布団から出たくない
「明神さん、さあさあさあ!早くそこどいて!」
日曜の正午、天気は晴れ。
可愛い声がオレを急き立てる。
「昨日遅かったのはわかるけど、久々にお日様が出たんだからお布団干させてね!いい加減にしないと、カビ生えちゃうよ!」
そう言うひめのんの声を聞きながら、オレは正直思った。
カビ、生えてもいい。
わかっているなら放っておいて欲しいとこだが、昨日オレは仕事で夜が遅かった。
帰ってきたのが今朝方五時頃で……もう夜が遅いというより朝が早いだ。
まんま徹夜だ。
今の時間を考えると充分寝たと言えば寝たんだが、せっかくホカホカに温まった布団から出たくない。
頭まで布団に潜り込んで、オレは「断固拒否」の姿勢を取った。
「ねえ、お布団干しますよ!ソファーで寝てもらっていいから、とにかくお布団空けて!」
せっかく珍しく、目が覚めても布団の中に居たんだ。
たとえそれが、埃っぽくて湿っぽい布団でも、そこは腐っても鯛。
もうちょっと、せめて腹が鳴るまでこのままでいたい。
うとうとだらだらとまどろむこの時間を味わっていたい。
たとえ相手がひめのんでも、こればっかりは譲れないのだった……というか、今のオレは頭はこうやって動いているが、体は殆ど眠っている。
ひめのんに対して何か反応をしようと思っても、起き上がるのも何か言うのも億劫だ。
口を開いても言葉が出ない。
「みょーうーじーんーさんっ!!」
言う事を聞かないオレに痺れを切らし、ひめのんが強行手段に出た。
布団を引っつかんで引っぺがそうとする。
そうはさせるか。
オレも布団を掴んで離さない。
「うぐぐ……」
単純に力比べでオレがひめのんに劣る訳がない。
この勝負はどちらが勝つか目に見えている。
たとえ、オレが半分眠っていても、だ。
「もー!お布団、破けちゃうよー!!」
それは困る。
オレは布団からにょっきりと足を出すと、素早くひめのんの足を刈り、バランスを崩して転げる体を抱きとめた。
「きゃ!?」
そして、掛け布団に必要最小限の隙間を空けると、その中にひめのんを引きずり込む。
外から見たら、布団お化けにひめのんが食われたみたいに見えるだろう。
よし、今度アズミにやってやろう。
きっと大はしゃぎで喜ぶはずだ。
「ちょっと!?もう、ちょ!みょうじん、さん!ちょ、ちょっと!ちょ……」
完全に布団の中に閉じ込めると、そこから逃げ出そうとするひめのんを身動きとれなくなる様に捕まえ、両足を絡め、丁度抱き枕みたいにしがみ付く。
「んー!!!」
全身をくねらせてオレから逃げようとするけれど、逃がさない。
暫くすると、くったりと諦めた様に体から力が抜けていく。
ひめのんが抵抗しなくなった頃を見計らって、オレは手探りで頭の下に腕を通し、枕の代わりにどうぞと差し出した。
「もー……。もう、もう、もー、せっかくお布団、干そうと思ったのに」
ぶつくさ言いながら、ひめのんはオレの腕をぎゅうと抓った。
痛くは無い。
「お布団、しいたけ生えても知らないからね」
生えてもいい。
もぞり、とひめのんが身動ぎして、その腕に頭をのっけて具合のいい場所を探す。
二の腕は筋肉質で硬く、枕としてはお気に召さなかったらしい。
ごそごそ動いて腕の中でも柔らかい部分を探し、そこに落ち着くと「は」と息を吐いた。
「……もう。眠くなってきちゃうじゃない」
ひめのんが、本格的にオレの体に体重を預けてくる。
人肌という名の毒が回ったひめのんは、見事布団の住人と化した。
ここまで来ると、してやったりだ。
後は煮るなり焼くなり好きに出来る。
オレはずっと瞑っていた目を薄く開けた。
薄暗い布団の中でひめのんは、頭を撫でてもほお擦りしても、無抵抗で目を細めている。
完全に密封された布団の中に、人間が二人。
ちょっと息苦しい気はするが、柔らかくて暖かくていい匂いがする。
ますます、ここから出たくなくなった。
「お邪魔するわね〜」
どこか遠慮がちにかけられた声で、オレの脳は一気に覚醒した。
文字通り布団から飛び起きると、思わず正座する。
いつの間にか、お母さんが管理人室のドアを開けて中を覗いていた。
ドッと頭に血が昇る。
何か上手い言い訳を探したけど、何も浮かばなかった。
遅れて起きたひめのんは、まだ寝ぼけながら目を擦っている。
今の事態を把握するまで後十秒はかかるだろう。
オレの方と言えば、何か言おうとして言えず、金魚の様にパクパクと口を動かしている。
その一方、どっか冷静な自分が今の状況を分析していた。
成る程。
ひめのんはお布団催促係りの第一陣であって、この命令は指揮官であるお母さんから出されたものだったのだ。
お使いに出たひめのんが暫く戻らないとあれば、お母さんは「ミイラ取りがミイラになった」事を予想しただろう。
そうして新人隊員の救出と布団の奪取の為に、上官自ら出向いて来たという訳だ。
「ごめんなさいねえ。せっかく仲良く寝てたところなのに…お布団、干したいから貰ってもいいかしら?」
さらっと仲良くとか言ってくれる。
これが牽制なのか天然なのか冷やかしなのか、オレには全く判断がつかない。
「あ…い、え。あの、ハイ。どうぞ、これあの、すんません」
頭はクルクルと回転するけれど、口は一向に回らない。
あっという顔をして一人小さくなっているひめのんを尻目に、オレは布団をたたんでおずおずと差し出した。
布団を受け取ってありがとうと微笑むと、戻るか残るか決めかねているひめのんを残してお母さんは去って行く。
どうやら、続きは御自由に、という事らしい。
いやいやいや。
これじゃ放置プレイもいいとこだろう。
オレとひめのんは、自然と正座したまま俯いてお互いの顔すら見れなくなっている。
じゃあもっかい寝ましょうか、という空気ではない。
大体、布団という隠れ蓑があるからこそ、あんだけベタベタごろごろ出来たのに。
「あ、あの……じゃあ、私戻るね」
そう言ってひめのんが立ち上がる。
咄嗟に、オレは去ろうとしたひめのんの手首を掴んで止めた。
「……あ、な、何?」
別に用事がある訳ではない。
ただ、今のこの微妙な空気を引き摺ったまま、この部屋を出て行って欲しくない。
このままだと今日一日は確実に、廊下ですれ違う時、飯を食う時、風呂空いたぞって言う時、今と同じ様な気まずい空気になるに決まってる。
「あー……ご、ごめんな。何か、変な事って言うか、ほら、えっと、オレ、馬鹿で」
もっとマシな事言えないのかと思いながらそんな事を言うと、ひめのんがふっとため息を吐く。
「……ホント、明神さん馬鹿です」
「ぐぐ」
「子供だし、聞き分けないし、頑固だし」
「すみません」
「……でも、嫌じゃないよ」
パッと顔を上げると同時に、ひめのんの手がオレの手からするりと逃げる。
「でもね、次はもうちょっといいコにして下さいね」
残念。
男という生き物の大半は悪いコである。
オレは部屋から出ようと背中を見せたひめのんの足を素早く刈って転がすと、倒れた体をしっかりと抱きとめる。
一度開きかけた部屋のドアは、音を立てずにもう一度閉じられた。
あとがき
リハビリ第二段。
とことんまでに駄目な大人明神冬悟24歳でした…。