あたたかい散歩

そろそろ本格的に寒くなってきたこの頃。

風呂を沸かそうと蛇口を捻ると、「ブシュウ」と音を立てて水が噴き出した。

「明神さーん!!!」

慌てて、管理人の名前を呼ぶ。

そう。この寒い日に、風呂が壊れた。

「あー。最近水漏れが酷いと思ったけど、やっぱイカレタか。」

頭にタオルを巻き、取りあえずの応急処置を施した明神が後ろから覗き込んでいる姫乃に言った。

「ひめのん濡れた?大丈夫?」

「うん。シャツがびしょびしょ。拭いたから大丈夫だけど。」

はあ、とため息をつく明神。

おかしくなっているのは薄々わかっていたので、早めに直しておけば良かった。

「今日風呂入らない訳にもいかねーよな。ひめのん。」

「うーん、水かぶっちゃったし…。シャワーでもいいけど。」

できれば、湯船に浸かりたい。

シャワーでもいいけれど、このガランとして広い風呂はシャワーだけだと逆に冷える。

あ、と何かを思い出した様に明神が手を叩く。

「ひめのん、この近くに銭湯あるだろ。今日そこ行くか。」

かくして、二人は玉の湯に向かって出発した。

良く晴れていたので月が良く見える。

はあ、と息を吐くと白くなっていた。

「うわ、夜は冷えるね。」

「そうだな。しっかりあったまらないと、帰りに湯冷めすんな。」

そんな話をしながら銭湯へと向かい、到着するとまた後で、と分かれる。




「しっかりあったまらないと…って言ってたけど。」

姫乃は大急ぎで支度をすると風呂道具一式を持って浴場に入った。

シャワーを一つ確保すると、速やかに体を洗う。

明神がいつもそんなに風呂に時間をかけないのは知っていた。

いつも通りに入ってしまうと待たせてしまう事になる。

とはいえ、明神が言っていた様に、帰りに湯冷めする訳にもいかない。

体に付いた石鹸の泡を流すと、駆け足で湯船に浸かる。

「はあー…気持ちいい。」

うたかた荘の湯船もまあまあ広いのだけれど、やはり銭湯ともなるとスケールが違う。

本当ならもっとゆっくり浸かって、外の露天も…と考えたがやはり時間が気になってちらちらと時計を見てしまう。

「もう、いいや!」

時間が気になってゆっくり浸かっていられなくなって、そこそこ体が温まると浴場を後にする。

髪だけはしっかり乾かして荷物を纏めるとまた後で、と約束した玉の湯の入り口に向かった。

外に出ると、明神が肩をすくめて寒そうに待っていた。

「明神さん、ごめんなさい!遅くなっちゃって…。」

「お、ひめのん。いや早かったよ。思ったより。」

「あれ?」

姫乃は明神の様子を見る。

髪も全く濡れていないし、何より完全に体が冷えているみたいだ。

「明神さん、お風呂入ってないの?」

「…いやー。ほら、コレ。」

明神が指差した先には店の張り紙が。

「えっと、刺青の方、入浴お断り…。」

刺青?

