怖い人

「あ〜、最近ケンカしてねえなあ〜。体なまっちまうわ。」

うたかた荘の屋根の上に、大きなゴリラがどっかりと腰を下ろしていた。

一見するとその重量におんぼろアパートの屋根なんて突き破ってしまいそうなボリュームをしているけれど、生者ではないのでその心配はない。

屋根の上から庭を見下ろすと、姫乃とアズミが仲良く地面に絵を描いて遊んでいる。

「ヒメノ!これは?」

「これはゴウメイ!こっちがグレイだよ。」

「ごりらとうさぎさん〜?ゴウメイはもっと目がまあるいよ?」

「そうかなあ〜。じゃあこう?」

「うん!」

わいわいと騒がしい声は屋根の上まで届いてくる。

その様子を眺めてゴウメイはふい〜、と笑う。

「まあ、何とものどかなこって。」

「暇そうですね。」

ゴウメイの背後からグレイが声をかけた。

「おう、ウサギかあ。見ての通り。明神のヤツァ仕事だとか何とか言ってどっか行っちまうし、特にやる事はねぇし。」

「まあ、明神冬悟が嫌がるのも解りますがね。あなたと「ケンカ」する度、家のどこかが壊れる様じゃあ。」

言いながら眼鏡を押し上げる。

「みみっちい事言うなよなあ。大体、家壊してんのはオレよかお前だろう?」

グレイがムッと口をへの字に曲げる。

「私ではない。あの男が悪いのだ!」

「へいへい。」

会話をしながら、ゴウメイは庭の二人をずっと目で追っていた。

ピョンピョン跳ねるアズミと、それを追いかける姫乃。

ちょこまか動くアズミの動きにあわせてゴウメイの目も動く。

口を尖らせながらだけれども、それでもグレイの目にはゴウメイが少し楽しそうに映る。

「…ゴウメイ、明神冬悟と「ケンカ」がしたければ、案が無い事もないのですよ?」

「おお!?マジかァ!流石ウサギ!どんな案だ!」

「簡単です。」

にい、と笑うグレイ。

「明神冬悟が一番大事にしているモノを取り上げてしまえばいい。きっと怒ってあなたを消しに来ます。」

「じゃあ次は、ヒメノが好きなのかいて!」

「ん〜、じゃあ、アズミちゃんが好きな、明神さん描いちゃおう!」

「うん!でも、ヒメノが好きなのでいいんだよ?」

「うえ?そ、そうだね!でもアズミちゃんが好きなのでいいんだよ〜。」

「そうなの?」

「そう!そうなの!そうなんだ!」

そんな声を聞きながら。

「まあ、そらそうだわなあ。」

「ええ。本気で戦えますよ。ただしケンカじゃなくなりますが。」

「そりゃそうだ。」

ふっとゴウメイが笑う。

「その案は、何ってーか、「今更」なんだわなあ。」

「ええ。そうでしょうとも。」

グレイも笑う。

先ほどの微笑みとは違う、少し優しい笑み。

「それに、あの娘殺っちまうと、雪乃が怖ぇだろう。」

グレイの顔が一瞬引きつる。

雪乃の話になると、何となく二人は声を抑え、身を縮めて寄せ合う。

「ああ…そうですね。」

「何だろうなあ。ひょろっひょろで腕力も何にもねぇ人間が。何かなあ…。」

「迫力というか、そうですね…威圧感が。」

「10年間座りっぱなしの時も、まあ肝の据わった雌だと思ってたけどよ。外に出てきてから更になあ。」

「アレです。桶川姫乃。娘が居ますからね、彼女は。娘の前で親は強くなるものです。」

そのグレイの言葉にゴウメイがポンと手を打つ。

「ああ。ガキが一緒の雌は怖いからなあ。あんな感じか。」

ゴウメイは頭の中で、生まれたての雛を守る親鳥を想像した。

軽く叩いただけで潰れる体をしているくせに、くちばしを大きく広げ、羽を広げて威嚇をしてくる。

何となく色んな事を納得してうんうんと頷く。

「あら、酷いわ。か弱い女性を捕まえて怖いだとか威圧感があるとか。」

二人…二匹が驚いて振り返ると、背後に雪乃が立っていた。

「お、お、オメぇ、いつから居たんだよ!」

「立ち聞きですか…趣味が悪いですよ。雪乃。」

風になびく髪をそっと押さえながら、雪乃はプンと口を尖らせる。

「そっちこそ。人が居ないところで悪口言ったりして。失礼じゃない?」

「悪口とかじゃあ…。大体何しにこんなとこ来たんだよ。」

「ゴウちゃん達とお話に…と、ちょっと手伝って欲しくてお願いに来たの。高い所にある棚に手が届かないんだけど、椅子に乗ったらグラグラして怖くって。冬悟さんもお仕事でしょう?」

