終わりからの始まり

3月。

ヒメノ達が住む村の雪が、少しづつ溶け始めました。

溶けた雪の隙間から、冬の間に埋めた花の芽が少しづつ土を押し上げて首を出します。

サクサクとまだ雪が残っている場所を踏みながら、ヒメノは少し笑いました。

手には大きなトランクと大きなカゴ。

中は旅行中の着替えや一ヶ月前に知り合ったトーゴの叔父に渡すお土産で一杯になっていました。

叔父が住む街はここから馬車で10時間位かかる大きな街です。

ヒメノは失礼が無い様、精一杯綺麗な服を着てきましたが、既に足元が雪解けで緩んだ土で汚れてしまいました。

ため息を吐きますが、それでも叔父の家へ行く楽しみが大きく、もうこの際とスキップをしながらトーゴの家へ向かいます。

トーゴの家で、持ってきている着替えに着替えてしまおう。

そう思い目線を上げると、なだらかな坂道の上に、トーゴの姿が見えました。

ヒメノはとうとう走り出しました。

一度着替えてしまおうと考えると、もう泥が跳ねる事なんかどうでも良くなったのです。

それより、早くトーゴに会いたいと思いました。

手を振って近づくと、トーゴは丁度大きな郵便を受け取っているところでした。

少しづつ暖かくなってきていますが、トーゴはまだヒメノから貰ったマフラーを首に巻いています。

「そろそろ外したら?出かけるんだし…。」

ヒメノがそう言うと、トーゴは名残惜しそうにマフラーを外しました。

「でもこれは持って行くよ。叔父さんに自慢するって手紙で書いたから。」

それを聞いて、ヒメノは困った人、と言いたげに笑いました。

二人で屋敷に入り、叔父から届いた荷物を開けました。

叔父は今日、ヒメノとトーゴが叔父の家へ出かける事を知りません。

突然行って、驚かせようと思っているのです。

大きな包みの中から出てきたのは、手紙が二枚、それぞれトーゴとヒメノ宛てのものと、少し大きめな包みと、小さな包みでした。

大きな包みはヒメノ宛て。

中には綺麗な余所行きの洋服が入っていました。

とてもしっかりした綺麗な生地で作られた、手触りの良いワンピースです。

トーゴは、叔父からの手紙を読みながら、雪解けの土でドロドロになっているヒメノのスカートをチラリと見て笑いました。

ヒメノはその笑顔を見て少し恥ずかしそうに俯くと椅子の後ろに走り、スカートをトーゴの視線から隠しました。

「良かったねえ、荷物、入れ違いにならなくて。」

「そうだな。ヒメノはそれを着て行くだろ?」

手紙には、この服を着たヒメノを見てみたいと書いてありました。

ヒメノはその服を掴むと「着替えてきます」と言って部屋から飛び出しました。

パタンと扉が閉まり、パタパタと足音が通り過ぎます。

足音が小さくなるのを確認すると、トーゴは自分に宛てられた小さな包みを開けました。

小さな包みの中には、小さな箱が入っています。

その箱の中には、トーゴが叔父に頼んで注文してもらった指輪が入っていました。

トーゴと叔父は、再会したあの日から、頻繁に手紙のやりとりをしていました。

その中で解った事は、叔父の両親はそれぞれ病気で他界し、妻と二人で暮らしているという事や、その妻が叔父の学生時代に出会った女性で、とても理解がありトーゴ達に会う事を楽しみにしている事でした。

