CAT and DOG
その猫は、「にゃん」と甘えた声をあげると姫乃の膝で転がった。
「ね。飼い主が見つかるまででいいから、お願い!」
そう言って手を合わせ拝む姫乃。
周りには姫乃を擁護するべくアズミを中心とした他の住人達が猫を、猫と共に姫乃を可愛い可愛いと連呼する。
「ネコさんかわいい〜!みょーじん、いいよね?」
大きな目を潤ませ懇願するアズミ。
「いいんじゃねーの?まあ猫から家賃はとれねーけどさ。」
別にどっちでもいい筈だけれど、面白そうな方につくエージ。
「ひめのんが可愛い。猫と一緒に居るひめのんが可愛い。」
常に姫乃の味方をするガク。
「ペット禁止って聞いたこと無いっすよね。」
何時の間にかすっかり姫乃寄りの人間になっているツキタケ。
ほぼ満場一致。
「まあ…飼い主が見つかるまで、な。」
明神がしぶしぶそう言うと、その場にいる全員が「やったー!!」と声を挙げた。
姫乃が拾ってきたその猫は、首輪をしていた。
毛並みがくしゃくしゃになり、痩せてすっかりみすぼらしい姿になっているけれど、誰かに飼われていた事は確かだった。
風呂場で洗ってやると、その猫は意外と毛並みも美しく、つやつやしている。
どこかから逃げ出して来たのかそれとも迷子になったのか。
甘えんぼななその猫は、体は大きいのに目は丸く、きょとんとした表情が愛らしい。
別に、明神は猫が嫌いではない。
ただ、第一印象があまり良ろしくなかったのだ。
「明神さん。…あのね、猫拾っちゃったの!」
学校から帰ってきた姫乃は、開口一番さっとその猫を抱えて明神の前に差し出した。
「ええ!?猫って、ひめのん。」
覗き込んだ明神を、その猫はあろう事か。
「フー!!」
シャッと一閃。
明神の頬に縞模様が出来上がった。
「キャー!!」
「…この、クソ猫…!!!」
何が気に入らないのかその猫は明神が近づくと威嚇の声をあげ襲い掛かる。
反面、姫乃の事はお気に入りなのか、撫でると咽を鳴らして甘えている。
明神としては、非常に面白くなかった。
百歩譲って、その猫が明神に懐かないという事は許すとしよう。
許すとしても、それ以上に明神を苛つかせたのは、その猫の存在そのものだったのだからどうしようもない。
というのも、その猫がやってきてからというもの、姫乃がその猫につきっきりになっているからで。
痩せて弱っているのもあって、せっせと看病し、餌をやり、水をやり、撫でてやり、声をかけてやり、と。
姫乃の側には常にその猫が居た。
そして明神が近づくとその猫は唸り、姫乃は「ごめんね!」と言って猫と共に退散する。
姫乃としては、猫が明神に悪さをしない様にと気遣っての行動だけれど、明神は姫乃が猫と共に立ち去る度に、飼い主に置いて行かれた様な惨めな気持ちに襲われていた。
そんなこんなで明神と姫乃のやりとりは、猫が居る事によって半径50センチ程離れてのやり取りになっている。
リビングで、茶の間で、明神は姫乃の膝を占領するその猫を遠巻きに眺めるだけ。
いかんいかんと思いながらも表情は不満気に、忌々しげにその猫を睨む。
チラと、その猫と目が合うと、猫は「くあ」とあくびをした。
ブチブチとこめかみの血管が破れるのを感じながら、明神は色んな感情を必死で飲み込む。
ここで怒りを爆発させてもまた姫乃が猫と共に自室へ逃げていくだけで終わってしまう。
遠くから眺めるだけという生活がこれほど辛いものかと痛感し、逆に少しだけガクを凄いと思った。
猫がうたかた荘に現れてから3日が過ぎ、ノー・スキンシップ生活に明神の忍耐力もそろそろ限界に近づいてきていた。
ある日、明神はうなされて目を覚ました。
「う…ぐ…ぐはっ!」
バチリと目を開くと、腹の上に猫がにゃんと乗っていた。
「何してくれてんだ、コラ!!」
しっしと手で払うと猫は明神から飛び降り、少し離れたところで振り返る。
「何だよ。」
「にゃー」
「わっかんねーよ!言いたい事があるなら言え!クソ猫!!」
「にゃあー」
何か用事があるらしい、猫は管理人室から出て行く気配が無い。
時計を見ると昼を回ったところで姫乃は学校へ行っている。
今日は土曜日の為、そのうち帰ってはくるだろうけれど、後数十分は猫と二人きりである。
ストンと座り、こちらの様子を伺う猫を明神はちらりと見た。
見た目はとても可愛らしいのだ。
管理人室から出て行く気配のない猫に、明神はチッチッと手招きした。
今まであれだけ嫌がっていた猫が、わざわざ管理人室を訪ねて来たのだし、少しくらいかまってやろうと手をだした、のだが。
クア…。
