ハイパーストロングガール

「あれ?」

「ん、何?澪ちゃん。」

ケーキの箱を開いた澪は思わず声を出して手を止めた。

シンプルなデザインの箱の中には、可愛らしいケーキが五つ入っていた。

…五つ、入っていた。

その数とは、うたかた荘にいる生者と、今ここに居る二人を足した数。

それを見て、白金がああ、と声をあげる。

「澪ちゃんがうたかた荘に戻るって聞いてたから、ついでに三人の分も買ったんだった。」

言ってしまった後、直ぐに白金はその事を後悔した。

「何だよ、先に言えよ!予定を変えるぞ、今からうたかた荘に向かう。」

「ええー!!」

どこまでも気が利いて準備がいい、そんな性格が今回は悪い方へと働いてしまった様だ。

澪の「命令」を真っ向から嫌がる事は今まで一度もなかった白金が、今回ばかりは不満の声をあげる。

せっかく、二人きりで澪の部屋で、これからゆっくり話しでもしながらお茶を頂こうという時に。

「もう遅いしさ、やめとこうよ。逆に悪いってこんな時間にお邪魔したらさ。」

「まだ九時だろ。今から車走らせりゃ充分いい時間にたどり着ける。勿体無いだろうせっかくのケーキが。」

言いながら一度開いたケーキの箱を閉じる澪。

慌ててその手を押さえる白金。

「また今度、みんなの分は買ってくるからさ!これは食べちゃおうよ、ね?」

「五つも食いきれるか。馬鹿言うな。ほら、さっさと車出せ。」

聞く耳持たず、とばかりに澪は白金の手を振り払うとさっさと身支度を始める。

窮屈なドレスを適当に脱ぎ捨てると、同じく出る前に脱いだのだろう、床に放られていたいつもの服に袖を通す。

慌てて白金が目を背けるけれど、澪は特に気にならない様子で身支度を整えた。

「さ、行くぞ白金。」

「……ハイ☆」

別に、白金が男として意識されていない訳ではない。

澪がどれだけ魅力的な女性かという事を、澪自身が解っていないだけで。

白金が何度もため息を吐きながら首を振ると、それが気に入らなかったのかその白金の横っ面を澪が殴る。

軽く。

「さ、アズミや姫乃に会いに行くとしよう。後、冬悟にもな。」

さらりと言った澪の顔は、子供みたいに無邪気な笑顔だった。










手を繋ぎ、歩きだしてから二時間が経過した。

疲れてしまったのか姫乃は歩きながら半分眠っている。

コクリコクリと船を漕ぎながら、右に左に揺れながら歩く。

明神は、その姫乃を繋いだ手で誘導しながら先へ先へと歩いていた。

カクリと膝が折れて倒れそうになった姫乃を、慌てて明神が支える。

「あ、ご、ごめんなさい!私寝てた?」

「ひめのん、大丈夫か?ごめんな遅くまで、もう帰ろうか。」

「あ、いいよいいよ。私はまだ大丈夫。」

そう言って手を振る姫乃の前に、明神が屈みこむ。

「ん。」

そう言って、首だけ振り返る明神の背中に、姫乃は少し躊躇いながら体重を預けた。

姫乃の足を腕に引っ掛けると、明神は軽い動作で立ち上がる。

「う、わ。」

普段歩いている目線より、ずっと高くなった視界に姫乃は歓声を上げた。

くるりと振り返ると、今まで歩いてきた道がずっと遠くに、やって来た街がずっと下に見える。

グニャグニャとヘビの様に曲がりくねった道を見て、ああ、ずいぶん歩いてきたんだなと人事の様に感じた。

車が二台すれ違う事が出来るだけの、薄暗い山間の車道。

目線のずっとずっと先に見える街の光がやけに明るく見えた。

「寝てもいいよ?適当に散歩したら帰るから。」

明神が背中の姫乃に声をかけると、姫乃はふるふると首を振る。

「何か、目が覚めちゃった。まだ大丈夫。」

「…そっか。」

姫乃には「昨日飲んだ時に湟神の悪口を散々言ってしまった。きっと今頃白金はその事を湟神にバラしてるだろうから、恐ろしくてうたかた荘には居られない」と説明した。

姫乃は、それを聞くと笑って「じゃあ、暫く帰れないね」と答えた。

あんまりあっさり信じた為に、明神は一瞬言葉を失った。

嘘を吐いてしまった事と、その嘘を信じて疑わずニコニコと楽しそうに微笑む姫乃と。

罪悪感から何度目かのため息を吐く。

「…そんなに心配?」

背中の姫乃が声をかけた。

「んー…まあね。」

うわの空で明神が答える。

「大丈夫。明神さん強いもん。」

「強いけどね、脆いんだよ。心が。湟神に睨まれるとポキって折れそうになっちまう。そういう意味ではひめのんの方が強いよ。」

「私は別に、強くなんかないし…。澪さんだってそんなに怖くないよ。」

明神にしがみつき、ポツリポツリと語る姫乃に、明神はきっぱりと告げる。

「オレは、ひめのんが怖いし、湟神も怖いの。」

「私、怖い様な事、明神さんにした?酷いなあ。」

明神の背中で抗議する姫乃に、明神はほら、と笑ってみせる。

「そうやって怒られるとホントがっくりなっちまうし、ひめのんが飯作ってくれなくなったらオレ飢えるし。殴らなくったってひめのんはオレより強いよ。ていうか、オレがひめのんに弱いの。」

