暖かい土曜日

目が覚めたら、自分の部屋に転がっていた。

「…アレ、何でオレ寝てんの?」

正確には気絶していたんだが、ゆっくりと体を起こす。

布団が被されてあった為寒くはなかったけれど、頭がなんだかぼおっとする。

立ち上がろうと膝を立てると、目が回ってしりもちをついた。

「…気持ち悪ィ。今何時だよ。」

貧血でも起こしたのか。

オレは深くため息をつくと、今日あった事を思い返してみる。

「確か、今日は。」

湟神と買い物に行き、酷い目にあって、それから家に帰って姫乃が体調悪そうだから…。

あ。

あれ。

オレ、あん時。

血の気が引いた。

やばいやばい。

頭を抱えて、蹲る。

「…夢だよな?」

誰か。

体を起こして意味も無く辺りを見回す。

アレが夢だったって確証が欲しい。

記憶の最後は姫乃の怯えた様な顔。

姫乃に確認…なんて出来ない絶対にできない。

「うわ、あ。」

失うのは怖かった。

今の心地よい生活。

理解者。

それから、心底惚れた人。

何てあっけない最後。

自分で壊して全部終わり。

「あ〜…。消えてぇ。」

それでも、時間は進んでいって、この繰り返される毎日を放棄する訳にもいかない。

どうせなら、全部放り捨てて逃げ出す位の勇気があればいいのに。

オレには、そんな度胸もない。

ここしか生きていく場所なんてないんだから。

目を閉じても眠れない。

誰か記憶を消してくれたらいいのに。

金曜日が、終わる。






土曜日。

冬悟は誰とも顔を合わせない様にご飯も食べずこっそりと家を出た。

姫乃は鞄に二つ弁当を入れると、勇一郎に一つお弁当を手渡した。

「今度は、私が追いかける番だね。」

「苦労かけるね。」

「いいえ!半分は私が蒔いた種ですから。」

意を決して、姫乃は玄関を後にする。

「がんばれよ〜。」

勇一郎に手を振って出発。

今まで冬悟に甘えて誤魔化してきた気持ちをちゃんと自分の物として受け止めよう。

逃げないで。

ちょとした仕草から癖まで全部好きなんだって、ちゃんと伝えよう。

毎日会えて嬉しい。

ご飯を喜んで食べてもらえて本当に幸せ。

もう一度一緒に自転車に乗ってみたい。

勉強だって、もっと色んな話を聞きたい。

逃げた時に探しに来てくれて本当はホッとした。

貰ったぬいぐるみとハンカチだって、本当は嬉しかった。

昨日は本当にびっくりしたけど、それだって今まで見たことない本当の冬悟さんが見れた。

全部丸々伝えるんだ。

今日は授業どころではなさそうだった。

土曜日なので、授業は午前中のみ。

ホームルームで顔を合わせた時、冬悟がこちらに目を合わせない様にするのがわかって苦しかった。

それでも、決めたからには絶対に。

授業が終わり、帰りのホームルームが終わると、姫乃は静かに立ち上がった。







冬悟は今日とことん寝不足だった。

あれから、昨日目が覚めてから夜中中一睡もしていない。

その上、昨日の昼から何も食べていなくて腹も減っている。

職員室に戻ると自分の机にバタンと倒れた。

今日ばっかりは、駄目だ。

頭が働かない。

気持ちも、弱っている。

その時、パタパタと聞き覚えのある足音がして、冬悟は焦る。

ゆらりとゾンビの様に立ち上がり、近づいてくる足音と反対側の出口へ向かうと扉が開けられる瞬間、自分も扉を開け出て行く。

「失礼します!」

鞄を抱えた姫乃が職員室を覗き込むと、冬悟の席には誰もいない。

目線をすばやく動かすと、今まさに逆の出口から出て行く冬悟の後姿。

「失礼しました!!」

