ジレンマ3

姫乃は自室に戻るとため息を吐いた。

どうしてああ二人は喧嘩ばかりなのか。

結局、家に帰る前に物凄いスピードで追いかけて来た明神とガクに捕まり、わあわあと騒いでいると近隣の住人に警察を呼ばれて明神が警察署に連れて行かれそうになった。

必死で説明し、警官に平謝りして許してもらったのだが「痴話喧嘩なら家の中でする様に」と捨て台詞の様に言われ、ガクが警官をハンマーで殴ろうとするのをこれまた必死で止めた。

気になるのは、警官の言葉をさらりと否定した明神の台詞。

いつもの調子で、頭をかきながら。

「や、そんなんじゃあないですから。」

本当にそうなのだから何とも言えないけれど、もう少し慌てたりして欲しいと思う。

そんな事明神には関係ないのかと思うと気持ちが沈む。

ただでさえ、最近ガクと明神が喧嘩ばかりで気を使っているというのに。

夕飯の支度も途中でやる気をなくしてしまい、野菜と包丁を掴んだまま立ち尽くして考え込む。

「どうしたあ?」

突然背後から声をかけられ、「わ!!」と叫ぶ姫乃。

包丁片手に振り返れば壁からエージが生えていた。

「もー。急に話しかけないでよ!びっくりするでしょ?」

「ぼーっとしてるからだろ?オレはいつも通りだよ。」

呆れ顔で言うエージ。

「とりあえず、包丁下ろせ。」

言われて初めて、手に包丁を持っている事に気がついた。

「わ。ほんとだ。」

「しっかりしろよ。大丈夫か?」

「…うん。」

このまま黙っている事がしんどくて、姫乃はあの二人が喧嘩ばかりしているという事だけエージに相談してみる事にした。

もう一つ、姫乃が落ち込んでいる原因はあるのだけれど、そちらはエージには相談し難いので黙っておく。

かいつまんで、あの二人がよく喧嘩しているのだと言うと、エージは腕組してふむ、と言う。

子どものくせに、こういうところは妙に大人っぽい。

「でもなあ。あの二人が仲が悪いのは元々だしな。」

「そうだけど。今日は殴り合いになったし、顔合わせると嫌そうな顔するしさ。一緒の家にいるのに、何だかなあって。それに…。」

「それに?」

「それにね、何だか私の事で喧嘩する事が多いなあって。気になっちゃって。」

「あ〜…。」

あ〜と言ったまま、言った口の形のまま、エージは固まった。

「…え、何?」

「ああ、いや。別に。そうだなあ〜。」

要領の得ない答えに、眉をしかめる姫乃。

「私、ここにいない方がいいのかなあ、とか思っちゃったりして。」

その言葉に、エージは慌てて立ち上がる。

「それはない!!オマエが出てく事ないだろ?あいつらが喧嘩すんのは日常茶飯事!自然現象だとでも思えよ。」

思った以上の反応したエージを安心させようと、姫乃も慌てて否定する。

「…まあ、ここから出て行くお金もないけどね。」

笑って見せるとエージはどっかりと座り、頬杖をつく。

「…まあでも、あの二人が喧嘩すんのをやめろって言う方が無理だろ。」

「そうかなあ。」

「姫乃が来る前からずっとあんなだったし。似たもの同士だからな。」

「あ、それはわかる。」

思わず身を乗り出す姫乃。

