語り合う水曜日

学校に着いたら湟神に声をかけられた。

どうも何人かの生徒がオレとひめのんが一緒に登校していた事を何だかんだと噂をしていたらしい。

何人かに見られててたからなあ。

遅刻しそうだったからと適当に誤魔化してその場をしのぐ。

「自転車通勤か。…アイツもしてたな。」

別れ際にポツリと湟神が呟いたのがやけに耳に残る。

「…あのオッサンのどこがいいんスかね?」

聞こえない様に言った。…つもりだった。

ブン!と音をたてて木刀が空を切る。

「うおっ!!」

紙一重でオレはかわす。

ってか殺す気か!!

「あっぶねー!!当たったら怪我するだろ!?下手すりゃ死ぬぞ!?」

「問題ない。私が殴って私が診るのだからな。」

「どんな保険医だよ!!」

そうやって一日が始まり、何だか悶々としながらその日は過ごした。

火曜日が、終わる。






次の日、水曜日。

自転車はやめて歩いて行く。

特に問題なく授業は進み、放課後。

荷物をまとめて自宅へと向かう。

クラスの生徒に「自転車やめたの?」と声をかけられたので、昨日の朝湟神に言った言葉そのままを伝えた。

途中スーパーに寄って、姫乃に例のサインで示された頼まれ物を買う。

土手を歩き、ぼんやりと浅い川に映る夕日なんかを眺めてみる。

家に帰るとまず勇一郎が出迎える。

「お帰り〜。ひめのん今飯作ってるから、着替えてこいってよ。」

「へいへい。おっさんも暇じゃねー?隠居決め込むには早いんじゃねーの?」

言いながら、姫乃に頼まれた鍋用の大根を勇一郎に手渡す冬悟。

「何言ってんだ。オレが外でたら駄目だろ。管理人だぞ?」

えっへん、と腰に手を当てながら言う勇一郎。

「あのな。住人ひめのんだけだろ。ここは本当にアパートか?新しい入居者集うとかさ。」

「これ以上はいいよ〜。せっかく楽しくひめのんと三人でやってるのに。」

「おっさん…。」

呆れた声でうな垂れると、勇一郎が不思議そうに冬悟を見る。

「お前は嫌か?冬悟。オレは結構楽しくて今がいいけどな。」

「…別に、嫌とかそんなんじゃねえよ。ただ、あんたまだ隠居する年じゃねーだろ?」

教師を続けたっていいのに。

本当はこう続けたいけれど、まだそこまでは素直になれない。

「オレは、送り出す側に回ったの。楽しいぜ〜。お前やひめのん毎日見送って、迎えるのは。」

にか、と笑ってみせる勇一郎。

心の中を読まれた様で、冬悟は少し勇一郎と間をあける。

だからこうやって、ずかずか入ってくるから。

煩わしさと心地よさが複雑に入り混じる感情を持て余す。

「冬悟さ〜ん、勇一郎さ〜ん、ご飯ですよ〜!」

姫乃の声がリビングに響き、その声を助けに冬悟は動き出す。

「着替えてくる。」

背中を向けた冬悟を(仕方ねぇな)という表情で見送る勇一郎。

「早く来いよ〜。全部食っちまうぞ。」

「残しとけよ!!」

今日の夕飯は鍋。

冬悟が買ってきた大根は摩り下ろされて醤油とポン酢に混ぜられる。

「お鍋って楽でいいよね。美味しいし、材料切って煮込むだけでいいし。」

すっかりくたくたになった白菜を吹いて冷ましながら姫乃が言う。

「でもこのツミレは手作りだろ?美味いよ。」

目ざといのは勇一郎。

「えへへ。ありがとう。でもミキサーでぶーんだもん。直ぐだよ。」

「…本当だ、美味い。」

冬悟もツミレに手を伸ばす。

「ありがとう。あ!冬悟さん、授業でどうしてもわかんないところがあったから、後で教えて欲しいな。」

「あ、いいよ。えっとどこ?オレ教え方何かまずかった?」

こういう、生徒の意見が直に聞ける環境は冬悟にとってはありがたい。

勇一郎もそのやりとりを嬉しそうに眺めている。

「あ、世界史じゃなくって、数学なんだけど…。教科違ったらわかんない?」

「教科書見たら解ると思う。」

「じゃあ、片付け終わったらね。」

勉強するならと勇一郎が片付けを引き受けてくれたので、食後直ぐに冬悟の部屋で勉強会が始まった。

「じゃあこれはこっちの公式で解いたらいいの?」

「そう。わかる?」

