大事に

「おにいちゃん、起きて、起きて」

「ん〜……? んだよ、日曜位ゆっくりさせろよ……」

「だめ! おとうさんに頼まれたんだもん、お昼前には起こしてって!」

「うるせェなあ……」

自室でぐうぐうと眠っていた冬悟を、先に起きていたひめのが揺さぶって起こしている。

仕事の無い日曜日、天気は晴れ、気温も過ごしやすく日差しも暖かい。

勇一郎は朝から冬悟を置いてどこかへ赴いている為、これはチャンスと冬悟は遅寝遅起きを決め込んでいた。

数ヶ月前からうたかた荘で預かる事になった、姫乃という少女が居なければ、このまま夕方まで眠っていられたのだが……。

「おにいちゃん!」

「ああもう! わかったよ、起きりゃいいんだろ!!」

丸まって布団に包まれていた冬悟の上に、のしかかって耳元で叫ぶひめのに冬悟は観念して目を開けた。

布団ごと姫乃を剥ぎ取ると、起き上がって伸びをする。

「おにいちゃん、ご飯、パン焼いてるからね?」

「へいへい」

たたた、と部屋から走り去る姫乃を見て、良く出来た子だと呆れながらも感心する。

母親が死んで、暫く祖父と二人暮しだったからか割と自分から家事をやろうとするし、勇一郎にも冬悟にも懐いている。

最初は犬猫でも飼う位のつもりだったのだが、いつの間にか世話をされる立場になりつつある。

ひめのが勇一郎の事をおとうさん、冬悟の事をおにいちゃんと呼ぶ事にも、冬悟は最近慣れてきた。

初めてその言葉を耳にした時は、背中に怖気が走ったものだが。

「はい、おにいちゃん。ジャムは自分で塗ってね」

「へーへー」

キツネ色に焼かれた食パンを、姫乃が小さな手で皿に乗せて冬悟に手渡した。

トースターや調理器具の類は、ひめのが来てから高い場所には置かなくなっている。

ただ、棚の上なんかは届かない為踏み台を使うか、冬悟や勇一郎がその都度取ってやっていた。

姫乃は台所をせわしなく動き回り、お湯を沸かし、ちゃぶ台にコーンスープを並べると満足そうに微笑んだ。

そのスープを飲み、トーストを齧りながら冬悟はカレンダーを眺めた。

月に一回、勇一郎は何も言わずにどこかへ行く。

どこへ行くのかどんな用事なのか聞いても教えてくれないのだが、姫乃がうたかた荘に来てからそういう事が増えた為、何か姫乃に関係している事なんだろうと漠然と感じる事はあった。

蚊帳の外にされて面白くないし、姫乃に何か秘密があるのかと思うと気にもなる。

赤の他人とは言え数月間一緒に居たのだから、情も移りつつある。

何より、小さいくせに自分より他人を気にする様な子供だ。

見ていて心配になってくる。

「オッサン、いつも通りなら夜まで戻らねぇだろ、晩飯どっか食いに行くか」

冬悟が提案すると、姫乃はちょっと驚いた顔をした後「うん!」と元気に首を縦に振った。

「何が食いたい?」

「おにいちゃんは?」

「姫乃の食いたいもんでいい」

「んー……」

困った顔をした姫乃に、冬悟も困った顔をした。

いつもこんな調子で、姫乃は自分が欲しいもの、自分がしたい事を言おうとしない。

子供なんて、同居するなんて絶対に反対だったし居ても関る気なんてなかったのに、いつの間にか構ってやらないといけない気分になってくる。

けれどそれを見て、勇一郎がしめしめと笑うのだけが気に入らないので冬悟は勇一郎の前ではあまり姫乃に構わない様にしていた。

「じゃあ、お前が美味いって言ってたレストラン行くか」

「えっ」

「前オッサンと三人で行ったとこ。」

「いいの?」

「いいの。じゃあ決まり。夕方まで公園行って、腹減ったら飯な」

「うん!」

姫乃は上機嫌でご飯を食べ、踏み台を使って皿洗いを始める。

どうやったら姫乃が普通に我侭を言ってくれる様になるのか、それが今現在の冬悟の悩みであるのだが、考えても答えは出ないのであまり考えない様にしてもいた。







朝食兼昼食を食べ終わると、冬悟は姫乃を連れて公園に出かけた。

あんま遠く行くなよ、とだけ言うと、冬悟はベンチで昼寝を始める。

目をつぶって耳を澄ますと、姫乃と、姫乃が最近仲良くなった子供達の声が聞こえてくる。

そして、その子供達の親の声も。

あの子、親が死んで預けられてるらしいわよ。

そうなの、どおりでいつもお兄さんと一緒なのね。

でも、前姫乃ちゃんがおとうさんって呼んでる人が居たわよ? 熊みたいに大きな男の人。

あの人、この辺りじゃ有名人よ。幽霊アパートの管理人って。

聞いた事あるわ、うたかた荘……だったかしら。

そうそう。

だからあのお兄さんは髪が白いのかしら。

ええ? さあ……でも偉いわよね。あの歳で妹さんの面倒見て。

血は繋がってないんじゃないの?

