ねえ

毎日学校に行くのは義務だから。

義務教育の義務じゃない。

あの部屋に住む為に、通い続けなければならないというだけの事。

だから、嫌でも面倒くさくてもつまらなくっても私は通っていた。




放課後、私を呼ぶ声は渡り廊下の向こう側から聞こえてくる。

大声で名前を呼ばれるのは、ここ数年無かった事で、何だか変な気持ちになった。

……それも最近は慣れてきたけど。

「雨宮ー! こっちだこっち。今日もお前んチで特訓だろ? メシどうする? 先に食う? 後にする?」

ああ……馬鹿。

周りの生徒が一斉に振り返る。

その中で、私が「雨宮」だと認識している人間はクラスメイト(だと思われる。あまりクラスメイトの顔と名前が一致していない)の数人。

残りは大声で喚いている夜科アゲハを知っている人間だと思われる。

学校ではちょっとした有名人の夜科アゲハとクラスでは浮いている存在の私という組み合わせに、注がれる視線には好奇の色が宿っている。

「……大声で話しかけないでくれる? 後でメールするわ」

「お? わかった。じゃあ後でな!」

……私は数メートル先の夜科アゲハに聞こえるか聞こえないかのギリギリの大きさで声をかけたけれど、夜科アゲハはそれをちゃんと聞き取って返事をした。

たくさん……沢山受け取れないだろうと思って投げたボールを、この夜科アゲハは何でもないように受け止めて、ちゃんと返してくれた。

何度も何度も。

ブンブンといつものオーバーリアクションで手を振ると、夜科はどこかへ走って消えてしまった。

その夜科アゲハを怒鳴りながら追いかける、掃除当番らしい女子。

ああアイツまた掃除当番サボってたんだ。

ホント、馬鹿。

最近、つまらないだけ、時間が経つのを待つだけだった学校が……退屈なだけじゃなくなってきた。







「雨宮〜、お、いたいた」

それから数十分後。

私は図書室に居た。

ここにいるからとメールをすると、夜科アゲハはすぐにやって来た。

「今日はどれにする? 棚の上の方のヤツ、オレが取ってやるから言えよ」

「……声、もう少し小さくして。図書室は静かに」

「へーいへい」

迎えに来たからと言って、直ぐに移動する訳じゃない。

今日も私の部屋で夜科のPSIの訓練をする訳だから、暫くの間、私の方は暇で仕方が無くなってしまう。

何かその暇な時間を潰す物が必要だった。

バーストの特訓を始めて三日目。

夜科のPSI は作用するものの効果が見られず、時間がずるずると経っていく。

おかげで読みたいと思っていた本は大体読みつくしてしまった。

部屋に読み終わった本が積まれていくのを見て、夜科が図書室の本を借りる事を提案してくれた。

学校の施設の事なんて頭にこれっぽっちもなかったから、意外といい提案だった。

お金が無い訳じゃないけど、読み終わった本をどこに置こうかという問題がある。

使ってない部屋にためていく事も出来るけど、そのまま埃をかぶるのは目に見えているし。

借りて返せば済むのなら、利用しない手はなかった。

「なあ、これなんか面白そうじゃね?」

そう言って夜科が差し出したのは「珍獣怪獣大行進」と書かれた薄っぺらい本だった。

私はそれを一瞥すると、無視して次の棚へと進む。

すごすごと引き下がる夜科を引っ張って、その手に本を五冊ドサリと乗せた。

一人が一日に借りれる本は、五冊まで。

私は夜科の図書カードも使って一日十冊借りていた。

「これ宜しく」

「へーい」

本を借りると自分が借りた本と夜科が借りた本をまとめて手提げに放り込む。

本が十冊だと結構な重みがあるけれど、そこは夜科が何も言わずに持ってくれる事になっていた。

暗黙のルール。

別に強制した訳じゃないけれど。






帰り道……と言うか、私達にとっては「行く道」を歩いた。

少し早足で部屋へ向かう。

今日は出来るかどうか、ちょっとづつ夜科が緊張してきたのが会話から伝わってくる。

今日こそは! と、威勢がいいのはいつもの事だけど。

「無理は禁物よ。まだ時間もあるし」

「わあってるよ」

馬鹿だ馬鹿だと思っていたけれど、夜科アゲハは本当に馬鹿だ。

本当に馬鹿なんだけど、馬鹿しか思いつかない様な突拍子も無い案を出したりする事もある。

今もブツブツと何か考え込んでいて……それでも前向きで、少し羨ましい。

私がサイレンに足を踏み入れた時はこんな風にどうしたらもっと、なんて前向きに考えたりは出来なくて、世界は恐ろしい程絶望的なものだったのに。

私は……何故こんな事になったんだろうとまず考えた。

家出をするんじゃなかった。

ずっと我慢して家にいたらこんな事にはならなかったかもしれない。

でもそうじゃない。

家にいたっていつかサイレンと出合っていたかもしれない。

それなら、親が離婚していなければこんな事にはならなかった?

