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冬の終わりと美しい世界
トーゴは屋敷の前に立った初老の紳士を見ました。
落ち着きがあり、優しい顔をしたその紳士はどことなく懐かしい気がします。
この人が母の兄であるなら、最後に会ったのは十年程前。
列車の事故で両親を失った時です。
病院のベッドの上で幼いトーゴは自分をぐるりと囲む大人達を見ました。
その中に、この叔父がいましたが、その時トーゴは誰とも話をしませんでした。
誰とも、話をしたくなかったからです。
白い息を吐きながら、トーゴが「叔父さんですか?」と聞くと、その紳士は「そうだよ」と答えました。
トーゴは軽く会釈をし、ヒメノは慌てて深々とお辞儀をします。
叔父は、帽子を取るとそれを胸に当て、ペコリと頭を下げました。
それが、トーゴと叔父との十年ぶりの再会でした。
トーゴは叔父を客間に招き入れると、暖炉に火をつけます。
パチパチと音を立てて炎が踊りました。
ヒメノが慣れた手つきでお茶を入れます。
どこにお皿やカップがあるかは、ヒメノはすっかり解っていました。
ヒメノがお茶を入れている間、トーゴは落ち着き無く目の前に座る叔父をチラリチラリと見ています。
もし叔父が来たら言おうと思っていた事はあったと思うのですが、いざ目の前に現れると何と言っていいかわからずただ黙ったまま時間が流れます。
ヒメノがお茶とお菓子を持って客間に戻って来た時は本当にホッとしたものでした。
「外は寒くはありませんでした?温まって下さいね。」
差し出したお茶を、嬉しそうに叔父は飲みます。
「このお菓子、叔父様が送って下さった物なんですよ?」
「ああ、そうだったね。」
叔父がクッキーを一枚手にします。
「このお菓子のお陰で、私とトーゴさんは仲良くなったんです。だから叔父様には感謝してるんですよ。」
そう言って、ヒメノはトーゴとヒメノが出合った時の話を叔父にしました。
ハロウインのお祭りで、お菓子を求めて森を抜け、坂を上ってこの屋敷に辿り着いた事。
初めて見るお菓子と、初めて会う白い髪の青年に本当に驚いた事。
それから、冬の間、長い時間をかけて村の皆とトーゴが仲良くなっていった事。
叔父は、その話を時々相槌を打ちながら聞いていました。
ヒメノが気が付くと、ヒメノをトーゴと叔父の二人がジッと見ています。
「す、すみません!私ばっかり話しちゃって!今日は叔父様とトーゴさんの再会の日なのに!」
楽しくてついつい話しすぎて、母に注意される事が今までも何度かありました。
ヒメノは恥ずかしくて俯きます。
「いや、ヒメノが話をしてくれるとこちらは助かる。」
叔父が笑って言いました。
「…オレも。」
トーゴも俯きがちにそう言います。
ヒメノは、トーゴの元気がないのが心配になりました。
これをきっかけに、トーゴが親戚の人たちと仲良くなったらいい、ヒメノはそう思います。
そして、この叔父はヒメノからは信頼できる人だと思いました。
思い切って、ヒメノは立ち上がります。
「私、お茶のおかわり淹れて来ます。」
「それならオレが。」
トーゴが立ち上がろうとするのをヒメノは止めました。
「今日は大事な日なんですから、ちゃんとお話して。直ぐ戻って来るから。」
言い聞かせる様に言うと、空になったカップを持って部屋を出て行きます。
静かに扉を閉め、ヒメノは目を閉じ、耳をすませます。
本当は心配で心配でしょうがなかったのですが、一度二人だけで話をして欲しい、そう思ったのです。
最初に口を開いたのは、叔父の方でした。
「いい娘だな。」
「…はい。」
その会話の後、二人は少しの間黙っていました。
ヒメノは祈る様な気持ちで扉の前に立っています。
「…まさか、本当に来られるとは思ってませんでした。」
重い口を開いたのは、今度はトーゴ。
「私も、君から手紙が届いて驚いた。」
「あれは…ヒメノが言い出して。オレは、貴方に会うのは恐ろしかった。何かが変わるって事は、いつも怖い。」
そう言って、トーゴはまた目を伏せます。
叔父も一度足元を見つめますが、何かを決心したように顔を上げると真っ直ぐにトーゴを見ました。
「トーゴ。私がここに来たのは理由がある。」
「なんですか?」
「私と一緒に暮らさないか?ここを出て、街へ。」
「え?」
トーゴは驚きで目を丸くしました。
叔父が何かの要で来たのだろうとは思っていたのですが、まさか自分を引き取ろうと考えているなんてちっとも思いませんでした。
