はつこい2

「桶川姫乃です。宜しくお願いします。」

ペコリと頭を下げ、あれ?と姫乃は思った。

背中まで伸ばしている筈の髪が、肩までしか無くなっている。

制服がいつものものとは違う。

学校の風景が違う。

クラスメイトの顔も違う。

違うというよりどこかぼやけていてまるで夢の中みたいだった。

というより、夢だった。

姫乃は夢の中で、これは夢であるという事を自覚した。

その瞬間、姫乃の視点は自分のものから「その自分を見ている」ものへと変化した。

きっかけは短い髪。

転校初日の風景。

多分、中学の頃。

クラスメイトの顔を見渡すと、誰の顔もぼんやりしていて判別出来ないのっぺらぼうな顔をしている。

数人顔が解るクラスメイトも居たけれど、それは皆高校の友達の顔にすげ変わっていた。

教室の風景も、高校のそれと良く解らない何かがぐしゃっと混ざった景色になっている。

グラウンドは長く通った中学のものだった。

夢の中の矛盾の中で、姫乃は新しいクラスメイトに挨拶をする。

特に何も考えなくても口は動く。

転校はしょっちゅうだったので、大体言う事はいつも同じだった。

挨拶を済ませた姫乃は示された席へと向かう。

椅子に座った時、隣の座席に座る男の子が話しかけてきた。

「桶川って変わった苗字だな。オレ     。宜しく。」

そう言って、握手を求めてきた。

名前は聞き取れなかった。

多分記憶から無くなってしまっているからだと思うけれど、不思議な事にその少年の顔は明神の顔をしている。

あれ?何で明神さん?

頭の中で疑問に思うけれど、夢の中の姫乃はその名前のわからない明神の顔をした少年に笑いかける。

「  君、宜しく。」

姫乃は差し出された手を握り返した。

そうだ、この時私は男の子と握手する事も、握手を求められる事も始めてでびっくりしたんだったっけ。

そう考えながら…。

グニュ。

握った手に、嫌な感触がした。

夢の中なのに、そこだけやたらとリアルに感じる。

姫乃の記憶がフィードバックする。

ああ、思い出した!

そう、そう、出会いは…最悪で!!

明神の顔をした少年は、してやったりと悪魔の様な微笑みを浮かべる。

繋いだ手をゆっくり開くと…カエル。

「きゃああああああああああああ!!!!!!!」

両手を万歳に挙げた状態で、姫乃は目覚めた。

「…あ、あ、そうだ。」

あの握手は、姫乃の乙女心をくすぐった後最低の形で裏切った。

「思い出した。嫌なヤツだった〜。」

姫乃は口を尖らせて、笑った。

そう、出会いはあんな風に最悪で…カエルだけじゃなくって大きな蜘蛛だとかゴキブリだとかのゴム人形だとかでいちいちちょっかいかけてきて。

いつも怒って追いかけて廊下を走って、先生に見つかって二人で怒られて。

「何で私まで怒られなきゃいけないの」って腹を立てたら、「お前も走ってただろ」って、ひひって笑っ、て誰のせいだと思っているのか。

でも思い出す顔は殆どが笑顔で。

…顔は思いだせないけれど、いつも笑っていて。

喉元まで出てきている短い髪。

ぼんやりと浮かんではぼんやりと消える。

あの子が風邪で休んだ時。

学校がとても静かに感じて、ああ、寂しいなって思った。





どうしても、顔だけが思い出せ無い事をもどかしく感じた。

目を閉じて一生懸命記憶を辿ると、浮かびかけた少年の顔は夢で見た明神の顔になった。

姫乃は学生服を着て、夢の中にまで現われ初恋の人を演じた明神に、どこまで負けず嫌いなんだろうと苦笑いした。

…たった三週間で引っ越す事になって、引っ越すって言った時、あの子どんな顔をしてたっけ?