「今日もね…。」

コンコン。

姫乃が言いかけた時、それを遮る様にドアがノックされ、間伸びした声が部屋の外から響く。

「ひめのーん。ちょっといいかあ?」

姫乃とエージは目を合わせた。

「どうしよ。」

「いや、出たらいいだろ?オレは退散するし。まあ気にする事ねえだろ。いつも通りにしてりゃいいって。」

そう言って、エージが床にスポンと消えた。

それを見送ると同時に、返事を待てなかった明神が薄くドアを開ける。

「ひめのーん…。いいか?」

顔を少しだけ覗かせて、明神が言う。

「ああ、うん!いいよどうかした?ご飯?」

「いやそうじゃなくて…。」

言いながら、体の陰に隠していた箱を姫乃に渡す明神。

「これをだな、納めようと思って。」

パカリと開けると可愛いケーキが二つ入っていた。

「わ!これどうしたの?あ、昨日の報酬?」

「いやいや、買ってきた。」

「ええ!?いいの?」

本当に申し訳なさそうにする姫乃に、明神は改めて自分がどう見られているかを思い知った。

「ええと…、今回はちゃんと報酬がある仕事だったから。っていうか、時々はちゃんとコレで稼いでんだよ?」

「そうなの?」

姫乃はきょとんとした目で聞き返す。

明神は物悲しい気持ちになってケーキの箱を押し付ける。

「そうです!はいコレ食べて、食べなさい、食べるがいい。」

「ありがとう。でも何で?」

「今朝と、さっきのお詫び。」

「そうなんだ。別にいいのに。」

「元々、少し収入があるって聞いてたから、ひめのんに何かって思ってたし。」

「え?どうして?別に、今日は何の日でもないし…。」

どうしてと聞かれても、明神にもその答えが自分の中にはない。

「…何となく?ひめのんに甘いモンでもって…そういや何でだろな。」

「何だか得した気分だね。お菓子をあげたくなるんだ私。」

上機嫌でケーキの箱を開け、それをお皿に乗せる。

姫乃がお茶とケーキを用意する間、明神はそういえばどうしてだろうと首を捻っていた。

まあ、何かとお世話になってるし、姫乃は甘いものが好きそうだから…とは言っても別に自分が用意してやらなくてもいいとは思うけれど。

「明神さんはどれ食べる?」

「オレはいいよ。ひめのん好きなの取れよ。ひめのんの為に買ってきたんだから。」

「ん〜…でもね、このチョコの美味しそうだけど、こっちのショートも捨てがたいなあ。でも全部は食べきれないし…明神さん。」

「何?」

姫乃が明神とケーキを見比べる。

下から覗き込む様に明神の目を見ると、すまなさそうに提案した。

「あのさ…全部、半分コしない?どれも美味しそうだから選べなくて。」

明神がいいよと言うと、姫乃は両手を挙げて喜んだ。

こんなに喜んでもらえれば買ってきた甲斐があるもんだと明神は思いながら…はっとした。

この姫乃の喜ぶ顔。

これが見たくて姫乃に何かしよう、何かしようと思ってしまっている気がした。

当の姫乃はニコニコしながらケーキを切り分けている。

ニコニコしている姫乃を見ると、明神もつられて微笑んでしまう。

あれ、これなんでだ?