私がこんな事になったのは、パパとママのせい?

「何故」はいつの間にか「誰のせいで」に変わる。

……誰かのせいにする方が楽だった。

恨んでみたり、何も知らない人たちを妬んでみたり、馬鹿にしてみたり。

そうこうしている内に、私も加害者の一人になった。

「ねえ、夜科」

だから、夜科は馬鹿だからそんな事気付きもしないんだとずっと思っているけれど、どうしても聞かないといけない事があって、返って来る言葉だって解りきっているのに聞かないと不安な事があって。

「な、何?」

私の緊張が夜科に伝染ったみたい。

表情を硬くする私を見て、夜科も困惑しているようだった。

「あの……ね」

「お、おう……」

私は俯いた。

鞄をぎゅっと握った。

「あの……夜科は、私の事」

「え? な、何」

緊張で私の声は凄く小さくなって、そうしたらその言葉を聞き取ろうと夜科の顔が近付いてくる。

夜科は呼吸も止めているようだった。

……もしかして、私に叱られると思ってる?

「私の事、恨んでない?」

「は?」

ほら、やっぱり。

想像通り夜科アゲハは正真正銘の馬鹿だ。

「何で」

「何でって……私があの時、助けてって言わなかったらアンタ今こんな事してないでしょ? 放課後はクラスメイトのあの……仲のいい二人と遊びに行って、好きな子だっていたんでしょ? あんな世界……自分から足を踏み入れたいなんて思う人いないもの。それに、あんまり学校で私に声をかけるのやめたら? アンタも浮くわよ。五月蝿いし」

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

夜科が頭を掻き毟って仰け反った。

「な、何よ」

「何だよ、オレはもしかしたらってスゲー期待したのに」

「だから、何の話よ。私の話はちゃんと聞いてるの?」

「聞いてるよ」

「ならさっさと答えなさいよ。私は質問したんだからね」

「あのなァ……恨んでる訳ねーだろ」

そう言うと、夜科はさっさと歩き出す。

心なしか機嫌が悪くなったみたい。

「……何よ。こっちは色々気にしてるのに」

「そんなモン気にすんな。小便とセットで便所に流せ」

「女の子の前でそういう事言うのやめてくれる?」

私は夜科の頭を掴むとギリギリと力を込めた。

痛がって逃げる夜科。

「……っ!! いてぇ!! 暴力反対!!」

「イヤならもう少し言動に気をつける事ね」

「あのなっ! オマエが妙な言い回しするから悪いんだろ!?」

「だからさっきからどういう意味よ!」

「どういうって……!!! あ゛ー!!! もう!!!」

夜科はまた空に叫ぶ。

五月蝿い。

「そういうオマエはっどう思ってんだよ!! ……お、オ……オレ」

「何?」

「オー……レ……オレ……。オレ〜ンジジュース」

「は?」

「……オレンジジュース、好きか?」

「……好きだけど」

「好きか……じゃあ、買ってくる」

夜科はトボトボとコンビニに入ると、百円のパックジュースを買って私に手渡した。

その目はどこか虚ろで、焦点が定まっていない感じがする。

私はパックにストローを刺して、それを吸った。

甘酸っぱくて、美味しい。

私はこの味が好き。

苺のショートケーキには負けるけど。

でも……好き。

夜科の割と大きな背中はくにゃりと曲がっていた。

膨らみすぎた風船がしぼんでしまったみたいに。

それから私の部屋に着くまで、夜科は口を開く事はなかった。

私の問い掛けに「ああ」とか「おう」とか適当に返事をするだけで。

……私はオレンジジュースを飲みながら、夜科の曲がった背中を飽きる事なく眺めていた。


あとがき
桜子視点の夜→桜でした。
この何というかお互い考えている事が合いそうでずれるギリギリのもどかしさみたいなのが夜桜的に大好きです。
2008.08.15

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