ハイパーストロングガール ウラ

「じゅうご、じゅうろく、じゅう…なな、じゅう……はち。」

「姫乃、剣先ぶれてるぞ。」

「うっ。」

澪に言われて姫乃の肩がびくりと動いた。

うたかた荘の中庭で、姫乃はガラス扉に映る自分の姿を確認しながら木刀を振っている。

自分で見て、どれだけ刃の動線がぶれているのか認識は出来るけれど、それを修正する体力は既に残っていない。

「じゅう、く、二十!!」

数え終わると姫乃は「ふはあ」と大きなため息を吐いて縁側に座り込むと、木刀を置いて肩をぐるぐる回す。

「今日はこの位にしておくか。」

「はい…ありがとうございました。」

ぽかっと口を開けて息をする姫乃に、澪はタオルを投げてやる。

そのタオルを顔で受け止めた姫乃は我に返って勢い良く汗を拭いた。

冷蔵庫から良く冷えたスポーツドリンクを取ってきて手渡してやると、姫乃はまるで砂漠を放浪していたかの様に夢中でそれを飲む。

澪はその様子を「可愛いなあ」と、口に出さないよう気をつけながら観賞する。

「…でも凄いね、澪さんは。」

突然声をかけられ、今度は澪が我に返った。

「わあ!?…な、何がだ?」

「私、この木刀20回振るのに精一杯になっちゃってるのに、澪さんは戦ってる間ずっと振ってるでしょ?しかも片手でブンブン。」

澪の狼狽はよそに、姫乃は気にする事無く話を進める。

木刀を手に持ち軽く振る姫乃は、あまり澪の様子を見ていなかった様で、澪は安心すると同時に気持ちを立て直す。

「ああ。そう出来る様に訓練したからね。」

「凄いなあ。澪さん本当にカッコいい。」

「いや、そんな。」

「いいなあ。私も、もっと強くなりたいな。」

そう言う姫乃の言葉に、澪はふと過去の自分を垣間見る。

早く強く、もっと強く。

追いつかない力の差、強くなる為にかけた時間の差、持っている資質の差、男と女の根本的な力の差。

「…姫乃、お前明神の陰魄退治、手伝いたいとか考えてるのか?」

「えっ!?」

姫乃は勢い良く顔を上げると、ブンブンと手を振って「違う」とアピールする。

「や、やだな澪さん!そ、そんな事、無理だよ、考えてないよ?」

「…そうか?」

「ほ、本当に…。」

「本当に?」

ぐい、と澪は姫乃の顔に、顔を近づける。

目と目が合うと、姫乃はふいと目を逸らした。

「…何故目を逸らす?」

「み、澪さんが近いから!」

「コラ。」

逃げようとした姫乃を捕まえ、ちゃんと目を合わさせる。

姫乃は一度しっかりと澪を見つめると、観念した様に俯いた。

「…いつも、守られてばっかり、待ってばっかりだから。背中ばっかり見るの、辛い時があって、どうせなら隣にいたいから。」

俯いたまま、少し口を尖らせそう言う姫乃。

暫く黙って、けれど何か思い出した様にあ、と言って。

「あ、のね。この事言ったら、澪さん教えてくれないと思って。でも、痴漢撃退の為っていうのは本当だから!」

澪は、その姫乃の隣に座ると、ゆっくりと口を開いた。

「あのな、姫乃。」

「…はい。」

「私もな、そうやって自分が無力だって、嘆いていた時期があったんだ。」

「澪さんが?」

ぱっと顔を上げる姫乃。

「ああ。どうして私が得たのは水の力だったんだろう。空なら、もっと強くあれたのに。火なら、風ならって。そんな事ばっかりグルグル考えてた時があった。」

「そうなの?…何だか想像出来ない。澪さんは私の中でずっと強い人だもん。」

何か慌てた様に言う姫乃に、澪は少し笑った。

「水の力ってのは、癒しと防御に特化してる。空の戦士とタイマン張ったら攻撃力じゃあ勝ち目はない。でも、私は欲しかったのは、その「戦う」力なんだ。持って生まれた資質に嫌気がしてさ、水の力じゃどうせ強くなれないって、よく修行さぼってた。こんな事やっても無駄だって。」

