かなしい、それともさみしい?

パラノイドサーカスとの戦いが終わり、数ヶ月の時が流れた。

冬悟や姫乃達はうたかた荘でまた元の生活に戻り、他の案内屋達もそれぞれ新しい生活を始めている。

大きな脅威は無くなったけれど、陰魄がいなくなった訳ではない。

案内屋としての仕事は無くなりはしない。

うたかた荘という決まった場所に住んでいる冬悟とは違い、他の三人は仕事の為に各地を点々としていた。

冬悟も、今まで十味から貰うほぼ無報酬の仕事だけでなく、近くであれば緊急で仕事を回して貰える様になり、物がとにかく良く壊れるうたかた荘管理人としてはありがたい副収入を得る事が出来る様になった。

もう一つ変化があるとすれば、案内屋の三人がそれぞれ代わる代わるうたかた荘に泊まりに来る様になっている事だった。

パラノイドサーカスは無縁断世の親子を狙う事はなくなったけれど、これも確定ではなく「今のところ」の話であって、キヨイ達がやはり人間とは共生できないと判断すればこの穏やかな生活も引っくり返る。

冬悟はどこかのほほんと構えているけれど、澪達としてはそうのほほんとばかりはしていられない、というところだった。

それにいつ、パラノイドサーカスに変わる新しい勢力が現れるともわからない。

用心に越したことはない。

あまりガチガチに構えると姫乃が不安になると言う理由と、アズミに会うという目的が大いにある為、特に澪が良くうたかた荘を訪ねていた。

もう慣れたもので、澪は自分がいつも泊まる部屋に私物を置き始めていた。

冬悟が新しく住人が来たらどうするんだと文句を言うと、「こんなポルターガイストが頻繁に起こるアパートに入居者なんか来る訳なかろう。」と一蹴した。

そして、今日。

いつもの用に泊まりに来た澪は桶川親子、明神冬悟と共に夕食を済まし、姫乃に誘われ久々に一緒に風呂に入った。

冬悟とはどうなっているのかさりげなく聞いてみると、少し照れくさそうに笑って誤魔化した姫乃の笑顔が印象的で、微笑みかけられた澪まで恥ずかしくなって湯に顔を沈めた。

仕事があると言って、冬悟がうたかた荘を出たのは12時を回ってから。

アズミも眠った事だし、手伝うか?と声をかければ客なんだから先に寝てろと返って来た。

偉くなったモンだと笑いかけると余裕の笑顔が返って来る。

うたかた荘の主は家を出て行った。

澪は自分の部屋に戻り、布団に潜り込んだけれど右に左にゴロゴロ転がって眠れないまま数時間が経過した。

うとうととしては目が覚め、一度目が覚めるとやけに頭が冴えてくる。

何が原因なのかはっきりとはわからないけれど、風呂で見せた姫乃の笑顔、これが原因の一つなのかもしれないと何となく澪は思った。

外の空気でも吸うかと、澪は立ち上がり玄関を目指す。

真っ暗な廊下を歩いていると、暗闇の中で何かが動いた。

共同リビングのソファーの上。

誰かがいる。

暗闇に慣れてきた目をこらすと、それが姫乃である事がわかった。

毛布をかぶり、横になって眠っている。

冬悟の帰りをここで待つつもりが、そのまま寝てしまったというところだろう。

少し寒いのか、眉をしかめてもぞもぞ動く姫乃に、澪は毛布をかけなおしてやった。

時間と共に、人と人との関係は変わって行くものだと、澪は思った。

時間の経過は人を変化させる。

もう一度玄関へ向かう途中、澪は管理人室の前で立ち止まった。

冬悟はまだ仕事から戻らない。

この部屋は、今は冬悟のものだけれど、昔はどうだったんだろうか、「明神」は。

そう考えたら、勝手に手が動いた。

ドアを開けて中へと入る。

敷きっぱなしの布団を無視して踏みつけながら暗い部屋を見渡す。

目は、すっかり暗闇に慣れていた。

窓から入る月明かりが部屋をぼんやりと照らしている。

訳のわからない焦燥感と苛立ちに背中を押され、澪は押入れを開いて中を覗き込む。

今自分が何をしているのか、何を探しているのか解らないけれど、とにかく見つけたい何かを探す。

押入れを見終わると、次は本棚。

梵術や剄に関する書物の山の中から適当に一冊抜き出し、開く。

パラパラとめくり、何もないと感じると次の本へ。

趣味が悪い、何をしていると自分に言い聞かすけれど、手は止まらない。

本をバラバラと足元に転がし苛立たしげにそれを蹴ると、最後は机の引き出しに手をかけた。

「…こら、
湟神澪。お前は何をしている。」

何をしているんだろう。

人の部屋を勝手に探って。

だけど、どうしても確認したい事があって。

ゆっくりと、澪は引き出しを開けた。

その中を泣き出してしまいそうな気持ちで眺める。

