根拠のない不安

澪がうたかた荘にやって来て一日が経ち、今までの生活が一変した。

うたかた荘の周りにぐるりと張られた結界。そしてその結界の外には二人のパラノイドサーカス。

外に出られなくなってもうたかた荘の中にいれば気持ちは何となく安心するのだけど、他に気になる事ができてしまった。

「おい冬悟。」

澪が明神を呼ぶその言葉を聞くと、どうしても言いようのない苦しい様な、切ない様な、なんとも言いがたい気持ちになってしまう。

姫乃は呼ばれて澪の元へ行く明神の背中をちらりと見て、はあ、とため息をついた。

何を話しているのかは聞こえないけれど、どうやら何か澪は怒っていて、明神は怒られている。

もう一度大きなため息をつくと、その場を後にして二階の部屋に戻った。

戻ったところでする事もないので、ただゴロゴロとしてしまう。

「緊張感ないなあ…。」

ぽつりとつぶやいて、窓の外を見る。

見たところで見えるのは水の結界と、結界の向こう側のさらに大きな結界のみだけれど。

もう一度ため息をついて、そういえばさっきもため息をついたと思い出すと、今度は気が滅入ってきた。

「やだなあ。こんなの。皆私の為に一生懸命なのに。」

湧き上がってくるこの悪い感情が何なのか、大体察しはついていた。

「嫉妬」

澪が明神の事を「冬悟」と呼ぶ事。パラノイドサーカスが来て騒がしくなってからあまり明神と話ができていない事。

頭の中で考えはどんどん悪い方へといってしまう。

澪は「先代の明神さん」の事を想っているからと頭ではわかっていても、全く根拠のない不安がじわじわと湧いてくる。

ゴロリとうつ伏せに体勢を変えると何だか泣けてきた。

「やだなあ。こんなの。」

コンコン

部屋のドアがノックされる。

ビクリと肩を震わせて、とにかく涙をゴシゴシと手で拭く。

返事をする前に「入るぞ。」と、声がしてドアが開いた。

「私だ。元気がなかった様だが…。」

入ってきた澪と目が合う。

「あれ、澪さん。どうかした?」

さっきまで泣いていた事がバレない様に、できるだけ明るく勤めてみたけれど、澪は少し眉をひそめて近づいてくると姫乃の頭をポンポン、と叩いた。

「辛かったな。」

澪は何かかん違いをした様だ。

「まあ見てろ。何とかあいつらを追い返す。母親にもいつか会わせてやるからな。」

澪から優しい言葉をかけられると、どんどん自分が情けなくなって止めていた涙がまた溢れ出してしまった。

澪は姫乃の肩を抱いて、頭を撫でてやる。

「泣いていいよ。あんたは普段頑張り過ぎなんだよ。」

「…そうじゃないんです。私、そんな凄くないです。」

「凄くなくていいよ。その為に私達が力を鍛えたんだ。」

姫乃の方へぐっと拳を突き出して見せる。

姫乃はその拳をじっと見つめ、そして俯く。

「澪さんは、優しいですね。」

何気なくそう言うと、思った以上の反応を澪がした。

「や、優しいとか、そんなんじゃないぞ”!!!ただあんたに元気がないとだな、全体の士気が下がるからでな!!」

何故か真っ赤になって反論する。

ああ、褒められ慣れてないんだ。

そう思って、姫乃はもう一度澪を見る。

「はい。わかりました!もう大丈夫です!」

ビシっと敬礼しながらニコニコ姫乃が笑い、澪は調子を崩されて苦笑いで返す。

姫乃は今まで重くなっていた気持ちがすっと軽くなった気がした。

「ねえ澪さん。」

「なんだ?」

「澪さんは明神さんの事冬悟って呼ぶんだね。」

「ん…。まあ私にとって明神はあの明神だからな…。」

澪が少し寂しそうな顔をした。

それを見て、姫乃は心の中でごめんなさい、と謝る。

勝手に嫉妬して、悪く思ってごめんなさい。

「まあいつか、アイツが私より強くなって…そうだな、一人前の案内屋になったら明神って呼んでやってもいいかな。」

「そっか…。私にとってはすっごく強い案内屋さんなんだけどな〜。」

「姫乃は冬悟しか案内屋を知らんからな。アイツなんかまだまだヒヨコだヒヨコ。」

「ええ!?…他の案内屋さんってどんな人がいるの?」

会話が弾むと姫乃は良く笑った。

澪はその無邪気な笑顔を見ながら「子供を産むなら姉妹にしよう。」と心に誓った。




そんな女同士の会話を繰り広げる部屋の外、ドアの向こう。

ノックをしようとした手を止めた体勢で立ち尽くす男が一人。

「…ひめのんにあんまりオレの評価を下げる様な事言うなよな…。」

何となく元気がない姫乃を励まそうとしたもう一人の勘違いがここに。


あとがき
初めての澪さんです。
強い女性大好きです!もっと姫乃と澪の女同士の会話とか見たかったです…。
そしてちょっとだけ明神。
2006.11.07

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