姫乃は目をぱちぱちさせた後、声を抑えて笑い出した。

「…なんだよ。笑うなよ。」

「だって…。そんな事考えなかったもん。そっか、ご飯作らなかったら勝てちゃうんだ。」

「縁起でも無い事言うなよな。…っと。」

その時、明神がピタリと足を止めた。

目線を道の先から枝分かれした細い道へと向ける。

車道から逸れたその道は、けもの道の様に険しく一メートル先でさえ草木に隠されて目視する事が適わない。

「どうしたの?明神さん。」

訪ねる姫乃を背中からストンと降ろすと、更に何か言おうとした姫乃を手で制する。

「あー、今回タダ働きだな。ひめのん、ちょっと待ってろ。」

「…陰魄?」

声を潜めて問う姫乃に、明神は頷いて答える。

姫乃が緊張で身を固めた。

「大丈夫、そんな手ごわい感じじゃねえから、直ぐ戻る。ここに居ろよ?いいか?絶対ここに居ろよ?」

何度も言い聞かせる明神に、姫乃は真剣な面持ちで頷いた。

自分が行っても何も出来ない事は百も承知している。

ただ一言。

「怪我しないでね。」

その言葉を背中で受け止めて、明神は細く暗い道へと足を進めた。







戦う間、明神は長く考え事をしていた。

今の戦い方はいつもとは違う。

大した事は無いとは言え、相手は五体。

無難に倒していくだけじゃなくて、今日は「逃がさないように戦う」戦い方をしている。

一体でも取り逃がしてそれが姫乃の元へと行く事は絶対に避けないといけない。

順番に、間合いの近い相手から確実に消していく。

逃げようとする相手は飛で回り込み退路を塞ぎ、全体が散り散りになってしまわない様一人で円を描き陰魄達を包囲する。

木が移動に邪魔で、根こそぎなぎ倒してしまいたくなったけれど我慢する。

頭を使う戦い方なんて苦手だし、あまりしてこなかったけれど、こういう戦い方ももっと上手くならないといけない。

そして、待っている人が心配しない様に、出来れば無傷で帰りたい。

逃げようとする最後の一体の足を掴み、それを握り潰すと剄を込めたストレートを叩き込む。

最小限の力だけで相手を圧倒すると、明神はふう、とため息を吐く。

手をひらひらさせて、痛みもしない拳を冷やすと明神は笑った。

やはり自分に力を与えるのはいつも姫乃なんだと実感して。








手を祈りの形に組んで、明神が向かった先を見つめ続けた姫乃の目に輝く光が幾つも浮かび上がった。

一つ、二つ。

数が多くて心配になる。

一体、相手は何体居るのだろうか、いつ戦いは終わるのか。

こうやって見守るだけの時、姫乃は自分が無力だと思わされる。

だから明神が笑いながら、まるでちょっと寄り道してました、という顔をして戻ってきた時、本当に嬉しくて涙が出そうになった。









もう一度姫乃を背負い、明神は歩き出した。

歩く先はうたかた荘へと向かっている。

姫乃は黙って明神にしがみ付いている。

「な、ひめのん。」

「何?」

「オレ、頑張って世界で二番目に強くなるな。湟神にも負けない位。心だって強くなってやる。」

突然言われた言葉に姫乃は眉をひそめた。

「二番目?一番じゃなくて?」

「一番はひめのん。オレが二番。湟神が三番。よし。これを目指す。」

明神の頭の中の、強い人ランキングがわかり易く描かれた。

それは、ただ一般論的に強いか弱いかでは無くて、明神のメジャーで測った際の話だった。

その解り易さに姫乃は絶句して、それから笑い出した。

「な、何だよ!笑うなって!」

「だ。だって!私が一番って、おかしいもん!どう考えたって変だよ。」

「だから、オレが滅茶苦茶強くなったら、オレの中で、オレより強いのはひめのんしか居なくなるだろ?…何だよどうせオレァ頭悪いよ!」

ブウ、と拗ねる明神。

ここ数週間、姫乃が「強くなりたい」と言い出してから、明神なりにもその姫乃の変化が気にはなっていた。

仕事に行く時、帰ってきた時、いつも張り詰めた顔をしている姫乃の考えそうな事位、明神にもわかってはいた。

どうやったらいつも笑っていてくれるんだろうと考えて、答えが「強くなる」としか出てこない自分の頭の悪さに腹も立てた。

でも、それしか無いのだから、それで精一杯守って愛するしか無いじゃないかと思ったのに。

姫乃は笑った。

笑って、笑って。

「うん。じゃあ、明神さん頑張って。頑張って私を世界一にしてね。」

「…心がこもってません。」

「込めてるよ。いっぱい。」

「証拠は?」

姫乃は少し悩んで、明神の背中からぐいと体を、顔を伸ばすと白い髪がかかった頬にキスをした。

「…わ!」

アスファルトを蹴って、明神が走り出した。

突然かかった空気抵抗に、姫乃が悲鳴をあげて身を縮める。

姫乃が背中にしがみ付くのを感じながら、明神は更にスピードをあげて今まで歩いてきた道を駆け抜けた。

早く帰ろう。

早く帰ってしまおう。

もう怖くないと、思うから。

「みょう、じん、さん。ちょ、ちょっと、ちょっと怖い!怖い!」

姫乃の抗議を一笑すると、明神は高く跳ねた。

捻じ曲がった山道を飛び降りてショートカットする。

膝で着地の衝撃を最小限に吸収すると、更に飛ぶ。

遠く小さい光だった街が、どんどん近付いてくる。

街の形がしっかり見える様になった頃には、このスピードに慣れたのか背中の姫乃も笑っていた。

やっぱり只者じゃねぇな、と明神は他人事の様に感心した。








うたかた荘に戻ると、明神が休もうと思っていた管理人室に先客が居た。

「よ、お邪魔してるよ。」

「やあ☆来ちゃったよ。」

…もう怖くはない、と思って、思って来たけれどちょっと予定より早い。

明神はツカツカと白金に歩み寄ると、無言でその肩を掴んだ。

「ちょっと、お前来い。」

引っ張り上げようとするところ、澪が口を開いた。

「まあ、座れよ冬悟。せっかく土産を持って来たんだ姫乃に食わしてやれ。」

穏やかな澪の笑顔。

一瞬、明神は測りかねた。

どっちだ!?