考えているうちに、はい、と少しづつ小さくなったケーキを手渡された。

「晩御飯前だけど、早いうちの方が美味しいしねえ。」

そう言いながら、フォークを右に左に動かす姫乃。

こんな時、姫乃は本当に嬉しそうに笑ってくれる。

この笑顔が自分の物だけになればいいと、そんな事は考えない。

考えないけれど、ただ本当に、笑う姫乃を見ているだけで幸せになれる、そう思った。

そう思ったらそうだとしか考えられなくて、急に姫乃がとても大事で大切で貴重なものの様に思えてきた。

普段何気なく接している時間や、朝寝ぼけている自分を起こしてくれる事や、半分に分けられたケーキだって。

「食べないの?」

そう言われて、慌ててフォークに手を伸ばす。

別に慌てる必要なんかないのに。

ケーキを口に運びながら姫乃を盗み見ると、突然姫乃の一つ一つの仕草なんかがくっきりと見える様になっていた。

一体どういう事なんだと混乱する頭を整理して、それが今まで見逃していた小さな仕草も見逃さない様にしているからだと気付くと、明神の頭は更に混乱した。

姫乃が明神の視線に気が付き、ん?と首を捻る。

思わず目をそらしてしまった。

何だコレ。

姫乃を見たい見たいと思っているのに、目が合うと逸らしてしまう。

何だコレ。

「明神さん?」

名前を呼ばれてドキリとした。

ああ、病気だこれ。

「どこか具合悪い?やっぱり怪我きっちり治ってないんじゃない?」

心配そうに姫乃が近づいて来る。

明神は座ったまま少し体をずらして姫乃から逃げた。

「や、大丈夫。ちょっと眠いみたいでさ。結構寝たんだけど…。ほら、ガクとちょっとやり合ったし、くらくら〜っと。」

「やっぱり!もう、喧嘩なんかするからでしょ?明神さん、ガクリンとあんまり喧嘩しないでよ。」

「…多分、無理だなあ。」

ガクが自分に怒りを感じる理由が今はっきりわかった。

元々性格上合わない、という事以上に、ガクが自分に対して抱いている感情がどういったものなのかという事が。

「だって、気になるよ。今日だって私が原因みたいで何だか…。」

「ひめのんは悪くない!!!」

俯く姫乃に、明神は精一杯否定した。

「ひめのんは一ミクロンも悪くない!!オレと、ガクの性格が問題だから、ひめのんが気にする事じゃないよ。ガクのは…ほらいつもの事だし。ひめのんも災難だよな〜。あんなストーカーみたいなのに惚れられて。」

笑い話の種にでもしてしまえと思って言った言葉だけれど、思わぬ答えが帰って来た。

「ん…。初めはどうしようって思ったけど、ガクリンの事沢山わかってきたら、そんなに悪い人じゃないし気にならなくなってきたよ。ほら、何日か前ハセってやつと戦った時だって一緒に行ってくれたし。」

姫乃の言葉に唖然とする明神。

ちょっと前までガクが声をかけるだけで「どは!」とか言ってひいていたのに。

いつの間にかガクリンなんて呼び方になってるし。

「え…じゃあ、ガクの事。」

姫乃はブンブンと首を振る。

「そういう訳じゃないって!ただ、そんなに嫌じゃなくなってきたよ。」

そう言って笑う姫乃も、愛らしくて、明神は言葉が出なかった。

…これは、なかなか。

想像以上に堪える。

オマエは何も解かっていない。

朝、ガクに言われた台詞を思い出す。

わかるかクソったれ。

「本当に大丈夫?しんどかったら寝てね?ご飯軽いものにしとこうか?」

「…いや、重いもんで。」

これで晩ご飯がお粥になった日には精神的にも肉体的にもダメージが大きい。

明神はケーキをぱっぱと食べ終わると、少し寝ますと言って部屋を出た。

少し寝て、頭を冷やそう。

そう思った。

最近ガクの様子がおかしいのも、ガクと姫乃のやりとりに気持ちがむしゃくしゃするのも、全部そういう事か。

だからと言って、これまでの生活や関係が変わる訳ではないけれど、確かに明神の中で何かが変化してしまった。

まあ、なる様になるだろ。

深く考えるのはやめた。

元々、考え込むのは得意じゃない。

とにかくもう少ししたら一緒に晩御飯を食べる事になる。

今はそれだけ楽しみにしておこう。

明神は頭を一度切り替えると、自分の部屋へと向かった。

トントンと階段を下りる明神の足音を聞き終わると、姫乃は片付けと夕飯の支度を平行して開始した。

明神は重いもの、と言ったけれど、少し食べやすい物の方がいいだろうと、肉じゃがを止めて具沢山スープに変更する。

ケーキのせいでお腹も大きくなっているし、お米は少し少なめに炊く。

一緒にいたのは30分程度だけれど、姫乃は嬉しかった。

怪我は心配だけれど、こうやって自分に何かしてくれるという事がとても嬉しい。

そんな気持ちが少しづつ大きくなってきている気がする。

その分、明神と接する事が出来ない時や、気持ちがすれ違った時なんかは逆にもの凄く落ち込んでしまう。

はあ、と大きくため息を吐いて、姫乃はぐらぐら揺れる気持ちを一度落ち着ける。

まずは夕飯を。

美味い美味いと言ってくれる明神の顔を想像しながら。

空っぽになったケーキの箱を見て、姫乃は一人で微笑んだ。


あとがき
ジレンマシリーズ(?)最後です。
ひめのんで…と思ったのに意外と明神になりました。
2007.03.31

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