「…あ。」

手が止まった。

澪の全神経が引き出しの中に見つけた一枚の写真に集中する。

四つ折りの跡が残る、ふにゃふにゃになってしまった古い写真。

それを、なるべくそっと、優しく持つと、恐る恐る目の高さまで持ち上げる。

窓から差し込む月明かりにその写真をかざすと、澪の表情がみるみる変化した。

見つけた。

直感的にそう思った。

別にこの写真を探していた訳ではないけれど、この写真は今、澪が欲していた物に一番近いものだった。

不貞腐れた顔をした冬悟と、いつもの様に笑う明神。

ああホント、オマエはここに居たんだな。

またそうやって、馬鹿面して笑って。

いつもいつも、人の気なんか知りゃあしない。

「…馬鹿たれ。」

写真をペシンと指で弾くと、その写真を精一杯抱きしめた。

こんな日が来てしまうと解っていたなら、もう少し可愛い態度で接する事が出来ただろうか。

いや、あの頃はきっと無理だけど、もっと時間があれば変わっていけたかもしれない。

もっと素直になれたかもしれない。

もう遅いけれど。

初めてこのうたかた荘に来た時もそうだったけれど、今は特にそう思う。

このアパートに明神が居た証を探すけれど、明神の気配は僅かしか感じられない。

あの黒いコートも、サングラスも、うたかた荘も、時間と共に新しい主人を受け入れている。

「冬悟」のうたかた荘。

ギイ、と音がして玄関のドアが開いた。

澪は慌てて写真を元に戻すと息を潜めた。

ヒタヒタと足音が管理人室を通り過ぎる。

帰って来た冬悟は、先に姫乃を見つけてくれたらしく、管理人室より先に姫乃の元へと直行した様だった。

「今の内に…。」

足元に散らばった本を元通りに戻すと出来る限り気配を消して、そっと扉を開けて管理人室を出る。

丁度、冬悟は澪に対して背中を向けていた。

冬悟は眠る姫乃に着ていた黒いコートをかけてやっている。

その背中を見ながら足音を殺して澪は移動する。

…わ。

澪は声が出そうになるのを寸でのところで我慢した。

冬悟が眠る姫乃の頬に口付ける。

しゃがんで頭を撫で、笑いかける。

「ただいま、ひめのん。」

耳元で囁くと、額同士をコツンとぶつけた。

これも、時間がもたらした二人の距離の変化だ。

「遅い。いつまでかかってるんだ冬悟。」

背後から突然声をかけられ、冬悟は全身を硬直させた。

何とか頭を整理し、「いつもの
湟神澪」を取り繕った澪は「たった今ここに現れた」フリをする事に決めると、腰に手を当て冬悟を見下ろし、睨みつける。

冬悟はぎこちない動きで振り返り、背後に澪を確認すると口をパクパク開閉させた。

「お、お、オマ、いつから…。」

「ん?そうだな、オマエが姫乃ににじり寄り、そのオンボロコートをかけてやる位からなか。」

「て、て、テメ。覗き見なんて趣味悪ィな!」

覗き見、という言葉が、先ほどまで部屋を漁っていた為澪の胸にひっかかる。

「人聞きの悪い事を言う。外の空気を吸おうと通りかかったところ、オマエが勝手に姫乃を襲い出したんだろうが。この助兵衛め。」

「襲ってねーよ!!」

「叫ぶな。姫乃が起きるだろう。」

「…ぐ。」

まだまだ口で冬悟に負ける事はない。

澪は軽く息を吸い込んだ。

「じゃあ、私は寝なおす。お前もさっさと姫乃を部屋まで連れて行ってやるんだぞ。いいか、布団に入れてやったら直ぐに管理人室に戻るんだぞ?姫乃に何かしたら二度と足腰立たん様にしてやるからそう肝に銘じておけ。」

「言われなくても何もしねーよ。」

ぶすっとした顔で答える冬悟。

こういう顔を見ると、まだまだガキだと澪は思った。

「…じゃあな、明神。」

けじめのつもりだった。

もう明神は死んでいて、澪はその事を受け入れている。

「気持ち悪いなあ。冬悟でいいよ。」

その場を離れかけた澪の背中に冬悟が声をかける。

「…何だ。せっかく一人前の案内屋に昇格してやろうというのに、気に入らんのか。」

「気に入らんとかいるとかじゃなくて。湟神は冬悟でいいよ。」

澪は振り向き、冬悟と真っ直ぐ向き合う。

冬悟には澪の表情は逆光で見えない。

「気でも使ってるつもりか?変な勘ぐりする様なら…。」

「そうじゃなくて。」

言いかけた澪の言葉を冬悟は遮った。

「いつも冬悟だから、いきなり明神って言われると気持ち悪ィの!耳がこそばゆいっていうのか?…それに、ひめのんが明神って呼んでくれたら、オレは明神で居られるから別にいいんだ。他の誰が何て呼ぼうと、半人前だろうが何だろうが、姫乃が明神っつったらオレは、明神。」

