ハンドクリーム

冬の寒い時期、やっぱり格別なのは風呂である。

次にコタツ、次に布団の中。

風呂上りの明神は、上機嫌でソファーにもたれてテレビを眺めていた。

手には牛乳瓶を持ち、ちびりちびりやりながらのんびりとした時間を楽しむ。

深夜仕事がない日だけに許された、まったりとした夜の過ごし方だった。

ぼんやりしていると、トコトコと足音が近づいてくる。

明神の後に風呂に入っていた姫乃だった。

風呂上りにテレビを見に来たんだなと考え、明神はソファーに腰掛けている位置をずらし、姫乃の席をあけてやる。

姫乃が近くまで来たので声をかける為に見上げると、明神は口に含んだ牛乳を噴出しそうになった。

姫乃が着ているパジャマのズボンが、膝の上までめくりあげられ白い足がひょろりと覗いていた。

「はー、いいお湯だった〜。ちょっとごめんね」

そう言うと、姫乃は足を自分用に空けられたソファーのスペースにドンと置く。

ほかほかぴかぴかの白い足から、明神は必死で目を背けた。

「な、何してんの?」

「ん?えへへ。コレ、もらったの」

そう言って姫乃は、手にした小さな容器を明神の顔の前に突き出した。

「乾燥を防ぐ、全身に使えるクリーム!肌がつるつるになるんだって〜」

「へ、へえ……」

もう充分つるつるですよ、という言葉を飲み込んで、明神はテレビに目線を移す。

その視界の隅で、姫乃は足を丁寧に撫で、クリームをせっせと塗りつけている。

正直、逃げたかった。

けれどもっと本音を言うと、しっかりまじまじ見たかった。

その狭間でぐらぐら揺れながらテレビを見るも、全く集中出来ず内容も頭に入ってこない。

姫乃は手を動かしながら、ニュースの内容に「へえ」とか「そっかー」とか相槌を打っている。

何かに試されているか、拷問を受けている気分だった。

「終わり〜。わ、わ、これ凄い。さらさらになったよ!」

「そ、そう。良かったなァ〜」

「明神さんも使ってみる?ハンドクリームみたいな感じなんだけど」

そうなるかも、と思ってはいたが、思っていた通り姫乃の標的は明神に絞られた。

姫乃はこの新しいアイテムを誰かと共有し、これはいいねと語りたいのである。

年頃の女の子とはそういう物で、成人男子である明神とは相容れない感覚の違いだった。

ずい、と迫り来る姫乃から、明神は一歩引いて遠慮する。

「いや!オレはそういうの使った事ないし、ベタベタすんのやだから……!」

「これ、結構さらさらしてて気持ちいいよ。使ってみて」

逃げる明神、追う姫乃。

ソファーは狭く、あっと言う間に明神は追い詰められる。

姫乃は容器から指でクリームをすくうと、明神の手を問答無用でしっかりと握った。

「ひィ!」

そして、まんべなく明神の手にクリームを塗り込んでいく。

まずは右手、次に左手。

両手で包み込む様に握り、撫でたり揉んだり擦り合せたり。

「ちょ、ちょ、ひ、ひめのん!!手、て、テ」

「ちょっと暴れないの。良く伸ばしたらべたべたしないから!」

「そうじゃなくてうわわわわわわわわわわわ」

「あ、明神さんやっぱり。手、がさがさしてるね。ゴツゴツっていうか……指の節とかね、親指の付け根とか、手の甲とか特に乾燥するトコにしっかり塗るといいんだって」

「ひええええええええええええ」

「こうやって、こうやって。あ、さか剥けしてる。痛そう〜」

「あぎゃがぎゃぎゃぎゃぎゃ」

「しっかり塗り込むのがいいんだって。しっかりしっかり」

「あわわひゃひゃひゃひゃひゃ」

「ほら、明神さんの手もツルツルになった!」

クリームを塗り終えると、姫乃は満足そうに微笑んだ。

「ホント!ありがとう!じゃオレ行くから!」

背を向け立ち上がった明神の背中を、姫乃がくいと引っ張って止める。

「腕とか足とか、背中とかにも使えるみたいだけど……」

容器を手にした姫乃の目が「もっと使ってみたい」と言っている。

「いやホント、大丈夫だから!オレ皮膚丈夫だから!いや〜それにしてもホント手がつるつるになりましたねェ!凄いぞ!ありがとうひめのんじゃあね!」

言い捨てて逃げようとするけれど、姫乃の手は離れない。

「皮膚が丈夫なのは知ってるけど、乾燥してるよ。ガサガサ」

「ソレ、勿体無いし!」

「もらった物だし、気にしないで」

「だからっ……!!!」

湯上りで赤い顔を更に赤くして、明神は目が回りそうになった。

姫乃の両手をがっしりと掴み、万歳させる様持ち上げる。

「恥かしいだろー!!!」

「へ?」

姫乃が目をぱちくりさせ、明神は姫乃の手からクリームの入った容器を奪い取る。

「いいかひめのん。オレがもし、このクリームをひめのんの足とか腕とか背中に塗ったとしましょう!ひめのんはどう思いますか!」

「…………」

しばし沈黙した姫乃の顔が、少しづつ赤くなる。

「せ、セクハラ!」

「ほら見ろ!オレ今ひめのんにセクハラされたんだぞ」

「ち、違うもん!」

「違わねェ」

「違いますー!!私のは違うの」

「オレのだけセクハラ!?」

自棄になった明神は容器からクリームを手に取ると、姫乃の手をがっしりと握った。

そしてゴシゴシこすり、撫で、揉む。

「わ、わひゃひゃひゃひゃ」

「何でオレだけセクハラ扱いすんだコラ!これのどこがセクハラだ!」

「く、くすぐったいし!痛いし!言ってる事逆になってるし!!ちょ、ちょ!」

そのままの勢いで頬を掴んで握って引っ張って伸ばすと、姫乃はひゃーと言って目を細めた。

掴んだ頬の温かさと柔らかさに、明神の頭のネジが緩む。

「……セクハラっつーのは、こういう事じゃねェの?」

しまったと思ったのは、キスをした後だった。

姫乃が驚いた顔のまま固まった。








「何やってんだ?ヒメノ」

部屋の前で三角座りをし、呆けた顔をした姫乃に通りかかったエージが声をかけた。

「口、開けっ放しだと間抜けな顔がより間抜けになんぞ」

「……ひどい……」

何か言い返してくるだろうと思っていたのに、エージを見上げた姫乃は眉をしかめて口を歪ませている。

エージは姫乃の隣に座り、様子を窺った。

「……何かあったのか?」

ただボーっとしている様にも、ショックを受けている様にも見える。

暫く黙ったままの姫乃に、エージは気持ちをざわざわさせた。

「……さんに……」

「ん?」

「明神さんに、セクハラされた……」

「……ほー」

「は、恥かしい……死にそう」

抱えた両膝に赤らめた顔を埋める姫乃を眺めながら、エージは立ち上がる。

そしてその手に、しっかりとバットを握り締めた。


あとがき
タイトルですが、ハンドクリームというよりセクシャルハラスメントで申し訳ありません。
はじめは明神さんがひめのんに羞恥プレイされる話にしようとしていたのですが、意外な反抗を見せました。
最後を澪さんにするかエージにするか悩んだのですが、澪さんにすると明神さんの死亡が確定しそうなのでやめました。
2008.02.08

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