ひのはな・情景
午後九時三十分。
場所はうたかた荘の中庭。
たとえ古くてボロいアパートでも、小さな庭があって良かったと明神は心底思った。
ぱちぱちと小さな音。
暗闇に火の花。
手元の花火が綺麗に見える様に玄関は勿論、中庭に面した部屋の電気は全て切っている。
その為、花火に面した体の表面はぼんやりと明るく、花火から遠くなる部分は影が濃くなる。
その陰影の差のせいだろう。
花火を見つめる姫乃がやけに綺麗に見える。
光る棒の先から円状に広がるオレンジ色の光は、不思議な力を持っていた。
この花火を貰ってきたのは明神だった。
町内の商店街で頼まれた買い物は豆腐と納豆、それから朝食用のパンと牛乳。
クジを貰い、一回限りガランと回して出てきたのは青い色の小さな玉。
どの位の割合いでこれらが混ぜられているのかはわからないけれど、明神の引いた青色は五等。
景品が出るのが五等までなので実質ハズレとそう大差ないけれど、何も無いよりはマシだと明神は思う事にする。
一位に燦然と輝く松坂牛五百グラムの文字に思わずよだれをたらしそうになりながら小さな袋を受け取ったのだが、この花火を想像していた以上に姫乃が気に入ってくれた。
「当たったんだ!凄いねえ明神さん。」
その言葉で「ハズレと大差ない」という考えは吹き飛んだ。
食事と風呂を済ませ、直ぐに寝れる様にパジャマ姿で姫乃は花火をしていた。
明神はそれを縁側に座って眺めている。
何本目かの花火が消え、姫乃が明神の方へ振り向いた。
「ね、さっきから私ばっかりしてるけど、明神さんはしないの?花火。」
何本かの花火を掴んで姫乃が明神に近付いた。
「いや、コレ量そんなにねーし、オレはいいよ。二人でやったら直ぐ終わっちまうよ?」
「それならそれでいいんだけど…これ明神さんが貰ってきた物だし。」
「そんで、それをひめのんにあげたから、コレはひめのんの。」
理屈を理屈で返したら、姫乃がプクと頬を膨らませた。
手にした数本の花火を無理矢理明神に掴ませる。
「じゃあこれを明神さんにあげます。はいどうぞ。」
これを付き返すのは流石に感じが悪い。
明神は根負けして花火を受け取った。
「…どうも、ありがとう。」
別に花火をするのが嫌な訳では無いけれど、本当のところ花火をする姫乃を長く見ていたかった。
手にした花火に火をつける。
一度に二つ花火をつけると、その円状の光は大きくなった。
明神と姫乃の足元をぼんやりと照らす。
「おー。すげー。」
勢い良く飛び出す火花。
円を描いて回してみると、目に光の線が映りこむ。
目を閉じると光の流れがぼんやりと「見え」た。
「明神さん、花火振り回しちゃいけないんだよ?」
少し距離を取ってちゅういする姫乃に、明神は子供の様に「はあい」と答えた。
明神が危惧していた通り、花火の減りは一気に増えた。
やり始めると、次へ次へと手が進む。
大体このセットの「メイン」と言われる花火は遊び終えると、最後に小さな袋を花火セットの台紙から剥がした。
線香花火。
紐状になった細くて弱弱しい一本を抜き取ると、それを姫乃に手渡した。
火をつけると、音をたてて花弁が飛び散った。
他の花火と違い、線香花火はより花なんだと感じさせられる。
ぱちぱちと飛び散る花、さらさらと流れる花、線香花火をしている間は何となく黙ってしまう。
ポトリと落ちて。
「あ。」
目を合わせて。
「終わっちゃったねえ。」
「まだあるよ?」
「うん。」
手渡して、火をつけて。
「何だか、線香花火って黙っちゃうね。」
「うーん。じっと見ちまうって言うか、綺麗。」
「うん。綺麗。勿体無くって、何だか寂しくなるね。」
「少し置いとく?」
「そういう事じゃなくて。」
「わかるけどな。」
「あ、落ちた。」
また目を合わせて、明神は姫乃に新しい一本を渡す。
そしてそれに火をつける。
「何だか儚い感じがするからかな、不思議な気持ちになる。」
「そうだな。」
「明神さんもつけてよ?」
「ああ、ハイ。」
屈み込んで二人並ぶ。
手には火の花、ちらりと横を振り向くと、オレンジに染まった綺麗な人。
明神は少し口を尖らせた。
少し顔が熱くて動悸がする。
何も気付かずに振り向いて笑う人は、いつも通りで何だかつまらない。
何かしてやろうかとも思ったけれど、止めた。
ぱちぱちと花が落ちていく間は、綺麗な間は、ただ眺めている方が良い様な気がしたから。
全ての花火を終えて、明神は汲んでいた水を花火にかけた。
黒コゲになった花火の残りを集めてまとめておく。
残りは明日、明るくなってからの方が効率が良いと考えて、二人は火の始末だけはしっかりとしておいた。
「ああ。」
姫乃が呟いた。
口調は少し、しまった、というか、驚いた様に。
「何?どっか怪我した?」
「違うの、ほら。」
黒い髪を一束掴むとそれを明神の顔の方へと近づける。
「煙で、臭くなっちゃった。せっかくお風呂入ったのに。」
引き戻した髪を、もう一度自分で匂う。
むう、と口をへの字に曲げた。
「めんどくせーなら、オレが洗おうか〜?」
「馬鹿。」
提案はあっさりと却下される。
別に本気で言った訳では無いので特に残念なふうでもなく明神は笑う。
「シャワーだけ行って来る。」
「どーぞ。オレは明日でいいや。」
先に玄関をくぐる明神を姫乃は追いかけた。
追いかけて、その背中を捕まえるとふん、と嗅いでみる。
慌てて明神は姫乃を引き剥がした。
「…汗臭いから、駄目。」
「花火のにおいしかしなかったよ?」
「でも駄目。ほら、風呂行け。」
促すと「明神さんも寝る前に入ればいいのに」と言い残して姫乃は風呂場へ向かった。
そうは言うけれど、明神は手を振ってさっさと自室へ引っ込んだ。
電気を点けないまま、既に敷いてある事が解りきっている布団に倒れ込んで目を閉じる。
光の軌跡がまだ焼きついている。
それらに目をチカチカさせながら、明神は頭の中で先ほど見ていた綺麗な情景を再生させた。
綺麗なひのはな、綺麗なひと。
忘れるには勿体無くて、でも多分写真何かじゃ伝わらない。
しっかりと焼き付けていつでも思い出せる様、忘れない様にしておきたかった。
浴衣でも着ていれば更に絵になっただろうと思いながら、明神はそのまま眠りについた。
あとがき
ネタの元になったのが「動物の森」の花火大会で貰った線香花火…。
何でも明姫に変換できるのが自慢です(?)
2007.08.14