ハイパーストロングガール
表裏一体−
全く当てもなく、目的も行き先もなく二人は歩いている。
とは言え何のプランも無いのは明神の方で、姫乃はどちらかというと明神が行くから着いて行く、という感じだった。
うたかた荘を出たのが六時半頃で、それから一時間は歩いたと思われる。
明神も姫乃も、時計を持ち歩いておらず、というより持っていなかった為に正確な時間はわからない。
ただ、日が落ちて暗くなるのを背中で感じながら、駅へ向かうと出会いたくない人物に会いそうで明神は何となく人気の少ない山の方へと向かっていた。
時々、明神は姫乃の方を振り返る。
手を繋ぎ、連れられている姫乃はこれが散歩かデートかと思っているらしく、明神の目から見て何だか楽しそうに見えた。
それが余計に、明神を陰鬱な気持ちにさせた。
姫乃を連れ出して、一時的に逃げ出して、さて一体どうするつもりだったのか。
このまま永久に澪から逃げおおせる訳もないし、必ずうたかた荘には戻らなくてはならない。
学校だってある。
それに、遅くまで連れて歩くのも姫乃が可哀想だと、姫乃の細い足首を見ながら明神は思った。
どこかで一泊…と考えて止めた。
雪乃が心配するだろうし、その事が澪の耳に入れば本当に殺される。
本気でやれば澪に力負けする事は無いだろうけれど、女性を本気で叩きのめす訳にもいかない。
白金と澪の会食がただの偶然で、タイミングがたまたま合っただけ、と前向きに考えたかったけれど、思えば昨日の白金は何かと酒を勧めてあれはこれはと聞いてきた気がする。
信じて引き返す、という選択は恐ろしくて出来なかった。
出来れば澪の怒りが少しでも収まる様に、飽きるくらい時間を置いてから会いたいところ。
けれど、怒りが収まっても逃げだしたという事をいつまでもチクチク言われそうで、それはそれで胃が痛い。
姫乃の手を引きながら、心ここにあらずで歩いていると。
「何だか、駆け落ちするみたいだね。」
姫乃が明神を引っ張り、耳元でそう囁いた。
無邪気な笑顔に、明神は気が狂いそうな気持ちになった。
食事も後はデザートを残すのみとなった。
白金の口から飛び出す明神の失敗談や経験談は、面白可笑しく語られて澪は腹を抱えて笑い続けている。
初めてご飯を作ってもらった時、せっかくの肉ジャガだったのに緊張し過ぎて顔色が悪いとお粥に変えられてしまったとか、寝ぼけて風呂に入ろうとしたら先に姫乃が入っていて平手打ちを食らったとか、外で待ち合わせをして買い物に行った時、パーカーを裏表逆に着てしまっていて盛大に笑われてしまったとか。
けれど、明神から聞いた話の内、これはまずかろうという話題はまだ避けている。
キスをした時漏れる声が好きだとか、抱きしめた時に必死ですがり付いてくる顔が好きだとか、そんな話は絶対にタブーだ言ってはならない。
別に明神を庇う訳ではなくて、澪の為。
聞いたのは白金個人の悪戯心から。
大体、色んな話を聞きたがる癖に、澪本人は意外と、というよりかなりシャイで、こと男女間の恋愛感情の話についてはとことん疎い。
興味はあるけど経験がついてきていない少女の様な顔で照れるのだから、白金からするとこういう面では姫乃の方が大人だと思う。
姫乃の場合は必要に迫られて必死で明神を追いかけている、という感もあるけれど。
そんな白金の心遣いをよそに、澪は「で、結局冬悟は姫乃に手ぇ出してるのか?」等と聞いている。
腕を組んで堂々と構える澪を見て、白金は苦笑いする。
「うーん…。端的に言うと、イエス。」
「なっ……!!」
組んでいた腕を解き、顔色をあからさまに変える澪に白金は笑うのを堪えた。
ここで笑ったらまず殴られる。
「冬悟め!姫乃はまだ高校生だというのに!というかあの馬鹿たれろくに収入も無いくせに先を考えず…!!!」
澪は直ぐに「恥ずかしい」を怒りに変える。
可哀想に、と白金は明神に同情する。
同情はするけれど反省はしない。
「まあまあ。いいんじゃないかな〜。冬悟クンには今から馬車馬の様に働いて貰うとして。一緒に住んでるんだし付き合ってるんだし何もない方がおかしと思うな☆」
「そういう問題じゃ無いだろう!あの可愛い姫乃があの馬鹿に…!!」
