MOTHER

倚門島から帰って来て、明神のうたかた荘での仕事量は一気に増えた。

今まで手がかかるとは言え、アズミの相手はエージも見てくれていたし、明神自身もアズミに絵本を読んだり遊ぶ事は苦ではなかった。

たまにガクと喧嘩したり、エージが無茶するのを諌める位。

それが。

毎日ドアや窓がどこかしら壊れる。(犯人は九割の確立でガクとグレイ)

今までも近所から怪奇現象の起きるアパートと噂されていたけれど、最近は庭で派手に暴れまわる住人が増えた為にもうご近所を歩くとヒソヒソ話し声が聞こえてくる様にもなった。

(ああ…これで暫く新しい入居者は来ねえな。)

ぼんやりと、明神は天井を見つめる。

午前7時。

ガシャンと派手な音で目が覚めた。

昔はこんな夜中に、もしくは、朝方に何やってるんだ!と怒ってくる近所の方もいたが、最早それすらない。

むくりと起き上がる明神。

ちなみに、彼が今目が覚めて起き上がった場所は彼の部屋、管理人室ではなく、寝てる間無意識に這いずって移動したリビングのソファーの下である。

割れた窓を見つけ、怒鳴りつけてやろうと目線を動かすけれど犯人は犯行を認めるのが嫌でどこかに隠れたらしい。

アパート内はシンと静まり返っている。

「凄い音がしたわねえ。」

のんびりとした声が明神の頭の上から聞こえた。

いつの間にか雪乃が階段を下りて来ている。

「あ、すんません!どうせまたガクとグレイなんだと思うんですけど…。起きちゃいました?」

するとにこりと笑う雪乃。

「少し前に目を覚ましていたから。でも姫乃はまだ寝てるわよ。」

あの子ぼーっとしてるから、冬悟さんも大変だったでしょ。と付け加える雪乃。

明神はブンブンと首を振る。

「いや、そんな事ないですよ!今までもひめのんには色々してもらったし!すげー助かってます。寧ろオレ達の方がひめのんに怒られたりしてますよ。」

「そう。」

少し微笑むと、目線をどこか遠くへと移す雪乃。

「アズミちゃん、いるでしょう?」

「はい。」

「あの子見るとね、ドキっとするの。姫乃はもう大きくなって、高校生で、家事だってなんでもできるでしょ?でも私が知ってる姫乃はまだアズミちゃんよりちょっと大きいかなって位なの。」

「…。」

「本当、びっくりしちゃった。」

少し寂しそうに笑う。

その笑顔を明神は複雑な思いで見つめた。

「寂しい思いも一杯させちゃったみたいだし…。でも、昔から変わらないところもあるのよ。」

「ひめのんは、いい子ですよ。」

思わず、口をついて言葉が出た。

何か、何でもいいから言って励ましたい。

そう思った。

「初めて会った時も、それからも、ずっと。寂しそうにしてた時ももちろんあるけど、何ていうか…それを悪い方へ出さないんです。凄いんですひめのんは。お母さんの事も話す時、寂しそうだけど凄くお母さんの事、好きだったんだなって、伝わってきて…。それにウチの連中が皆姫乃の事大好きなんですよ?人見知りする奴らばっかなのに。あ、もちろんオレも大好きで、って。ああ!!」

真っ赤になって手をブンブン振る明神。

「いやいや!!好きってあれですよ!好きじゃなくて、あの、好きって事で…一緒じゃねーか!!いえ!あの…お母さんわかります?」

説明する事を諦める明神。

一人錯乱する明神を見てくすくす笑う雪乃。

「ええ、わかったわ。」

「そ、そうですか…。なら、いいんですけど…。」

「冬悟さん、凄くいい人なのね。姫乃からも一杯お話聞いたわ。あの子を守ってくれてありがとう。」

「いやいや!っ、ホント、オレなんか…。」

この後は言葉にならない。

まず、人にこんな風に褒められた事はあまりない。

しかも母親位の歳の人。

おっとりとして、優しい。

姫乃の母。

今まで、明神を取り囲む人間は皆豪快で力強かった。

ふわりと、包まれる様なこの雰囲気が何だかくすぐったく感じる。

けれど、それは嫌なものじゃなくて、少し照れくさい、そんな感じだった。

「今から朝ごはん作るけど、冬悟さんも食べるでしょう?」

「あ、はい。」

「今まであの子が作ってたみたいだけど、これからは私もリハビリしなくちゃ、腕が鈍っちゃうわ。失敗したらごめんなさいね。」

イタズラっぽく笑う笑顔。

明神もつられて笑った。

用意したら呼びますね、と言って雪乃は二階へと向かった。

その背中を明神は笑顔で見送った。

割れたガラスの事は暫く忘れてしまっていた。





「あ、お母さんもう起きてたんだ。」

雪乃が部屋に戻ると姫乃が起きて身支度をしていた。

服を着替え、髪を梳いている。

「ええ。さっき下で冬悟さんと少しお話してたのよ?」

「明神さんと?」

姫乃がピョコンと髪を揺らして反応する。

「姫乃は本当に冬悟さんが好きなのねえ。」

会話に明神の事が出るといつも姫乃が嬉しそうにする為、姫乃の気持ちは雪乃にはあっさり気付かれてしまった。

「そんなにしみじみ言わないでよ〜。」

「いい人よね、冬悟さん。」

「明神さんはカッコいいし。凄い人だよ。うん。いい人。」

凄い人。

「冬悟さんも、あなたの事凄いって言ってたわよ?」

「そうなの?…へへ。」

「私も、凄いと思うわ。」

姫乃のおでこに、自分のおでこをこつんとぶつける雪乃。

「あなたにはびっくりさせられっぱなし。」

姫乃の目に、じわりと涙が浮かぶ。

何度も泣いた。

泣いては笑った。

けれど、まだやっぱり母に触れると嬉しくて涙が溢れる。

「…お母さん。お母さんは、変わらないよ。ずっと、お母さんのまんま。」

姫乃はぎゅうと雪乃を抱きしめる。

雪乃も、姫乃を強く抱きしめる。

本物の、生きた母。

暖かさも、匂いも、記憶の中にあるそれと変わらない。

もう二度と、触れる事もないと思っていたぬくもりがそこにあった。

本当に心の底から嬉しかった。

二人で食事の準備をして、綺麗に並べると雪乃は姫乃に明神を呼びに行かせる。

パタパタと軽い足音を立てて姫乃が階段を駆け下りていった。

大きくなって、家事もこなして恋だってしている。

雪乃にとって姫乃の成長は「進化」と言える程のものだった。

その姫乃を取り囲む、このうたかた荘と、その主である冬悟に本当に感謝する。

「姫乃、頑張ってね。お母さんあんな素敵な息子が楽して欲しいわ♪」

姫乃が明神と共に階段を上がってくる音を聞きながら、雪乃はそう呟いた。


あとがき
倚門島から帰って来て直ぐ位の感じで書きました。
明神が雪乃さんに対してちょっと照れた様な対応するのが凄く印象深くて、こんなのあったらいいな〜とか。
雪乃さんと姫乃の会話ってどんなのかなあ、とか。妄想大爆発です。
2007.01.06

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