アウトサイド・インサイド

「明神さん、聞いて聞いて聞いて!!」

姫乃が学校から帰ってきたのは、午後六時を過ぎた頃だった。

いつもより一時間程遅い帰宅に、明神はそろそろ探しに行こうかとコートに袖を通したところで、遅くなった言い訳もごめんなさいもない姫乃にちょっとだけむっとした顔をした。

「ひめのん、遅かったじゃねーか。何してたんだよ」

「そうなの、遅くなったんだけど、ちょっと大変な事があってね!」

心配する明神をよそに、姫乃はやけに興奮気味だった。

やたらと早口でまくしたて、その勢いは「ちょっと叱ってやろう」と思っていた明神の目論見を吹っ飛ばす。

「あのね、明神さん明後日って暇!?」

「へ?……別に用事はねーけど、何で?」

「よかったぁ!じゃあちょっと皆も集めて来るから!そこに居てね!」

「は?ちょ、おい!」

明神は一瞬、明後日の日曜日に姫乃からデートの誘い……と、都合の良い事を考えたけれど「皆」という言葉がそれを否定する。

静止の声も耳に入らない様子で姫乃は走り去り、うたかた荘を駆け回る足音が明神の耳にドタバタと響いた。

「何なんだ……一体」

呆然とする明神。

数分後、共同リビングにうたかた荘の生者と陽魂が整列させられた。

「で、用って何だよ。全員集合させやがって」

何故か正座で姫乃の前に座る、明神、ガク、エージ、ツキタケ。

アズミは明神の膝の上にちょこんと座っている。

「あのね、今日知ったんだけど、美田君が明後日サッカーの試合……ええと、クラスメイトの美田君って子がサッカー部なんだけど、何と!明後日の試合に勝つと、全国大会に出場できるらしいんです!」

「おー……で?」

グッと拳を握って力説する姫乃に、全員の反応は鈍い。

返事をしたのはエージ一人のみで、残る三人は他の思惑で脳を回転させ、アズミは「全国大会」をイマイチ理解していない。

「で?って!凄くない!?全国だよ全国!ウチのサッカー部がそんなに強いなんて知らなかったけど、聞いたら燃えてきちゃってさ!ここは是非!応援に行こうと思うんだよね」

「はい、ひめのん質問」

正座のまま並んでいる明神が、手を挙げて質問する。

「はい、明神さんどうぞ」

「その……サッカー部が凄いのはわかったけど、美田君って何。誰」

「私のクラスメイトです。サッカー部なんだって。あんまり喋った事もなかったんだけどね」

「うん。そこまでは解った。で、その美田君が何て?」

「え……?」

明神の質問の意図がわからず、姫乃は首を捻った。

「何って。だから、明後日試合でそれに勝ったら全国だから、応援に来て欲しいって」

「おう。だから、で?」

「で?って何?」

「それで今日遅くなったのか?」

「うん。いきなり呼ばれてあっちコッチうろうろしてさ、何なんだろって思ってたらその話で。私びっくりしちゃった!美田君がサッカー部だって知らなかったし、全国だよ全国!」

姫乃がグイと身を乗り出して力説した。

実のところ、姫乃はこの試合の重要性については「何だかわからないけど凄そう」という認識しかない。

けれど、全国という単語と応援という言葉が姫乃のおせっかいな性格に火をつけた。

明神とガクが顔を見合わせる。

その二人をツキタケがちらと見上げ、そして「自分は何もわからない」といった風に顔を背けた。

誰も何も言わない事に業を煮やし、エージが口を開く。

「ヒメノ、それさ。美田ってヤツ」

「わー!わー!全国ってすげーなひめのん!!是非!応援に行こうじゃねーか皆で!!な、ガク!!」

「明後日は全員で邪魔……じゃない応援に行こう。ひめのん、オレも行く」

「アニキが行くならオイラも……」

「アズミも行くよな?」

「うん!さっかーって、ボールをぽーんってけるの?」

「おう。蹴るぞー。蹴ったり頭突きしたりするぞ」

「わ、じゃあ皆でだね!エージ君も行くよね?」

「あ?いや、行くのはまあいいけど」

一致団結。

明神はガクと。

ガクは明神と。

ツキタケはガクに合わせ、アズミは何もわからず明神に合わせた。

この雰囲気に流されなかったのは、悲しいかなうたかた荘で最も常識を持ち合わせてしまっているエージただ一人だった。

別に、美田という学生の肩を持つつもりは無いけれど、せっかくの告白だったろう「応援に来て欲しい」という言葉を文字通りに取られ、かつ、このままでは男連れで応援に……という最悪の事態になろうとしている事に、少なからず同情を覚えた。