微かな希望と、信頼と。

「それより冬悟。今日は服を裏表逆には着ていないか?外に出る時は気をつけろよ一緒に居る人間も恥ずかしいからな。」

澪が笑った。

見慣れた、あの悪魔の笑顔だった。

澪の表情を見れば直ぐにわかる。

これはジャブである。

こうやって軽いパンチを何度か浴びせ、その煩いジャブに気を取られている隙に、右ストレートを狙ってくるに違いない。

息を呑み立ちすくむ明神。

目の前には悪魔の微笑み。

その隣で「ごっめーん☆」とでも言っているつもりか笑顔で手を合わせる白金。

背中には姫乃の視線。

明神は意を決し、一歩、前へ出た。

「今日は、大丈夫だよ。きっちり着てらァ。で、何だよ土産って。こんな遅い時間に来やがって。」

「お前こそ、こんな遅い時間まで姫乃をどこへ連れまわしてたんだ?」

必死の抵抗も一刀両断だった。

明神が口を開いたまま何も言えずにいると、姫乃がそっと助け舟を出す。

「散歩に行ってたんだ。ちょっと見晴らしのいいところまで。綺麗だったよ。」

笑顔の姫乃に、澪もそうかと顔をほころばす。

「ほら☆姫乃ちゃんも冬悟くんも座りなよ。いつまでも立ってないでさ。」

そう言って、さりげなく姫乃を自分の隣に促した白金を睨みつけると明神は二人の間に割って座り込んだ。

姫乃を自分の隣に座らせ白金と距離をとらせると、ちゃぶ台を挟んで睨みをきかせる。

明神の明らかな抵抗姿勢に、澪、白金と明神、姫乃の間に変な緊張が走る。

明神が虎なら澪は鷹である。

空の高みから、一撃を狙いながら旋回する。

その空気に、白金と姫乃は息を呑んだ。

「お茶が入りましたよ〜。」

その緊張を打ち消したのは、雪乃の軟らかい声だった。

「はい。ケーキもお皿に盛らせて貰ったわね。驚いたわあ、有名なケーキ店のケーキでしょう?ありがとう。白金さん、澪さん。」

ふわりと笑う雪乃に、部屋の温度が一気に暖かくなった。

澪は雪乃からケーキの乗った皿を少し恥ずかしそうに受け取り、お茶を配るのを手伝いだす。

今までの空気が嘘の様に、管理人室は楽しいお茶会の雰囲気に包まれた。

「お砂糖が欲しかったら言って頂戴ね。姫乃は三つだったかしら?」

「そ、そんなに入れないよ!二つ…。」

小さな笑いが起きる。

明神は心からこの天使の様な人物に感謝した。

微笑む雪乃に、白金が目ざとく声をかける。

「雪乃さん、今日は何だか楽しそうですねぇ☆いい事あったでしょ?」

「え?あら、あら。わかっちゃった?」

白金の言葉に、雪乃は頬に手をあて更に微笑んだ。

「そりゃ。いつも綺麗な笑顔だけど、今日はまた格段に輝いてるから♪」

「まあ。」

「ホント、お前の口はぺらぺらと良く動くな。白金。」

じっとりと睨む明神の視線を、白金は軽く流す。

「まあね☆でも嘘は言わないって決めてるよ。ホントの事しか言わないし…ほら、『誰にも言わないと約束』はしてなかったしね。」

「ぐぬ…。」

その会話の意味がわからず首をかしげる姫乃。

「ほら、姫乃食べたらどうだ?美味いぞ。」

澪に薦められて姫乃はフォークに手をつける。

「あ、そうだね!白金さん、澪さんありがとう!」

ふふ、と雪乃は微笑んだ。

「にぎやかで楽しいわね。」

姫乃がケーキを一口頬張り無言で目を輝かす。

その顔を見て、明神は白金を今日のところは許してやろうと考えた。

