眠り歌

目が覚めるとまだ深夜で、体が酷く重かった。

何か夢を見ていた様だけれど良く思い出せない。

眠っていたのに物凄く疲れているところからすると、多分悪い夢だったんだと姫乃は思った。

まだ慣れない新しい部屋をぐるりと見回すと、封がしたままのダンボールや小さい頃お気に入りだったくまのぬいぐるみなんかが月明かりに浮かび上がる。

妙に頭が冴えてしまい、起き上がると電気を付けた。

暗い部屋にポツンといると何だか怖い。

管理人である明神は夜仕事で出ると言っていたけれど、もう帰って来ているかどうかはわからない。

管理人室まで行けば明神が、もしくは他の部屋に行けばエージやアズミがいるだろうけれど、どこにいるかは知らないし、かなり古い建物で、薄暗いうたかた荘の中を一人でうろうろする方が恐ろしく思えた。

何となくカーテンの隙間が気になってしっかりと閉め直す。

その時、外で物音がして姫乃の心臓がバクンと跳ねた。

玄関が開く音。

かすかに聞こえる足音は、玄関に入ったと思うと管理人室のドアを開け、その中へと消えた。

「明神さんだ。」

明神が帰って来たと思うと急に心強くなって、姫乃はそっとドアを開け、階段を下りる。

階段がギシギシ悲鳴をあげる。

つま先でトトト、と走ると管理人室の前で立ち止まる。

ここまで来たのはいいけれど、勢いでここまで来たけれど。

そういえば何をしに来たんだろうと、ふっと我に返る。

夜中目が覚めて、一人だと怖くなって…なんて言ったら大笑いされそうだ。

何となく頼りになる人だからって、こんなところまで頼っては駄目だと姫乃はくるりと向きを返る。

キイ、と薄く管理人室のドアが開いた。

明神がその隙間から外を覗く。

「…ひめのん?どしたあ?」

声は少し、眠たそうだった。

「わ!ご、ごめんなさい。何でもないよ〜。ちょっとね。それより起こしちゃった?疲れてるよね。お、おやすみ!!」

ダッシュでその場から逃げようとしたけれど。

「眠れないか?このアパートボロだからなあ。ちょっと雰囲気あるだろ。」

「う。」

姫乃は立ち止まる。

見透かされてしまった事は少し恥ずかしいけれど、今はそれより明神の厚意に甘えてしまいたい。

「何か飲む?大したモンないけど。」

そう言われて、姫乃は大人しく首を縦に振った。

「明日学校は?」

「あるよ〜。だから早く寝ないとって、逆に焦っちゃって。」

管理人室に招き入れられ、姫乃は布団の上に座り、ホットミルクを手渡された。

それをフウフウ吹いて、ちびりちびり飲む。

「今日のお仕事は大丈夫だったの?怪我とかない?」

そういえば先ほど疲れた顔をしていた事を思い出し、聞いてみた。

「ないよ。まあ一晩暴れて疲れてはいるけど、いつもの事だしな。」

「ご、ごめんなさい!これ飲んだら直ぐ戻るから…。」

慌ててカップを口に運ぶけれど、まだ熱くてそんなに早く飲み干せない。

「いいっていいって。ホント平気だし、ひめのんは大事な住人だからな〜。」

そう言って笑う明神の表情に、先ほどの疲れは微塵も感じられない。

本当に疲れていないのか、明神が疲れを隠すのが上手いのか、姫乃には見分けがつかなくてそれが無性に寂しかった。

「まだ慣れないか?ここ。」

「ん〜…大分、慣れてきたよ。踏んじゃいけない床の場所も覚えてきたし、部屋だってちょっとづつ片付いてきたし。でもほら、こっち来てから色々あったから。急に思いだして怖くなったりしちゃうんだよね…。」