その様子を無視して猫はあくびを一つ、丸まって上目遣いで明神を眺める。
「…可愛くねー…。」
呟くと、猫は廊下から小さな袋を咥えて持ってきた。
それを明神の前にぽとりと落とす。
いつも姫乃が与えている猫用の餌。
「ほー…これを開けろってか?」
袋に手を伸ばす…とみせかけ、明神は猫の反射速度よりも早く、猫の首根っこを捕まえぶら下げた。
じたばたと暴れ、逃げようとするけれどそこは明神も逃がさない。
手を焼く動物と言えども、所詮は猫。
人間の、大の男の力に敵う筈もない。
「捕まえたぞ、クソ猫。今までさんざん引っ掻き回してくれたな。」
顔を近づけると爪を一閃。
明神はそれをひょいと避ける。
「油断してなきゃこんなもん食らうか!飯の時だけ寄ってきやがって!」
お礼に軽い頭付きをお見舞いし、ゴリッと額を合わせたままで明神は説教を始める。
「いいか、猫。お前のせいで、オレがどれだけどれだけ我慢を強いられていると思ってやがる。ひめのんの膝はお前のモンじゃねーんだぞ。お前が来る前は皆のひめのんだったんだぞ。それをべたべたべたべた一日中占領しやがって。それでなくても膝枕なんて事、めったな事じゃあして貰えねえってのに、お前のせいで…。」
猫の軟らかいほっぺたを引っ張りながら、明神の説教はまだ続く。
「いいか。大体このうたかた荘はオレんだ。ここオレん家だぞ。そんでひめのんだって一応…オレんだ。」
言いながら自分で照れる明神。
口を尖らせ、ちょっと顔を赤くし。
コホンと咳払い一つ。
息を吐いて、もう一度顔をまじめに戻し。
「いいか?一家の主には従え!敬え!ちょっとは遠慮しろ!譲れ!譲り合え!!」
そこまで言うと、猫がカッと目を見開いた。
縦線三本。
顔面に赤い線を引かれた明神は、ポロリと取り落とした猫を怒りの形相で追いかける。
猫相手に本気で怒るなんて大人気ないと思いながらも、元々短気な性格の為に勢いが止まる訳もなく。
追う明神、逃げる猫。
長年住んでいるので地の利は明神にあり、体が小さい分小回りは猫の方に分があった。
だがしかし、猫の素早さも有効なのは相手が普通の人間だったらと、いう話で。
「捕まえたっ!!!」
逃亡開始から数十秒で、猫は明神の手に。
「てんめぇ、よくも人の顔をバリバリ爪とぎ代わりにしてくれやがって…制裁ー!!!」
「明神さん、ただいまー!!!」
猫の額をグリグリするのと、姫乃が玄関を開けるのはほぼ同時だった。
ハッと玄関を振り返り、硬直する明神。
「な、な、何してるの明神さん!!!」
「にゃー!」
明神はポトリと猫を取り落とした。
猫は猫らしく地面に綺麗に着地すると、大急ぎで姫乃の元へと駆けて行く。
「ひ、ひめのん!これは…別に苛めてた訳じゃなくて!」
「もう!こんな小さい子捕まえて!駄目でしょ!?」
猫を抱きかかえ、キッと明神を睨む姫乃。
「だから、あの…違うんだって!!!」
おろおろする明神と、姫乃の腕の中でにゃあにゃあ甘える猫と。
その猫と目が合った時、勝ち誇った様に笑って見えたのは明神の目がそう見せたのか、本当に笑っていたのか。
明神は魂が抜ける思いでその猫と、己を叱る姫乃とを見比べた。
泣き出しそうな顔の明神に、姫乃はハア、とため息。
「もう。…そうだ、明神さん。この子の飼い主見つかったよ!」
「へ?」
姫乃が猫を抱えたまま、器用に鞄から一枚のビラを取り出した。
そのビラには。
「えっと、何だ?猫、探しています。名前ドリアちゃん
メス 赤い首輪をしている 3歳 茶と黒のブチ模様
目の真ん丸い、人懐っこい子です。」
と書かれていた。
「あ〜。じゃあお前、ドリアちゃん?」
明神が姫乃の腕の中の猫に呼びかけると、猫は明神を見上げてにゃんと鳴いた。
姫乃はビラに書かれていた電話番号に電話をし、今猫を預かっている事を説明した。
相手は今すぐ迎えに行くと言って、一時間もすると車でドリアを迎えに来た。
飼い主は何度も頭を下げ、礼を言ってドリアを連れて去って行った。
アズミは離れたくなくて泣いていたけれど、飼い主の元へ帰してあげようね、と言った姫乃の言葉に泣きながらも頷いた。
飼い主の腕に抱かれたドリアを、最後の最後チラリと明神が見ると、ドリアも明神をジッと見ていた。
何だよ。最後の最後だけ、しおらしいじゃねーか。もう迷子になんじゃねーぞ、迷惑だし。…心配してくれる奴だって、いるんじゃねーか。
声には出さず、口の中でそう言うと、ドリアはいつもの様にあくびをし、ふいと目を逸らす。
やっぱ可愛くねえ。
明神は鼻で笑って、去って行く車に手を振った。
「ねえ、ちょっと苦しい。」