「でもヒメノ、美田ってヤツ……うグ」

何か言おうとしたエージの口を、明神が塞いだ。

そして、ガクが明神とすりかわると同時に、エージの素早く首根っ子掴んで部屋から撤退させる。

明神は大きな体で連れ去られるエージの姿を、姫乃の視界から隠した。

「え?何?エージ君?」

「さあ!そうと決まれば準備をしようかひめのん!とりあえずは今日の飯な!応援の旗とか作った方がいいのか?」

明神は姫乃の肩を勢い良く叩いてせかす。

実際焦っているのは明神の方で、話題を逸らすのに精一杯になっている。

「う、うん……?あれエージ君は?」

「あいつも行くだろ。ハイ!支度したく!オレ腹減ったひめのん!今日は帰り遅いんだからね。わかってる?」

「えっと。うんそうだね。えっと、じゃあとりあえずご飯の支度するね?」

「ハイ宜しく!じゃあ明後日な。応援な?」

「うん!」

明神が何となく差し出した小指に、姫乃は自分の小指を絡めた。

それをわざとらしくブンブンと大きく縦に振ると、腕をまくって早速食事の支度に取り掛かる。

ホッと胸を撫で下ろす明神をよそに、姫乃は上機嫌だった。

鼻歌まじりに包丁を振るい、鍋をかき混ぜる。

そして明神は、アズミを姫乃の側に居る様言いつけると、屋根の上へと向かった。

屋根の上ではツキタケのマフラーで捕縛されているエージが、ガクに見下ろされている。

「お前らなアッ!!ホント何考えてんだ、馬っ鹿じゃねーのか!?」

ガクの隣に明神が並ぶ。

「で、様子は?」

「この通りだ。ツンツク猿は余計な所で頭が回るらしい」

「ほお」

「離せってんだボケー!ツキタケ!お前も何とか言え!!」

「いや……オイラ、アニキの味方だから」

「コラテメエ!!長い物に巻かれやがって!」

明神が転がったままのエージの傍らに座る。

よいしょ、と言いながら寝そべったままのエージを座らせてやると、肩に手を置き顔を覗きこんだ。

「三つ、約束を守ったら自由にしてやろう。一つ、余計な事をひめのんに言わない。一つ、大人しく試合を見に行き、適度に応援する事。一つ、今後試合の日まで、美田という単語を発さない。必要な時は、試合の事だけど……等と言う事」