扉の向こうで、姫乃も身を硬くします。
「私が君の後見人になる。他の親戚も何も言わんだろう。」
「…それは。」
「今まで放っておいて、勝手だと思うけれど、十年間ずっと気になっていたんだ。妹とは、二人兄妹だった。結婚すると言って両親の反対を押し切って家を飛び出した後も、ずっと私とは手紙のやりとりをしていた。トーゴ。君が生まれた後もだ。もっと早くに君を引き取りたかったのだけれど、それを私の両親は許さなかった。…妹を失った悲しみもある。両親は妹を君の父親に奪われたと思っていたから。けれど、手紙が届いて決心した。…勿論、彼女も一緒に連れて行けばいい。ヒメノ、そこに立っていては寒いだろう。入ってきなさい。」
ヒメノはびっくりしてお盆を取り落としかけました。
「の、の、覗いていた訳じゃないんです!あの、立ち聞きとかそういうのでもなくて気になって…!!」
しどろもどろになりながら入ってくるヒメノを叔父は笑って迎えました。
「ヒメノ。」
「は、はい!」
「ヒメノは街へ行ってみたいと思った事はないかい?綺麗なドレスを着てみたいと思った事は?」
「え?」
慌てたのはトーゴです。
叔父には手紙で好きな人が…と書いたので、それがヒメノであるとわかっている筈ですが、ヒメノにはまだ何も言っていません。
それに、トーゴはまだ街で暮らす事は決心しかねています。
ヒメノがもし、街へ行きたいと言えば、ならそうすれば良いと流されるままに事が進んでしまいそうで恐ろしかったのです。
ヒメノは少し考えると、口を開きました。
「良く…わからないですけど、着てみたいドレスなら、あります。」
「それは?」
「写真で見ただけなんですが、母が結婚式の時に着ていたドレスです。村一番の仕立て屋さんに頼んで作って貰って、それを女の子が皆で刺繍して出来たものって言ってました。凄く綺麗で、お母さんも凄く幸せそうな顔をしてるんです。」
笑って言うヒメノもとても幸せそうでした。
叔父はそれ以上何も言えなくなりました。
続けて、トーゴが口を開きました。
「…オレは、春になったらヒメノのいる村で働こうと思ってます。畑を耕して、木を植えて。村からこの家に帰る途中、山間に村が見えるんです。広い空と、その下に広がる谷と、村と。…まだ、この村の冬しかオレは知らない。ずっとここに居たのに今まで全く見ようとしてなかった。今まで見ないようにしていた物を全部見てみたい。後…。」
トーゴは一度、軽く息を吸いました。
叔父がもし本当に来たら、言おうと思っていた言葉。
伝えようと思っていた気持ち。
「叔父さんには、本当に感謝してる。本当に来てくれるなんて、話をする日が来るなんて夢にも思ってなかった。いつも届くお菓子を眺めながら…顔も想像出来ない叔父さんの事、考えてた。嬉しいと思う時もあった。憎いと思う事もあった。…でも、いつも荷物が届くのを待っていた。オレは、まだ叔父さんと住む事は出来ないけど、春になったら今度はオレが叔父さんの家に行く。この山には珍しい花が咲くんだってヒメノが言ってたからそれを摘んで。木苺が生ったらそれをジャムにすると凄く美味しいって。だからそれも、村一番のパンと一緒に持って行く。叔父さんが送ってくれるお菓子と、お茶と、オレが持って行くジャムでこうやってまたテーブルを挟んで話をしたい。一人だと思い込んでた10年間を取り戻す位、沢山話をしたい。」
沢山の気持ちを一度に口にして、トーゴはまた黙りました。
考えていた事を全部吐き出して、トーゴは心がすっと軽くなった気がします。
叔父は、少し寂しそうに笑うと、ゆっくりと頷きました。
それから、長い時間三人は話をしました。
まだトーゴが見た事がない村の春の話、夏の話、秋の話。
トーゴがこの村に残ると言ってくれた事が嬉しくて、ヒメノは沢山話をしました。
もっとこの村を好きになってくれたらいいと。
また、叔父にもこの村の事を良く知って欲しいと思ったのです。
そして叔父も、二人に街の話をしました。
キラキラ輝く街頭や、馬車。
獅子の形をした噴水や庭園。
叔父が幼い頃、トーゴの母親である妹と一緒に遊んだ公園や良く通ったお菓子があるお店の事も。
いつか二人が遊びに来た時にはそれらを案内すると叔父は約束しました。
そしていつか、ちゃんとした家族になろうと約束しました。
気づけば辺りは真っ暗になり、時間は深夜を過ぎました。
馬車で夜道を走る事は危険なので、叔父とヒメノはトーゴの屋敷に泊まって行く事になりました。
