可愛い心臓
「あの…前から聞きたかったんだけど。」
「何?明神さん。」
深夜のうたかた荘。
ここは管理人室。
明神の布団に潜り込んだ姫乃は、明神の胸の上にぴったりと耳を押し付け、明神は身動きがとれずにじっとしている。
「ええと、何つーか…。いや、嫌じゃないんだ。嫌じゃあないんだがひめのん、どうしていつもこう、オレに頭のっけんの?」
「あ、ごめん。重たかった?」
そう言って、姫乃が明神の胸の上から頭をどかせた。
角度が変わった事で月の明かりに照らされる姫乃の顔を見る事が出来たけれど、なんて事なくきょとんとした表情をしている。
その表情があまりに普段通りで、色々悶々とし、我慢している自分が馬鹿みたいに思えてきた。
いつからか姫乃は夜こっそりと管理人室にやってくると、こうやって眠る明神の布団に潜り込んでは胸の上に頭を乗っける。
そのまま目を閉じてじっとして、時間が経つと満足したのか二人分の体温で暖かくなった布団を後にする。
寒いだろうにと引き止めたいのは山々だけれど、朝まで一緒にいると何かと問題があってそうもいかない。
「いや重いとかはないけど…。」
「そうなの?」
そう言うと、また頭を胸に乗せる。
「…何してんの?」
「明神さんのね、心臓の音聞いてるの。」
「へ!?」
明神は慌てて姫乃の体を引き剥がす。
「どうしたの?」
「どうしたのって。ひめのんずっとオレの心臓の音聞いてたの!?」
「うん。何か落ち着くの。ああ、生きてるなって。」
「…オレが生きてるか確認してんの?」
「そういう訳じゃないんだけど…。」
うたかた荘で、生きている人間は姫乃と明神の二人きり。
姫乃は死者が見える人。
明神は死者が見えて、触れる人。
「あちら側」に近い人。
時々、その垣根をポンと飛び越えて行ってしまうのではないだろうかと姫乃は不安になる。
だから、こうやって時々確認する。
触れて、音を聞いて。
「…ほら、お母さんも急だったでしょ?前の日までずっと一緒よって言ってたの。けど次の日には冷たくなってたの。こうやって耳を当ててもね、何の音もしなかったの。」
その言葉を聞いて、明神は引き剥がした姫乃の頭をわし、と掴むと自分の胸に押し当てた。
「…聞こえる?」
「うん。ドキドキいってる。」
「…置いてく訳ねーだろ。馬ァ鹿。」
「そうだね。」
姫乃の「そうだね」は静かで、どこか冷めている。
「信用されてねーな…オレ。」
「そんな事ないよっ!信用してる。私明神さんの事、大好きだもん。」
もう一度明神は姫乃を引き剥がす。
「…こんな密着した状態でそういう事言うの反則な…。」
「…別に、嫌ならもうやめるよ?」
「嫌っつーか…。あんま心臓バクバクしてんの聞かれると恥ずかしい。」
姫乃が目をパチパチさせる。
(それはつまり、今照れてドキドキしてるって事?)
次の瞬間、姫乃は「えい」と明神にのしかかるとまた耳を当てる。
ドキドキドキドキ。
「…ひめのん。」
「ちょっと早いかな。ね、大好きって言ったから照れたの?」
ドキドキドキドッドッドッドッド。
「あ、早くなった。」
「だからっ…!!そういうのが恥ずいんだって!」
姫乃が笑って、細い腕で明神をしっかりと抱きしめる。
「…っ。」
明神が硬直する。
姫乃は耳を明神の胸に押し当てたまま、細い腕で精一杯明神をきつく抱きしめた。
ドドドドドドドドドドド。
明らかに早くなったその鼓動を確認すると、姫乃は満足気に微笑んだ。
「…はは。明神さん可愛い。」
ド。
「わっ!」
明神は自分に乗っていた姫乃を抱えてひっくり返すと、逆に姫乃の胸に耳を押し当てる。
ドッドッドッドッド。
「…ひめのんも早い。もうちょい早くならねえかな。」
小さな体に覆いかぶさる様にしがみつき、首筋に顔を埋める。
頬と頬が触れる距離。
「みょ、みょ、みょ。」
姫乃が手のやり場に困りワナワナしていると、明神は抱きしめていた手を緩めて姫乃の胸に耳を当てる。