そうなの? 私てっきり兄妹だと思ってたわ。

……んな訳ねーだろ。

あのお兄さんもその熊みたいな人の養子みたいよ、聞いた事があるわ。

……誰にだよ。

だって全然似てないし、お兄さん喋ってるの見たことないわ〜、私。

……悪かったな、ずっと寝てて。

ずっと寝てるし、ねえ?

……五月蝿い。

冬悟はベンチに深く座りなおすとわざとらしく大きな欠伸をした。

聞こえたかしら、と言いながら親達はそろそろ遠ざかっていく。

関係ない。

自分には関係が無い事だ。

勇一郎と血が繋がっていなかろうが、姫乃と他人だろうが、姫乃に親がいなかろうが、自分に親が居なかろうが……髪が白かろうが。

オレ達はオレ達だ。

卑屈になるのを辞めたのは、いつ頃からだったか。

自分が卑屈になっている事に気付いた頃からか。

寝たふりしながらどこか胸を張って、冬悟は思う。

「おにいちゃーん!」

姫乃が遠くで冬悟を呼んだ。

薄目を開けて、面倒臭いというポーズを作りながら、冬悟は手を振り返した。

短い手足を一生懸命動かして、姫乃が冬悟の元に駆け寄った。

子犬が駆けて来るのに似てるな、と思いながら、冬悟は走り寄った姫乃をこれも面倒臭そうにしながら抱えて高く持ち上げた。







冬悟はあまり遅い時間にならない様、早めにレストランに行って食事を済ませる事にした。

帰り道、姫乃は冬悟の歩幅に合わせてたかたか歩き、冬悟はその姫乃に合わせてなるべくゆっくり歩いてやる。

少し疲れた顔をしていたので、手を引いてやろうかとも思ったが、姫乃がその意思表示をしないのでやめておく。

「おにいちゃん、疲れたねぇ」

数分歩いた後、姫乃が言った。

「じゃあ、手ぇ引っ張ってやろうか?」

言って手を差し伸べると、姫乃はもじもじと俯いた。

「ん?」

「……うんとね、おんぶがいい」

「へーへー」

冬悟はしゃがむと、姫乃の前に座った。

少し遠慮がちに、姫乃が冬悟の背中におぶさった。

「疲れてんならもっと早く言やいいだろ?」

「だって……」

「この方が歩くの早ぇんだし」

文句を言いながらも、姫乃が自分からおんぶと言い出した事に満足感を覚えている。

サクサク歩くと、姫乃は高い目線が面白いのか、あちこちきょろきょろと見渡した。

「おにちゃん、世界が大きくなったよ」

「おー、そりゃよかったな」

「えへへ」

姫乃が冬悟の背中に頬をすり寄せた。

くすぐったい感触に、冬悟はむ、と不満そうな声を出しながら顔を赤らめる。

少し跳ねる様に歩くと、姫乃がきゃあきゃあ喜び冬悟にしがみ付いた。

「おにいちゃん、おかあさんみたい」

「オレ女じゃねーし」

「おかあさんみたいに、優しいよ」

「優しいかァ? オレが?」

「うん」

言い切られてしまい、冬悟は口ごもる。

「オレ、母ちゃん居ないから、どういうのが母親らしいのかわかんね」

「え?」

「……言ってなかったか?」

背負った姫乃に冬悟が振り返り、表情を見ると目をぱちぱちさせている。

「おにいちゃんも、おかあさんいないの?」

「いねぇよ。親父もいない」

「じゃあ、ひめのとおそろいだね」

「おそろいって言うのか? それは」

「それなら、私がおにちゃんのおかあさんになってあげる」

「あ?」

「ね」

微笑む姫乃から、冬悟は目を逸らした。

こんな小さな子が、お母さんだなんて冗談が過ぎる。

けれど、ふと朝の事を思い出すと、冗談でも無い気もする。

今日は朝起こしたのも食事を用意したのも姫乃である。

多少、たどたどしい部分はあるけれど、エプロンをつけてえっへんと胸を張る姫乃を想像して、冬悟は妙に納得した。

「まあ、好きにしたらいいんじゃねーの?」

「うん!」

良く考えると、初めて姫乃から冬悟に何かすると言い出したのがこの時だった。

長く一緒に居るのも、多分無駄じゃないんだろうなと冬悟が感じていると、その内姫乃は冬悟の背中でくうくうと眠り出した。

「やっぱガキじゃねーか」

母親になるなんて言い出した事に少し笑いながら歩くと、すぐにうたかた荘が見えてくる。

背中にぽかぽかと暖かい体温を感じながら、冬悟はちょっとだけ、遠回りしたい気持ちになった。








「んだって!?」

冬悟が大声をあげ、勇一郎が慌てて「しいー!」と口元に指を当てた。

うたかた荘に戻ると勇一郎が帰っていたのだが、その勇一郎からとんでもない事を聞かされる事になった。

「しー、じゃねぇ! あいつを他の家に預けるだと!?」

「だから、元々姫乃ちゃんは親戚の家を訳あって転々としてるんだって。うたかた荘に来たのは次の預け先の準備が整わなかったから! 最初に言っただろ? ちょっとの間預かる事になったって」