ヒメノはトーゴの家に良く遊びに来ますが、泊まるのは初めてです。
ヒメノは昔、トーゴの母親が使っていたという部屋を案内されました。
ずっと誰もいない部屋ですが、綺麗に掃除が行き届いています。
ヒメノは母親が使っていたというネグリジェを借り、それに着替えました。
豪華なレースをあしらったそのネグリジェに、ヒメノは目をパチパチさせます。
鏡に映る自分を見て、くすぐったい様な気持ちになって笑いました。
ぐるりと部屋を見渡すと、ガラスの扉のついた本棚の中に写真を見つけました。
それをそっと取り出して見てみると、それは幼い頃のトーゴが家族と写っているものでした。
椅子に座って笑う少年を挟んで、優しそうな母親と、その母親の肩を抱く父親。
幸せそうな家族の写真。
ヒメノには父親がいません。
結婚式の写真は残っていますが、家族三人で写ったものは一枚もありません。
この家族の写真を見て、ヒメノの目から自然と涙が出てきました。
「どうして、トーゴさんを置いていってしまったの?私は、貴方達にも会いたかったよ…!」
ヒメノはその写真を抱きしめて眠りました。
次の日になり、叔父は馬車に乗って帰っていきました。
山を下り、馬車はどんどん遠く、小さくなっていきます。
トーゴとヒメノは、馬車が麦の大きさになるまで手を振り続けました。
とうとう馬車は見えなくなり、どちらともなく長いため息を吐きました。
「…行っちゃったね。」
「ああ。」
「いい人だったね。」
「うん。」
まだ外は寒く、立ち尽くしたままの二人の体温はどんどん冷えていきます。
トーゴが手を伸ばし、ヒメノの手を包みました。
「行こう。」
トーゴがヒメノを見下ろすと、ヒメノはトーゴを見上げ、しっかりと頷きました。
二人は歩き出します。
坂を下り、森を抜け、村を目指します。
ヒメノを家まで送り届けると、二人は手を振って別れました。
ヒメノは編みかけのマフラーを編みだしました。
トーゴは来た道をまた戻ります。
森を抜け、坂道を上ります。
坂を上りきったところで、トーゴは立ち止まり、いつもの様に振り返り、村と、空を眺めました。
トーゴが知っているこの風景は、いつも雪に覆われています。
この雪が溶けた時、どんな風景が広がっているのか想像もつきません。
ふ、と白い息を吐くと、それは広がって大気に溶けました。
チラチラと雪が降り始めました。
雪の中、トーゴは今頃マフラーの続きを編んでいるであろうヒメノの事を想います。
後何回、春までに雪が降るでしょう。
もう少し、冬が長くてもいい。
春は待ち遠しいけれど、長い間ヒメノが作ったマフラーを巻いていたいとも思うのです。
ちょっとした我儘を、トーゴは言いました。
トーゴの世界は、ヒメノと出会う事によって一変しました。
こんな風に空を眺める事なんて、今までなかったのです。
人が沢山住む村を見下ろして、それを愛しいと感じる事なんて、今までなかったのです。
トーゴは大きく息を吸い込み、吐き出しました。
そして目の前に建つ大きな屋敷をトーゴは眺めました。
両親の思い出と、新しい友人達との思い出が詰まった家です。
一人で居た頃は広く寂しいものだと思っていました。
トーゴはもう一度、両手を大きく広げて深呼吸をしました。
扉を開け、中に入ると笑顔でただいま、と大きな声で言いました。
返事を言う者は居ませんが、トーゴにはおかえりと聞こえたのです。
三日後、ヒメノが走って編み上げたマフラーをトーゴに届けました。
冬の重い雲の隙間から零れる青色のマフラーです。
カゴから勢い良く引っ張り出し、それをフワリとトーゴの首に巻きます。
暖かく柔らかい、素敵なマフラーでした。
トーゴはありがとうと言い、今まで見せた事が無い笑顔で笑いました。
ヒメノは嬉しくて、嬉しすぎて涙が出ました。
トーゴはその大事なマフラーを、春になるまで巻き続けました。
いつか雪が溶け、村に続く道に植えた花が一斉に咲きだした頃、ヒメノとトーゴは大きな鞄を抱えて旅行に行きました。
春が待ちきれず、何度も手紙を書いてくれた叔父に会う為に。
ガタゴトと揺れる馬車の中、トーゴと話をし、笑うヒメノの薬指には綺麗な指輪がはめられていました。
あとがき
寒い内に書き上げたかったのですが、なかなかまとまらずギリギリとなりました。
このシリーズは一応完結…な感じです。ここまで長くなろうとは思いませんでした。
何か思いつけば、また春の話等かくやもしれませんが、とりあえずここまで読んで下さった方、ありがとうございます!
2007.03.22