「……。」

「でもな、ある日図々しいおっさんが、私にこう言ったんだ。戦いってやつは、バランスが大事だって。戦い方は千差万別色んなパターンがある。力が強けりゃ勝負に勝てるって程、勝負は単純じゃないって。」

その「図々しいおっさん」が誰であるかは姫乃にも想像が出来た。

いつか写真で見た「明神さんの師匠」明神勇一郎。

はちゃめちゃで、でも優しくてとても強い人、という人物像。

様々な情報が、姫乃の頭の中で先代明神を鮮明に想像させる。

澪の声は、その誰かを連想させる為か、つい真似をしているのか、いつもより少し低くなっている。

「それに、集団で戦う時はパワータイプばっかり揃っても相手の戦い方によっては力を発揮する前に叩かれる場合もある。カードが沢山あるからより戦闘を有利に運ぶ事が出来るんだ。苦手なもん補い合える奴の方が、一緒にいて心強いもんだ、ってまあこんな事をね。遠まわしにでも、必要だって言われたみたいで…嬉しかったよ。」

この時、それでも空が良かったと口を尖らせた事は黙っておく。

「まあ、それからは自分にできる事を、水の力しか持てないなら、その力極めてやろうって考えて…最低限の腕力は必要だから鍛えたけどな。」

澪は、そこで姫乃に笑いかけた。

勿論姫乃が笑い返してくるものだろうと考えていたけれど、姫乃は押し黙ったまま膝の上で組んだ指を強く握っている。

「…姫乃?」

「私に出来る事…お洗濯とか、お掃除とか、お料理とか。……私、そんなんじゃなくて、もっともっと、役に立ちたい。おかしいかな?無理な事言ってると思うけど、怪我して帰って来た時何も出来なくてオロオロしたりするのも、また、前みたいに私が狙われた時に守って貰うばっかりで何も出来ないのも、もう嫌だよ!」

言うだけ言って、それを後悔したという顔を澪に見せると、姫乃はもう一度俯いて「ごめんなさい」と呟いた。

泣き出しそうな姫乃の頭を、澪は撫でてやる。

こうやって自分も明神に噛み付いたんだと、澪の記憶が甦る。

(困った顔をした明神は、こうやって頭を撫でてくれた。)

(私は、直ぐに振り払って怒鳴りつけたけど。)

