なでしこ
明神はとても不機嫌だった。
それには理由があるけれど、決して今隣に座っている姫乃と喧嘩をしたからだとかそういった事ではない。
日曜の午後、天気は晴れ。
日差しは暖かく熱くも寒くも無く、気温も丁度いい。
見事な散歩日和に満開の桜がオマケでついてくるという「ちょっとブラッと外に出ませんか?」と、あまり違和感無くデートに誘うに的した今日、お誘いも成功し、家を出て直ぐはむしろ上機嫌だった。
明神の誘いの言葉に姫乃の返答は勿論、即答で「行く」で、姫乃は少し待ってねと言うと、慌てて少し余所行き用の服に着替えて下りて来た。
並んで歩く事数分、公園の桜は満開で、ちょっと休んでいこうかとさりげなく初めて出会った場所まで誘導した。
思った通りと言うより、狙った通り、姫乃はその場所で何か意味深な目で明神を見た。
「そう言えば、初めて会ったのがここだったよね」
「ん? ああ、そういやそうだな〜」
とぼけた答えに姫乃は笑った。
わかっててここに来たんでしょ? とは言わず、自分が寝ていた場所に座ると足をブラブラさせて周りの景色をぐるりと眺めた。
その隣に明神も座る。
お花見日和の休日の公園は、子供からお年寄りまで老若男女沢山の人が居た。
話し声や笑い声をぼんやり聞きながら、明神は姫乃の様子を横目で窺った。
特に会話はないまま、姫乃は公園をぐるりと囲んだ桜の花を楽しそうに眺めている。
何も無いのんびりとした午後、暖かい日差しと満開の桜、それから姫乃。
ささやかな心の栄養補給をしながら、明神は幸せを噛み締めていた。
……と、ここまでは計算上の出来事だったのだが、その数秒後にイレギュラーは起こった。
座った時には他もうるさかった為に気がつかなかったのだが、時間が経って周りを見渡す余裕が出てくると離れた先にあるベンチに座っているカップルが、きゃっきゃっわいわい非常にテンション高くいちゃいちゃしているのを見つけてしまったのだ。
そして見なきゃ良かったと心底思った。
駆け回る子供達、一緒に遊ぶお母さん、のんびり桜をみているおじいさん、そんな中でベンチに密着して並んで座り、手を握ったり肩にもたれかかったり肩を抱いたりその他諸々非常に情操教育に宜しくない。
大体、こんなに人が多いところであんな風に振舞えるという事が明神には信じ難かった。
桜を見ろ桜を……!! 心の叫びは喉で止めておく。
きゃあきゃあ笑い、隣の男性に抱きつく女性を見ながら清楚で慎ましやかであるのが美しい女性の姿だろう、と腹の中で文句を言う。
人前でほっぺにチューなど、何とはしたない。
別に女だから女らしく、男だから男らしくと言っている訳ではないけれど、単純に好みの問題で古風な女性が好きだと明神は思った。
日本男児たるもの、やはり大和撫子にぐっと来るべきだ。
オープンに愛情表現をするよりも、どこか躊躇いがちに、恥かしげにされた方がこちらとしては喜ばしい……というと変態みたいだが。
とは言え、心の奥底に沈めた本音には「昼間っからいちゃいちゃしやがってこっちは隣に座って桜見るだけの幸せを噛み締めてんだよ邪魔すんな」という思いがてんこ盛りにある。
周りに人が居なければ、そりゃ手のひとつや二つ繋いだり肩を抱いたり……なんて事をしたいけれど、公共の場でそれはありえない。
つまり、けしからんけどちょっと羨ましい。
明神は苛々悶々し、どうしたものかとチラリと姫乃を見ると、姫乃もそのカップルを眺めていた。
……目の毒だ。
姫乃の成長にも宜しくない。
明神はそう判断すると、姫乃の視界からカップルを遮る様できるだけさりげなく姫乃の目の前に立った。
「ひめのん、場所変えようか。あっちの桜のが沢山花開いてるみてーだし、そこの方が綺麗かもよ」
「あ……そうだね。そうかも」
言葉の意図を察したのかどうかはわからないが、姫乃も立ち上がった。
そして並んで歩き出す。
「これで屋台とか出てたらいいけどな〜」
「咲良山の団地の上にある大きな公園知ってる?」
「あ? ああ、知ってる」
「そこ今ぼんぼりとか吊ってね、お祭みたいになってるって」
「ほー。じゃあそこ行くってのも手だな」
「そうだね。今からだったら夕方になっちゃうけど」
「まあ、今日は時間……」
言いかけて、明神の口が「時間あるから」の「あ」の形で固まった。
隣で歩いていた姫乃の手が、少し遠慮がちに明神の手に触れたのだ。
そして薬指と小指に絡める様に指を引っ掛けた。
明神が驚いて勢い良く姫乃の方を振り返ると、姫乃は慌てて繋いだ手を引っ込める。
言葉無く、明神は顔を赤らめながら口をパクパクと開閉させた。
姫乃はその明神を見上げ、眉を顰める。
『な、な、急にどうされました?』
『あ。あ、い、嫌だった?』
無言のやりとりを台詞に変えるとこうなる。
姫乃の表情が曇った事に明神は直ぐ気付き、慌ててブンブンと首を振った。
驚いただけだから。
びっくりしただけだから。
明神はもじもじと胸の前で重ねられている姫乃の手を、片方毟り取ってしっかりと握った。
そしてずいずい歩きだした。
友達同士だろうか、三人の子供が笑いながら明神と姫乃の横を走り抜けていく。
あのカップル達に言っていた文句は棚に上げ、手を取ってくれた事を嬉しそうにしている姫乃をただ可愛いと思う。
オープンに愛情表現をされるのも嬉しい。
あのカップルを見ていて苛々していた気持ちがスッと無くなった。
我ながら何とわかりやすいのだと思い、あの二人にも少し悪いなと思う。
明神は心の中で毒づいた事を、心の中で謝った。
「あー……今日は時間あるから、夜までに帰りゃいいだろ」
「うん」
動揺していた頭が少し冷えると、明神は桜を見上げた。
満開の薄ピンクの花は、風に吹かれるとヒラヒラと散っていく。
おお綺麗だと感動しながら、桜を見に来たのにしっかり桜を見るのはこれが始めてだと気付き、さっきまで散々あの二人に文句垂れてたのになと自嘲する。
繋いだ手を握り直して姫乃の方を振り返ると、こちらも動揺から立ち直ったらしい普段通りの笑顔で応えてくれた。
明神は、大和撫子は好きだがそれとは関係無く姫乃が好きだと、己の好みの女性像に訂正を加えた。
あとがき
もっとコミカルな話にしようと思っていたんですが、意外と(?)しっとりとした(?)話になりました。
最近雨が良く降るので桜が散りそうです。それまでに春っぽい話を。
好みの女性……明神さんはひめのん以外眼中なさそうですが…。
2008.04.10