が寝るまで一緒にいてくれる?」

瞬間、明神がゴホっとムセた。

「え、大丈夫!?明神さんも風邪!?」

「いえ、違います…。」

ブンブンと手を振って否定する。

「だ、駄目かな。明神さんも早く寝た方がいいよ。」

「そうじゃなくて!」

さっきまで子供扱いされたけれど、本当の子供はどっちだ!と心の中で明神は叫ぶ。

「…寝るまでですか。」

「うん。子供の頃、熱が出たらいつもお母さんがいてくれたの。お母さん、死んじゃって…それからは一人だったけど。」

はあ、とため息をついてアグラをかく。こんな話を聞かされては「我慢できる自信がないから」なんて無粋な理由で断れない。

パン、と膝を叩いて。

「いいでしょう。寝るまでここにいるから、安心して寝なさい。」

「ありがとう。ごめんね。」

布団に潜って、少し手を出すと明神のズボンの裾をちょっとだけ掴む。

「おやすみなさい。」

「……ハイ。」

暫くして、姫乃が規則正しく呼吸をする様になってからも、明神は姫乃が掴んだ手を離してしまうのが勿体無くて暫く部屋に残っていた。

「反則だあ…。」

暗い部屋で、天井を仰ぎ見る。

月明かりが部屋に入って、窓枠の影が姫乃に落ちる。

「朝までいたらひめのんびっくりすっかな…。」

姫乃はというとすっかり安心しきってすやすやと眠っている。

何だか悔しくなった明神は姫乃の前髪を手ですくうと、その額に軽く口付けた。

「ひめのんが喜ぶなら飯でも何でも作るけど、いつか全部借りは返してもらうかんな。」

聞こえてはいない耳元でそうささやくと、寝ている姫乃を起こさない様にそっと部屋を出た。


あとがき
苦戦したシリーズ第二弾。姫乃も明神も凄まじく子供です。
ガクが紳士ですが、書きたかったけれど分けた方が良かったかしら…。
明神は今回も駄目な明神で。これを期に料理に目覚めて主夫になるのも面白い…。
2006.10.14

Back