OIL
朝。
目が覚めると姫乃は身支度をし、階段を下りる。
すると、珍しく明神が先に起きてリビングでくつろいでいた。
「あれっ!おはよう明神さん!今日は早いんだね?」
そう言う姫乃に明神が「ああ、おはよ。」と声をかける。
手には淹れたてのコーヒーが湯気を上げている、が、明神の表情は冴えない。
「…もしかして、今帰ったの?」
「当たり。」
ふぁああ、と大あくびをする明神。
コーヒーを一口。
「た、大変だったんだね。今日のお仕事。」
「うん。何つーか、質より量って感じで。大した相手じゃないのに時間がかかってかかって…。」
言いながら、明神の体がソファーの上でズルズルと滑る。
「は、早く寝た方がいいよ!コーヒーなんか飲んだら駄目だって!」
明神の手からコーヒーを取り上げる姫乃。
「あ…うう…。」
明神の手が力なく取り上げられたコーヒーカップを追う。
「帰って来たらもう6時くらいだったから…。このまま起きてひめのん待って、飯、食わして貰おうと思って…。」
その言葉を聞くなり姫乃は弾かれた様に台所へ向かうと大急ぎで料理を始めた。
「あ…ゴメン。ゆっくりでいいから。」
急がせてしまって、申し訳なさそうに食事用のテーブルに座る明神。
エプロン姿の姫乃を眺める。
「本当に、オレが待ってたかっただけだから、気にしないで。」
そう言って、そーっとテーブルに置かれたカップに手を伸ばすとまた一口。
それをちらりと見る姫乃。
真っ黒な、苦い飲み物。
明神はコーヒーをブラックで飲む。
甘党の姫乃には信じられない事だった。
おダシをとって、豆腐とわかめのお味噌汁を作る。
夜の内に仕掛けたご飯が炊けていたのでそれをよそい、お腹が減ってるだろうから、と残り物でもう一品。
とりあえず明神の分だけを並べて直ぐに食べさせる。
明神は「頂きます。」と手を合わせた。
ガツガツとご飯を頬張る明神。
その姿をジッと見つめる姫乃。
「…ねえ、そのコーヒー、ちょっと貰ってもいい?」
「ん?もう冷めてるし、コレ砂糖入ってねーからひめのんには苦いと思うけど。」
そう言うと、子ども扱いされたと思ったのか少しむっとした顔をする姫乃。
手をカップに伸ばし、冷えたコーヒーを口に含んだ。
「ん゛。」
びくっと肩を震わせて、姫乃の動きが止まった。
コトリとカップを置くと、手で口をふさいでプルプルと震える。
「…ひ、ひめのん?」
みるみる、姫乃の顔が赤くなり、青くなる。
「な、流し流し!!吐き出せ吐き出せ!!」
慌てて立ち上がり、姫乃の背中をさする明神。
けれど、姫乃はプルプルしながらも口の中のコーヒーをごっくりと飲み込む。
その後盛大にむせ返る姫乃。
「ひ、ひめのん!だから言っただろ?ほら、味噌汁で口流して。」
自分の味噌汁を姫乃に渡す明神。
姫乃は大人しくそれを受け取るとゴクゴクと飲み、大きなため息をつく。
「に、ニガかった…!!」
「無理すっから!何で飲み込んだんだ?」
「えへへ…明神さんみたいになれるかな、と思って。」
「…はい?」
姫乃の答えに目をぱちくりする明神。
真っ黒なコーヒー。
まるでオイルの様。
「明神さん、よくコーヒー飲んでるから。明神さんみたいに強くなりたいって思って。」
そう言われて、苦笑いをする明神。
「ひめのんは、十分強いよ。」
「強くないよ。何にもできないもん。」
「してくれてるよ。こうやっていっつも。」
「ご飯作ってるだけだよ。誰でも出来るよ。」
ブンブンと首をふる明神。
「違う。ひめのんしか出来ない。ひめのんの強さは。」
言って、自分の胸の辺りをコンコン、と叩く明神。
「ココだから。」
「…わかんない。」
口を尖らせる姫乃。
よく、何もしていないのに、何も出来なかったのにお礼を言われる事がある。
けれど、形ある力で役に立ちたいと、姫乃は思う。
「澪さんみたいになりたいな…。」
「やめて。」
即答で拒否。
一瞬姫乃に踏みにじられる姿を想像し、ぞっとする。
「それに。」
ちらりと、視線を外す明神。
「姫乃はオレが守るんだから、あんまり強くなられても、困る。」
「あ…。」
「…。」
「…。」
言った方も、言われた方も顔を赤くして暫く黙る。
ややあって、姫乃が「うん。」と言った。
それから、姫乃の分も朝食を用意し、一緒に残りを食べる。
食べ終わると管理人室に退散する明神。
部屋に入ったとたん響くイビキに少し笑う姫乃。
台所へ戻り、明神の残りのコーヒーを温め直し、砂糖とミルクをたっぷり入れて飲みなおした。
「ちょっとづつ、近づこう。」
呟いた独り言は、静かなリビングに吸い込まれた。
あとがき
明神はブラックで、姫乃は甘くして飲みそう、と勝手にイメージしています。
逆に、明神もカフェオレしか飲めないとかでもいい感じなんですが…。
2006.12.03