明神を見ると、感慨深げにうんうん、と首を振る。

「上脱いだら番台のばあさんすっ飛んできてさ、これは痣ですって言ったらつまみ出された。」

ぐいっと服の袖をめくり右腕の梵痕を見せる。

確かに、これでは言い訳はできない。

げんなりとしている明神には悪いけれど、何だか笑いがこみ上げてくる。

「あ、ひめのん笑うか!?ひでー!!」

「ご、ごめん…っ」

明神は自分の肩より下にある姫乃の頭に手を回すとぐりぐりと拳を当てた。

「あははっ!痛い、痛いよ!!」

ふと。

風呂上りの姫乃は暖かくて、髪はとてもいい匂いがして、思わず手の動きが止まる。

「明神さん?」

呼ばれて、我に返る。

「お、おお!?悪ィ。ぼっとしてた。」

「?そう?風邪ひいてない?」

言って、姫乃は自分が使っていた可愛らしい色のマフラーを明神の首に巻く。

「帰ったらシャワーだね。」

ニコリと笑う姫乃。

明神の心臓が跳ねる。

こういうのは反則だと思う。

自分の顔がどんどん赤くなっている事がわかるから、姫乃の顔を見ることができない。

「じゃあ帰るか。」

そう言って先に歩き出す。

「あ、待って。」

姫乃は数歩遅れて明神の後を駆け足で付いてくる。

「明日には直さないとね。」

そう言う姫乃に、後何日間かは銭湯通いも悪くない、そう思う明神だった。

…自分は入れないけれど。


好きなところside明神

ひめのんに、明神さんは私のどこが好き?と聞かれたから、オレは少し悩むとこう答えた。

「…全部。」

そう答えたら、あからさまにげんなりした顔をした。

いや、だってね。他に答え様がなかったから。

「なんだか、いい所ないみたいじゃない。」

ぷう、と頬を膨らませて拗ねるひめのん。

だから、そういう顔も好きなんだよと言ったら絶対怒るから言わないけど。

「そりゃ、私はまだ子供だし。そんなに特別可愛い訳じゃないし。スタイルだって澪さんみたいに良くないし…。」

慌ててオレはこう言い足す。

「オレね、ひめのんがひめのんだから好きなの。何ていうか、ひめのんの魂が好きな訳で…。」

「ひめのんが今からガンガン成長して背が伸びたらきっとそのひめのんが好きになる。」

「ひめのんがすっげー美人になってもそのひめのんを好きになる。」

「ひめのんが湟神張りのスタイルになったらそれはそれで好きになる。」

「でもそれがひめのんじゃなかったら好きにならない。オレはひめのんが好きだから。」

あ、頭悪いヤツみてェ…。

ひめのんを見ると、拗ねた口のまま顔が赤くなっている。

あり。

「…ひめのん、照れた?」

「知りません。何それ。子供みたいですよ。」

「でも嬉しかったんでショ?」

「知りません〜。」

言いながら、頭をオレの胸の辺りにぶつけてくる。

これは「抱きしめてよし」の合図だ。

「ひめのんは、可愛いなあ。」

ひめのんを抱きしめながらそう言うと、細い手をオレの背中に回してくる。

「どうする?すっごい太ったりするかもよ?」

「ああ、ひめのん甘いもん好きだもんなあ。」

「もう!」

意地悪、と言いながらオレに頭を擦り付ける。

猫みてェ。

そういうところも好きだと言うと、また照れて、怒って離れようとする。

でももう逃がさない。

暫くジタバタもがく姫乃を腕で押さえつけて大人しくなるのを待つ。

諦めて大人しくなるとこちらを恨めしそうに見てくるので

「そういうトコロも好き。」

と言ったら、足を踏まれた。

だからそういうとこも可愛いんだって。

拗ねたフリして、本気で逃げようなんて思っちゃいない。

わかってるから、もう暫くこうやって抱きしめていた。


僕の舞台

小さい頃は泣き虫で、というか、大きくなってからも意外と泣き虫で(この事は秘密だけど。)

ずっと一人ぼっちだった記憶が自分の中で大きなトラウマになっている事は知っている。

だけど、戦うと決めたから。

それからは歯ァ食いしばって我慢するって決めて生きている。

ハセを倒して案内屋としての自分をやっと掴んでも、薄れてはいくもののまだ完全には消えはしない。

これはきっと時間がかかると思うし、それでも薄れていくのなら気分的にはとても晴れ晴れとしている。

でも時々、こんな風に悪い夢なんかを見たりすると…。

あの時はどうしたら笑えたんだろうと。

今でもわからない。

小さな自分が公園で一人。

しっかりと目を閉じて、耳をふさいでいる。

「もう僕にかまわないで。」

何回言ったかわからない。

それでも霊達は自分の側を離れない。

そんなに拒絶しなくていいんだぞ。

こいつらだって、誰かに自分がいるって事を知って欲しいだけなんだ。

子供の自分をどこか見下ろす形でその夢を見ている。

今ならわかるのに。

「お願い。誰かこいつらを消して…。」

泣きながら、頭を抱えて蹲る。

その自分の周りを黒い影がヒタヒタと歩いている。

「許せよ。この頃はお前らの事何にも解らなかったんだ。」

その黒い影がこちらを向く。

心臓が、ドキリとする。

もう解っている。

わかっている。

知っているけれど。

黒い手がこちらに伸びる。

…手を、とってやればいい。

そう思うけれど、体が石になったみたいに動かない。

目の前が真っ暗になる。

「どうしたの?」

声が、聞こえた。

「男の子が泣いてちゃ駄目でしょ?」

誰かが、子供の自分に声をかけている。

「…誰?僕にかまわないで。僕に…。」

「ほら、立って。お姉ちゃんが家まで送ってあげる。」

「家なんかない!」

「え?」

「だから放っておいて…。」

「仕方ないなあ。」

ぐいっと手を引っ張られる感覚と共に急に視界が変わる。

あっと思った時には自分は子供の自分になっていた。

自分に声をかけてくれた子が目の前にいる。

その手は、しっかりと子供の自分の手を握っている。

そしてその子が誰か、とても良く知っている。

「ひめの。」

「さあ行こう!私が守ってあげるからね。」

「違う。オレが守るの。オレが姫乃を守るんだよ?」

そう言って姫乃の手をひっぱるけれど、小さな体の自分では今の姫乃の力に勝てない。

ぐいぐいと引っ張られて歩いていく。

「この世界に、怖いものなんかないんだから。」

そう言って、振り向いて笑いかける。

「あなたが帰る家はちゃんとあるじゃない。私は知ってるよ。」

全然知らない道を歩いて歩いてたどり着いたのはうたかた荘。

「さあ着いた!」

「ひめのん。」

「迷ったら、また私を呼んだらいいよ。何回でも連れて帰ってあげる。」

そう言うと、姫乃の体がすっと薄くなる。

消えてしまう!

「ひめのん!」

思わず手を伸ばして。

目が覚めた。

「…アリ。」

そこはうたかた荘の共同リビングに繋がる廊下。

その廊下で寝ているのだけれど、片足だけがソファーにどっかりと引っかかっている。

「ええと、転げ落ちたのか?」

言ってむくりと起き上がる。

バサリ、と音がしてその音の方を見てみると自分の上に毛布がかけられていた。

「ええっと…。」

自分でかけた覚えはない。

誰かがかけてくれたとしたら、そんな事ができるのはこのアパートでは唯一人。

何となくその毛布を顔に近づければ太陽の匂い。

体の力がすっと抜けるのを感じる。

自分は守られている。

もう一度ソファーに横になり、毛布をかぶる。

今日姫乃に会ったらお礼を言おう。

もう怖い夢を見てもきっと大丈夫。

あの黒い影が現れたら何度でも彼女を呼ぼう。

きっと、何度でも来てくれるから。


あとがき
拍手お礼文をまとめました。
三つとも結構気に入っていたりします。

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