混乱の木曜日

オレはオッサンの部屋に踏み込むと、寝たふりこいてるオッサンを踏みつけようと、足を高く上げ、踏み降ろした。

ドン!

オレの足は、何もない床を踏みつけている。

…すんでのところでかわされた。

「うおおおお怖っ!!お前冬悟、これ本当に寝てたらどうするんだ!酷い事するなあ!!」

「起きてるからやったんだろうが!寝たふりこきやがってこの馬鹿親父が!!息子の部屋覗き見るたあどういう了見だ!!!」

怒鳴りつけると開き直った様にため息を一つつくと、胡坐をかいて座る親父。

「だってさ〜。ひめのんだってもう娘みたいなモンだろ?色々複雑でなあ。」

突然、オッサンが見たくもない一人芝居を始めた。

「そこだあ!襲え冬悟!!腰抜けが!!ああ!!逃げてひめのーん!!って…。」

ブツン。

オレの頭の中で、何かが一本切れた。

「この、クソ、親父!!!」

ぶん殴ろうと高く腕を持ち上げる。

「おほ!」

オッサンが立ち上がる。

かまうか。

まっすぐ、顔面目掛けて拳を打つ。

オッサンがそれをかわし、腕を掴むと腰をきって体勢を低く落とす。

やべえ!

「背負い、投げ、かよ!」

こんな所で!

ブン!と梃子の原理でオレは狭い部屋で担がれる。

天と地が、真逆になる。

甘い!!

オレはオッサンの背中で体を捻ると掴まれた腕を外し、投げられる勢いを借りて足から着地する。

猫の様にふわりと着地して、再び対峙。

「おお!お前やる様になったなあ!」

嬉しそうに笑う親父。

当ったり前だ。

「やられっ放しでたまるかっての。」

「ふむ。」

と言うと、サングラスを抑えるオッサン。

やる気か。

「じゃあ久々に、親子喧嘩でもするかあ。」

拳をゴン、とぶつけて首を回して鳴らす。

「上等。」

お互いに、構える。

右足と右手を引いて、左手を顔の高さにかかげる構え。

ピタリと一寸も違わない。

まあ、オレが教えてもらったんだけど…今度は越える!

「死ね!覗き魔!!」

「退散!セクハラ教師!!」

その時。

「ねえ〜、何騒いでるの?」

ひょっこりと、姫乃が管理人室のドアを開けた。

オレは驚いて手を止める。

「ひめの…っいってえ!!」

オッサンに腕を掴まれ、捻じ伏せられると関節を決められる。

「いでででで!!ずりいぞ!!今の無し!!」

「無しもクソもないぞお、冬悟。試合はもう始まっている!」

「ちょ、ちょっと何してるんですかー!!?」

「プロレスごっこだ!昔を思い出してなあ〜。」

オレの左肩がギシギシ言うのが聞こえる。

姫乃の悲鳴と、オッサンの馬鹿でかい笑い声と、オレの関節のミシミシ言う音。

最低の不協和音の中、水曜日が終わる。






次の日、木曜日。

冬悟はまだ痛む腕と肩を引きずって学校へと向かった。

「くそ…。あの馬鹿親父。」

一日腕を押さえたままで過ごしていると、さすがに生徒の何人かに心配され、声をかけられた。

放課後、肩をグリグリと動かしていると、いつの間にか姫乃が近くまで来ていた。

「明神先生、腕大丈夫?今日ずっと痛そうだったけど…。」

「んー…。まあ、大丈夫。」

曖昧に答える冬悟。

「ね、保健室行ったら?まだ開いてると思うし…。」

「やだ。」

即答。

こんな状態で湟神に会えば何を詮索されるかわからない。

「もー。子供じゃないんだから。」

そう言うと、姫乃は冬悟の腕をつかみ、引っ張っていく。

「お、おい。ひめ…桶川!」

「ほっといて悪くなったら困るでしょ?病院だっていつも行きたがらないし、ホントに体壊れちゃうよ!」

(いやそうじゃなくて。)

「わかった!行く!行くからっ…手を離しなさい!」

明神の声が、廊下に響いた。

「で。」

見下す様に冬悟を見る湟神。

「一体何をやらかしてこうなったんだ?」

(ほらな、だから来たくなかったんだ。)

「転んだ。」

「ほう。」

痛んだ腕をありえない方向へと曲げる湟神。

「あ゛い゛っでええええ!!!」

「見え透いた嘘を吐く馬鹿の腕など、こうだ。」

「こ、湟神先生!!やめてやめて!折れちゃうからっ!!」

姫乃が必死で止めて、何とか開放される冬悟。

湟神はどうも女子生徒には甘い気がする。

湟神曰く「私は可愛いものは好きだ。」

(ああそうかい、そりゃあひめのんは可愛くて、オレは憎たらしいだろうよ。)

