吐く息は白く、君の頬は赤く
「明神さん、見て見て」
嬉しそうに言いながら、姫乃は「はあ」と息を吐いた。
その息が白く靄になって吐き出されると、それを見て姫乃がにっこりと微笑む。
「今年初めてじゃない?息が白くなるの」
「あー…そう言われてみりゃ、そうかもな」
はあ、と姫乃がもう一度白い息を吐いた。
一瞬ふわりと漂ったその息は、大気に溶けて直ぐに消える。
秋から冬への移り変わり。
言われて初めて気が付いた。
学校の帰りに待ち合わせて歩いて帰った日数は、もう数え切れない位になっていた。
去年の四月に始まった高校生活の、気付けば大半。
二年目の冬は、随分と静かに過ぎていく。
一年目が慌しかったせいで、季節の変わり目なんか気にする事すら忘れていた。
それを。
「ほら、明神さん、桜の蕾が膨らんできたよ」
春が来て。
「ねえ、明神さん。蝉って鳴きだしたの、今日からじゃない?」
夏が来て。
「寒くなって来たと思ったら、鈴虫が鳴いてるよ。ちょっと前まで蝉が鳴いてたのにねぇ」
秋が来て。
季節の移り変わりを教えてくれるのは、いつも彼女だった。
「何か…ひめのんそーゆーの、敏感だな。目ざといって言うか」
「そう?」
「月が丸いとか、梅の花が咲いたとか、ツツジが満開になったとか。そーゆーの、いっつもひめのんが先に見つけて教えてくれるだろ」
姫乃はそれを聞きながらぽくぽくと歩き、ううんと首を傾げて眉を顰めた。
片手に鞄を持ったまま、胸の位置で器用に腕を組む。
「そうだっけ?」
「そうだよ。オレいっつも、あーそっかって言ってるもん」
「そう?そうかなあ、そう言われてみたらそうかなあ」
「そーだよ。オレそういうの、鈍感だからなあ」
「そうかな?そんな事ないと思うけど」
「……そうだよ。全部ひめのんが教えてくれてる」
ちょっと手を伸ばして組まれた腕をほどくと、細い指を絡めてしっかりと握る。
日が傾いて影が長く伸びる。
うたかた荘まで、後十分程度。
貴重な時間は大事に使うべきだ。
うたかた荘に戻ったら、こんな雰囲気作っても維持する事が難しい。
姫乃がこちらをちらりと見上げ、何かを言いたげな目をした。
「何?」
「何って?」
「何か、言いたそうだから」
「……びっくりしたの。明神さん、いっつも色々突然だなんだもん」
突然か?
意外というか心外な発言に、オレはブーたれる。
どっちかと言うと、こういう事に関しては姫乃の方が鈍感なんだとオレは言いたい。
こっちがどれだけ一生懸命雰囲気作ろうとしたって、全く気付かずのほほんとしてるのだから。
「オレ、これでも色々合図してるつもりなんだけどなー」
と、言ってみたが、彼女は良く解らないという顔をした。
「どの辺りが、合図?」
「えっと……ほら、手を出す前に、ちょっとタメがあったのわかる?息吸う位の時間」
「……わかんない」
「そうだよ、の辺り。こう、ちょっと緊張してますよーって顔して、そっち見ただろ?」
「難易度高いよ、明神さん」
これだ。
「ちぇー。ちゃんと見ろよ」
「見てって言ってくれないとわかんないよ。超能力者じゃないもん私」
「言ったら元もコもねーだろ。何となく解らせるって、どうしたらいい?」
「どうしたらって、そんなのわかる訳ないじゃん……別にさ、私はびっくりしても、いいけど……」
「じゃ、いいだろ?」
「もう。いいも悪いも、何?って聞いてきたの、明神さんでしょ?」
ブーと、ため息と一緒に不満を音にして吐き出したら、その息は白かった。
ああ、寒いはずだ。
何でこんな事には敏感なのに、こっちに関しては超が付く程鈍感なのか。
拗ねた空気をオレが出したのを感じ取って、姫乃は黙っている。
オレも、会話を再会するきっかけを掴み損ねたまま黙っている。
何でこういう雰囲気には敏感なんだ。
気付いて欲しいのはこっちじゃないのに。
……オレは何となく辺りを見回した。
吐く息の白さ以外に「冬っぽいもの」を探してみる。
いつも教えられてばっかりなので、たまにはこちらから言って、自慢したい。
鈍感な姫乃がいつも見つけて来る季節の変わり目。
オレにだって探せるだろとタカを括る。
ちょっとくらい博識なトコをみせてやりたいとこだが…イマイチ何を見ていいのか良くわからなかった。
公園に生えている木が何の木だったか、覚えている人間なんかいるだろうか。
イチョウや桜なら、葉っぱがあったり花が咲いたりしてくれていればわかる。
葉が全て落ちて、丸裸になった木を見ても駄目だ、何も思い浮かばない。
なら植木はどうだろう。
何の花も咲く気配が無い。
蕾も見当たらないとこを見ると、どうやら冬咲く花を持っている種類ではないらしい。
塀を越えた向こうの家々に生えている庭の木達も、冬に備えて沈黙している。
駄目だこりゃ。
「あー…っと。最近日が落ちるの早くなったよなー」
「そうだねぇ」
くっ。
対抗意識を持っている事すら気付く気配も無い。
会話が再会された事にホッとしたのか、姫乃の顔が少し緩んだ。
……別に優位に立っていたい訳じゃない。
けど、与えられるばっかりじゃ面白くない。
姫乃がいなきゃ、四季の移り変わりすらわからなくなっていたなんて、その事すら気付かなかった。
「あ、明神さん見てみて。山茶花が咲いてる」
姫乃が指差す庭の中に植木があり、赤い花が綺麗に咲いている。
「……あれ冬の花?」
「うん」
「……また負けた」
「へ?」
その時、ひゅうと風が吹いて、オレと姫乃は同時に肩を竦めた。
「おおお……」
「うう……さむ」
ポケットに手を突っ込んで、二度程飛んだ。
日が落ちてからの温度の下がり方が、なかなか最近思い切りがいい。
「そろそろマフラーがいるね」
「手袋もな」
「明神さんがマフラーとか手袋とか、使ってるとこ見た事無いけど」
「寒いの結構強いから。今のはひめのんに合わせてみた」
ふうん、と言いながら、姫乃は両手を顔に近付け「はあ」と息を吹きかける。
オレはふと立ち止まる。
自分だけぬくぬくとコートのポケットに手を突っ込むのは申し訳ない。
避難していた手をポケットから取り出し、少しの間で暖められたその両手で、姫乃の手を包み込む。
少し屈んで顔を近づけ、オレの手にすっぽり収まりきった小さなその手に「はあ」と息を吹きかけた。
「ちっとは暖いか?」
「……」
軽く握ると、すっかり冷たくなっている。
ああ、やっぱそろそろ手袋が必要か。
ほぐす様に何度か握り、もう一度息を吹きかける。
「明日から手袋使えよひめのん。指先凍えてるぞ」
三度目息を吹きかけ、オレの手の温度を姫乃の手に移す様にしっかりと握る。
細い指。
強く握ったら折れてしまいそうだと思った。
「……明神さんってさ、やっぱ色々、突然だよね」
「あ?」
ふと見ると、姫乃の頬が真っ赤に色付いている。
何となくオレはさっき見た、山茶花の赤を思い出した。
あとがき
スランプ脱出用小説。
話の軸が歪みまくっています…。
2007.10.31