好きかもしれないと思いながら、目の前に迫ってくる「期限」に臆病になった。

顔を覚えていないのは、忘れようとしたからだと気付くと無性に悲しくなった。

初恋とは実らないものだと、自分に言い聞かせて。








姫乃は走って階段を駆け下りると管理人室に飛び込んだ。

眠っている明神の顔をピシャピシャ叩いて起こそうとする。

「明神さん!起きて起きて!!」

「んあ?あ?」

夢の中から無理矢理ひっぱり起こされ、明神はボサボサの頭のままむくりと起き上がった。

「あ、何?ひめのん…。ご飯?」

「ご飯じゃなくて!明神さん、よーく思い出して!本当に今まで好きな人いなかった?一人も?もうこの際幼稚園の先生とかそんなのでもいいからいない!?」

質問の意図は全くわからないけれど、何だか姫乃が焦っているので明神も一緒に焦る。

「え?え?何かわからねェけど、重要なのか?それ。えっと。えっとな。…やっぱいねえなあ。え、何かマズイのか?」

姫乃はガクリと落ち込んだ。

両膝と両手を床につき、低い低い声で一言。

「…私たち、駄目かも…。」

「え!?何!?何が!?オレ何かしたか!?ってか何かあったのか!?」

慌てて姫乃の両肩を抱いて揺さぶる明神。

特に何か悪さをした覚えはない。

昨日初恋の人について話をして、少し意地悪をしたけれど、だからと言って嫌われるとは夢にも思わない。

今にも泣き出しそうな姫乃の顔を見て、明神も泣きそうになる。

重い空気の中、慎重に理由を聞いた明神が、その答えを聞いて目を点にするのは数分後。

「いやいやいや、それ迷信だろ。」

掌を左右に振り、姫乃の不安を0.3秒で否定した。

「だってさ、私の時もそうだったし。迷信でも何でも心配だよ。」

「いやいやいや、大丈夫だって。オレはともかくひめのんがオレを嫌いにならない限り。」

「わからないよ?私がぽくっと死んじゃうかもしれないし。」

「死なさねえよ。」

死ぬなんて本気で言った訳ではないけれど、思ったより低い声できっぱりと否定された。

下げていた目線を思わず上げると、明神は少し怒った様な顔をしていて姫乃はもう一度俯く。

「まあ、ほら。じゃあ、もし何かあったら、ひめのんの二人目パワーで何とかなるって事にしよう。」

少し重くなった空気を感じ、明神は出来るだけ柔らかい声でそう言った。

姫乃が恐る恐る顔を上げる。

「二人目…パワーって何かやだなあ。語呂とか。」

「いや、ほらここはそれとして置いといて。そりゃちょっとは腹立つというか、ムカつくというか、やり切れない想いが色々あるけど。」

「以外と根は深そうだね。」

「いちいち揚げ足とらない!!」

一喝すると姫乃が黙る。

「元々、頭悪ィんだから、ごちゃごちゃ考えるの苦手なんだよ。…だけど、ひめのんが気にするなら、何とか前向きになる様に考えるしかねーじゃねーか。」

拗ねた顔で言う明神。

はっとして、何度も頷く姫乃。

「うん…うん。そうだね。」

「それに、気持ちどうこうで何か起きるって事はまず考えられないし、もしそうなっても、オレしつっこいから何回だってひめのんの事好きになる。」

「うん。」

「ひめのんがオレの事嫌いになったら、好かれる様に努力する。」

「うん。」

「ひめのんに何かあったら走ってって、何とかする。」

「うん。」

「ひめのん死ぬ時は、多分オレが先に死んでるから、覚悟して。勝手に先死んだりしたら許さねえから。魂捕まえてココに縛り付けるから。」

「うん。」

「オレに何かあったら…ひめのん考えて。」

「…二人目パワーで?」

「何かそんなので。」

「…うん。」

「じゃあ、それでいこう。作戦決定。宜しくひめのん。」

明神が手を差し出した。

夢で見た光景がよみがえる。

姫乃の頭の中でカエルが跳ねた。

差し出された手には、何か持っている気配はない。

握ってみたら、記憶の中にある手よりずっと大きくて、ゴツゴツしていて、暖かかった。

