Coffee

「明神さん、明日暇ですか?」

土曜日の午後。

姫乃が明神に声をかけた。

今から仕事に出ようとしていた明神は靴にかけた手をピタリと止める。

「いや、今のところ空いてるよ。どうかした?」

すると姫乃は後ろに回していた手を明神の顔の前に差し出す。

その手にはチラシが一枚。

「えっと、フリーマーケット開催!…これ明日?」

コクコクと頷く姫乃。

「服とか、雑貨とか色々あるみたいだよ。昨日仕送りあったし、良かったら明神さんの服、何かプレゼントしようか。」

「…いや、いいよ。」

この年になって16歳の女の子に服を買って貰うなんて色々と情けない。

確かに、何かにこだわって服を選んだりはしていない。

シャツもGパンも同じようなものをボロボロになるまで着まわしている状態である。

金がないのも確かに大きな理由の一つだけれど、全く興味がない、というのも本音だ。

「そっか…ならいいけど。」

残念そうにしょんぼりする姫乃。

(…こんな顔をされたら、こう言うしかないじゃないか。)

「でも、荷物持ちで、だったら一緒に行くよ。」

「ほんとっ?」

パアア、と顔を輝かせる姫乃。

「良かったあ!まだこの辺慣れてないし、部屋もまだ殺風景だったから買い物したかったんだ!あ…今日のお仕事は遅くなる?」

明日の朝の事を気にしているのだろう。

「マッハで終わらせてくる。」

そう言うと、姫乃の頭をくしゃりと撫で、走って玄関から飛び出した。

「気をつけてね!」

明神の背中に声をかける姫乃。

明神の背中が見えなくなると、チラシを見つめる。

自然と、笑みが浮かぶ。

明日が楽しみだ。




次の日。快晴。

宣言通り二時間程度で明神が帰ってきたので、朝は少しだけゆっくりするとお昼にはうたかた荘を出発した。

電車で二駅。

お祭りや市内のイベント等で使われる大きな広場に二人でやって来た。

すでに人が沢山集まり、ごった返している。

「すごいねえ!」

あまり経験した事がない人ごみに圧倒される姫乃。

背の低い姫乃は人に紛れるとすぐ見えなくなる。

人より頭一つ分高い明神は迷子になりそうになる姫乃の頭を目印に少し後ろをついていく。

「ひめのん、見たいところ行ったらいいぞ。オレついてくし。」

「わ、わかった!」

気を取り直し、ぐいっと腕まくりをすると「えい!」と人ごみに飛び込んだ。

広場には所狭しとブルーシートが敷かれ、ブロックごとにお店が出店している。

洋服に本、雑貨、家具にアクセサリー。ありとあらゆる物が売られている。

「あ!これ!」

姫乃が最初に飛びついたのは子供向けの絵本。

「アズミちゃんが喜びそう〜。300円かあ。」

ペラペラとページをめくり、次の絵本を手にする。

そんな様子を明神は珍しげに眺めた。

(やっぱ女の子だなあ。)

うたかた荘に今まで生きた人間は何人か住んだ事はあるけれど「女子高生」が来たのは初めての事である。

姫乃がいい子で本当に良かったと心からそう思う。

「よし!じゃあ次の店!」

意気揚々と歩く姫乃。

次々と店を渡り歩き商品を物色し、眺めてはまた次の店へ。

(…あれ、桶川さん?この店さっきも来ませんでした…??)