「そりゃまあなあ。いきなりあんなの見えたらびっくりするよな。」

ふと思って、姫乃が聞いてみる。

「明神さんは小さい頃から見えたの?」

その質問に、明神が鈍く反応する。

聞いてはまずかったかと姫乃が口を開こうとした時、明神が一言だけ「みえたよ。」と言った。

姫乃は、それ以上は聞かなかった。





それから数十分。

明神は姫乃に今まで会って来た怖くない方の幽霊の話を沢山した。

記憶を辿って、昔陰魄から助けた幽霊の話しや、成仏させた幽霊の話。

皆どこか寂しかったり、誰かを探していたり、何かを忘れられなかったりしていた。

「でもさ、ちょっとのきっかけで道が開けたりするんだ。その手助けすんのもオレの仕事で…やっぱ「ありがとう」って言われると嬉しいよ。今も。」

「へえ…。凄いね。」

凄いと言われると明神は素直に照れた。

嬉しそうに。

「…それでひめのん、今三時を回ったけど寝れそうか?」

「え?あ!!」

時計を確認して姫乃が叫ぶ。

「…どうしよ。結構しっかり目が開いちゃってる。」

頭を抱える姫乃。

ホットミルクはすっかりカラッポになっている。

「うーむ…。子守唄でも歌うか?」

冗談で言った一言に、姫乃が手をポンと打った。

「じゃあそれで!明神さんどうぞ、さんハイ!」

「…ハイって。」

「このまま寝れないと明日大変なんです!真剣に!」

「って言われても…オレ子守唄とか知らないよ?」

「ええ〜。」

さもがっかりした様に言った姫乃。

一度首をカクリと垂れて、明神が何かフォローを、と思った瞬間急に起き上がる。

「じゃあ私が歌うから、明神さん続いて歌って!」

「へえ!?」

突然言い出した言葉があまりに突拍子もなくて、一瞬言葉を失う明神。

拒否する暇もなく、姫乃が歌いだす。

「迷い迷いにゃこの世界♪ハイ。」

「…。」

どうしていいかわからず黙っていると、姫乃がずいと身を乗り出した。

「迷い迷いにゃこの世界。ハイ。」

目が据わっている姫乃の背後から出るオーラに圧されて、恐る恐る口を開く明神。

「…ま、まよい、まよいにゃ…って!恥ずかしいから!オレ音痴だし!」

「歌ってくれるって言ったのに!」

「っこの…でやあ!!」

ちょっとでも歌ってしまった事が恥ずかしくて、明神は姫乃に頭から毛布を被せる。

「うわ!?」

「それかぶって、横になりなさい!…寝るまで電気つけといてやっから!」

そう言って姫乃に枕を渡すと、クルリと背を向けて手で顔を扇ぐ。

その背中をうらめしそうに眺める姫乃。

いくら睨んでも明神は振り返らない。

姫乃は仕方なく、一人で歌いだした。

「…迷い迷いにゃこの世界、ここは出で立ち花のお便り…菜の葉の嵐にゃ碇を放て。」

「変わった歌だな。」

「うん。昔お母さんが歌ってくれた歌。子守唄じゃないんだけど、私好きで、何度も歌ってっておねだりした。」

「ふーん…。」

「迷い迷いにゃこの世界。」

「…まよいまよいにゃこのせかい。」

姫乃の後に、明神が歌う。

背を向けたまま。

姫乃は少し驚いたけれど、照れてこちらを向かない明神が、それでも歌ってくれる事が嬉しくて笑った。

「ここは出で立ち花のお便り」

「ここはいでたち、はなのおたより」

「菜の葉の嵐にゃ碇を放て」

「なのはのあらしにゃ、いかりをはなて」

「力を合わせてチチンプイプイチチンプイプイ」

「ちからをあわせて、ちちんぷいぷい、ちちんぷいぷい…どうだ?」

顔を赤くして振り返る明神。

姫乃は毛布に包まりながらVサイン。

「バッチリ。」

「…だろ?」

姫乃が毛布を頭からかぶり、その中でくすくす笑い出した。

「あ、こんにゃろ。笑ったな!」

毛布を剥ぐと、姫乃がひっぱられる勢いで転がった。

「ひどーい!」

「自業自得です!」

それから二人は、色んな話をして時間を潰した。

今日学校であった出来事や、仕事で失敗した時の話。

新しく出来た友達や、今まで出会って別れた幽霊の話。

時計の針が四時を回った頃、気が付くと姫乃は会話の途中で眠っていた。

「…やっと眠れたか。」

毛布からこぼれた両腕を布団の中に入れてやると、明神は電気を消して管理人室を出た。

年頃の女の子が若い男の部屋で一緒に眠るなんて事は良くない。

姫乃の部屋まで運ぶという選択肢もあったけれど、移動中目が覚めてしまうかもしれないのでここはそっと寝かせておく事にした。

明神はリビングのソファにごろんと転がった。

体は疲れ果てているので、目を閉じると直ぐにまどろみ始める。

頭の隅で、姫乃の歌声が響く。

姫乃には子守唄は知らないと言ったけれど、それは正確な表現ではない。

知らないというより、良く覚えていない。

確かに歌ってもらった記憶はあるけれど、昔の事は思い出すと必ず一緒に辛い事も思い出してしまうので、あまり思い出さない様にしていた。

けれど今は、その一緒にしまい込んだ記憶の中に、とても優しい物があった気がしてならなかった。

そしてそれを、思い出したいと思った。

過去の記憶を、ぼんやりする頭でそっと紐解いてみる。

意識をどんどん、過去へと巡らせる。

まだ父と母がいた頃。

まだ自分は小さくて、一人では何も出来なかった。

泣き虫で。

母親は好きだったと思う。

父親も。

あの事故が。

フラッシュバックで目の前に広がった光景を明神は消した。

…もっと前。

もっと前。

母親の歌。

あった。

思い出した。

ああ、こんなフレーズだったか。

好きなテレビは…。

名前は思い出せない何とかレンジャー。

何戦隊だったっけ?