二人に宛てられたふたつの「あの」は、その言い方に天と地程の差があった。
澪はドンとテーブルを拳で叩き、その勢いでワインの注がれているグラスがクラクラと揺れる。
自分の分と、澪のグラスをヒョイと持ち上げ白金がどうどうと澪をなだめた。
「まあまあ、姫乃ちゃんだって冬悟クンが好きなんだから、仕方ないって。見てたら解るでしょ?もし無理矢理何かしたんだったらオレが昨日殺してる。」
事も無げに言いながら、揺れの治まったテーブルにグラスを戻す。
そしてそれを澪に薦めたけれど、澪はその手を要らないと弾いた。
「それはそうだが、納得がいかん。」
「気持ちはわかるけど。」
「わかってない。」
これ以上は水掛け論で、澪が折れる訳がない。
とにかく澪は明神を認めたくないだけなのだから。
もう少し言うと。
「それに、黙っていたら面白くないじゃあないか。」
悪魔の様な笑いを浮かべる澪には、あきらかに殺意と「どう罰を与えてやろう」という悪意が混ざっている。
「お、お手柔らかにね、澪ちゃん☆」
止めはしない。
苦労人が苦労するのは、はたから見ていると楽しいものだから。
そして白金からすれば、明神は「幸せ物」意外の何者でもないのだから、少し腹も立つ。
あれだけへべれけに己の幸せを語れる癖に「相談がある」とは片腹痛い。
もう少し苦労すればいいのだ。
最後に運ばれてきたデザートを平らげ、悪魔達の宴は幕を下ろす。
ワインを飲み干し「ふむ。悪くなかった」という澪の言葉に白金も満足した。
時間は八時半を回っていた。
「さ、今から冬悟を殴りに行くかな。」
立ち上がろうとする澪に「送っていくよ」と白金も立ち上がる。
「ああでも、冬悟クンを殴るのは構わないけど、姫乃ちゃんの前では殴らないであげてね。」
「ん?」
「一生懸命冬悟クンにあわせて背伸びしてるんだ。可哀想だろう?それで冬悟クンが責められたら。」
澪は暫く黙った。
「考慮しておく。」
「良かった。」
「お前も姫乃には甘いんだな。」
「澪ちゃんが好きな娘だからね。優しくしといて損はないの☆」
その言葉に眉をしかめ、口を尖らす澪。
「…そういう言葉は言わない方が効果があるんじゃないのか?」
「そしたら、澪ちゃんは「これは本音だろうか、嘘だろうか」って考えるでしょ?そうやって、オレの事わかんないな、知りたいなって思ってもらう事が目的。」
不敵な笑みを浮かべながら先に歩き出す白金の背中を澪は追う。
「その言葉もフェイクなんだな?」
「どう思う?」
「……どうとも。」
「それでいいよ☆」
その余裕が気に入らない。
白金は先へ先へと進み、会計を済ませに行く。
急いで着いて行く気にもならないので、澪はゆっくり追いかけながら考え事をする。
昔から、何か言えば何でも応えた。
どんな命令も直ぐ従った。
それは今も変わらないけれど、何かが決定的に違う。
その違いが気に入らない。
別に何か指図してくる訳でも注意する訳でもない。
いつも「こうしたら?」「そうするかい?」「じゃあそうしようか」全て決めているのは自分の意思の筈なのに。
真っ直ぐ歩けていない、そんな不安定な感じがして、澪はそれを気持ちが悪いと感じる。
誰かの風下に立つなんて、しかもそれが白金だなんて。
澪が白金に追いついた時には、白金は清算を済ませていた。
「さ、行こうか澪ちゃん。」
うやうやしくお辞儀をする店員に手を振って、白金は店を出た。
そしてそれを澪が追いかける。
店を出た途端、澪は白金に殴りかかった。
それを驚きの表情で避ける白金。
ややタイトなスカートが足を開いた事でピン、と張る。
構わず澪は足を踏ん張り、渾身で打つ。
それも白金はかわす。
「み、み、み、澪ちゃん!!ね、止めよう!!周りの人がびっくりするし!澪ちゃん美人だから目立つし!」
「煩い!誰が褒めろと言った!」
「いやいや落ち着いて!スカート破れちゃうよ!」
「なら大人しく殴られろ!!」
打ってきた拳を避けながらその手首を捕まえると、白金は澪の後ろへ周り込み、しがみついて動きを封じる。
次の瞬間繰り出された肘打ちは、腹の筋肉を固めやむを得ないダメージとして受け止める。
ガードが間に合わなければ卒倒していそうな威力に「ああ、澪ちゃん切れちゃった」と嘆く白金。