一時間後。明神は「オンナノコの買い物」という物がどういうものか、身をもって知る事となる。

確かに、買い物はしている。

買ってはいるが、それ以上に買おうかどうしようか悩む時間が長い。

グルグルと店を行き来し、同じ商品を手に取っては返し、また次の店へと向かう。

まるで雪山で遭難したみたいだ、と思う明神。

同じ場所をグルグルグルグル…。

明神は姫乃の肩をトントン、とつつく。

「ん?どうかした?」

「…えっとひめのん…オレ、ちょっとそこで休んでていいかな。」

会場に設置されているベンチを指差しゲッソリと言う明神。

「あ、いいよ!…ゴメンなさい。つまらない?」

「や、そんな事はないんだけどね、ちょっと疲れて。」

姫乃がそれまで買った物を受け取ってベンチに向かい、缶コーヒーを一本買う。

「…じょしこーせーって、すげー…。」

ずるりとだらしなく座ると、まだちょこちょこ歩いて買い物をしている姫乃を目で追う。

元気だ。

店の人間と何か話をしている。

値段交渉でもしているのだろうか、とても真剣に話をしている。

時々、笑ったり、悩んだ顔をしたり…。

(って、コラオレ!)

さっきからずっと姫乃を見続けている事に気がついてブンブンと首を振る。

年が違う。住む世界も違う。

オレは案内屋でうたかた荘の管理人、あの子は三年間だけうたかた荘に住む…。

三年間。

その響きが、ずしりと心に重くのしかかる。

何でだ。

何でだ。

はあ、と大きくため息をつき、買ったまま手をつけていないコーヒーを握り直す。

もう一度、目が姫乃を追う。

…?

姫乃が一つの店で立ち止まり、どうやら長い間何か悩んでいるみたいだ。

そういえば、さっきからあの店には何度も行っている気がする。

暫くして、その店で何やら購入するも、気になる物がまだあるのかチラチラと振り返りながら違う店へと向かう。

…。

口の開いていないコーヒーをコートのポケットに突っ込むと、明神は姫乃がいた店まで向かい店番をしている女性に声をかけた。

「あの〜、さっきここで胸位までの髪のオンナノコいたと思うけど、何見てたんスか?」

一瞬、その女性は「は?」という顔をしたが、直ぐにあ〜、と言うとにやりと笑う。

「さっきの可愛い子?アンタが連れなの?」

「いや連れというか、保護者というか、管理人というか…。」

「何それ。」

突っ込まれて頭を掻きながら笑う明神。

確かに。何というか、どういう間柄かと聞かれるとなんだか答えづらい。

「さっきの子ね、男モノのシャツを買うか、コレを買うかずっと悩んでたよ。」

言って、可愛らしいチョーカーを指差す。

「結局、シャツ買っていったけど、ずっと気になってるみたいだったね。」

「…オネエサン、これいくら?」

考えるより先に、言葉が出た。

「3500円」

ずばりと言われてブッ、と吹き出す明神。

「高っけー!!何で!こんな小せえのに!」

「大きい小さいじゃないし!大体これちゃんとしたブランドのもんだし。私が買ったときは一万近くしたんだからこれでも安いの!!」

天然石、スワロフスキー、本皮、シルバー等、明神にとっては意味不明の言葉を連ねられ、ぐぬぬ…と唸って黙り込む明神。

早い話、何だか高そうな物だ、と認識させられた。

一度悩み、諦めようかとも思うけれど。

姫乃が自分の為にシャツを買いコレを諦めたという事。

この事がどうしても男として引き下がれない要因となった。

柔らかいピンク色の革紐の真ん中に、ちょこんと小さな赤い花。

(似合うだろうな。喜ぶだろうな。)

もうこの事しか考えられない。

はああ、と腹の底からため息をつくとポケットから財布を取り出す。

中を覗いて中身を取り出し手渡す。

…足りない。

「お兄さん、ちょっと困りますよ。全部出して3000円?本当に大人?」

「うるせえな。家賃入るの明後日なんだよ。」

そう考えるとこのお金も「姫乃から」の家賃であって、さらにへこむ。

「まけてくれ。何かそういうトコなんだろ?フリーマーケットって。」

「…アンタ本当に大人?あの子も苦労するだろうね〜。」

「…どういう意味だよ。」

「そういう意味だけど…。違うの?」

そういう意味がどういう意味で、違うのが何が違うのかわからない。

…わからない。

明神はむすっと口をへの字に曲げると、ポケットから姫乃にあげようと仕込んでいた飴と、まだ手を付けずにいたコーヒーを取り出して無理やり押し付ける。

「…仕方ないなあ。」

そう言うと、店の女性がそのチョーカーを袋に入れると明神に手渡した。

「大事にしてあげてね〜。」

何を?この首飾りを?ひめのんを?