きっぱり言い切って腕を組む冬悟。

澪は呆れ顔で笑った。

「そういうの、依存って言わないか?」

「いいんだよ、依存しても。いいじゃねえかそんくらい大目に見ろ。」

「偉そうに。」

写真にそうした様に、澪は冬悟の額を指で弾いた。

「痛ぇ。」

「…まあ、好きにしろ。」

その時、ごそりと姫乃が動いた。

「…ん…。」

目を擦りながら上半身を起こすと、かけられていたコートがバサリと落ちる。

「あ…おち、た?」

ふわふわと、手を伸ばしてコートを拾おうとすると、バランスを崩してソファーから落ちかける。

「―あ。」

コロリと転がりかけた体を冬悟が支えた。

姫乃はぼんやりと冬悟を見つめ、ふわりと笑う。

「…おかえりなさい、明神さん。私寝ちゃってた。」

「ただいま。こんなとこで寝てたら風邪ひくぞ?」

「…えへへ。」

はっきりしない頭で冬悟にすり寄る姫乃。

冬悟は慌てて体を離す。

誰も居なければこんな嬉しい事は無いのだけれど、今背後には澪が立っている。

今どんな顔をしているのかと想像するだけで背筋が冷たくなった。

「じゃあ、私はお邪魔な様だし退散するとしよう。冬悟、わかってるな。」

そう言うと手を振ってその場を去ろうとする澪。

固まる姫乃。

その姫乃を冬悟が「ああ、オレこんな顔してたんだな」と見下ろした。

「…あれ、澪さん…い、居たんですか。」

澪はにっこりと微笑んだ。

悪魔の微笑みだった。

「ああ。さっきからな。」

「さ、さ、さっきって。あ、あの、あの。」

ワナワナと震える姫乃。

その姫乃と目線を合わせる様に澪はしゃがむと手を肩に回し、チロリと冬悟の方を向く。

「そうだ。姫乃、お前が寝てる間にな。」

その言葉を聞いて慌てるのは冬悟。

澪の手から姫乃を引き剥がすと急いで階段の方まで押していく。

「わー!わー!ひめのん!早く寝よう!明日も学校だ大変だ今もう三時だうわ〜!こりゃマズイ!!」

「冬悟がな。」

「うおおオレ何か腹痛ぇかも!おおお大変だひめのんちょっと薬取ってきてくれアレ、何だっけラッパのマークのヤツ早く今すぐに!!!」

「寝てる姫乃のな。」

「ひめのんダッシュ!ああ痛い痛い!うげえ、腹がよじれるっ…!!早くしないとコレ大変だ!ひめのんダーーッシュ!!!」

必死の形相の冬悟に慌てる姫乃。

「く、薬で治るの?ちょっと待っててね…。」

パタパタと遠ざかる姫乃の足音を聞いて、冬悟はガクリと肩を落とした。

そんな冬悟をあざ笑う澪。

「オマエッ!ほんっと、いい性格してるよな!!」

「そう褒めるな。照れるだろう。」

「褒めてねぇよ!!」

ゼイゼイと肩で息をする冬悟。

「…フン。」

散々冬悟を虐め、やっと気が晴れた澪は小さく欠伸をした。

「何だよ。何か落ち込んでるかと思や、散々人いじって勝手に復活しやがって。」

気付かれていた。

一瞬だけ目を逸らし、フ、とため息一つ。

「時間が経つという事は、いい事だな。」

「…あ?」

「いい事だけれど、それはそれで、残酷だな。」

「なあ、何か…。」

澪はくるりと冬悟に向き直った。

あれから、数ヶ月だ。

その数ヶ月で随分気持ちも落ち着いてしまった。

アイツがもう帰って来ない寂しさも耐えられる様になってしまった。

アイツと二度と会えない悲しみも乗り越えられる様になってしまった。

痛いなら、痛いままでも良かったのに。

探さなきゃ出て来ない位、遠くに行って欲しくなんかなかったのに。

立ち直れない位で丁度良かったのに。

好きだって、言えば良かったなんて事、ずっと思い続けている位が良かったのに。

…言ってしまえるなら、全てぶちまけたかった。

「じゃあな。冬悟。」

澪はひらりと手を振った。

「…なあ、何かあるなら。」

「時間が解決してくれるよ。何もかもな。」

澪は振り返らなかった。

冬悟も、それ以上何も言えなかった。

澪の背中を見送って立ち尽くしていると、姫乃が薬を抱えて戻って来た。

冬悟は無言で姫乃を抱きしめた。

姫乃は大人しく抱きしめられた。






部屋に戻った澪は布団にもぐりこむ。

目を閉じても、誰の顔も浮かばない。

時間なんて止まってしまえばいいのに。

そう考えながら、迫ってくる眠気に身を任せた。


あとがき
ちょっと暗めになりました。
澪→黒と明姫です。強いけど弱い澪さんで。
2007.04.25

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