ドドドドドドドドド。
「…おお、早くなった早くなった。」
満足気に笑う明神。
「当たり前でしょ!」
姫乃が明神の頭を掴んで胸の上からどかそうとするけれど、明神はがっしりと組み付いて離れない。
頬っぺたの形を変えながらも、押しのけようとする姫乃の圧力を首で耐える。
「あ〜、ひめのんの心臓、可愛い。すっげー可愛い。」
どこか棒読みな口調で明神が言った。
「…私が可愛いって言った事、根に持ってるの?」
明神がピクリと反応し、姫乃の手が緩む。
ドッドッドッドッドッド。
「…あ、おさまってきた。にゃろ。」
「うわ!」
明神はまた姫乃を抱きしめる。
抱きしめて頭を撫でる。
頬を寄せて、頬擦りして、柔らかい頬っぺたと額にキスをする。
「み、みょ…。みょう。」
突然の事に姫乃は目が回る。
顔が熱くて頭がくらくらする。
「どれ。」
その様子を確認した後、また姫乃の胸に耳を当てる明神。
ドドドドドドドドド。
「よし。」
「よし、じゃない!もう、ホント、子供みたいなんだから。」
ピタと止まり、姫乃の顔を覗きこむ明神。
鼻と鼻がくっつくまで後5センチ。
「子供みたいって何だよ。」
「拗ねたり負けず嫌いだったりさ。今だって、これでオアイコだ!とか思ってるんでしょ。」
「……思ってる。」
「ホラ!子供だよ!」
明神は口を尖らせて姫乃の上から体をどける。
その明神を、上半身を起こして姫乃がもう、と見下ろした。
月明かりで、姫乃の白い肌はより白く見える。
長い黒髪が重力に引かれてさらりと流れる。
綺麗だ。
口を開きかけて噤む。
自分は「可愛い」で、姫乃は「綺麗」だなんて何だか癪だった。
続ける言葉を探して黙っていると、姫乃が先に口を開いた。
「綺麗。」
「…何が?」
言おうとしていた言葉が姫乃の口から出てきてぎょっとする明神。
心を読まれたかと一瞬焦る。
「明神さんの髪。キラキラして綺麗。昼間も綺麗だけど、月明かりの下だともっと綺麗。」
目を細め、優しい笑顔で言う姫乃。
魔法にかかった様に、明神の口が開く。
「…姫乃の方が、綺麗だ。」
あっと言う間に素直になった自分に驚く明神。
これを言わす為に言ったんじゃないだろうなと姫乃を疑いたくなる。
いつもこんな感じで、いつの間にかペースを奪われている。
明神は手を伸ばして姫乃の黒い髪を指に絡めた。
姫乃が笑った。
可愛い笑顔。
うん。君はまだ可愛いでいい。
はあ、とため息を一つ吐くと、髪に絡めた指を解く。
「じゃあそろそろ、部屋に戻んなさい。明日学校だろ?」
「はーい。」
姫乃は立ち上がると入り口のドアに向かう。
ドアノブに手をかけると、立ち止まり振り返る。
「あ、あのさ。明神さん。」
布団の上で胡坐をかいて姫乃を見送る明神。
「何だ?」
「迷惑じゃなかったら、また来ていいかな?」
「…どうぞ。」
姫乃はにっこり笑い、ありがとうと言うとドアを開けた。
暗い部屋に一瞬、光が差し込む。
そして姫乃は明るい廊下に吸い込まれて消えた。
バタンと音がして、また部屋は月明かりだけの薄暗い部屋に変わる。
一瞬、入り込んだ光が明神の目に焼きついた。
その光の中に姫乃。
また来てもいい?なんて、心臓の音を聞いて安心したいなんて、自分の方が子供じゃねえか。
目を閉じ、胸に手を当てる。
ドッドッドッドッド。
気持ち、早い。
コロコロ変わる表情や、言葉一つ一つでいちいち反応してしまう姫乃曰く「可愛い心臓」
「あー、くそ。次は勝つ。」
目を閉じてもその目蓋の中に、目を開ければ薄暗闇の中に、浮かぶ光をかき消す様に目を両手で覆った。
走る心臓。
動悸はまだ治まりそうにない。
あとがき
姫×明??
これももっと可愛い話にしようと思ったのですが、姫乃じゃなくて明神が可愛い話になりました…。あれ。
最近計画通りに文章が書けません。書いていくうちにどんどん変わっていくのも面白いのですが…。
2007.02.21