ただ、もう二度と相談はしないと決めた。

「で、何かいい事あったんですか?今日は出かけてたみたいですけど…。」

とにかく話を変えてしまおうと、明神は雪乃に話題をふった。

手は姫乃の口元についたクリームを拭いながら。

雪乃はさも嬉しそうに手を合わせ。

「ああ、あのね。ほら、昨日!冬悟さんが家に帰ってきたとき。」

「……え?」

「私を姫乃と勘違いして、冬悟さんピョンって飛んで来たでしょう?私もまだまだ、若いのかしらって嬉しくて。今日もお友達と話をしていてね、娘と間違えられちゃったって言ったら皆うらやましいわねって。ちょっと鼻が高くなっちゃったわ。」

シン、と部屋の空気が凍りついた。

「……へー。そりゃ、いい事ですねえ☆」

「姫乃と間違えて。へぇ。抱きついたのか。」

明神の血の気が引いていく。

「いやいや!!よけたよけた!!体ありえねぇ位曲げて!そこは大丈夫!って、いえ、あの。酔っ払ってたんで、ホラかなり。ね。」

「あら、酔ってなかったら間違えなかった?ちょっと残念。でもそんなに頑張ってよけなくても良かったのに。」

「いえいえ!!!もう、それはあの、でもお若いのは変わりないです。いえほら、やっぱり親子だし似てます。似てます。」

「ふーん……でも、良く考えたら…間違えちゃうんだね。…そっか。何だか残念。結構不注意だよね、明神さん。」

「いや、普段ならひめのんを見間違えるなんて事ないよ。ないない。」

「いや、あったんだろ、冬悟。」

「酔ってたんだって!」

「そうよねえ、冬悟さんフラフラになってたものね。」

「いえ!でも目は起きてました。」

「頭は寝てたのか?それで間違えて飛びかかったのか。」

「どっちでもいいだろぉ!?」

「体型が似てるから?明神さん背中で間違えたんだっけ?」

「ああほら、髪下ろしてたんだ、お母さん昨日。それでね。」

「そうよねえ、早とちりしちゃった。お友達にまで自慢しちゃって、恥ずかしいわあ。」

「いやお若いのは変わりませんから。凄いですからお母さん。ていうかお母さん、ご友人にオレの名前出しました?」

「ね、それじゃあ同じ制服着てたら同じ髪型の子と間違えちゃう?」

「間違えない!」

「名前は言ってないけど、管理人さんって。娘がお付き合いしてるのよって言ったら、皆羨ましいわ〜って。」

「言わないで!!!!!」

「というか、姫乃が相手でも飛びつくなよ。お前、恥ずかしい奴だな。歳幾つだ。」

「やかましいわ!!!!ホント、誰かというか白金止めろ。」

「…や、面白いから。」

「他人事かよ!」

明神は悟った。

世界二番はまだまだ遠い。

どうして自分が弱いだなんて言うんだろう。

こんなにも、女性達は強いのに!!

痛む胃を抑えながら明神はケーキを頬張った。

甘い塊。

美味いか不味いか味わう余裕が今の明神には微塵も無い。

まだ応答は続いている。

現実逃避をする様に紅茶に手をつける。

口の中のケーキを紅茶で流し込むと、明神は「勘弁してくれ」と小さく呟いた。


あとがき
とにかく女の子達は強いんです、という話になりました。
明神さんがひたすら不憫です…。
2007.07.28

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