今屋根の上に居るのは怖くないのかと思いながらも、ゴウメイは「へいへい」と頷いた。

「おかあさーん!!」

庭に居る姫乃が雪乃の存在に気付き、大きく手を振った。

「ユキノママ!」

アズミも跳ねる。

「あらあら。元気ねえ。はーい。」

雪乃が少し身を乗り出し、手を振ろうとした時。

「あ。」

足が滑って体勢を崩した。

「危ない!!」

ヒメノが叫んだ時、ゴウメイが長い手を伸ばして雪乃襟首をひょいと摘んだ。

「…何やってんだ。」

「あらあら。ごめんなさいね。ありがとうゴウちゃん。」

庭では姫乃が安心してへたへたと座り込んでいる。

「人間はこの高さから落っこちたら死んじまうんじゃなかったか?」

「そうねえ。」

「ではもっと気をつけなさい!全く…。」

「ええそうね。でも今は、ゴウちゃんとグレイがいるでしょ?だからちょっと、気を抜いちゃったのよ。」

グレイが苦い顔をする。

「我々が助けるだろうと?」

「助けてくれたでしょう?」

まだしっかりと服を掴んだままのゴウメイの手を指さす雪乃。

呆れ顔のグレイ。

言葉が出ないゴウメイ。

微笑む雪乃。

「じゃあ、お願いね。ゴウちゃん。後でもいいから部屋に来て。」

そう言い残すと雪乃はそろそろと家の中へと戻って行った。

「ああ、恐ろしい人間だ。」

「全くです。」

二匹は顔を見合わせて笑った。

ゴウメイが手を伸ばした時、グレイも手を伸ばそうとしていた。

いつの間にか少しづつ何かがおかしくなってきている。

「ゴウメイ!ありがとう〜!」

庭から姫乃が大きく手を振る。

ゴウメイは手を振り返すでもなく、ちらりと姫乃の方を見て小さく頷く様な仕草をした。

それでも姫乃はにっこりと微笑み返す。

この境目を越えてくる感じが、どこか雪乃に通じるものを感じてやはり親子かと再確認する。

「あーあ。暇になっちまったもんだァ。」

「ゴウメイ、明神冬悟とケンカする良い案がありますよ?」

「あー?」

グレイが眼鏡をクイと持ち上げる。

口元は笑っている。

「明神冬悟はあの親子を守る為に、力を欲しています。」

「そうだなあ。」

「家を壊さない様トバリの中で、ケンカではなく稽古の名目で呼び出せば必ずやって来るでしょう。…元々血の気の多いあなたと似た、単純明快な性格をしているのだから間違いはありません。」

「何だそりゃ。まどろっこしいな。殴り合うのにいちいち名目なんかいるのかよ。」

「そう。そういう馬鹿な所が同じです。」

「やかましいわ。」

そうこう言っているうちに、明神が帰って来た。

庭にいる二人に手を振ると、アズミが飛びつきそれを見て姫乃が笑う。

「まあ試してみるわ。上手くいったらポフポフしちゃるからな。」

「するな。」

がッハッハと笑うゴウメイ。

その笑い声に気付いて見上げる明神。

おー、と言いながら大きく手を振ってくる。

全くどいつもこいつもお気楽でのん気な事だ。

ゴウメイはニイイと歯をむいて笑った。

「さあて!行くか!」

「その前に雪乃のところですよ。約束をすっぽかすと怒りますよ彼女。」

グレイに釘を刺され、ゴウメイの動きがビクリと止まる。

「…さあて、行くか。」

小さな声でのっそりと移動を始めるゴウメイ。

ふと、立ち止まる。

「…なあ、姫乃は雪乃の娘なんだよなあ。」

「ええ。」

「じゃあ、アレもガキ産んだら雪乃みてぇになるのか?」

二匹は同時に、二人に増えた雪乃を想像した。

想像して震えた。

「すまねぇ、聞かなかった事にしてくれや。」

「ええ。当然です。」

のそのそ歩いて行くゴウメイを尻目に、グレイは庭の三人をじっと眺める。

明神と話しながらにこにこ笑う姫乃にはまだ雪乃の様な迫力というか、オーラはない。

雪乃だって普段は姫乃と変わらない位、というより姫乃よりものんびりとしているのだけれど。

姫乃に頬に付いた泥を拭ってもらいながらへにゃへにゃと笑う明神冬悟を、グレイは怪訝そうな顔で見る。

願わくば、この男がずっとこの調子でいてくれればと切に願った。


あとがき
雪乃とゴウメイ達を書いてみたいとふと思いついたものです。
怖いけど何となく嫌じゃない。苦手だけど何となく気になるみたいな関係で、友達とも親子とも違う不思議な関係が築かれていればいいなあと。
シメは明姫で…。
2007.05.18

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