そのまま引きずる様に車まで移動すると、暴れる澪を後部座席に放り込んで自分も乗車する。
そのまま五、六発殴られるけれどこれも必要事項として諦める。
「澪ちゃん、ほんと、落ち着いて。ね?ね?」
狭い車内の中、白金はやっと澪の両腕を取る事が出来た。
純粋な腕力ではどうやっても白金の腕を振りほどけない。
それが悔しくて情けなくて、相手が白金であるという事実も含めて澪は唇を噛み締める。
「私は、お前より強いだろう。そうだろ?」
「うん。澪ちゃんは強いよ。誰より強いよ。」
「嘘つけ!じゃあ何で私はこの腕を解く事が出来ないんだ。」
「それは、オレが狡賢いからだよ。」
「それは私の方が弱いって事じゃないか。」
「腕力だけが強さじゃないよ。澪ちゃん知ってるでしょ?」
「負けたら負けだ。勝負に負けた奴が弱い。」
「それは違う。オレ、ずっと昔から負けてるのに。」
澪はプイと顔を背ける。
それ以上は聞きたくないと言わんばかりに。
だから白金もそれ以上は何も言わない、何もしない。
ゆっくりと腕を放すと、澪の腕には指の痕が残っている。
「ああ、ゴメンね。」
謝られて逆に澪は泣きたくなったけれど、それも悔しくて我慢する。
白金は運転席に移動して車を走らせる。
向かう場所は澪の住むマンション。
それから着替えてうたかた荘へと向かうと、食事の前に言われていた。
ミラーをちらりと覗くと、後部座席の澪は膝を抱えて窓の外を眺めている。
成る程人を裏切るとこういう罰が下るのか、と一人納得して、それでも何となく口元が笑いの形になる。
別に、余裕がある訳ではないのに。
「…今日は、うたかた荘には行かない。」
澪の家まで後10分、というところでやっと澪が口を開いた。
それは、澪の中で何かを割り切ったという合図になる。
「そっか。わかった。じゃあ家の前まで送るね。」
「……茶でも飲んで行くか?」
「え、いいの!?それって部屋にあがっていいって事かな!?」
思わず後ろを振り返る白金に、澪はフンと笑う。
「やっぱり気が変わった。止めだ。」
「何でー!今いいって言ったのに!」
「言っただろ?気が変わった。ほら、前見ろ危ないぞ。」
「全く…。」
ミラー越しに見る澪の顔は、先ほどとはうって変わって余裕のある、いつもの表情に戻っている。
何もかもを無しにした訳ではなくて、このままでは気持ちが悪いから自分で切り替えただけの事だけれど、白金はいつも、この澪の切り替えの早さには感心する。
10年前、パラノイドに敗れた時も誰より先に立ち上がり鍛えなおすと拳を握った。
明神勇一郎が死んだと再会した時聞かされたけれど、動揺は一切見せなかった。
ただやるべき事を優先させていた。
本当に強い人だと、ずっと想っている。
だから、甘えていいんだよ、なんて言葉はかけない。
その言葉は逆に澪を折ってしまうから。
「やっぱり澪ちゃんは強い人なんだよ。」
「何だよ突然。気持ち悪いな。その話題は終わりだ、白金。もう言うな。」
「わかってるよ。でもそうなんだ。」
また会話が途切れた。
車のエンジン音だけが空の空間に良く響く。
澪は頬杖ついて外をただ眺めている。
その横顔を、白金はミラー越しに眺めている。
そうやって、五分が経過した。
頃合を見計らって白金が声をかける。
「…トランクにクーラーボックスが入ってるんだよね。その中には何があると思う?」
「あ?」
「澪ちゃんが前食べたいって言ってた老舗のケーキ…。」
「な、何だと!?」
「部屋にあげてくれるなら…食べてもいいよ?」
「この…私相手に交渉を持ちかけるとは。いい度胸だな、白金。」
「交渉だなんて。澪ちゃんの淹れるコーヒーで手を打とうっていう提案☆駄目?」
腕を組み思案する澪。
目的地のマンションが間近に迫っている。
澪の考えは纏まらない。
「じゃあ決まり☆車、駐車場に入れちゃうね〜。」
「あ!馬鹿、誰が良いと言った!」
そんな文句を言いながら、またしてやられたと思いながら、それでも澪はまあいいか、何て考えていた。
そんな気分になっていた。
あとがき
お、終わりませんでした…。
後一話、最後の最後のはず…。まさか5話まで引っ張る事になるなんて思いませんでした。
2007.07.23