「姫乃はおかしくないよ。全然。」

「…っ、う。」

姫乃は澪にすがり付いて泣いた。

澪は背中を優しく撫でてやる。

過去の自分がこんなに素直だったらなと考えて、想像して首を振る。

人に甘えるのは苦手だと感じていたし、何よりそんな弱みをあの明神に見せてしまう事は絶対に嫌だった。

背中に触れた手から、姫乃が落ち着くのを感じると、澪は言葉を選びながら話し出した。

「……だから、冬悟は強くなったんだろ?」

「え?」

本来、明神冬悟の肩を持つのは本意ではないけれど、それでも姫乃が納得するなら、と言葉を続ける。

「強くなって、姫乃に心配かけない様に。」

「……うん。」

「だったら、そこはむしろ冬悟に譲ってやらないと。他には能の無い奴なんだから。」

「そんな、事は…。」

「姫乃を守れたって事が何より嬉しい単純馬鹿なんだから、気分良く守られてやったらいいんだよ。」

「う、な、何だか納得しちゃいけない気がするんだけど…。」

「そしたら、よし、また頑張らないとって思えるんだから。」

「…守られる事も、明神さんにしてあげられる事の一つって事?」

「そういう事。」

姫乃は「うーん」と難しい顔をすると、パタンと転がった。

「…何だか、良くわかんなくなっちゃった。」

「私も、ガラじゃない話をしたよ。」

「…へへ。澪さんの昔の話、聞いちゃった。」

「誰にも言うなよ?」

「うん。」

二人で少し笑い合う。

「じゃあ、私はそろそろ帰ろうかな。」

突然、澪が切り出した。

時間はもう夜の十時過ぎ。

今日も泊まっていくだろうと考えていた姫乃は驚いた。

「そうなの!?もう一泊していけばいいのに…。」

「いや、明日白金と会う約束があって。あいつが指定する場所は、大概この格好じゃあ浮くんでな。着替えもいるし荷物も邪魔だし。」

白金の名前に、ふーんと首をかしげる姫乃。

「そう言えば、明神さんも今日白金さんに会うって言ってたよ。」

「…らしいな。」

そう言って不敵に笑う澪。

その笑みの意味もわからず姫乃は更に首をかしげる。

その姫乃に、澪はずいと稽古の間ずっと姫乃に使わせていた木刀を差し出した。

「姫乃。これをお前にやる。私が修行時代から使ってた樫の木刀だ。」

「え…。」

一瞬、目の前に差し出されたので反射的に出しかけた手を引っ込め、困惑の顔を浮かべる姫乃。

「そんな大事な物。」

「いいから、さあ。」

木刀を左手で、地面に水平に持ち、それを姫乃の胸の高さにかざす澪。

姫乃はそれを、両手で受け取った。

「…ありがとう。」

「力任せに振らない事。刃が曲がっちまうからな。なれるまでは真っ直ぐ振る事を意識する事。剣先は、遠くへ、遠くへ。それから、あんまり鍛えすぎてゴツくならない事。私が悲しい。」

最後の言葉に苦笑いする姫乃。

「うん。わかった。」

「…後な。」

澪は指でちょいちょいと姫乃を呼ぶ。

首をかしげ、呼ばれるまま澪の側へと寄る姫乃。

その姫乃の耳元で。

「その木刀には、私の剄が通してある。もし万が一が起こった時はそれを使え。「霊に触れる事が出来ない」って事を精一杯アピールした後、こいつでぶん殴れ。相手が怯んだ隙に、冬悟でも誰でも近くにいる奴に助けを求めるんだ。」

姫乃の表情が一瞬硬くなる。

「…わかった。」

「これは奥の手だから、普段から使うんじゃないよ。」

「うん。」

「ま、最悪の事態を想定して、だからな。そんな事が起こらなかったらそれはそれでいいんだがな。」

緊張した空気を、わざと緩める澪。

明神が不在なうたかた荘で、姫乃に緊張感を残して立ち去ると不安にさせてしまうかもしれないと配慮した。

姫乃は何度も、うんうんと頷いて木刀を握り締める。

「肩の力抜いて。急に何か起こる訳じゃないし、怖がらせてしまったかな?」

「ううん。大事な物を、本当にありがとう。」

やっと微笑んだ姫乃に、澪も少しほっとした。

「じゃあな、姫乃。」

うたかた荘を出て行く澪を、姫乃は玄関先まで見送った。

去り際、澪が言った「今日は冬悟遅くなるだろうから、先に寝ちまうといいよ。」という言葉に、姫乃はもう一度首をひねった。

澪は少し急ぎ足で自宅へ向かいながら、明日の「報告」についてどんな話が飛び出すかと考える。

ふと足を止め、空を見上げると丸い月が輝いていて、その何となくおめでたいまん丸な姿を、記憶の中だけに存在する人物に重ねてみる。

澪は、姫乃がそうした様に口を尖らすと、フンと鼻で笑ってまた歩き出した。

何となく歌でも歌い出してしまいそうな気分だったけれど、生憎知っている歌も少ない為にそれは諦める。

代わりに走りながら、今日は悪い夢を見そうだなんて事を考えた。


あとがき
意外と長くなるみたいです。
後一回か二回は続きそうな気配。
2007.07.14

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