ぴしゃりと扉を閉めると、姫乃は反対側の出口に向かって走りだす。

追ってくる姫乃に気付き、今度は冬悟が逃げる。

「どうして、逃げるんですか!?」

「何で、追っかけて来る!」

「聞きたい事と言いたい事と渡したい物があるから!」

何も聞きたくないし、言いたくなかった。

冬悟は振り向きもせずそのまま逃げる。

階段を一段飛ばしで駆け上がる。

「負けるもんか!」

姫乃も負けじと付いて行く。

鞄が邪魔で、重たい。

けれどこの中には大事なお弁当が入っている。

だって、冬悟は昨日から何も食べていない筈だから。

「あ…。」

ぐらりと、冬悟の目が回る。

貧血か。

背後に追いかけてくる姫乃の気配を感じる。

壁に一度もたれかかり呼吸を整えるとまた走り出す。

絶対に捕まりたくなかった。

怖くて怖くて仕方なかったから。

がむしゃらに走って、気が付くとそこは屋上。

この先にはもう何もないとわかってはいるけれど扉をあけ、中に入る。

びゅう、と風がふいてシャツの襟元がバタバタと踊る。

どこにも、隠れる場所なんてない。

追い詰められた。

姫乃が勢い良く屋上に足を踏み入れる。

追い詰めた。

フェンスをよじ登ろうとする冬悟の服を掴むと姫乃は思いっきり引っ張った。

「もう!どこ行くの!!」

「おわ!」

バランスを崩し、コンクリートの床に背中を打つ冬悟。

「ぐへっ!」

頭も打った。

痛い。

頭を押さえて痛みに耐えていると、姫乃が冬悟の腹を跨ぎ、ドンと座る。

「うげ!」

「捕まえた!!」

ゼイゼイと二人共暫く何も話せず息を整える。

「もう、逃げられないよ?」

冬悟の腹の上で、襟首を掴んで姫乃が勝利宣言をする。

昨日とは全く逆。

「あ、あの…桶川。」

ペシンと音がして、頬を打たれる冬悟。

「今、冬悟さんは先生じゃなくて冬悟さんでしょ?学校だけど先生じゃないもん、今の冬悟さんは。」

「…ごめんなさい。」

「ごめんじゃなくて…。」

「すみません。」

「謝らなくていいから。」

「ごめん。許して。」

「もう。」

ゴツンと冬悟の胸に頭をぶつける姫乃。

「謝るなら逃げないでよ。」

「怖くて。」

「何が?」

「姫乃がいなくなるのが。」

「逃げたらいなくならないの?」

「…出て行くって言われたら、って考えたら怖くて。」

姫乃の口から傷付く言葉を言われるのが、また言われても仕方の無い状況を作ってしまった事が恐ろしかった。

けれど、姫乃は困った様に微笑む。

「出て行く訳ないでしょ。」

「出て行くと思った。酷いことしたから。」

「私気にしてない。私も酷い事言ったし。」

おずおずと、まるで子供の様に冬悟は姫乃の腕を掴む。

「…じゃあ、ずっと居てくれる?出て行かない?」

「うん。」

「…良かった。」

冬悟が全身の力を抜く。

その時、冬悟の腹がぐうと鳴った。

「…。」

「…。」

姫乃をどかすと、ゆっくりと起き上がる冬悟。

「ごめんひめのん腹減った。昨日の昼飯から何も食ってなくて。」

「うん、知ってる。」

姫乃は鞄からお弁当を二つ取り出した。

それを片方、大きい方を冬悟に手渡す。

「だから、作ってきた。一緒に食べようと思って。」

おおお…、と涙を流しながらそれを受け取る冬悟。

蓋を開けて、ゆっくりと食べだす。

「冬悟さん、あのね。昨日って、湟神先生と買い物してたよね。」

「ああ。あのハンカチと、ぬいぐるみ探しに。オレ自分のセンスに自信がないから選んでもらおうと思ったんだけど…。あいつ自分の欲しいものばっか見るから結局オレが選んだ。」