そう言って自分を見下ろす明神を、エージは見上げた。

明神の背後で、月が大きくエージを見下ろしている。

逆行で明神の表情はわからないが、口元が笑っている事だけは確認が出来た。

エージは、本能的な部分で弱肉強食の何たるかを理解した。

「わ、わかった……。約束する」

「いい子だ」

ポンポンと、明神がエージの頭を撫でると、ガクの合図でツキタケのマフラーが緩む。

エージは久方ぶりに自由になった手足をぐいぐいと伸ばした。

「……余裕ねー大人は怖ぇな……」

『やかましい!!!』

男二人の絶叫が、うたかた荘の屋根で響いた。







そうこうする内に、二日がたった。

日曜の朝。

天気は晴天。

姫乃は張り切ってお弁当を作り、応援用のメガホンも厚紙を丸めて手作りで用意した。

「試合が終ったら皆で食べようね」

にっこり笑ってバスケットを開いて見せる。

明神はその中を覗き込んで少し笑った。

「何人分作ったんだ?」

「えっとね……本当は二人分と、サッカー部のヒトに差し入れって思ってたんだけど、作りすぎちゃったかな」

ぎゅうぎゅう詰めになったおにぎり達。

明神さんのは別に確保してますよ、と、姫乃は違う手提げを一つ示した。

改めて、明神は姫乃に頭を下げた。

まるでピクニックに行くかのような和やかさで、一行はうたかた荘を出発した。

試合が始まる少し前にグラウンドに到着すると、既に見学客が集まり始めていた。

さほど大きくはないグラウンドだけれど、全国への切符をかけた試合という事もあり、応援に駆けつけた連中にも気合が入っている。

サッカー部部員の親や親戚、クラスメイトがひしめく観客席を、明神は先導して一番前の列まで歩いて行った。

サングラスに黒いコート、更に白い髪という井手達のせいか、明神が通ると映画「十戒」の様に道が開く。

姫乃達は、難なく最前列に辿り着く事が出来た。

「ひめのん、クラスメイトってどいつ?」

「ん?美田君?ええーっと……」

選手達はグラウンドでウオーミングアップを始めている。

姫乃はその中から美田の姿を探した。

目は悪い方ではないが、少し距離がある事と選手の数が多い事、それから皆同じユニフォームを着ている事から美田を発見するまで少し時間がかかった。

「あ、あの子!」

姫乃が指差す先に、茶髪の少年が立っていた。

その少年は、気のせいではなく明神の方をじっと見つめている。

美田の視線を感じながら、明神は「ふーん」と応え、自分を見ている美田の様子を観察した。

顔は悪くない。

サッカー部のエースであの面構え。

身長も明神には遠く及ばないが、高い方だろう。

モテるのだろうな、と明神は思った。

実際、美田を目当てに応援に来ている言動をする女の子がちらほらと見かけられる。

姫乃を挟んで逆側に立っているガクも、ほぼ同じ事を考えていた。

引く手数多な羨ましいこの状況で、あえて姫乃を選んだ事は褒めてやろう。

けれど、姫乃を選んだ事を後悔するがいい。

「ほら、明神さん!ガクリン、エージ君ツキタケ君、アズミちゃんも準備いい?せーの、でいくからね。せーのっ!」

『美田君、頑張れー!!』

姫乃が大きく手を振った。

その大きすぎるアピールっぷりに、美田目当ての女の子が数人姫乃を睨んだが、明神が「良くわからない威圧感バリアー」で守っておいた。

「おー頑張れ少年ー!」

明神も遅れて手を振る。

先ずは先手を打って出鼻をくじかせなければならない。

試合の邪魔をする気は全くないけれど、こちら側の勝負に関しては譲る気は一切ない。

ガクも殺る気満々で大声を出しているけれど、こちらは悲しいかな美田の耳には届かない。

エージは控え目に辺りを見回し、事の成り行きを見守るつもりだったけれど、大きなグラウンドと試合前の空気にそわそわしていた。

ツキタケもサッカーに興味があるのか、直に見る試合を前にしてか興奮気味にあちこち飛び回って観察している。

アズミは楽しそうに、少年達の後をついて走り回っていた。

そして審判の笛の音で、試合が始まった。

選手達が一斉に走り出し、ボールがポンと宙を舞う。

「お。おおお!」

「わ、わわ!頑張れー!!」

試合が始まった途端、姫乃も、そして邪念を持って美田を見ていた筈の明神とガクも、試合の雰囲気に飲み込まれた。

緊迫する選手達のやり取り。

体をぶつけながら、ボールを必死で奪い合う。

全国を目前としたチーム同士の戦いは、高校生とは言えレベルが高い。

家を出た時のピクニック気分はどこかへ吹き飛んだ。

手に汗をかきながら、大声を出した。

「頑張れー!!」

「走れー!!」

身を乗り出して応援する。

その時、美田がボールを奪われ、そのまま敵にゴールを許してしまう。

あー!!と叫び、姫乃と明神は思わず手を握り合った。

すかさずガクの拳が明神にめり込み、取っ組み合いになりかけるのを姫乃が必死で止める。

普段なら、この尋常ではないやり取りに近くにいる人間は遠ざかっていくのだけれど、周りなんか見ている暇も無い程他の客も試合にのめりこんでいた。

そしてそこから、美田の大逆転劇が始まった。

華麗なパスと、ボールさばきで相手チームを翻弄し、ゴールも自分で狙っていく。

美田のシュートが決まり、一点が入った。

逆転するには後一点必要になる。

声が枯れるんじゃないかという位、明神も姫乃も最後まで声をあげて応援した。

そして、逆転のゴール。

そのままチームは更に数点入れると、完全勝利で試合は終了した。

どっと沸く歓声。

ガクも、姫乃と明神が感極まって抱き合って喜びを分かち合っている事に気付かず手を叩いた。

「すっげえな!あの美田ってヤツ!」

「ホント、かっこいいよね!」

『かっ……』

この一言で、明神とガクの頭が回転しだす。

試合の空気に呑まれ、うっかり肝心な事を忘れかけていた。

「おーい、美田君!!凄かったねー!お弁当差し入れ持ってきたよ!!」

姫乃が美田に向かって走り出した。

後を追う、明神とガク。

移動を開始した三人に、少し離れたところで観戦していた少年達も目を見合わせて移動を開始した。

姫乃と、姫乃を追う明神を見た美田がくるりと背を向けて走り出した。

「あれ?美田君なんか、逃げてない?」

「お?逃げてんな。おーいコラ何逃げてんだ」

「おおい、美田君ー!どこ行くのー!?」

美田は一度も振り返らない。

サッカー部のエースは足が速かった。

明神は姫乃を小脇に抱えて少しペースを上げて追いかける。

……追いつかない程度で、但し足音は聞こえる程度に。

美田を始め、明神、姫乃、ガク、そしてエージにツキタケアズミの行列でのかけっこは、それから後数十分続けられた。







美田はからくも逃げ切った。

美田に振り切られた姫乃は、大量のおにぎりをとりあえず美田のチームメイトに渡しておいた。

帰り道、皆で興奮しながら試合の様子について語り合い、そして最後に逃げたのは何だったんだろうと姫乃が首を傾げた。

「……腹でも痛かったんじゃねーの?」

明神の適当な推理に、姫乃は何となく頷いて納得する事にした。

考えてもわからなかったのだろう。

明神と姫乃の弁当は、帰りに公園で広げて食べた。

幸せそうな明神の笑顔を見て、エージはもう何も言わなかった。

そして次の日から、美田は姫乃とやや距離を置く様になった。

嫌いになったとか、苦手になったという訳ではない。

話をすると、ああ桶川姫乃だと思うのだけど、学校から一歩出ると、あのカツカツという革靴の音が背後から聞こえてくる気がしてサッと身を潜める癖がついてしまったのだ。

不思議そうに首を傾げる姫乃。

その様子を遠間から眺める視線が一つ。

美田には見る事の出来ないエージが、哀れな美田にそっと手をあわせていた。


あとがき
可哀想な美田君の、明神サイドバージョンでした。
普段は大人のふりをしているのに、時々大人気なくなるといいと思うのです…。
2007.11.30

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