Mother's Day.
「はい!お母さん!」
手渡されたのはカーネーションの大きな花束。
雪乃は目をパチパチさせて驚いた。
「あら、あら。そういえば今日は母の日だったかしら?」
何年も結界の中で過ごしていた為、世間の流れに少し疎くなってしまっていた。
雪乃はチラリとカレンダーを見ると、「母の日」と書かれた文字をあらためて確認する。
「ありがとう。あなたの誕生日は覚えていたんだけど、駄目ねえ。」
「えへへ。」
沢山の真っ赤なカーネーションにかすみ草を添えて。
赤と白が鮮やかに揺れる。
姫乃からは花束で雪乃の顔が半分隠れて見えた。
幼い頃、姫乃は母の日に折り紙でくしゃくしゃのお花を折ってプレゼントした。
あまり一人で外に出る事は許されていなかったし、その頃の姫乃にはカーネーションを買ってあげるお金も持たされていなかった。
やっと本物のカーネーションをあげれると思うと、昨日の晩から眠れなくて遠足の前みたいにそわそわした。
雪乃はひとしきり花束を眺めると、にこりと微笑んだ。
「うん、綺麗。姫乃、ありがとう。」
「うん…うん!」
姫乃が雪乃に抱きついた。
飛び跳ねて大声で叫びたい位、嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。
じわじわ涙が浮かんできて、それを隠す為に必死で顔を雪乃の体にすりつけた。
その頭を雪乃が撫でる。
「ああでも、花瓶なんてあったかしら?部屋に飾らないとね…。」
「そうだね、明神さんに聞いてくる!」
姫乃は涙を見られない様にダッシュで階段を駆け下りた。
遠くなる足音を聞きながら、雪乃はもう一度カーネーションの花束をじっと見つめる。
『はいこれ、おかあさん。』
折り紙で作ったカーネーションを嬉しそうに差し出した姫乃の顔を思い出す。
ちっちゃな手で、折り紙の本とにらめっこしながら幾つも幾つも失敗を重ねて作った沢山のカーネーション。
部屋を覗くと「まだ見たら駄目!」と追い出されて、出来上がるまで結局何時間もその部屋に入れてもらえなかった。
少しづつ大きくなる姿を見たかったけれど、こればっかりはどうしようもない。
空白の10年間をゆっくりと取り戻していこうと雪乃は思った。
「お母さん、入りますよ?」
「どうぞ。」
ノックをして、やや遠慮がちに入ってきたのは明神。
手には少し大きめの花瓶をぶら下げている。
「これ、さっきひめのんがあったら欲しいって…ああ、綺麗な花束だなあ。」
「でしょ?それで姫乃は?」
そう言うと、明神は苦笑いをして頬を掻く。
「あー…っと、もう少ししたらあがってくると思いマス。」
管理人室で仮眠をとっていた明神は、突然姫乃に飛びつかれた。
ズドンと腹に圧迫感があり、グエ、とうめき声を上げて目を覚ますと、姫乃が明神にかじりついていた。
慌てて起き上がり、何かあったのかと訊ねると暫くは何も言わずにしがみ付くのでそのままにしておくと、小さな声で「お母さんにお花あげれた」と一言。
何となく理由を察し、背中をさすってやると、そのままの体勢で「花瓶、どこかにない?」と聞いてきた。
こうして、明神は管理人室の奥深くから花瓶を発掘し、届けに来ている。
「えっと、後これはオレから。」
そう言って、ポケットから小さな包みを取り出すと雪乃に渡す明神。
雪乃は予想外の出来事にもう一度目をパチパチさせた。
「あら、何だか悪いわね。いいの?」
明神は花束を受け取り花瓶に水を入れている。
少し照れくさいのもあって、何かしている方が今は落ち着いた。
「ああ、丁度ひめのんと出かけた時に…。大したもんじゃないですけど、せっかくだからと思って。」
包みを開いてみると、綺麗な柄のハンカチが入っていた。
「これ、冬悟さんが?」
「ひめのんに相談しながら…です。」
ふふ、と雪乃が笑った。
冬悟は自分の顔が赤くなっているのがわかって花瓶に水が一杯になったというのに振り返る事が出来ない。
ドボドボと零れる水を見て雪乃が「あ」と言い、それをきっかけに蛇口を捻った。
「いいの?お母さんには会いに行かなくて?」
「ああ、オレのとこ、二人ともいませんから。」
「そうじゃなくて、お墓参り。顔出してあげたら?」