「そ、そうだけど」

「姫乃ちゃんを預かるの、お前が一番反対してたクセに」

「べ、別にオレはいいけど……教育に良くねーんじゃねぇの? あちこち盥回しなんて、オレみたいなヒネたガキになっちまうんじゃねーの?」

「お前、自分がヒネたガキだって自覚あんのな」

「やかましい」

「まあ、そりゃそうなんだけどね〜理由が理由だから」

「その理由って何だよ! いつもコソコソしやがって!!」

本気で冬悟が怒鳴り、部屋がビリビリと震えた。

勇一郎は顔を上げ、真っ直ぐ冬悟を見る。

「いずれ解る。ただ、今はそうした方が安全なんだよ」

「何だよ、それ。オッサン、オレよかずっと姫乃を大事にしてたじゃねーか。何でそんな事、納得できんだ……」

更に言葉を繋ごうとした時、管理人室の扉が開いた。

ひょこ、と姫乃が顔を覗かせる。

心配そうな顔をして「ケンカ?」と聞くと、勇一郎が何でもないよと答えた。

こういう、何も言わずに知らない所で難しい話をして、勝手に物事を決められるのが、冬悟には我慢がならなかった。

立ち上がると、パジャマを着た姫乃の手をしっかり握る。

「安全、って。ここより安全な場所なんかねーだろ」

「冬悟」

「オッサンが無理ってんなら、オレが強くなって守ればいいだろ?」

「おにいちゃん?」

意味がわからず姫乃が冬悟を見上げる。

「冬悟、そういう次元の話じゃ」

「ちゃんと、飯も作ってやるよ! 大事にするから!」

勇一郎がぽかんと口を開けた。

そして、参ったなあと頭に手を当て、どうするかな〜〜と言いながら首を回す。

「姫乃、オマエここに居たいか?」

「え?」

「どっか他の家に行くのと、ここに居るのとどっちがいい?」

「……また新しいおうちに行かなきゃいけないの?」

「だからァ、どっちがいいんだオマエは! オッサンに言ってやれ!」

姫乃は涙目になりながら、ぎゅうと冬悟の服を掴むと勇一郎を見た。

「……ひめの、ここのうちの子がいい。おとうさんと、おにいちゃんと一緒にいる!」

涙混じりにそう言われ、勇一郎は大きなため息を吐いた。

「冬悟〜。お前、卑怯者」

「うるせ」

勇一郎はボリボリと頭をかきながらうんうん唸り、冬悟は姫乃をしっかりと抱きしめて勇一郎を威嚇する。

「あのなあ、大事にするって……犬猫飼うんじゃねーんだぞ?」

「わかってらァ!」

「大きくなるまでちゃんと面倒看るんだぞ?」

「オッサンこそ犬猫みたいな言い方だろが」

「あ〜あ。じゃあちょっと連絡してくるよ。怒らるだろォなあ〜」

そう言って、勇一郎はのっそりと立ち上がり電話へ向かう。

冬悟は深い安堵のため息を吐いた。

「おにいちゃん? どうかしたの?」

「……んー?」

何でこんな事になったんだろうなあと、冬悟は思った。

最初は子供と一緒に住むなんて論外だったし、誰か他人と関るのなんて面倒臭かったのに。

「オマエ、ずっとこの家に居ていいって」

「え?」

「もうあっちこっち行かなくていいんだと」

そう言うと、姫乃が目を輝かせた。

今まで見た事が無いくらいの笑顔で微笑んだ。

「やったー!!!」

姫乃は両手を挙げて喜び、冬悟に抱きついた。

「ああもう、うるせぇな……。夜中は静かにしなきゃダメだろ?」

「うん!!」

そんな声を聞きながら。

「んでさあ、姫乃ちゃんだけど、暫くウチで預かる事にしたいんだよね。……そんな怒鳴るなって。仕方ねーだろォ? もう家族なんだから」

怒鳴り声が聞こえる受話器を耳から遠ざけながら、勇一郎が微笑んだ。








「おにいちゃん、起きて、起きて!」

「ん〜……? んだよ、休みの日位ゆっくりさせてくれたっていいだろォ……」

「ダメです! そんな事ばっかりしてると三年寝太郎になっちゃうんだから、おにいちゃんは!」

「うへ。ホント小言が多くなったよなァ」