夜になって、ようやく落ち着いたうたかた荘のリビングには、夕方できなかった洗濯物を畳む姫乃と、寝転がる明神が居た。
明神は姫乃の膝の上に上半身を乗せ、そのままがっしりとしがみ付く形で寝転がっている。
「重いし、暑いし、動きにくいんですけど。」
姫乃が抗議しても、明神は返事をする気配すら無い。
「…もう。」
仕方なく、姫乃は洗濯物を畳む手を止め明神の頭を撫でてやった。
「…明神さん、何か髪の毛パサパサしてるね。肌もカサカサしてるし。」
「…そりゃね。色々頑張ったから。ストレスとか、栄養不足とか、色々あったから。」
やっと返事をした明神の声は、すっかり拗ねあがっている。
姫乃は少し呆れながら、明神のやつれ具合を確かめる。
いつもキラキラと輝いている白い髪も何だかパサパサして、肌もつやが無いし目つきも悪い。
心なしか痩せた気もするし、一体あの猫とどれだけ反りが合わなかったんだろうと思いながら。
「…何だか拾ってきたばっかりのあの子みたい。」
そう言って姫乃が笑うと、突然明神が起き上がった。
「がー!!」
「きゃー!?」
姫乃に襲い掛かった明神は、抱きついて転がると、姫乃の腕に噛み付いた。
「いたい、いたい!コラ!止めなさい!!」
そう言ってペシペシと頭を叩くと、明神は抱きつく腕に力を込める。
「ち…ちょっと明神さんっ!」
さすがに焦って声を荒げると、ようやく明神の動きが緩慢になる。
「…三日間。餌を貰えず、水を貰えず…。」
「ええ!?」
「ノー・スキンシップがこれ程しんどいとは思わなかった…あの・クソ猫!!!」
そう言うと、ドン、と音を立てて床を蹴る。
長く長く息を吐きながら明神は姫乃にもう一度しがみつき、その感触を手や体に染み込ませる。
「ご飯は作ってあげてたでしょ?お水だって飲んでたでしょ?」
「イメージの話…三日間あんまオレの方見なかった。飯は一人で食ってた。」
「ちゃんと見てたよ!話だって毎日してたでしょ?」
「あの猫挟んで。全然ひめのんに触ってない。」
「だって、それはあの子が…。明神さん、猫に嫉妬してたの?」
ピクリと明神が反応する。
あ、しまったと姫乃は思った。
思ったけれど、遅かった。
逃げようと、四つん這いの状態で走ったけれどあっさりと捕らえられ、もう一度、ぎゅうときつく抱きしめられる。
背後から胴にしがみつかれ、そのまま床にべちゃりと崩れる様に倒れた。
苦しくて、「フ」と息が漏れた。
下敷きになるのはあまりに重く辛いので、もぞもぞと動いて横向きに転がり何とかしのぐ。
けれど息を整える間も無く力任せに仰向けに転がされると、馬乗りになって抱きつかれる。
顔を隠し、頭を胸に埋める様に。
明神の、少しパサパサになった後頭部を眺めながら、じわじわと浮かんでくるのは「仕方ないなあ」と言う感情と、「可愛いなあ」という感情。
ゆっくりと頭を撫でてやると、しがみ付く腕の力が徐々に弱まっていく。
考えてみれば、最近あんまり顔を合わせてなかったなと思う。
悪い事をしてしまったと。
猫にかかりきりで、時間が無くて。
ふと。
姫乃は明神を犬みたいだと思った。
新しく飼う事になった猫に嫉妬して、飼い主に噛み付く犬を想像した。
ペットは二匹以上飼う時は注意が必要です。
何だかそういう言葉を思い出しながら、ああ違う、明神さんは人間で男の人で年上で24歳で管理人さんでした、と思い直す。
「うたかた荘はペット禁止だねえ。」
背中を優しく撫でながらそう言うと、明神は勢い良く顔を上げ、「禁止」と厳しい口調で言った。
その真剣な顔に、姫乃は苦笑いした。
「もう一匹いるもんねえ。」
「何だ、そりゃ。」
「白い大型犬が。」
「オレの事か。」
「冗談だよ?」
「冗談に聞こえねーぞ…。」
「お座り。」
「ひめのん。コラ。」
「あはは。嘘うそ。」
怒り出しそうな明神を抱きしめると、ゆっくりと大人しくなる。
姫乃はドリアを拾った時の事を思い出した。
ヨロヨロになって、近づくと威嚇しながら逃げようとするのに、抱き上げて、抱きしめるとホッとしたのか大人しく目を閉じて。
あの猫もこの人も、寂しがり屋なんだ。
そして必死で求めてくれるから、愛しくてついつい甘やかしてしまう。
そんな事を考えて、でも口に出す事はやめにして、ゆっくりと呼吸をする明神と共に、目を閉じた。
あとがき
「スタンダードな明→姫 ちょっと嫉妬入り」のつもりが!!
いつの間にか駄犬明神となりました。あれ?すみません…。全然スタンダードじゃないよ!!
こちらはリク下さった、愛しのあひろさんへ!す、すみませんでした…!!
2007.06.30