ハイパーストロングガール オモテ
事の始まりは何だったかと明神冬悟は考える。
話は数週間前までさかのぼって、確かあの日は雨が降っていた。
久々に湟神澪がうたかた荘に顔を出した、その時に。
「ねえ、澪さん。私も鍛えたら澪さんみたいに強くなれるかな?」
そう言ったのがあの悲劇の始まりだった。
姫乃曰く「明神さんに心配ばっかりかけたら駄目だし、東京には痴漢とかストーカーがいるって言うし、自分の身をちょっとでも自分で守れる様になりたいんです。」
非常に、いい心がけである。
守られっぱなしじゃいけない。
人に頼りっぱなしではいけない。
確かに、一人で遅くまで出歩く時なんか明神は心配でいつもそわそわしてしまう。
けれど、問題なのは、それをあの湟神澪に相談した、という事だった。
澪はポンと膝を打ち。
「そりゃあいい。姫乃、女だって守られてばっかいちゃいけない。東京には痴漢ややストーカーやロリコンが跋扈してるからな。私で良かったら護身術位は教えてやるよ。」
こう言った。
心なしか、横っ面に澪の視線を感じながら、明神冬悟はそれを聞き流すふりをした。
それから、澪は数週間うたかた荘に滞在し、毎日姫乃の稽古をつけている。
空き部屋を利用して、人の殴り方、蹴り方、掴まれた時の回避方法等を叩き込んでいる。
「変態に後ろから抱きつかれたら、そいつの足の甲を踏み砕け。ここの骨は意外と脆い。靴の踵でガツンと踏んで立てなくしてやれ。」
「はい!」
「一対一でも相手が男ならファイティングポーズは絶対取るな。どれだけ鍛えたって女の力には限界がある。不意打ち食らわせて逃げる。これが鉄則だ。まあ私は別だが姫乃はな。わかったか?」
「はい!」
扉に耳をへばりつけて中の様子を探ってみると、澪は姫乃に何やら物騒な事を教えている気がする。
澪の言葉に素直に返事をする姫乃が、姫乃らしいと言えば姫乃らしく、らしいのだけれどその素直さが明神の未来に一抹の不安をよぎらせる。
「おい冬悟。お前部屋の前で突っ立ってないでちょっと付き合え。」
部屋の中から澪の声がする。
慌てて逃げようとしたけれど、扉が開いて中へと引きずり込まれた。
とにかく嫌な予感がするので何とかしてこの部屋から出ようとするも、明神の顔を見て、姫乃が少し嬉しそうな顔をするのを目ざとく見つけてしまった。
そして。
「いいか姫乃。腕の関節はな、ここをこうしてああすると…。」
「いでででででえええぇ!!!!!」
「な、大の男が悲鳴を上げる程良く効く。更にここをこうするとだな。」
「うっぎゃああああああ!!!!!」
「もっと凄い事になる。まああんまりきつくかけると折れるからな。加減しろよ?」
「お前が加減しろ!!!!」
「さ、姫乃やってみるがいい。」
恐る恐る、それでも真剣に明神の腕を掴む姫乃。
「い、痛くなったら直ぐに言って下さいね。あ!勿論効いてなくても言って下さい!」
うんうん唸って明神の腕をねじろうとする姫乃と、複雑な気持ちでそれを受ける明神。
姫乃の小さな手が触れる度、正直照れてしまう。
「そうだ。それをぐいっと押し込む。」
ぐいっと、と言いながら手を沿え力を加える澪。
叫び声をあげながら、明神は夢心地から一気に厳しい現実へと引き戻された。
姫乃と澪が並んで木刀を振っている晩、明神はこの事を相談出来る唯一の相手に電話をかけ、呼び出した。
自分と同じ気持ちをずっと抱え続け、そして耐え、更に己を貫くというなかなか出来ない事をやってのけている自称ヒーロー白金を。
待ち合わせの場所に、真っ白なスーツ姿で現れた白金は、明神の姿を見つけると軽く手を挙げた。
「や☆君から呼び出しなんて珍しいね。何か相談だって?」
軽快な口調と足取りで明神に近づく白金とは間逆に、明神は陰鬱な面持ちで立っている。
「…いや。なんつーか、ひめのんの事でね。」
ついでに声も暗い。
白金はそのただならない雰囲気に少し眉をひそめた。
待ち合わせをしていたのは焼き鳥屋。
ここはオレのおごりで、と、搾り出す様に言った明神に、白金は今は余裕があるからこちら持ちでいいよ、とやんわり断った。
顔色は悪いし羽振りも悪そうだしと、今日の明神は何かと他人に気を使わせる。
メニューを広げ、どれでもどうぞ☆と薦めると、明神は今食欲ないからと言いながらも幾つかの串を注文する。
とりあえず腹に何か入れさせ、ついでにビールを二、三杯飲ませると、白金は「で?」と話を始める。
元々、他人に何か相談する様なタイプでは無いだろうと思い、普通に聞いても時間がかかりそうだと判断しての作戦である。
「何かあったんでしょ?何でも言ってくれたまへよ。」
酒が入って少し警戒心が弱まった明神は、白金に促されるままポツリポツリと「不安」について語りだした。
「……という訳なんだ。」
「…へぇ。」
「何だへえって。へえって。オレ真剣に話したのに。」
「いや、何だそんな事か☆っていうのが正直な意見だね〜。」
「そんな事、じゃねえ!!」
ドンと机を叩き、震える明神。
「こないだなんか、ぼーっとしてたら急に頭、ポコって叩かれたんだぞ!?丸めた新聞紙で!!今までそんな事絶対にしなかったのに!!」
「あらまあ。」
「明神さん、隙だらけですよって、笑って!!笑いながらオレを殴ったんだぞ!?ひめのんが!!」