「そうなんだ。じゃあアレ、冬悟さんが選んだの?」

「うん。…あ、オレの趣味じゃないからな。ひめのんに似合うかなってのを必死で探したから、こう、乙女チックな柄になっただけで…。オレの勝手なイメージだから。」

「私のイメージって、ああいうの?」

「勝手な!イメージだから。気にしないで。」

「そっか。」

姫乃は箸を動かしながら何度も「そっか、そっか」と繰り返す。

心なしか、嬉しそうな顔。

「…昨日の、アレ、ひめのんどっか怪我とかしてない?頭ぶつけてなかった?」

気まずそうに冬悟が切り出す。

本当は、なかった事にしたいけれど気になって仕方がないから自分から聞いた。

「手首に痣が。」

箸を置いて制服の袖をめくると、手首の辺りに指の痕がくっきりと残っている。

「ご、ごめん。」

どうする事もできないけれど、思わずその細い手首を緩く握る。

「…冬悟さん、あのね。私昨日冬悟さんと湟神先生が買い物してるとこ見ちゃったんだ。」

「え?」

「凄く楽しそうで、私、勘違いしたの。」

「何を?」

「二人が、付き合ってるって。だって凄くお似合いだったんだもん。私なんてまだ冬悟さんから見たら子供みたいなもんだし。」

ああ!それで。

やっと姫乃が昨日何故あんな事を言って、あんな態度をとったのか理解できた。

「…だから、好きだと惨めになるって?」

姫乃がこくりと頷いた。

はー、と腹に溜まった息を全て吐き出す冬悟。

「オレ達、何だか無駄に揉めたなあ。」

「無駄って言わないでよ。…私本気で辛かったんだよ?」

「オレだって…。あ、じゃあさ。ひめのんはオレの事好きって事でいいのか?」

「あ。」

「き、昨日ので嫌いになった?」

「いえいえいえ!!そんなことない!」

ブンブンと手を振って否定する。

ほっとする冬悟。

改めて目が合うと、何となく正座をして向かい合う二人。

「えっとですね。じゃあ。ちゃんと言いますね。私、桶川姫乃は、」

そこで、冬悟が姫乃の口を押さえた。

「ストップ。」

「ふぁに?」

「…できたら、オレから言ってもいいか?」

「…どうぞ。宜しくお願いします。」

もう一度改めて姿勢を正す。

「では。」

お互いにぺこりとお辞儀をして。

「えっと、ひめのん。大好きです。世界で一番大事な人。ずっと一緒にいて下さい。できれば、高校卒業してもずっと。進路どうするかとか、わかんないけど、それでもずっと一緒に居てください。…オレの側に居てくれ。どこにも行かないで、離れないで、オレだけ見てて。」

ずっと溜め込んでいた気持ちを、少しづつ頭の中で整理しながら吐き出していく。

昨日みたいに感情だけ爆発させるんじゃなくて、どうやったらちゃんと伝わるかを精一杯考える。

「以上、明神冬悟でした。」

言い切って、姫乃の目を見る。

すっとした。

初めからこうすればよかったのに、なんて考えた。

姫乃がどう答えようと、こうすればよかった。

大人だからとか、後三年とか言って先延ばしにして逃げていたからこんな事になった。

「家族」としてなんて体のいい嘘つくから。

姫乃の口元が、すっと笑みの形に変わる。

「冬悟さんに言われなくても、私ずっと冬悟さんの側にいるよ。冬悟さんしか見てないよ。卒業したってうたかた荘に居座る気だもん。出てけって言われても出て行かないよ。私の居場所は冬悟さんと勇一郎さんのいるあの家だもん。」

「じゃあ、死ぬまでお付き合いいただけますか?」

冬悟が、手を差し出す。

姫乃はその手に自分の手を柔らかく添える。

「喜んで、お受けいたします。だけど、死んでも離れないから。」

二人で笑った。

久々に本当に腹から笑った。

笑いながら泣いた。

「失礼します。」

冬悟が手を伸ばし、姫乃を抱き寄せる。

体温がじわりと伝わって暖かい。

安心すると眠たくなってきた。

よく考えたら昨日は全く眠っていない。

そのまま姫乃にずるずるともたれかかる。

眠ってしまおう。

勝手に膝を枕に眠り出す冬悟。

姫乃はちょっと笑うと目を閉じ、完全に眠りに落ちた冬悟の頭を撫で、髪を指ですく。

空を見上げると、とても綺麗な青空だった。


あとがき
土曜日です。大団円という感じで。
本当に書き出した頃はこんな話になるなんて全く考えていませんでした。
ノリと勢いだけだったもので…。後一日、日曜日を書いたらこの流れでは終わりになる予定です。
ネタが浮かんだらまた続きかくやもですが…(笑)
2006.12.29

Back