心の中でそう毒づくと、ジロリと睨まれたが一応治療が始まる。

「じゃあとっとと上脱げ。」

「へいへい。」

治療と言っても、ここで出来る事は湿布を貼って、キネシオテープで固定する位だが、それでもあるのとないのでは全く変わる。

シャツを持ち上げると、姫乃が慌てて立ち上がる。

「わ、私先帰ってるね!じゃあ!」

「?おう。」

「気をつけてな。」

顔を赤くして走り去る姫乃。

「…可愛いな。」

ポツリと、湟神が言う。

「そうっすね。」

素直に、答える冬悟。

「何だ。認めたのか。」

手を動かしながら、意外そうに言う湟神。

「…可愛いってのは、認めますけどね。」

「へえ。」

どうしてここで湟神が機嫌よさそうになるのか、冬悟には女性が理解できない。

「でも、桶川高校一年っすよ?オレ幾つだと思ってるんすか?」

「別にいいじゃないか。女は化けるぞ。恋したらな。」

こんな言葉を湟神の口から聞くとは夢にも思わなかった。

「…どっちにしろ、ありえないですよ。桶川から見たらオレなんかオッサンだし。オレから見たら、桶川はガキだし…。」

ここで、冬悟の台詞は止まる。

保健室の扉が、少し開いているのが目に飛び込んだ。

心臓が、バクンと跳ねる。

その隙間。

「…ひめのん。」

足元を見ると、姫乃の鞄。

慌てて出て行って、忘れ物をして取りに戻った。

そんなとこだろうが。

姫乃は冬悟と目が合うと、踵を返して走り出す。

「桶川!」

立ち上がって、…止まる。

どこから聞いてた?

「…追わんのか?」

肩の固定を終え、湟神がポンポンと手をはたく。

冬悟は、固まったまま何も答えない。

「追った方がいい気がするぞ?泣いてたんじゃないか?」

「…追って、どうするんすか。」

声が掠れる。

「さあな。…冬悟、顔色悪いぞ。」

「肩痛いンす。」

「脂汗でてるぞ。」

「汗っかきで。」

「誰にも言わんから。」

「…。」

ここで、はあ、と大きくため息をつく湟神。

「勇一郎にも黙っててやる。」

その言葉を聞くやいなや、冬悟は走り出した。

フルスピード。

取り合えず姫乃がいつも使う通学路をそのままうたかた荘に向かって逆走する。

うたかた荘に辿り着くと乱暴に玄関を開け、荒い息のまま中へなだれ込む。

「おお?どしたあ?冬悟か?」

ひょっこりと管理人室から顔を出す勇一郎。

「ひめの…ん、はっ!?」

ぜいぜいとあえぐ様に問う冬悟。

「ひめのん?まだ帰って来てないぞ?」

「ア゛ア゛ー!!!」

頭を抱える冬悟。

どこかで抜かした?

ここに向かってないとすればどこへ行く?

「何だ?どしたあ?」

「親父!!チャリ貸してくれ!!」

「お?おう。」

冬悟の勢いに圧されて大人しく自転車の鍵を渡す勇一郎。

「サンキュ!」

受け取ると、すぐさま裏手へ回り自転車を引っ張り出す。

ペダルを強く踏んで、自転車がギイギイいいながら走り出す。



姫乃は、帰宅路から外れた土手をとぼとぼと歩いていた。

どうしてあそこで逃げてしまったのか、自分でもよくわからないけれど何かが凄くショックで、いたたまれなくなってしまった。

かと言って、家に帰れば必ず冬悟と顔を合わせないといけないし、気まずくなるのも解りきっている。

「逃げたってしょうがないのに…。」

鞄も学校に置いて来てしまった。

深くため息をつく。

「ありえないですよ。」

この言葉が、姫乃には受け入れ難くて。

わかってる事だし。

大体、どうしてこんなにもやもやするのか自分にだってわかってないのに。

夕日を眺めながら、とぼとぼと歩く。



「見つけた!!」

冬悟は思わず叫んだ。

土手の向こう、見慣れた後姿が歩いている。

ペダルを漕ぐ足に、更に力を込める。

ギイギイと音が響く。

姫乃は、どこかで聞いた音だと思った。

最近どこかで。

思わず音を追って目を動かすと、明神が自転車で爆走している。

(ああ、あの音だ。)