トーゴがまだヒメノに気持ちを伝えていないと言うと、叔父は直ぐに伝える様言ってきました。

せっかくの縁なのだから、今のうちにちゃんと掴んでおきなさい、もし逃してしまえばきっと一生後悔する事になると。

トーゴは、叔父に指輪を頼みました。

勿論、お金はトーゴに残された遺産からです。

ですがそれも、いつか働いて返そうとトーゴは思いました。

問題は、この指輪を何と言って渡すかです。

叔父の手紙には、きっとヒメノもトーゴの事を好いてくれているから問題はないだろう。

自信を持って、渡しなさいとありました。

手紙の最後には「女性は抱きしめて愛を語るべし」ともありました。

あの生真面目な顔をした叔父が、こんな文章を自分の為に書いたと思うと、トーゴは少しおかしくて笑いました。

荷物が届いてからずっと緊張していたトーゴですが、この手紙を読んで少し心が軽くなりました。

「お待たせしました。」

ヒメノが着替えを終え、部屋に戻ってきました。

「サイズは大丈夫?」

「うん。問題ないよ。」

ヒメノはくるりと回ってトーゴにワンピースを見せました。

スカートがひらりと揺れます。

「こんないい服、初めてだなあ。」

あらためて、ヒメノは今着ている服のスカートや袖を眺めます。

そのヒメノにトーゴは指輪を持って近づきました。

「どうかした?」

首をかしげるヒメノを、トーゴは抱きしめました。

驚いたヒメノは言葉を忘れます。

トーゴの心臓は、ドキドキと早く走りましたが、重苦しい嫌なプレッシャーは感じません。

むしろ、これから良い事が起こる前の様な、そんな気持ちです。

今はただ、せっかく叔父が一生懸命考えて伝えてくれた「方法」を試してみようと思いました。

「ヒメノ、愛している。一緒になろう。」

もっと伝えようと思えば沢山の言葉がトーゴの中にはありました。

一人で毎日本を読んで暮らし、人影が無くなった夜に小さなランプを持って暗い森や山を歩いた日々。

いつかトーゴの住む屋敷は幽霊屋敷と呼ばれる様になり、人が近づかなくなった事をトーゴはむしろ喜んだものでした。

今の自分が在る事を、トーゴは奇跡だと思うのです。

全てはあの日、ヒメノが屋敷にやって来た時から動き出しました。

それをヒメノに伝えようとすると、きっと丸一日かかってしまう。

トーゴはそう思い、想いの全てをまとめると、この二言になったのです。

ヒメノはトーゴの腕の中で、息まで忘れてしまったかの様に固まっていました。

やがて、トーゴの暖かさがヒメノを溶かします。

少し震える口で、ヒメノは答えました。

「…はい。はい。一緒にいます。」

トーゴは用意しておいた指輪をヒメノの左手の薬指に嵌めました。

ヒメノは泣きながら笑い、「叔父様を驚かす前に、私が驚いちゃった。」と肩をすくめました。






呼んでおいた馬車に荷物を積むと、二人はその馬車に乗りました。

ガタゴトと揺れる馬車の中で、トーゴとヒメノは話をします。

「叔父さん喜ぶだろうな。ずっとヒメノに会いたいって手紙に書いていたよ。」

「そうなんだ。嬉しいなあ。」

「叔父さん、ヒメノと早く結婚しろって何度も手紙に書いてて…さっきの手紙にも、式はいつにする?とかドレスはどうするんだ?とか色々書いてあった。」

トーゴは顎に手を当てると、ふう、とため息を吐いて見せました。

ヒメノはそれを見て笑います。

「叔父様せっかちだもの。初めて来た時だって、手紙を送って直ぐだったでしょう?私たちがあっちに着いたらきっとその話ばっかりになるね。」

「そうだなあ。そう考えると、きっと次は子どもはいつだって話になるな。そのうちこっちに住むって言い出すかもしれないな…。」

「そうなったらいいね。奥様も一緒に。トーゴさんの屋敷は大きいもの。」

ゴトン、と音がして、馬車が大きく揺れました。

馬車の車輪が石を踏んだのでしょう。

ヒメノは座席の上でピョンと跳ね、くすくす笑いました。

トーゴはヒメノを支えながら目をパチパチさせます。

「何でも「いい事」にしてしまうんだな。ヒメノは。」

「ん?トーゴさんは楽しくない?」

「…いや、楽しい。」

馬車はゆっくりと、叔父の家へ向かいます。

まだ嵌め慣れていない指輪を、ヒメノは気にして何度も触りました。

触るたび、嬉しくて笑いました。

ヒメノはせっかちな叔父に心から感謝しました。

馬車から外を眺めると、良い天気で空が真っ直ぐ見渡せます。

「ああ、いいお天気。」

ヒメノがそう言い、トーゴが頷きます。

ヒメノは見た事もない大きな街を想像しました。

獅子の噴水、大きな庭園、叔父の行きつけのお菓子屋さん。

目を閉じると、想像はいくつもの形に変化し、浮かんでは消えました。

いつか、ヒメノはトーゴにもたれ掛って眠りました。

目が覚めれば、想像は全て現実となります。

それまで後数時間。

トーゴは幸せな気持ちでヒメノを見守りました。

トーゴも、想像します。

叔父の驚く顔、自分達を招き入れると叔父はきっとまず自慢の奥さんを紹介するだろう。

そうしたら、直ぐにその奥さんにヒメノを紹介する。

自分の妻ですと。

きっと叔父は大喜びするだろう。

ヒメノは嬉しそうに、でも少し照れくさそうに笑うだろう。

そしてもっともっと先。

ヒメノと出会ってから始まり、そしてこれから。

友達が出来て、笑える様になって、好きな人が出来て、家族が出来て。

更に変化していくであろう自分の未来を想像しました。

そして、その想像の全ての中心に、ヒメノの笑顔がありました。


あとがき
最後、と言いながら舌の根の乾かぬウチにもう一つです。
前回のが少し尻切れだなあ、急いだなあと思ったので、加筆修正…とも思ったのですが、長くなりそうなのでもう分けてしまおう!という事で…。
書ききれなかった事を詰め込みました。
2007.03.26

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