「うん。わかるけど、めんどくさい!私数学嫌い〜。」

ブウブウと文句を言う姫乃を見て笑う冬悟。

「オレも嫌い。」

「世界史は好きだよ。冬悟さんが教えてくれてるっていうのもあるけど。」

さらりと言った言葉が嬉しい。

「オレも勉強嫌いだったけど、世界史は楽しかったから…。特に中世。物語見てるみたいでさ。勿論、それだけじゃないけど。」

冬悟は知ってるか?と話を続ける。

「トルコ行進曲ってあるだろ。モーツアルトの。」

「うん。」

「トルコ。オスマン帝国がウイーンを包囲した時、軍楽隊が外でドンちゃんやってたのを聞いてあの曲作ったんだってよ。」

「へえー!」

「ウイーンに住んでた人達は嫌でも毎日トルコの軍楽聞かせられてたし結構影響された作曲家もいたらしい。」

「はあ〜。こういう話があるから面白いんだよね。」

「まあな。って、ホラ手を止めない。」

ノートを丸めて頭をポコンと叩く。

「今のは冬悟さんが止めたんでしょ!?」

頭を抑えて抗議する姫乃。

嬉しい事言うからついつい話がそれてしまった。

時間も遅くなるだろ?と先を促すと、しぶしぶ次のページをめくる姫乃。

このやりとりが、冬悟には妙に懐かしく感じた。

「一対一だと家庭教師やってた頃思い出すな。」

「若返る?」

「今も若いっての!」

イタズラが成功した子供みたいな顔で笑う姫乃。

「知ってるよ。冬悟さんカッコいいもん。クラスの女子も皆カッコいいって言ってるよ。」

そう言われて、ピタリと止まる冬悟。

「嘘付け。あいつらオレの事さんざん白髪ジジイ扱いしやがって。」

「嘘じゃないよ〜。だからこっそり一緒のアパートに住んでるの、自慢なんだ。」

えへへ、と笑う姫乃。

この言葉に、冬悟が期待する様な含みはない。と、冬悟は思う。

けれど、気にはなる。

「えへへじゃなくて…。大人をからかうんじゃありません。」

「私子供じゃないし。あ、でも変な誤解招くといけないから、一緒にご飯食べてるとかは言ってないよ。冬悟さんが困るでしょ?」

その為に二人でサインを作った事を思い出す。

「冬悟さんが先生できなくなったら私も困るもんね。」

腕を組み、うんうんと頷く姫乃。

…だからっ。

「ひめのんは?」

「ん?」

「ひめのんは困る?変な誤解されたら。オレじゃなくて、ひめのんはどう?困る?」

矢継ぎ早に質問をされて、一瞬戸惑う姫乃。

「え…っと。どういう、事?」

「どういうって。」

近づいて、目を覗き込む。

鈍いなあ。

近づくと、姫乃は近づいた分遠ざかる。

遠ざかると、追いたくなる。

姫乃の顔が、一瞬強張った気がする。

緊張の顔。

今、オレはどんな顔?

一瞬、どうにでもなれと思うけれど。

「なんでもない。」

へらっと笑うと体を引き、お茶に手を伸ばし口をつける。

「な…。な。なんでもないって。気になるじゃん!!」

こっちが引くと、今度は追ってくる。

見事なシーソーゲームだ。

「ほれ、次の問題。」

促すとブツブツ文句を言いながらも次の問題を解き出す姫乃。

ドアの向こうに人の気配を感じた。

…オッサン、覗くなよ。

どんな親だよ。

後で殴る。

うさ晴らしに。

時計は十一時を指している。

最後の一問を解くと、もう遅いからと姫乃を部屋へと返した。

「ありがとう。…後。」

去り際、姫乃が何か言おうとしたけれど。

「やっぱいいや。おやすみなさい!」

気になるけれど、多分それはお互い様であって。

冬悟はあくびを一つすると、右腕をブン!と回す。

「さて。」

拳を強く握ると、冬悟は勇一郎が寝たフリをしている部屋へと向かった。


あとがき
もうなんだか続けてしまっています。どうやら一週間本当にやるみたいです(汗)
た、楽しくて…。冬悟さんはどうやら世界史の先生みたいです。何だかそれっぽいのと、私が世界史好きだったから(オイ)
すみませーん。
2006.12.18

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