チョーカーが入った袋をコートのポケットにねじ込む。

これで本当にすっからかんだ。

もう一度ベンチに戻りどっかりと座る。

コーヒーを飲もうと考えて、お金がなかったと思いなおす。

「明神さん!」

姫乃が明神の元へと走ってくる。

手にはいくつかの荷物。

「おー、ひめのん。大漁だな。」

言うと姫乃はえへへと笑う。

「ちょっと張り切っちゃった。明日から節約生活だね〜。」

そう言う姫乃から重そうな荷物を選んで貸して、と手を出す明神。

「あ!」

姫乃がにっこりと笑い、手提げの一つをごそごそと漁る。

「さっきね、カッコいいシャツがあってさ、明神さんに似合うと思って…。」

「ひめのん。」

姫乃の言葉を遮る明神。

ポケットに手を突っ込んで小さな袋を取り出すとその中身を姫乃の首にかけてやる。

「おー、似合う似合う。」

笑う明神と、ポカン、と口をあけて驚く姫乃。

「あれ…コレ、明神さん??」

「ベンチでひめのん見てたらさ、何か気になってるものあるみたいだったからね。行ってみた。」

ようやく、どういう事か理解した姫乃は顔を赤くする。

「わ、ずっと見てたんですか?」

ギクリとする明神。そっちにきたか。

「や、やる事もなかったし。気になって…。えーっと、どう、かな?」

「え?あ!」

がばっとお辞儀をする姫乃。

「ありがとうございます!すっごく、嬉しい!!」

顔を上げ、チョーカーに手を当ててニコニコ微笑む姫乃。

(ああ、これが見たかった。)

でも想像していたよりずっと可愛くて、嬉しそうで。

「じゃあ私もコレ!」

姫乃も先ほど同じ店で買ったシャツを取り出して明神に見せる。

シンプルで細身の白い長袖のシャツ。

背中に何かのロゴが入っていてこれが俗に言う「ブランド」の証なのかと思うけれども明神にはそのよさはわからない。

わからないけれど、姫乃が選んでくれたものという事実が明神にとっての「姫乃ブランド」だった。

「明日から着るよ。」

そう言ってありがたく受け取る明神。

広場を後にする姫乃と明神。

姫乃の首元の赤い花が揺れる。

明神は何だか物凄くこの幸せは恐ろしい、と感じた。

少しづつ姫乃という人物が明神にとって大きな存在になりつつある。

こんなに小さく、女子高生の、年下の女の子が。

…やめよう。

ゆるゆると首をふる。

姫乃は上機嫌で少し前を歩いている。

時々振り返り、微笑む。

しかし明神は、駅に着く前にどうしても姫乃に言わなくてはならない事があった。

それは、上機嫌の姫乃を不機嫌にしてしまうかもしれない。

もう少し言うと、大人の威厳というものが少々揺らぐかもしれない。

「ひめのん。」

意を決して声をかける。

「何?」

「…えっと、二駅分の距離って、歩ける?」

「え?」

財布は空。

切符を買う余裕はない。

もちろん、缶コーヒーすら買えない程に。


あとがき
ラスト一話できました〜。
指定はなかったのですが、明×姫というか明→姫風味…。出会ってまだ少しのところです。
しかし明神の財布の中身少なすぎる…。あまり持ち歩かない様にしているという事で…。
こちらはリク下さったハルさんへ!有難う御座いました…。コンプリート!
2006.11.23

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