一般的にはこれは普通の意見だけれど、明神は「あー」と口ごもる。
「ソコに居ないの、オレわかるんで、墓参りとか行かないんです。」
「そう。何だか寂しいわね。」
明神は笑ってみせたけれど、どこかスコンと穴が開いた様な気持ちになった。
墓参りは、死者の為でもあるけれど生者の為のものでもある様に思う。
そこに行けば思いを伝えられる、「元気にしてるか?もう死んでるんだっけな。会いに来たよ。最近こっちは忙しいよ」こんな他愛のない事だって、伝えられた、顔を出せたと思えば気持ちだって少し楽になる。
でも、そこに居ないと知ってしまったら。
無人の墓に手を合わせても伝える言葉が無い。
成仏したと思えば気は楽になるけれど、自然と手を合わせる意味が他の人間とは変わってくる。
雪乃が顔をあげた。
「じゃあ代わりに。」
手を伸ばすと、明神の白い髪に触れた。
反射的に明神はバッと体を引く。
驚いたのと、照れたのと。
「あら。」
「あ。え?な、何で、しょう?」
「嫌だった?」
「い、嫌とかじゃ無いですが、なれてないって言うか、や、照れ臭いって言うか。」
ふふふと雪乃が笑う。
「嫌じゃなかったら少し我慢して?お母さんの代わりって言ったらおかしいけど、ハンカチのお礼。」
雪乃がゆっくりと手を伸ばす。
明神は大人しく頭を差し出した。
やわらかく撫でられる頭は少しくすぐったくて、照れくさくて、明神はギュウと目を閉じる。
「こ、こ、こんなもんでどうですか!?」
「うん。ありがとう、冬悟さん。」
雪乃の手が頭から離れると、明神は大きく大きくため息を吐いた。
自分では意識していなかったけれど、どうやら息も止めていた様だった。
「これ大事にするわねえ。お花も。」
「あ、はい。そうしてもらえたら、オレも嬉しいです。」
必死で言葉を繋ぎながら、耳まで熱くなった顔をごしごしと拳で拭う。
雪乃は花瓶を窓際の棚に置き、花を飾った。
ハンカチは一度ポケットに入れかけ、止めて花瓶の隣にそっと置く。
「今日一日、ここに飾っておく事にするわ。」
「はい。」
「姫乃まだかしら?冬悟さん見てきてもらえる?」
「あ、はい!行って来ます!」
緊張しているのかずっと肩を張っていた明神を気遣って、雪乃は姫乃の元へと明神を送った。
バタバタ走って逃げていく姿が先ほどの姫乃の背中とかぶってあんなに違うのにねえ、と、うふふと笑う。
ダダダダダと床を踏み抜きそうな音をたてて明神が走る。
管理人室の扉を勢い良く開けると、姫乃は布団に仰向けになって転がり呆けていた。
明神は寝転がる姫乃に飛び掛る。
「ひめのんー!!!」
「きゃー!!!」
姫乃を捕まえ、抱きしめるとギュウギュウ力を込める。
姫乃が明神の腕にタップを何度もすると、やっと腕の力が緩んだ。
「明神さん、どうしたの?」
俯く明神の頬を両手で持ち上げると、明神も少し呆けた顔をしていた。
「あ、頭撫でられた。」
「そうなんだ。」
「何か…フワフワする。」
「うん。何かフワフワするよねえ。」
「お母さん、スゲエな。ひめのん産んだ事はあるな。」
「はあ〜。適わないなあ。」
「だなあ。」
二人ははあ〜とため息を吐いてお互いもたれかかって宙を見つめた。
「よし!」
姫乃が勢い良く立ち上がる。
「私、もうちょっと甘えてくる!」
そう断言すると走り出す。
「オレも!」
続いて走る明神。
「明神さんも?」
「駄目か?」
「いいと思う!お母さん明神さんみたいな息子が欲しいわ〜っていっつも言ってるから。」
「なら行く!」
二人は競い合って走り出す。
階段を勢い良く駆け上がって、我先にドアを開けて。
『お母さん!!』
勢い良く転がり込んできた子供たちに、雪乃は肩を竦める。
「あんばり廊下をバタバタ走っちゃ駄目でしょ?」
二人は顔を見合わせた。
『…すみません。』
声を合わせて謝る二人に雪乃は思わず笑い出す。
「ああ、今日は本当に、良い日ねえ。」
ハンカチを手に、カーネーションの側で笑う雪乃は本当に幸せそうで。
その笑顔を見ながら姫乃も明神も母の日は子供の為にある日なのかもしれないと考えた。
あとがき
母の日をちゃんと祝うのって、姫乃は初めてなんじゃなかろうかと思った話です。
+明神さん。
雪乃さん大好きです。
2007.05.13