朝、目が覚めたら私はご飯を作って、食べて、寝転がる明神さんをまたいで学校へ行く。

人をまたぐなんてはしたない!って思うけど、廊下を塞ぐバリケードみたいに横になって寝てるんだから、仕方が無い。

私は出来るだけ害の無い様、足元を越えていく。

玄関で振り返って、

「いってきます」

なるべく小声でそう言うと、明神さんが薄目を開ける。

首を動かして私を探して、目が合ったら「いってらっしゃい」って言う。

しんどそうに腕を上げて手を振るから、私も手を振り替えして玄関をくぐってく。

毎日いってらっしゃいを言ってもらうのが当たり前になっていて、いつからか私は、いってらっしゃいを言われる側じゃなくて、言う側になりたいなと思う様になっていた。

いってらっしゃい、明神さん

仕事に行く夕方とか夜とか、言う時はあるけど、毎日毎朝っていうのはちょっとない。

もし、言う側になったとしても、それはそれでまた言われたいって思う様になっちゃう我侭だっていう事はわかってるのだけど。

「いってきます」

「いってらっしゃい」

「ただいま」

「おかえり」

当たり前の事であること事態が、とても幸せな事だという事は、わかっているのだけど。







「明神さん、ご飯ちゃんと食べてるかなー」

「明神さんは欠食児童か」

昼休み、独り言はしっかりと友人の耳に届き、しっかりと突っ込まれた。

「……だってさ。心配じゃん。あんなに大きな人が体を維持するのにカップラーメンはよくないよ」

「そう思うなら作ってあげたら?」

「う……何か、悪いって遠慮するんだよね。もう一人分も二人分も一緒なんだけど」

そう言って、私はため息を吐いた。

自分が毎日作っているものは、前の日の残り物が半分、簡単に作れるものが半分。

手間が一緒なら全然かまわないし、むしろ食べてくれる方が嬉しいし……毎日美味かったなんて言われた日には、きっと大喜びでレパートリーを増やしていくに違いないのに。

「気を使われると、何だか逆に切ないですよ、先生ー」

机に突っ伏して、私はエッちゃんに甘えた。

思ってた通り、エッちゃんは私の頭を撫でてくれる。

優しい、大好き。

「よしよし。姫乃をこんなにするなんて、明神さんは悪い大人だな。一度成敗してくれようぞ」

「成敗って……」

時々出る過激な発言も……本心じゃないって、思ってる。

……思ってる。

「まあ……相手も二十歳過ぎたばっかの成人男性で、育ち盛りは過ぎてもまだまだ食べるお年頃なら……作って置いときゃ食べるんじゃない?」

「へ?」

「目の前に置かれた弁当箱。食べてくださいのメッセージカード。これで手を出さない男はいないだろ」

「そ、そうかな?」

「そうだよ」

「じゃ、じゃあ……今度やってみようかな」

「おー、頑張れ姫乃!」




オレは今、非常に戸惑っている。

お昼に目が覚めたら、リビングに置かれた弁当箱。

それに添えられた「良かったら食べてください」的な事が書かれたメッセージカード。

その弁当箱は、明らかにオレ用に新調された物であって……。

「うお、すげえ。いい匂い……美味そう……」

蓋を開けるともう止まりませんな感じであって。

「前、悪いっつって断ったのになー。でも美味いなー。毎日やってくんねーかなとか言ったらひめのん困るだろうしなー。あーでも美味い」

これって、餌付けじゃねーのと思いながら、ひめのんに頭が上がらない理由がまた一つ、増えた。









時々明神は、姫乃を学校まで迎えに行く。

近くに寄ったから、たまたま散歩してて、理由は幾つかあるけれど要は一緒に歩きたいだけ。

明神が校門前で姫乃を待つ時、姫乃はそれを明神の姿を見る前に毎回知る事になる。

校門にサングラスの大男がウロウロしているという噂がどこからか流れてくるからだ。

姫乃が明神と合流する時の、周りの反応は計り知れない。

ざわざわと揺れる、姫乃達を遠巻きに見守る生徒達。

「あれ、明神さんどうしたの?」

「いや、近くまで来たからさ。そろそろ学校終わりじゃねーかなーと思って」

「じゃあ、ついでに買い物付き合って。晩御飯と、お米がそろそろ切れるから」

「いいよ。了解」

並んで歩いてスーパーへ行き、野菜を選んで米を担いで。

「親子かしら、兄妹かしら、まさか夫婦はないわよね」

ここでも、どこからかそんな声が聞こえてきて、姫乃はそれを打ち消す様に大きな声で明神に話しかけ、明神は気付いていないのか気にしていないのか、いつも通り姫乃に応える。

買い物を終えて外に出ると、日は傾き二人の影が長く長く伸びていた。

姫乃は長く伸びた自分の影を見て、それを明神と比べてみた。

やっと追いつけた、追い越せた。

けれど、隣に伸びる明神の影は、それよりも遥かに長くて、影同士だとその差はむしろ大きくなっていた。

普段一緒にいる時も、姫乃は明神を大きく見上げ、明神は背を曲げて窮屈そうに見下ろしている。

「明神さん、最近姿勢悪くなった?」

「ん?そうか?背中に筋肉ついてるし、そのせいじゃねーの?」

「そう……やっぱり、届かないね」

「ん?何?」

「何でもない。お米ごめんね、重くない?」

「いーや全然。小指で持てるぞ」

笑いながら、明神は米が入ったビニールの袋を小指に引っ掛け、ひょいひょいと持ち上げて見せた。

「見てる方が怖いって!」

慌てる姫乃に明神は笑う。

そうしている内に、伸びた影は辺りの闇に溶けこみだす。

日は大きく傾いて、朱色だった空は、藍色に。

そして藍色から、暗闇に。

「あ」

姫乃の影も、明神の影も、道に溶けて消えた。

こだわっていたものが無くなって、姫乃はふいに喪失感を感じ、俯いた。

その姫乃をちらりと横目に見ると、今だとばかりに、

「あー……、すっかり遅くなっちまったなー」

明神の手がおずおずと伸び、姫乃の指に引っ掛かかった。

「こりゃ、早く帰らないとガキ共がうるせーな。あー参ったな」

姫乃が抵抗しないでいると、絡めた指はしっかりと握られる。

姫乃は明神を見上げた。

呆れるというか、驚くと言うか、ある意味尊敬の眼差しだった。

明神は姫乃を見下ろした。

悪戯がばれ、叱られる前の子供のような緊張感に包まれた眼差しだった。

「明神さんって……ホントに、」

「な、何」

周りを気にしていたのは姫乃だけで、明神はそんな事お構いなしに、ただ日が落ちて周りに人気が無くなるのを待っていた。

人が真剣に悩んでいる時、いつ手を握ろうかとタイミングを測っていたなんて。

「何でもない……今日の晩御飯、冷凍してる秘蔵の牛さん出すね。一緒に食べよう」

「お、マジで?やったね。何か今日はいい日だな〜」

「そうだね。いい日だね〜」

握った手をブンブンと振って、合わない歩幅をぎこちなく合わせて歩いた。

うたかた荘まで後数分、できるだけゆっくりと、二人は歩いた。


あとがき
朝→昼→晩と明姫で三つ、流れで話をかいてみました。
私の中で、姫乃と明神は一緒にご飯を食べるのは当たり前みたいな設定で毎回かいてしまいます。
他の設定は良く変わるんですが……何故なのか自分でもわかりません。
2008.03.27

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