ふり出しに戻る

バサバサと音をたてて、手から離れたビニール袋が床に落ちた。

冬悟は慌ててそれらを拾い、買ってきたばかりの卵が割れていないかチェックする。

そして、その為にしゃがみこんでしまった事をちょっぴり後悔した。

「た……立ちあがりたいけれど、立ちあがれ……ない」

冬悟の目は、縁側で眠る姫乃の周囲で泳いでいた。




メールでお使いを頼まれ近所のスーパーで買い物を済まして家に帰ると、いつもは聞こえる「おかえり」の声が無く、冬悟は自分の「ただいま」が響く玄関で首を傾げた。

「……あれ?」

先に管理人室を覗くと義父の勇一郎は留守。

今朝学校へ向かう前、今日は湟神家にある剣術道場に稽古へ行くと勇一郎が言っていた事を冬悟はすっかり忘れていた。

朝っぱらから中庭にある古い倉庫をガサガサと探り、中から埃っぽい防具と竹刀を取り出して上機嫌でそれらを振り回していたのを冬悟は思い出し、苦い顔をした。

五月蝿い勇一朗が居ないのは置いておいて、お使いを頼んだ張本人の姫乃がいないのはどうした事か。

玄関は開きっぱなしだったので外に出た訳ではなさそうだ……と、人の気配がしない二階を眺めながらリビングへ行くと、姫乃は光差し込む縁側で、畳んだ洗濯物に埋もれる様にして丸まって眠っていた。

そこまではほのぼのとした光景で、眠る姫乃を見て「ああ、寝顔はまだ子供みたいだな」としんみり幸せを噛み締める……という平和な午後のひと時なのだが、その丸まっている姫乃の制服のスカートが、際どいラインまでめくれ上がってしまっている。

にょっきり生えた二本の足は、細いけれど女の子らしい膨らみと柔らかさがあって、「子供みたいだな」等と言っている場合ではない。

寝返りをうっている内にこうなってしまったのだろうけど、冬悟は卵のパックを掴んで座り込んだままピクリとも動けなくなっている。

冬悟の目線は姫乃の足首からふくらはぎの辺りで行ったり来たりを繰り返し、暫くした後冬悟は震えながら床に頭を擦り付けた。

「何でこんな事になってんだよ……!」

冬悟はこれからの自分の行動について考えた。

スカートを直してあげる、覗く、姫乃を起こす、覗く。

「切腹」

ドン、と自分の腹を殴り、その痛みで床に転がる冬悟。

教師であるならば制服を着た生徒である姫乃のスカートの中を覗く等、言語道断。

いや良く考えろ、ここはうたかた荘で今はもう教師ではなく家族であって、将来のお嫁さんであり恋人である姫乃のスカートを覗くくらいどうって事ないだろう。

いやいや大体その覗き行為自体が男としてやっちゃいけない事だろう、やましい気持ちがあるからこんな風に心揺れるんだろうが。

いやいやいやそこは臨機応変に考えろ「据え膳食わぬわ」という言葉もある様に、昔から男は用意されていたら美味しく頂かなければむしろ失礼という事じゃあなかろうか。

ぐるぐる考えても答えは出ず、冬悟は誰かに答えを求める。

「お、オッサン……。オッサンなら」

義父である勇一郎の事を、冬悟は思い出した。

父親としてはまあ感謝しているとして、教師としては口には出さずとも尊敬している勇一郎ならばこの事態をどう潜り抜けるのか。

……。

………。

…………。

「100% 覗くな」

冬悟の脳裏にくっきりと、姫乃のスカートをめくり上げて中を覗いた挙句、目が覚めた姫乃に「ひめのんパンツ丸見えだったぞ〜」と辱めて二重に楽しむ勇一郎の姿が浮かび上がり、冬悟はブンブンと頭を振るった。

こんな大人になりたくない。

何といやらしく、意地悪く、おぞましい姿である事か。

冬悟は意を決し、着ていた背広を脱ぐと白い足を見ない様に見ない様にしながら姫乃のお腹の辺りからかけてやった。

これで目のやり場に困る事も無く、どうしてくれようかと悩む事もない。

ホッとしながらも、一度かけてしまった背広は剥がす事がとても難しい事に気付いて本当にこれで良かったのかと自問自答した。

「……いや、いい。これでいい」

明神冬悟24歳。

悟りを啓いた気持ちでさわやかな光差し込む庭を遠い目で眺めていると、床で眠っていた姫乃がもぞもぞと動き出した。

「ん……ん。あれ? ……明神、先生?」

薄く目を開けた姫乃はまだ寝ぼけている様だった。

ここがどこかピンと来なかったらしく、ぼおっとした顔で目を擦っている。

「ハズレ。冬悟さんデス」

眠たそうな顔をした姫乃の頬を軽くつつくと、姫乃はなあんだと言って微笑んだ。

多分、言った意味の半分以上は理解していないのだろう。

まだ顔は眠そうで、黙っていると薄く開けられた目はまたとろとろと閉じていく。

「……あ、これ、かけてくれた?」

姫乃が自分にかけられた背広に気付き、それに触れた。

「あー、うん。……か、風邪ひくといかんだろ? ほら、まだ暖かくなったっつっても三月だし」

「そ……だねぇ。ありがと……」

また眠りの世界に捕まった姫乃は、お礼を言いながら腰の辺りにかけられた背広をぐいと引っ張りもぐりこむ様にして肩からかぶり直した。

すると当然、せっかくかくしてあった場所がまたにょっきりと現れる。

「ブ」

こうして問題は振り出しに戻った。

姫乃は何も知らず、すやすやと眠り初めてしまう。

その姫乃を前に、正座で冬悟はブルブルと震えた。

かけてあげる上着はもう無い。

シャツでも脱いでかけてあげるか、いっそズボンを履かせるか。

いやもう見えてるだろこれは、見てしまえ。

いやいや阿呆かお前は何を考えている。

「お……うおおおおおおおおお」

小さな声で唸り、頭をかきむしる。

そして、大きなため息を吐いた。

「えい」

ひょいと体を傾けて、チラ見0.5秒。

ひょいと顔を上げて、幸せ噛み締めがっつポーズ。

「……白!」

「何やってんだ、オマエ」

顔を上げると何故か中庭には大きな袋を抱えた勇一郎が居て、驚く前に「ああ、そうか倉庫に防具と竹刀を戻しに行くんだな。今帰ったのかこんちくしょう」と妙な納得をした。

冬悟の頬に、暖かい涙がツウと流れた。


あとがき
なんだか最近こんなのばっかりです。
あ、あれ?
冬悟さんはぎりぎりまで悩んだ挙句、ババを引く性質であって欲しいと思っています。
2008.03.27

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