はつこい

「明神さんって、昔好きな人とか居た?」

姫乃の声は、明神の腕の中から聞こえてくる。

胡坐をかいて座る明神は今、姫乃専用一人掛けのソファーと化していた。

「…ん〜?いねえな、そんなの。ひめのんが始めてかな。」

そう言いながら、机に置かれたクッキーを一枚手に取る明神。

それを後ろから手を回し、おもむろに姫乃の口に近づけると、姫乃は「あ」と口を開け、明神の手からクッキーを貰う。

…ペットに餌やってるみてェだ。

モグモグ口を動かす姫乃を見て明神はそう思った。

良く懐いている子猫か、子犬、もしくは小鳥。

「子」が付くのはあまりに姫乃が大人しく従順にお菓子を貰っているから。

「ひめのんは好きなヤツとかいたのか?」

言いながら、次のクッキーに手を伸ばす明神。

「いたよ。中学の頃かなあ。」

ピクリ、と明神の手が止まり、姫乃の口へ運ばれる予定だったそのクッキーは明神の口へと運ばれた。

食べさせて貰えると思って口を開け待機していた姫乃は、ゆっくりと口を閉じる。

「…拗ねた?」

「ふぇつに。」

モグモグ口を動かしながら明神が答える。

「ひど〜い!正直に答えたのに。」

「正直な言葉は時に人を傷つけるのです。嘘も方便。」

「じゃあいなかった。明神さんが始めてです。」

「嘘付け。」

明神は姫乃の胴をぎゅうと抱きしめ、力を込める。

「クルシイ。息デキナイ。クッキー出ちゃう!」

暴れる姫乃。

腕の力を緩めると、ジタバタしながら姫乃が明神の膝の上から逃げ出そうとした。

もう一度抱きつき、逃がさない様にする明神。

「ちょっと、もう!」

少し怒った声を出す姫乃。

明神はひょいとクッキーを掴み、それを姫乃の口に入れる。

すると暴れていた姫乃の動きが止まり、その代わりサクサクと音が聞こえてきた。

明神は思わず吹き出しそうになるのをグッと堪えた。

指に付いた菓子屑を舐めると甘い味がする。

「…それで、どんなヤツだった?」

「え?」

「え?じゃなくて。ひめのんのはつこいの相手。」

「…あ〜。」

あまり言うとしつこいと思われそうで気が引けたけれど、ここは聞かずにいられなかった。

姫乃は右に左に首を傾げる。

クセのある姫乃の髪が、ゆらゆらと揺れた。

明神の目がそれを追う。

「良く覚えてないんだよね。中学の時って言っても、私しょっちゅう転校してたからその中学に居たのもほんの数ヶ月だし。三年前だし…顔も良く覚えてないんだよね。実は。」

「へえ。でも、好きになったんだろ?」

言い方が自分でもわかるけれど、ちょっと刺がある。

「そうだね。多分、優しかったのかな。」

「ふーん。悪かったな〜。優しくなくて。」

「私抱えたまま言う言葉じゃないよね。って、―わ。」

明神は姫乃を抱えたまま横に転がった。

「何か、フェアじゃねえ。面白くねえ。」

「そうかな。もう顔も覚えてないんだよ?」

「それでも、思い出にはなかなか勝てないから。」

「だって、もう明神さんとの思い出の方が多いもん。」

明神は暫く黙った。

姫乃も黙った。

黙って、明神の様子を伺った。

正直に話したのは、これ以上無いくらい明神という人物を今現在愛しているからで、それがこれからも揺らぎ様の無い事に自信を持っているから。

「オレの勝ち?」

どうしてそこを勝ち負けで表現するのか、と思ったけれど、それが男ってものだろうと姫乃は自分の中で納得する。

「うん。カチ。圧勝。大好き。」

満足そうに笑うと明神は起き上がり、姫乃も引っ張って起こしてやる。

「へへ。」

姫乃が笑った。

「?どした?」

「何となくね。私の勝ち!って思ったの。」

そう言って、Vサインをする姫乃。

「…。」

「お?あれ?わー!!」

明神は立ち上がり、姫乃を抱えるとそのまま部屋をゴロゴロと転がった。

「…何か言う事は?」

部屋を二往復した後明神が聞く。

くわくわと目を回しながら、姫乃が答える。

「うん。あの、えっとね…私の負けでいいです、はい。」

「誠意が足らん。」

「ぎゃー!!!」

名前も忘れてしまった昔好きだったかも知れない人へ。

今好きな人は、大人だけど子どもです。

けど、たぶんきっと世界一です。


あとがき
何でもない初夏のひととき?的な明姫でした。
もう結婚したらいいのに…という気持ちを込めて。
2007.04.29

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