「いいから起きる! 朝ご飯は一緒に食べるって決まりでしょ!?」

「へいへい……」

冬悟がのっそりと起き上がると、セーラー服を着た姫乃が満足そうに頷いた。

「台所急いで来てね! お味噌汁冷めちゃうから」

「はいはい」

パタパタと軽い足音をたてて、姫乃が遠ざかる。

そういえば、見慣れない格好をしていたと思ったら、今日は高校の始業式だったか……。

「でかくなったもんだよな、姫乃も。ちょっと前まで踏み台使ってたのにな」

「ちょっと前って随分前でしょ? 大きくなったのはおにいちゃんも一緒! はい、ご飯大盛り」

「さんきゅ」

もそもそと食事をする冬悟とは対照的に、姫乃はパッパと食べ終わると食器を片付けていく。

「今日の始業式、おにいちゃん来てくれるの?」

「行ってもいいけど、オレ目立つよ?」

「いいの。私は来て欲しいから」

「なら行く」

「ありがとう」

微笑んで、姫乃はまたパタパタと移動する。

セーラー服が妙に眩しくて、冬悟は少し目を細めた。

姫乃は勇一郎がにっかりと笑う写真が置かれた仏壇に手を合わせ、行ってきますと言うと鞄を持って立ち上がった。

「時間わかってるよね? 遅れたらやだよ」

「へいへい。直ぐ準備する」

「おにいちゃん」

「何?」

「ありがと、高校行かせてくれて」

「そりゃオッサンに言ってくれ」

「うん。でもありがとう。おにいちゃんは行ってないのに、私だけこんな」

「いいのいいの。オレはもう手遅れだし、行く気も無かったし」

「嘘。ホントは行きたかったくせに」

「ハイハイ。飯オカワリ」

「もう。照れ屋なんだから」

照れくさくて、顔が赤くなるのが自分でもわかった。

冬悟はそれを隠す様に俯き、味噌汁に手を伸ばす。

十六歳になった姫乃は冬悟の目から見ても「可愛い」と思えるのだから困る。

ずっと妹みたいに接してきた分、どうしたらいいのかさっぱりわからない。

「彼氏作ったら報告しろよ」

「うーん……」

姫乃が首を傾げ、ちらりと冬悟を見た。

「何?」

「おにいちゃんよりカッコいい人が、この世に居たらね」

冬悟は口に含んだ味噌汁を吹き出しそうになった。

すんでのところで我慢して無理矢理飲み込むと、鼻がツンとして目から涙が流れそうになる。

「あはは、なんてね。いってきまーす!」

「いって、らっしゃい……」

さあどうしたもんか。

あれから十年経った今、冬悟の悩みはあの時とは違う形に膨れ上がりつつあった。

冬悟は自分の皿を洗って仕舞うと押入れを開く。

その中から姫乃が怒りそうな、あからさまに目立ちそうな紋付袴を手に取ると、それに袖を通した。

今現在の対処法は「面白いお兄さん」で通す事だけになっている。

これもいつまでもつものか……。

「嵌めたのはアンタじゃね〜の? オッサン」

勇一郎の遺影にちらりと目線を運ぶと、冬悟はそう呟いた。


あとがき
長らくお待たせしました!
リクエストで「パラレルちびもの」でしたー!!
リクエストを下さったマシロさんが、元々可愛らしいちびを沢山書かれているのでどう書こうか悩みに悩みましたが、ちびであるという部分以外はこちらで作らせて頂きました。な、悩んだ〜〜。でも楽しかったです。
最後に十年後の二人を出した訳ですが、ちびパラレルを書いていて、このまま大きくなったらひめのんは冬悟の事を「明神さん」じゃなくて「おにいちゃん」と呼ぶのかと思うと書かずにはいられなくなりまして……。何て素敵な可能性を秘めたパラレル!! と、勝手に盛り上がりました。すみません。原作に沿って、勇一郎さんは他界していたりしますが(汗)
こちらは、リク下さったマシロ様へ!
ありがとうございました〜〜。
2008.06.15

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