お祭りでお面を買ってもらった。

直ぐに輪ゴムが切れて、泣いて、母親が新しい輪ゴムをつけてくれた。

好きなお菓子。

近所のスーパーで駄々こねて買ってもらったおもちゃ付きのお菓子。

そのおもちゃをどこでも持ち歩いて、直ぐ転がして無くした。

同じ物を欲しがると前にも買っただろうと怒られた。

眠れ、眠れ。

母の歌だ。

この歌が好きで、この歌をもっと聴きたくて眠ってしまうのがいつも勿体無いと思ってた。

眠れ、眠れ。

眠りたくないよ。

まだ聴いていたいんだから。

まだ聴いていたいんだから。






目が覚めると、そこはリビングのソファーの上ではなく、玄関だった。

むくりと起き上がって伸びをする。

何か夢を見ていた気がするけれど、どんな夢だったのかはっきりとは覚えていない。

多分、いい夢だったんだろうと何となく思った。

部屋に戻ろうとのろのろ立ち上がると、姫乃の悲鳴が管理人室から聞こえてきた。

慌てて走る明神。

「どした!ひめのん!!」

バン、と勢い良くドアを開けると、姫乃はパジャマのまま時計を握り締めて立ち尽くしている。

「みょ、明神さん…今、お昼の二時…。」

「え。」

姫乃が手にした時計を覗き込むと、確かに時計は二時を指している。

窓から外を覗くと、太陽は真上を通り過ぎ傾きはじめている。

「…あーこりゃ完全に遅刻だな。ってかもう欠席の勢いだな…。」

「寝過ごしちゃったー!!まだ学校始まったばっかりなのに、いきなり無断欠席!!」

涙目で頭を抱える姫乃。

それを見て笑うしかない明神。

「もう、笑い事じゃないんだからね!」

「いやそうだけどね。良く寝たなあ〜。オレも今起きたとこ。」

ぐぬー、と伸びをして欠伸を一つ。

姫乃もつられてふわあ、と大きく口を開ける。

「女の子なんだから、口元隠しなさい。」

言われて慌てて口を押さえる姫乃。

「…もう、お母さんみたいな事言うんだ。」

「せめてお父さんって言えよな。しっかり眠れたみたいだな。」

「明神さんも。すっきりした顔してるよ。いい夢見た?」

「…多分。ひめのんは?」

姫乃は、一瞬恥ずかしそうに顔を赤らめ、それから笑う。

「見たよ、いい夢!…多分明神さんのお陰。」

そう言って、とことこ移動を始める姫乃。

何が「お陰」なのか気になって、後に付いて行く明神。

「オレの?」

「うん。昨日の歌!嬉しかったから。」

「あー…。」

思い出すとまた恥ずかしくなってきた。

ポリポリと頬を掻く。

「…笑ったくせに。」

「だって……何でもない!」

言いかけてやめると、階段を駆け上がる姫乃。

「あ、何だ。気になるぞ。」

追いかける明神。

さっと自分の部屋へ入った姫乃はすぐにドアを閉める。

「え、何だよ。」

「あのねえ。」

扉越しに、姫乃の声。

「お母さんの夢、見たよ。」

話しはすりかえられたけれど、明神は悪い気はしなかった。

扉の前で目を閉じる。

「そか。良かったな。」

「うん。」

「じゃあ着替えます。」

「おう。」

明神は階段を降りて行く。

「…オレも見たよ。」

律儀に布団がたたまれた管理人室に戻ると、明神は一人で呟いた。

姫乃は着替えると言いながら、敷きっぱなしになっている布団に倒れこむ。

部屋は昼間の明かりが差し込んで明るい。

「…よし。今日は部屋をちゃんと片付けちゃお!」

勢い良く立ち上がるとタンスの中からお気に入りの服を引っ張り出す。

鼻歌を歌いながら。

頭の中で、昨晩明神が歌ったぎこちない歌が流れた。

口をおさえてくすくす笑う。

「だって、可愛かったから、って言ったら怒るよねえ。」

一人呟いて、もう一度笑った。


あとがき
冬悟が両親とどんな関係だったのか良くわからないのですが、甘えんぼだった位がいいなあと思っています。
2007.04.08

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