「新聞紙ででしょ?」
半ば呆れながら串を一つつまんで口へと運ぶ。
もっと深刻な話かと思っていたので、白金は急速にこの話題についての興味を失った。
けれど明神はそのまま真剣に、かつ悲壮な面持ちで話を続ける。
「惚れた女に思いっきり殴られるって、どうなんだよ。結構キツくないか?」
そう言う明神に、白金は下げていた視線をふと上げた。
目線をそらし、串を摘む明神に、白金は「ああ、結局のとこその辺りを聞きたかったのか」と判断する。
「別に。殴られるからどうとかじゃないしね。オレの場合、昔から殴られてるけど、今はオレの方が強いから。そんだけ。」
さらっと言うと、白金は明神に酒を勧めた。
一瞬言葉を失って、それから、明神はため息一つ。
「何年ごしだっけ?」
「10年かな?」
「すげーな。」
「でしょ☆」
「勝敗は?」
「オレが勝つよ。そのうちね☆」
その余裕を明神は心底羨ましいと思う。
薦められた酒をぐいっと煽った。
「ま、姫乃ちゃんが強くなりたいって思ったのはいいんじゃない?どうせ君に出来るだけ迷惑かけたくないとかそんな事考えてだろうしね☆大体、いつまでも籠の中に入れて守っていたいなんてのも傲慢なんじゃない?」
少なくなった明神のグラスに、白金は更に酒を注ぐ。
「傲慢って…オレはそんなつもりじゃねぇ、と思うんだけど…。」
「体が持ってる資質が違うから、澪ちゃん程強くはなれないよ、彼女は。優しいから技を覚えてもそうそう使えないだろうし。まあ護身術、いいんじゃないの?たまには稽古見てあげたら?喜ぶんじゃない?」
そう言われて明神は、実験台にされるべく部屋へと押し込まれた時に姫乃が見せた微笑を思い出す。
あれは、あの微笑の意味は。
「…あんた千里眼か何かか?ホント近くに居る人間より良く見えてらっしゃる。」
「わかりやすいからね。君達は。」
言いながら白金は更に明神に酒を勧める。
食べる、飲む、飲む、食べる、飲む、飲む、食べる位のペースで時は過ぎ。
「…で、実のとこ姫乃ちゃんとはどの辺りまですすんだのかな☆」
「ろ、ろこまれって…。」
「そりゃ、男と女として、でしょ☆やっぱ気になるしね〜、会った時からずっとラブラブだったし。ちょっとは進展したのかな、とか思う訳。キミ奥手そうだしね。心配なのよ。」
「そんな、心配される程奥手じゃらいっスよ…。」
「そうかな〜?見てたら最悪姫乃ちゃんに男として見て貰えてないんじゃないの?って思っちゃうけど☆」
「んな訳ねぇだろ!これでも一応、色々と。」
豪と憤る明神に、引っかかったと白金。
「色々と?」
「ここ数週間は湟神が来てるからアレだけど。」
「ほほう。」
「先々週の土曜日とか。」
「ははあ。」
「オレの部屋で。」
「ほう。」
「って、何でこんな話。」
「まあまあ。あ、ご飯足りてる?お酒足りてる?」
「あ、食う。飲む。」
「すみませーん☆こっちビール二杯追加!スグサマ持ってきてくれたまへ!」
「はーい!!」
店員が走る。
明神が串と酒を口にする。
白金は次々とオーダーを頼み、それらを明神の口へ流し込みつつ明神の口を軽くさせる。
飲ませすぎてつぶしてしまっては元も子もない。
細心の注意を払いながらのスピードと内容。
明神が持ってきた「恋の悩み相談」には開始早々飽きてしまった。
もっと面白い話を聞けると思っていたのに。
これでは澪に、ちゃんとした報告が出来ないのでスパイを依頼された白金としては大変困る。
ならば、この食事代に見合う程の「面白い話」を引き出すまで。
「やっぱひめのん可愛いな、女の子だなって、色々考えながらさ。んでもこう、男としては、ここは引けないとこもあるわけで。」
「そうだよね。その通りだとも!それでそれからどうなったのかな?」
「や、澪ちゃん久しぶり☆今うたかた荘に居るんだって?」
「何でお前がそんな事知ってるんだよ。」
「さっき冬悟君から電話があってさ☆何か相談があるって言っててその時澪ちゃんがそこに居るって聞いたから、気になって電話してみました☆」
「何だそれ…冬悟から、相談?」
「うん。何か深刻そうだったし、澪ちゃん何か気付いた事ない?無縁断世の事じゃなきゃいいなと思うんだけど。」
「…まず、関係ないな。白金、相談の内容、後で知らせろ。」
「ええ!?」
「いいから。まあ安心しろ。大した内容じゃあないだろうからな。会うのは今日か?」
「そうだけど…相談事を他人に話のはちょっと。」
「そう言うな。大した話では無い筈だが、私は少し気になるんだよ。」
「まあ…じゃあさ、報告は二人っきりで、オレの指定したレストランで、とかどうかな?」
「あ?…まあいいけど。」
「了解。じゃあ予約しとこうかな。明日また電話するよ☆」
「わかった。」
白金が目的の為なら手段を選ばない男だという事。
白金にとって、澪と明神を天秤にかけた場合、選ぶ間もなく澪に傾くという事。
これら全をあの時点で気付くには、もう少し付き合いに時間が必要だった。
手を振って別れた焼き鳥屋の前。
「じゃあね☆頑張ってくれたまへ!」
勘定を済まし、手を振り去って行く白金。
その白いスーツの背中を眺めながら「いい奴だな」と少しでも考えた事を、明神は心底後悔する事になる。
あとがき
こちら、ウラもある予定です。
ウラは姫乃と澪さんで…。
2007.07.10