カエルも跳ばない。

ただ暖かくて、姫乃の為に差し出された手。

ふっと姫乃の顔が緩んだ。

「…明神さんの、勝ちー。」

「んお?何が?」

「何でもない!」

姫乃が笑った。

もう顔も名前も思い出せなくても良くなった。

この際、あの人は「明神」君で、顔だって明神さんだったという事にしようと姫乃は思った。

寂しいと思った静かな学校も。

時間切れで蓋をした淡い気持ちも。

記憶の中で、浮かんでは消える幻みたいな笑顔も。

悪い意味ではなくて、もう必要無くなった。

ありがとう。

また会ってみたいね。

今どうしてる?

幸せ?

「よし!二人目パワーで頑張るね、明神さん!」

「おー!その意気だ!」

繋いだ手をブンブン振って。

目が合ったら自然に笑い合って。

「うん!元気出た!よーし、明神さんに何かあっても、私に任せて!二人目」

「やっぱりムカつく。」

姫乃が何か言う前に、明神は姫乃を捕まえた。

「はつこい、パワー!!」

「きゃー!!???」

一声叫ぶと明神は姫乃を抱えたまま部屋中を転がった。

布団を乗り上げ、散らかった書物を蹴散らし、縦横無尽にゴロゴロ転がった後、ガツンと棚に頭をぶつけて停止した。

頭を押さえて悶える明神。

大きな体にすっぽりとガードされていたので姫乃は無傷。

「…これ、結構危ないね。」

「そう…だな…。」

姫乃が明神の頭を撫でる。

「治れ治れ。」

明神が口を尖らせる。

「それも〜目パワー?」

自分で言い出したくせに、もう言葉にする事も嫌になっている。

姫乃はにっこりと笑った。

「ううん。明神さん専用、ひめのんパワー。」

明神がきょとん、と目を点にした。

「うはははは!語呂悪ィ!!」

「うるさいなあ!」

ペチンと頭を叩くと明神が呻く。

ごろりと一回転して明神は姫乃の膝の上に頭を置いた。

姫乃は明神の手をもう一度握った。

「…そういえば、私今日学校。」

「休んじまえば〜?」

「そうもいきません!」

「だな。」

ひょいと起き上がって、姫乃に手を差し出す明神。

その手を取って、立ち上がろうとする姫乃。

体重がかかった瞬間、手の力を抜く明神。

もう一度座らされる姫乃。

「こら、明神さん。」

もう一度引っ張る明神。

立ち上がりかける姫乃。

また手の力を抜く明神。

座る姫乃。

「コラ!!」

「何か勿体無くて。」

明神があんまり寂しそうな顔をするものだから、姫乃は情が動いた。

明神が犬なら、耳と尻尾がへたりと垂れている、そんな感じで。

「うう…。じ、じゃあ、休もうか?」

「駄目です。学校行きなさい。」

「もう!!どっち!?」

姫乃は自分で立つと、駆け出した。

「着替えてくるし、ご飯の支度するから明神さんも顔洗って、服着替えて!」

言い残すとタッタッと階段を駆け上がって行った。

一人管理人室に残る明神。

「行くなー。戻ってこーい。休んじまえ、学校。」

出来るだけ小さな声で呟いた。

「ここにいろー。誰とも会うんじゃねえー。誰も見るんじゃねえー。オレだけ見てろー。」

すー、と息を吸って。

ゆっくり吐き出す。

「一杯友達作れ、勉強頑張れ、そんで、沢山土産話してくれ。」

どっちも本音で困ってしまう。

制服に着替えた姫乃が廊下を走る。

「転ぶなよ。」

呟いた瞬間ドタン!と音がした。

「…はつこい、パワー…。」

慌てて走る。

廊下で姫乃は尻餅をついていた。

明神は駆け寄って、手を差し出して。

姫乃は涙目でその手を見つけると、寄りかかる様に握り締めた。


あとがき
ひめのんはつこいネタ第二段でした。
ゴロゴロいちゃいちゃネタ(言い方が古臭い)は書いていて楽しいです…。
2007.05.12

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