( なんだこの甘酸っぱさは!)

ある日突然。

「きゃー!!!!!」

それは起こった。

起こったというか、そうなった。

姫乃の部屋から聞こえてきた悲鳴に、明神は管理人室の扉をばん!と開けた。

読みかけの資料を放り出し、一直線に階段を駆け上がる。

「どうした、ひめ…。」

ガン!

「えぶっ…!!」

「え、あ、明神さん?」

明神は自分が開けようとした姫乃の部屋のドアに顔面を強打した。

開ける前に勝手に開いたからだ。

「きゃー!ごめんなさい!大丈夫!?」

ひりひりと痛む鼻を押さえながら、それでも姫乃に食いついた。

「びめのん、ざっきの悲鳴、何?何かあった?」

「あ、そうだ!明神さん、見てっ!!」

明神をドアにぶつけてしまった事は済まないと感じているが、今はそれ以上に興奮していた。

姫乃の両手には、アズミがしっかりと抱えられている。

「え…?あああ!!!ひめのん、これって…!!」

「そう!私触れる様になったのー!!!」

ぐいっとアズミを差し出して姫乃が言う。

姫乃18歳。

無縁断世の力がどんどん強くなっていくにつれて、姫乃の霊力が上がっているのだとすればいつかはこうなっても不思議ではない。

「おおおおお!!ひめのんすげー!!」

姫乃はもう一度、アズミをぎゅっと抱きしめる。

「ひめの!」

アズミも姫乃にしっかりと掴まる。

「なんだ、どうした?騒がしいな。」

壁からエージがにゅっと顔を出す。

すると、姫乃はアズミを一旦下に下ろすと、今度はエージに抱きついた。

「エージ君!!」

「どわああ!!?」

いきなり抱きつかれてエージも狼狽する。

「ヒメノ何する…って、え、オマエ。オレに触ってる!?」

泣きそうな顔をして姫乃は何度も何度も頷く。

「は、はは。すげーな!!これっておめでとうなのか?」

明神の方を見てそう訊ねる。

自分達に触れる様になるのはいい。だけど力が増すという事は、一般の生活からまた少し「こちら側」に近づくという事でもある気もする。

だけど、何があっても守ればいい。

それはずっと前から決めている事だし、今更どうって事はない。

「ああ、おめでとう、だ。」

きっぱりと言う。

「ありがとう、明神さん。」

明神はぽろぽろと落ちる姫乃の涙を拭ってやる。

「ほれ、笑って笑って。」

くすぐったそうに姫乃が笑う。

「おめでとう、ひめの。」

アズミが言う。

「エージ君、これから私の部屋では素振り厳禁だからね。」

ふん、と腰に手を当てて姫乃が言う。

「まあ気をつけてやるよ。」

「あー、また生意気言って!」

姫乃はエージにしがみつくと、頭を拳でぐりぐりとする。

「いででで!馬鹿、ヒメノやめろよ!」

姫乃は笑いながら、また涙をながす。

嬉しい、嬉しい。

そんな姫乃の頭を明神がなでる。

アズミもなでる。

エージは、手をだしかけて、やめた。

何だかガラではない気がしたからだ。

「何か騒がしいな。ねーちゃん達、どうした?」

「ひめのん、泣いているのか?」

今度はガクとツキタケが帰ってきた。

すかさず、姫乃は二人に飛びついた。

驚く二人。

ガクは驚きと喜びでキツク姫乃を抱きしめる。

苦しそうにタップする姫乃。離されると今度は大声で笑う。

一瞬、明神がピクリ、と反応するのをエージは見逃さなかった。




それから数日間、今まで触れられなかったフラストレーションを晴らすかの様に姫乃は霊の皆と触れ合った。

姫乃の膝はアズミの特等席になった。

ここ数日はずっと姫乃に絵本を読んでもらっている。

エージはよく姫乃に耳をひっぱられる様になった。

言い合いの喧嘩もよくするが、コツンと頭を叩かれたりする事もある。

子ども扱いされるのは面白くないけれど、加藤の球を打った日に、帰りに姫乃と拳をコン、と合わせるのは最近の日課。

ツキタケは姫乃にマフラーを何度も巻き直して貰う様になった。

「時々ずれてて気になってたんだ。」

そう言って笑う姫乃にツキタケも笑い返す。

ガクは姫乃に何度も頭を撫でて貰った。

「ずっと、愛は捧げるものだと思っていたけど、ひめのんに与えられる愛ならいくらでも大丈夫。」

「不思議だ。」ガクがそう言うと、姫乃は少し照れくさそうに笑う。

そんな様子を見ながら、明神はすこーし面白くない。

「いや、いい事なんだよ。微笑ましくてね。」

遠目に姫乃達のやりとりを見ながらブツブツと独り言を呟くと、気が付けば背後にエージがいた。

「焼き餅やいてんの、明神。」

「どああああ!!エージ、いつから後ろにいやがった!」

「「いい事なんだよ」くらいから。」

「あ、そうかい。」

じとりとエージを睨む。

にや、とエージは笑って返す。

「まあいいんじゃねえの。こんなに極端なのは今だけだって。今だけ。」

「あのな、」

何か言おうとした明神の言葉を遮ってエージが呟く。

「ヒメノ、あったけえな。」

「あ?」

今度はエージが明神をじとりと睨む。

「いいじゃねえか。どうせ最後はオマエんとこ戻るんだから。今くらい。」

「ああ?」

エージの言わんとしている事がイマイチわからない。

自分が生きていて、エージ達が死んでいるという事を言いたいのだろうか。

「そうは言っても、ひめのんあれだぞ、多分生きてるとか死んでるとかあんまかんけーねーぞ。」

「そこがいいんだろ?…オレもそうだし。」

「あああ?」

今日のエージはよくわからない。

「あ、あれ?オマエひめのん好きなの?」

ぷぷ、と笑いながらエージを茶化す。

「ばーか。」

もっとオーバーに否定するか怒鳴ってくるかと思ったけれど、エージは真顔で一言だけ言うと壁の中に消えてしまう。

「ええ…、何なんだよ…。」

呆然と、壁を見つめる明神。

そしてもう一度、アズミを膝にのせ、ガクとツキタケに囲まれて絵本を読んでいる姫乃を見る。

最近、ため息が増えた気がする。

「…オレって、こんな小せェヤツだっけ…。」




スポン、と隣の部屋に移りエージはごろんと横になる。

「明神には悪いけど、今くらいいいよな〜。」

ぼんやりと、呟いた。

明日はうたかた荘の皆で公園で野球をする約束をしている。

もちろん姫乃も野球に参加。

今の間、明神は一人でハラハラしたらいい。

姫乃の心が明神以外の誰かに移る事なんかない事を、自分はよく知っているから。

たとえ本人同士が殆ど無自覚でも。

明日は楽しみだ。

明神の投げたボールをホームランで打ち返してやろう。

そう考えて、ゆっくりと目を閉じた。


あとがき
姫乃はいつか皆を触れる様になるんじゃないのかな、と妄想して書きました。
あまずっぱいのはエージと明神ですね。明神の視点で書こうと思っていたのに、気が付くとエージの視点に。
エージ大好きだ!

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