妙に納得して、それから我に返る。

地面を蹴って走り出す。

「チャリに勝てると思ってんのか!」

冬悟は立ち漕ぎに切り替えると、更にスピードを上げて姫乃を追う。

「コラ!逃げるな!」

「何よ!別にどうしたって私の勝手でしょ!?」

少しづつ、二人の距離が縮まっていく。

「私まだ子供なんだから!家出くらいするわよ!!ほっといて!!」

「ほっとけるか!!」

ガシャン!と大きな音がした。

姫乃が振り返ると、冬悟を乗せたまま自転車が宙を舞っている。

小さな窪みが道にあった。

そこに、自転車の前輪が引っかかった。

かなり、スピードが出ていた。

自転車は冬悟ごと逆さまに跳ねた。

「あれ?」

こういう時、世界がスローモーションに見えるとは良く言ったものだ。

ぐるりと逆転する世界。

ああ、これ昨日もあったな。こんな事。

頭の中で考える。

以外と、冷静だった。

地面につく瞬間、腕を叩き付けて受身を取る。

頭を庇いつつも、勢いを殺しきれずにそのまま土手の下へと転がる冬悟。

「冬悟さん!!」

姫乃が叫ぶ。

道路から転がり落ち、斜面で何とか止まって安心する冬悟の顔の上に。

「危ない!!」

自転車が、降って来た。

(ああ、本当に昨日といい、今日といい。)

ゴシャ。

流石に、頭が一瞬白くなる。

派手な音をたてて転がっていく自転車。

「冬悟さん!!」

姫乃が、走ってくる。

(あ、ちょと、ストップひめのん…。)

ここは斜面。

冬悟は、道路に足を向けて転がっている。

つまり斜面を走り降りてくる姫乃を見上げる様に寝転がっている訳で。

こう、スカートの中がチラチラと見えそうで見えなくて。

いや、見たくなければ目を瞑るなり、逸らすなりすればいい話なのだが。

…水玉。

そう思った瞬間、ドロリと鼻から血が垂れた。

いやいやいや。

これは不可抗力で。

決してひめのんの下着が見えたからとかそんな卑猥な話じゃなくて。

さっき、ほら自転車。

顔面強打したの、見たでしょ?

ぼんやりする意識の下、誰かに言い訳をする冬悟。

次に頭がはっきりした時、冬悟は姫乃に介抱されていた。

受身を取ったお陰で体にはそんな大した怪我はしていないのだが、最後の自転車が痛かった。

頭にあちこちコブが出来ている様だし、口も切れている。

姫乃が差し出した花柄のハンカチが血に染まる。

ああ、勿体ねぇ。

せっかく綺麗なのに。

姫乃が目に一杯涙をためて冬悟を見下ろす。

それを見上げる冬悟。

…せっかく、綺麗なのに。

「ごめんなさい。私が逃げたりするから、こんな…。」

「いや、コレはオレが勝手に穴にハマッて飛んだだけだから。気にしないで。」

イチチ、と言いながら体を起こす冬悟。

姫乃は俯いて、冬悟を見ようとしない。

自分は、冬悟の言うとおり、子供なんだろう。

怪我までさせて、勝手に走り回って心配させて。

「ひめのん。」

呼ばれて、ピクリと肩を震わす姫乃。

「ごめんな。えっと、ハンカチ、駄目にしちまって。それから…。」

冬悟は手を伸ばして、姫乃を引き寄せる。

自分の方へ。

「さっきは、ヤな言い方になってごめん。そういうつもりじゃなくって…。」

「じゃあ、どういうつもり?」

冬悟の腕の中で、大人しくしている姫乃。

もう逃げたりはしない。

「学校では、教師でいたいんだ。でも、家では全力で家族でいたい。」

駄目かな?と言われ、やっと冬悟の方を見る姫乃。

「…えっと、コレって。家族ってするのかな?」

「ん?」

今、冬悟は姫乃をぎゅうと抱きしめていて。

姫乃のコレは、このハグの事を指していて。

「…西洋的、家族って事で…。」

「ぷ。」

姫乃が、笑いだす。

「あははは!」

「な、何だよ。笑うとこか?今。」

「だ。だって、冬悟、さん。おかしいんだもん!」

「おかしかねえ!」

言って、胸板にギュウと姫乃を押し付ける。

苦しくてタップする姫乃を暫く無視すると、どうやら息ができていなかったらしく本気で暴れ出す。

「こ、こ、殺す気ですか!!」

ぜいはあと息をしながら姫乃が訴える。

そんな姫乃を見て笑う冬悟。

(うん。ちゃんと三年。我慢できる。)

「姫乃。」

「はい?」

「だから、学校では、先生な?」

「はい。…じゃあ今は?」

冬悟は立ち上がり、手を差し伸べる。

「今は、冬悟。」

姫乃は、その手を取る。

「うん。」

フロントも、車輪も、何もかもグシャグシャに潰れてしまった自転車。

それをギイギイ手で押して、二人でうたかた荘まで戻った。

空が、もう暗くなろうとしていた。


あとがき
木曜日です。後三日。
頭の中では金曜日まではできているので、先にある分を吐き出してしまおうという魂胆です。
2006.12.21

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